チャプター 
『セラピーずん、現場の悲鳴 前編』
『セラピーずん、現場の悲鳴 後編』 ←本頁
『セラピーずん、ウソつきの最期』
『セラピーずん、お出かけ、演説』
『セラピーずん、契約解除と盲導ずんの失明』
※この小説はフィクションであり、実在の人物･団体･事件とは一切関係ありません。また、特定の社会的立場の人々を揶揄する意図は一切ございません。
〜前編のおおまかなあらすじ〜
「盲導ずん」の再評価によって誕生した「セラピーずん」。その理念とは裏腹に、現場には混乱がもたらされるばかりであった。とある高齢者施設で働く「イマイズミ」は、日に日にその質を落とし続ける「セラピーずん」に対して不信感を募らせていた。ゼッケンを着せられただけの子ずんを殺処分した時、その不信感が最高潮に達する。
そんな中で、果樹園を経営していたという「セイゾウさん」が新たに入居してくる。イヤな予感を覚えながらも、自身が育てた「ずん次郎」を担当としてあてがうイマイズミ。「ずん次郎」の実力は確かなもので、セイゾウさんは徐々に心を開き始めるのだった。
ある日、夕食のデザートとして出された梨を見て、何かを思い出しそうな素振りを見せるセイゾウさん。「ずん次郎」は施設のルールに従い、梨を取りあげたが…………
本編
「…………なし…………梨…………」
「おじいちゃん！ でざーとさんは、さいごなのだ！ るーるさんは、まもらないと、だめなのだ！」
「そ、そうじゃ、ワシは、ワシは…………梨を……」
「おじいちゃん、きいてるのだ！？」
がちゃんっ！！
お皿を乗せた、トレーが落ちる。
「ああっ！ もう、おじいちゃん！！ こぼしちゃ、いけな…………え？」
飛び散った料理を片付けようと床に降りて、セイゾウさんを見上げた「ずん次郎」は、硬直した。
「梨が……梨が…………ワシの、梨が…………」
「のだっ！？ おじいちゃん、どうしたのだ………？」
立ち上がったセイゾウさんは全身をわななかせ、目をかっと見開いていた。
その目が、床に落ちた梨の欠片を拾い上げる「ずん次郎」を、ぎろりとにらみつける。
「き………貴様か……貴様か…………ううぅっ」
がんっ！！
「っ……！？」
「うあああああああぁああっ！！」
がんっ！！ がんっ！！ がんっ！！
老人はそばにある杖をひっつかむと、その先端で「ずん次郎」を殴りつける。
呻きながら、何度も。何度も。
「げっ」
衝撃で「ずん次郎」の口から体液が飛び出す。しかし、「ずん次郎」は叫ばない。
「セラピーずん」は、何をされても大声をあげないように訓練されているからだ。
「はぁ……はぁ……おのれ、おのれえええええっ」
先に息が上がったのはセイゾウさんの方だった。杖を取り落としてよろめく彼に、痛む体を震わせて言葉をかける「ずん次郎」。
「おじいちゃん、どうしてなぐるのだ……ぼくは、るーるさんを、せつめいしただけなのだ…………なにか、いやなこと、あったのだ？」
「いやなこと………じゃと？！ バ、バカにするなあああっ」
老人は、再び襲い掛かってきた。「ずん次郎」は飛んでそれをかわす。
「まって、おちつくのだ！ おじいちゃん！ おはなしを、きかせてほしいのだ……」
「黙れ、黙れ、黙れえええっ！！ 全部、貴様のせいじゃ！ 貴様のせいなんじゃああああああああっ！！」
「ぼ、ぼくが、おじいちゃんに、なにかしたのだ……？」
「とぼけるなああっ……ワシの梨畑を、めちゃくちゃにしおって………ワシを、落とし穴なんぞに、突き落としおって！！」
口角泡を飛ばして叫ぶセイゾウさん。しかし、何のことだかわからない「ずん次郎」は、困惑した。
「おじいちゃん！ ぼくは、“セラピーずん”なのだ！ おじいちゃんの、みかたなのだ！ けっして、そんなわるいこと、してない……」
「そこから降りてこい、害獣！！ ワシが、この手で殺してやる！！ 殺してやるううううううううううううっ！！ 梨の仇！！ この、害獣めえええええっ！！」
「ずん次郎」は、初めて聞いた。
大好きな「おじいちゃん」の、ハッキリとした言葉を。
しかし、それは優しい言葉ではなく、「セラピーずん」である自分を「害獣」と罵る言葉…………
害獣。
害獣。
害獣…………
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ！！」
訓練も忘れて、「ずん次郎」が悲鳴をあげる。そして、腕をぐるぐると振り回して、いきなり老人に襲い掛かった。
「ううっ！ こ、こいつめ……イタタタ…………」
「どうして！ どうして！ どうしてぼくのいうことを、きいてくれないちゃああああああああ！！ おじいちゃんは、ぼくをがいじゅうだなんて、そんなこと、いわないいいいいいいいいいいいいいいいい！！」
……………………
がちゃんっ！！
「どうしたんですかっ！ セイゾウさんっ！？」
「のだのだのだのだ！！ たすけて、たすけてええええええええええええええええええええええええええええっ！！」
「うぐううううっ……」
異音に気づいたイマイズミが駆けつけると、そこには…………
床に飛び散った食事のトレーと、ベッドに寄りかかっているセイゾウさんの顔を、「たすけて」と叫びながら殴り続ける「ずん次郎」の姿。
「ず…………ずん次郎っ！！ やめろっ！！ 何をしてる！？」 ぐいっ！
「のだっ！？ お、オーナーさん！！ たすけて、たすけて！！」
イマイズミは、すぐさま「ずん次郎」を老人の顔から引き剥がした。
「たすけて、たすけて！！ たすけて、たすけて！！」
「大丈夫ですか、セイゾウさんっ！！ お怪我は！？」
イマイズミに抱きかかえられ、なおも喚き続ける「ずん次郎」をにらみつけながら、老人が口を開く。
「そ、そいつを殺してくれ、頼む」
「セ、セイゾウさん………言葉を………！！」
イマイズミは、初めて聞いた。はっきりとした、セイゾウさんの言葉。
「そいつは……ワシの、梨畑を荒らして盗みをはたらいたあげく、ワシを落とし穴に突き落として、農業を続けられなくさせた……」
「おおおおおおおおおおおおおお！！ だから、それはぼくじゃないって…！！」
「静かにしろ、ずん次郎！！………………待て、“それは”って、どういうことだ？ ずん次郎」
急に喚き始め、老人に飛び掛かろうとする「ずん次郎」を押さえるイマイズミだったが、その言葉に強烈な違和感を覚えた。
「あっ………のだ……」
「なあ……お前は、今までに何も盗んだものはないって、ずいぶん前に、そう言ったよな？」
「………のだ……」
「ずん次郎……お前…………」
「…………」
「黙ってたらわからないぞ………正直に言うんだ！ お前は、盗みをはたらいたことが、あるのか？」
沈黙が流れる。ぶるぶると震える「ずん次郎」が口を開いたのは、数分後。
「ぼ、ぼくは、ぼくは………あるのだ……“セラピーずん”になるまえ、にんげんさんの、さくもつさんを、ぬすんだことが……」
彼が悲鳴をあげ、「たすけて」と叫んだのは、かつて人間から追われた記憶がフラッシュバックしたからだと想像出来る。
それが、無抵抗の老人を殴りつけていい理由にはならないが…………
セイゾウさんが腕をあげて、震える手で「ずん次郎」を指し示した。
「や、やっぱりこいつは、害獣なんじゃ！！ 正真正銘の、害獣だったんじゃ！！ 農家であるワシらがいないと生きていけないクセに、どこまでも嘘つきで傲慢な害獣……」
「だからっ！！ がいじゅうって、いうなああああああああああああああああ！！ なしさんは、ぬすんでないって、いっただろおおおおおお！！ この、くちょにんげん……」
ぱちんっ！！
「いっ……」
乾いた音が響く。イマイズミが、妖精の頬を平手打ちにしたのだった。
「ずん次郎…………人間のことは、何と呼べと教えた！？」
「に、“にんげんさん”……」
「だがお前は、今、セイゾウさんのことを、礼儀をわきまえない命令口調で、“くちょにんげん”と呼んだな？！ しかも、俺に対しても、ずっとウソをつき続けていた！！」
「お、オーナーさん！ ぼくは、でざーとさんは、さいごだって、るーるを、つたえただけちゃ！！ う、うそつきは…………うそつきは、このおじいちゃんのほうちゃ！！ ぼくは、なにも、まちがったことは……」
ばちぃんっ！！
「いちゃい！！」
「どうして、最低なことをしたという“自覚”がないんだ！？ まだまだあるぞ！ お前はあろうことか、ご入居者様に手を出し、しかも今、忍耐しきれず、声をあげた！！」
「ぼ、ぼくは、つい……かっとなってしまったのだ……だ、だからって、やってないことで、“セラピーずん”であるこのぼくを、がいじゅうだなんて、よぶ“けんり”は、ないちゃ……」
目をうるませて、「ずん次郎」がつぶやく。ルールよりも何よりも、「セラピーずん」としての自身のプライドを傷つけられたことが、許せなかったのだろう。かつて盗みをはたらいた自分と、今の自分とは、違うということが言いたいのだろう。
だが、あくまで自分は被害者であると訴えかける「ずん次郎」の表情を見て、イマイズミのはらわたは煮えくり返った。
いや、怒りよりも……信頼していたはずの「ずん次郎」に対する果てしない失望が、イマイズミを支配していた。
「……今のお前には、そんなことを発言する“けんり”はない！！」
「ど、どうして……オーナーさん、ぼくのはなしを、きいてほしいのだ！ へ ん な り ゆ う を つ け て 、さ き に な ぐ っ て き た の は 、 お じ い ち ゃ ん ち ゃ ！ ！ 」
「………………ッ！！」 ばりっ！
「のだっ！？」
イマイズミは、「ずん次郎」のゼッケンを力任せにむしり取って、彼の目の前でビリビリに破り捨てた。
「あっ………………ああっ………あああああああああああああああああああああああっ！！」
「失せろ、“害獣”」
「が、がい………か……かえして………かえして、かえしてよお！！ ぼくの、ぼくのぜっけんさん…………」
「失せろと言ったんだ！！ お前はもう、“セラピーずん”なんかじゃない。ただの害獣だ」
「が、がいじゅう………のだ……」
「失せろ」
絶望したようにへろへろとくずおれる妖精をひっつかみ、イマイズミはセイゾウさんの部屋を出ていく。
その目に、迷いは一切なかった。
「ああ…………ワシは、いつになったら…………害獣の魔の手から、解放されるんじゃ！！」
ひとりきりになった部屋で、老人が呻く。
「セラピーずん」のおかげで、自分の記憶が戻った。傍から見れば、喜ばしいことかもしれない。
だが、彼をこんな状態にまでしたのも、また妖精だった。かつて山間部で大量発生した妖精たちが彼の果樹園を襲い、収穫間近の梨をことごとく奪い去っていったのだった。
妖精たちの狡猾なところは、前もって落とし穴を掘っておいたことである。人間の作るものに比べたら非常にお粗末なものであったが、足腰の弱った老人には酷だった。リハビリが必要な体となって、やむなく果樹園を放棄したのであった。
落とし穴に嵌った衝撃で記憶を失った老人の中に、妖精に対する激しい憎悪の感情が、常に渦巻いていた。例えそれが善良な「セラピーずん」であっても、妖精が自分から「梨を奪った」という事実が、トリガーとなって体中を突き抜けたのである。
……………………
「お、オーナーさん！ まって、まってほしいのだ！ ぼくは、にんげんさんのおそろしさをしっていたから、とっさに、こえがでてしまっただけちゃ！ るーるさんをやぶったことは、あやまりますちゃ！！」
「………」
「こんかいのことは、しっかり“はんせい”して、やりなおすのだ！ どうか、ぜっけんさんを、かえして……」
びゅっ、ぐちゃっ！！
「いちゃい！！」
「ゼッケンをまた着たからといって、その腐った性根が改まるのか？ なあ、害獣……そんなの、ただの飾りだ」
イマイズミは、まだ何か喚き続ける妖精を、玄関口から外に叩きつけた。
「ウソをつき、人間に対して暴力を振るい、“くちょにんげん”と呼ぶのは、“セラピーずん”以前の問題だ………お前は結局、衝動が抑えきれない、ただの害獣だったんだな」
「う、うう…………ぼくは、“セラピーずん”として、ぼくをひろってくれたオーナーさんに、“おんがえし”がしたかったのだ………かつて、にんげんさんのさくもつさんをぬすんでしまった“つみ”を、つぐなおうとおもったのだ………………」
自慢のゼッケンを失った元・「セラピーずん」が、悲しげに語る。
だが、元・オーナーは、さらに悲しげな口調で語ったのだった。
「誰が……誰が、そんなことを信じられる？ お前は、今までずっと、その事実を隠してた……オーナーである俺にさえ、ウソをつき続けてきたんだ……………たとえ“おんがえし”がしたい、というその気持ちが本当だったとしても、今はただの保身の言葉にしか聞こえない」
「ち、ちかってほんとうなのだ！ オーナーさん……どうか、ぼくをしんじて……」
「害獣のお前にはわからないだろうが、誰かからの“信頼”というのは、簡単に崩れ去ってしまうんだ！ そして、いちど失ったそれを取り戻すのは、難しいんだ！！ お前は、ウソをつき続けていたことが発覚して、俺からの“信頼”を、すべて失ったんだ………それを、受け入れろ！！ 全部、隠してた自分のせいだってな………」
「う……うううぅ！！ しんじて、しんじてよお！」
「お前のおかげで、セイゾウさんは記憶を取り戻せた………最悪のカタチでな……………お前みたいな害獣に、期待した俺がバカだったよ」
ばたん……
ぽろぽろと涙をこぼす妖精にひと言告げて、イマイズミは玄関口を閉めた。
必要以上に痛めつけたり、命を奪ったりしなかったのは、彼なりの優しさであった…………
「のだ……あけて………あけて………………ぜっけんさん、ぜっけんさん………のだ、のだ、のだ……」
妖精は、後足で立ち上がると、閉ざされた玄関口を前足で引っ掻き続ける。
ゼッケンを外されたその姿は、もはやただの野良妖精と見分けがつかなかった。
「うっわ……入り口に害獣いんじゃん」
「どうするの？ せっかくここまで来たのに」
後ろから、声がした。入居者の孫とその恋人が、お見舞いに来たようだった。
「入り口を開けた隙に中に入られたら迷惑になっちゃうもんな……潰すか」
「ちょっ……出来るの？」
「任せろって」
「あんまりうるさくさせないでね」
足音が、近づいてくる。
妖精は、その会話を全て聞いていた。
またしても「害獣」と呼ばれた事実に、悔し涙が、とめどなくあふれる。
「おら、邪魔だ……害獣。ばーちゃんに会わせろ」
「ぼ、ぼくは……ぼくは……」
「そこをどけって。じゃないと、潰すぞ」
「ぼ、ぼくは、“セラピーずん”なのだ！！ ここで、はたらいている、“セラピーずん”なのだ！！」
「ふっ、ふふっ……プハッハッハッハッ！！」
妖精の言葉に、大声で笑い始める青年。
「の、のだ……？」
「ヤバ、コイツ……ゼッケンも何も着てない裸の害獣が、“セラピーずん”だって？ バカバカしい！！ なんでそう、バレバレのウソをつくんだ！？ 潰すぞ！！」
「う、うそじゃないちゃ！ “セラピーずん”にきがいをくわえることは、にんげんさんの“ほうりつさん”に、いはんするのだ！！」
「あ？ “ほうりつさん”だあ！？ 害獣が、浅知恵ばかり振りかざしやがって！！ キモいんだよ！！」
「ちょっ……ジュン……あんまり大声出さないでよ…………ホントにこれが“セラピーずん”だったとしても、ウチはイヤかな……病院の中とかで害獣の声が聞こえるだけで、行きたくなくなるもん」
妖精の体が、怒りでぶるぶる震え始める。
《お前は結局、衝動が抑えきれない、ただの害獣だったんだな》
大好きだった、オーナーさんの言葉がフラッシュバックする。
それでも、関係ない。何の罪もない自分を、ウソの言葉で侮辱する、目の前の「くちょにんげん」に一発加えないことには、腹の虫がおさまらなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお！！」
「きゃっ！？」
「よっと」
腕をぐるぐる振り回しながら青年に襲い掛かる妖精。悲鳴を上げた女に構わず、青年は妖精をしっかりと掴んだ。
「うっ、触っちまった……きったねえ……よし、そこまでケンカしたいんだったら、続きは車の中でやるぞ、来い」
「は、はなちて、はなちて！！ お、オーナーさあああああん！！ たすけて、たすけて……」
《お前みたいな害獣に、期待した俺がバカだったよ》
「ぼ、ぼくは…………がいじゅう、だった、のだ………？ じゃ、じゃあ、いままでの、オーナーさんとの、ひびは……なんだった、のだ…………？」
ばたむ
車のドアが、閉まった。
………………………
「さあ、何をしていたか説明してもらおうか」
かつて「ずん次郎」と呼ばれた害獣を放り出した後も、イマイズミの苦悩は続いた。
「の、のだ……」 「ぼくたちは、なにも……」
「そうかそうか……だが、お前たちがいくらしらばっくれようと、こっちには確固たる証拠があるんだ」
「「だ、だちて、だちて！！」
イマイズミは、2匹の妖精を虫カゴに入れ、小さなモニター・ルームへと案内する。
「これを見てもまだ、自分たちが何もしていないと言えるか？」
《へこへこ、へこへこ！！》
《し、しずかにへこへこするちゃ！ みつかっちゃうのだ……》
《わ、わかったのだ……へこ…………へこ、へこ…………》
《へこ……へこ、へこ、へこ………》
画質の悪い映像だったが、ゼッケンを着た2匹の「セラピーずん」が密着して腰を振っている様子が、ハッキリとわかる。
しかも、悪いことをしている自覚があるように、途中から声を殺して………
「のだっ！？」 「う、うそ、ちゃ……」
「かつて、人間の職員がここに隠れて性行為に励んでいたことがあってな……それ以来、あの倉庫には監視カメラを取り付けていたんだ」
妖精たちはその映像を見て、露骨に狼狽していた。イマイズミは、呆れたとばかりにため息をつく。
「………お前たちの訓練期間は、何週間だ」
「「に、にしゅうかん、ちゃ………………」」
「害獣がっ！！ たった2週間そこらで、害獣の“本性”が除去されるわけがないんだあああああああっ！！」
イマイズミは、狂ったように頭を掻きむしる。
この妖精たちは、日に日に訓練期間を短縮している、あの委託先から送られてきたばかりの「セラピーずん」であった。
「セラピーずん」の証であるゼッケンは既に、イマイズミが取り上げた。
「“バレなきゃいい”と、そう思ったか？ なあ、害獣！！」
「に、にんげんさんだって、かくれてへこへこしてたって、いま……」 「そ、そうちゃ……」
「黙れ！！」
『妖精セラピー協会』は、妖精の“権利”を保障するよう、現場に求めている。
具体的には、食事や休息に関することは勿論、「妖精らしさ」を象徴する飛行器官にはノータッチで、原則、去勢等もしないことになっている。
これが、訓練された妖精を「セラピーずん」として現場で働かせるうえでの「権利の保障」であったが…………
今回、それが仇となった。
「…………お前らに与えられた権利は、害獣として好き勝手していい権利じゃねえんだよ！！」
虫カゴの中で震える2匹に、包丁を向けるイマイズミ。
「ぼ、ぼくたちに、なにをするつもりちゃ……？」 「“セラピーずん”をきずつけたら、いけないちゃ……」
「はっ……ろくな訓練もされてない害獣が、自分たちに都合の良いことだけは、しっかり覚えてるんだもんな？ それに、お前らは…………いや、もういい。何もかも、お前らには愛想が尽きた…………全員、殺処分だ」
「「のだっ！？」」
「“セラピーずん”だなんて、バカバカしい……結局、全部害獣じゃねえかよ」
イマイズミは、殺気立った目で、内線を入れる。
施設内のすべての「セラピーずん」を、自分の元へと集めるように……………………
『「セラピーずん」を傷つけてはならない』というのは、あくまで理念法である。具体的な罰則については、定められていない。
妖精の運用にあたって、まともな法整備もなされていない、欠陥だらけのシステム。
特に農村地域において、妖精は「害獣」であるという認識は変わることはない。行政がいくらイメージアップのために努力しても、無駄だ。「偏見」ではなく、確固たる「事実」として、農作物に深刻な被害がもたらされているからである。
『妖精セラピー協会』は、いったい何を急いでいるのか。
これでは、「盲導ずん」の二の舞だ。輝かしい個体の活躍で世間の評価が多少上がったとしても、それはひとえに、業界のトップが、運営に関して不都合な事実を必死で秘匿しているだけだ。
結局は、文字面だけの「理念」ばかりが先走り、現場はどんどん疲弊していく。
害獣に期待していた俺は、いったい何だったんだ。
身を滅ぼしかねない現状に悲鳴をあげたいのは、彼も同じだった……………………
「え〜っ！ “セラピーずん”、もういないんですか？ 口コミサイトで評価が良かったから来てみたのに……」
「誠に申し訳ございません……妖精たちは、とある事情で“お出かけ”してしまいまして」
「ふふっ……でも、何だかメルヘンでいいですね？ いつか会えたらいいなあ」
「そ、そうですね……今後ともよろしくお願いいたします」
それから数週間後。妖精のいなくなった、あの高齢者施設。
「あれからだいぶ経つが……妖精さんが全員“お出かけ”しちゃったのは、寂しいのお……」
「きゅ？」
「おお、パロさんや。今日もかわいいのお、よしよし」
「きゅ〜〜♡」
ペットロボットの鳴き声が、今日も入居者の心を癒す。
「あ、あそこだ！」
「待ってくださいよ、“モカちゃん”！！」
「“モカちゃん”！！」
「どうして、盲導犬なんですか！？」
スーツを着た複数の男たちが、ひとりの少女を追いかけている。
盲導犬を連れた少女は、危機を察したように、早足になる。
「どうして、逃げるんですか！」
「逃げないでくださいよ」
「…………！！」
しかし、すぐに追いつかれてしまう。
華奢なひとりの女の子を取り囲むように男たちが群がるという、かなり奇妙な光景だ。
「新しい“盲導ずん”を従えないのはどうしてですか？ あの“ずん介”を一刻も早く忘れたいとか、そういうお考えなんですか？」
「“ずん介”は、あんなにも貴女を愛していたというのに！」
「何かひと言、お願いします！！ “モカちゃん”！！」
「“モカちゃん”！！」
「“ずん介”のためなんです！ 貴女が彼のことを想って声をあげてくれなければ、誰が……！！」
「お母様も応援してくれているんですよ！ 愛する貴女のためならば、と……！！」
四方八方からかけられる言葉の雨が、盲いた少女をその場に釘付けにした。
彼女をエスコートしていた盲導犬が静かに、男たちをにらみつけるが、彼らは気にもしていない様子だった。
「…………やめてください」
少女が、顔をあげる。
視えないはずのふたつの目が、確かに男たちを見た。
「“やめて”とは？……“モカちゃん”……？」
「その呼び方も…………これ以上、私に付きまとわないでください」
今にも消えそうな、か細い声。それでも、体の奥深くから絞り出されるような声に、男たちは一瞬、たじろいだ。
「私がトラックにはねられて、ずん介が疑われたとき…………私が瀕死状態で何も証言出来ないのをいいことに……あなたたちは、ずん介が、さも悪者かのように報道した」
「い、いえ、我々は、客観的な取材に基づいて……」
「ずん介が悪くないってわかったら、途端に手のひら返しで……」
どこまでも透明な目から、涙がこぼれる。
「モカちゃん」と呼ばれるこの少女は、あの「ずん介」の飼い主であった。
生前の「ずん介」がうわごとのようにつぶやいていた名前が、何者かによってマスコミにリークされ、利用されているのである。
「ずん介は、頑張ってた……いつも、私のために……それなのに、あなたたちは必死で訴えるずん介を、見捨てた」
「み、見捨てただなんて、そんな……我々は、貴女を……」
「ずん介を殺したのは、あなたたちよ！！」
少女が、声を張り上げる。
「うっ、ううっ……」
「“モカちゃん”……かわいそうに……ぐすっ」
「おっしゃる通りです、“モカちゃん”。我々にも、あの事件を軽く受け止めすぎていたという“責任”はある」
「我々は、“ずん介”に謝罪をしなくてはいけない」
少女は、周りの男たちが涙を流していることを感じていたが、その涙が心からの涙ではないことに気づいていた。
「……ずん介はもう、いないのに………死んでから何を謝ったって遅いのに……………どうか、安らかに寝かせてあげて」
「………お気持ち、よくわかりますよ、“モカちゃん”」
「“ずん介”のような、素晴らしい妖精を社会に増やしていくためにも、心優しい貴女の声が必要なんです！」
「いまこそ、共存のともしびを！！ “盲導ずん”のキャンペーン・ガールとして、人間と妖精を繋ぐ、懸け橋に！！」
男たちは引き退がらない。
「あなたたちが、ずん介の何を……」
「ああ、ずん介の死は、確かに悲劇でした……ひとり残された貴女は、いわば悲劇のヒロインだ………」
「だからこそ、ずん介の死を無駄にしてはいけないんです！ リメンバー・ずん介！！ リメンバー・ずん介！！」
「「「「リメンバー・ずん介！！ リメンバー・ずん介！！ リメンバー・ずん介！！ リメンバー・ずん介！！」」」」
「……忘れたい」
突如として始まった謎のコールをかき消したのは、恐ろしく冷たい少女の声。
「も、“モカちゃん”……？」 「今、何と？」
「私は、ずん介を忘れたい」
「なっ…………！？」 「忘れ、たいっ！？」 「な、なんてことを！？」
男たちが、信じられないとばかりに青ざめる。しかし、少女の言葉は止まらない。
「ずん介さえ、ずん介さえいなければ…………私は、こんなに苦しむこともなかった」
かしゃっ！！ かしゃっ！！ かしゃかしゃっ！
シャッター音が響く。男のひとりが、少女の顔にスマホのカメラを近づけ、写真を撮影したのだった。
「ん……」
不快そうに、顔を背ける少女。
「…………人助けなんかせずに、ひっそりと、野垂れ死んでくれればよかったのに」
さっきまでの執着が嘘のように、男たちは「モカちゃん」から距離をとるように動く。
まるで、異質な何かを見ているように。
「ああ、何と！！ あの“モカちゃん”がこうも荒んでしまうとは！ やはり妖精との“共存”は、夢のまた夢なのだろうか！？」
ひとりが仰々しく叫ぶと、周りの男たちも同意するようにざわめく。
「……私のことは、放っておいてください…………お願いします」
盲導犬を連れた少女は、足早にその場を去る。
もう、誰も彼女を追わなかった。
病院を出ると、コンビニエンスストアに繋がる横断歩道。
そこは、事故現場。
「……ごめんね、ずん介……………酷いこと、酷いこと言っちゃった」
「盲導ずん」を模した像にすがりつき、肩を震わせる少女の姿があった。
「ほんとは忘れたくないんだよ、ずっと…………絶対、忘れたくない…………でもお母さんの要望で、今後は“盲導ずん”を迎えないことにしたの」
こらえきれずに涙をこぼす彼女を、盲導犬が心配そうに見つめていた。
「私も、新しい子を迎えると、きっとあなたの面影を重ねてしまって、辛いから…………ごめんね……………許してね、許してね……………」
悲しい時間は、残酷なほど穏やかに流れていく。
献花台には、今日も沢山の花が置かれ、風に吹かれていた。
〜終〜
Σずんずん様に感謝を込めて
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ずん次郎は好感持ててたのにイマイズミがどんなに愛情を持って育てても結局害獣の本性が隠しきれずに裏切られたイマイズミの怒りが頂点に達して残りのセラピーずんに怒りをぶつけマスが今回は害獣だけでなく人間の醜さも上手く描いていますが人間も害獣に劣らず醜いのである意味同族嫌悪かも知れないですね…
コメントありがとうございます。イマイズミの、妖精に対する信頼が一気に崩れ去った瞬間でした……妖精だけを醜い存在にしないというのは、最近の私のポリシーかもしれません……
同族嫌悪とは言い得て妙ですね！妖精と人間、イヤなところだけ似てしまったのかもしれません！
名誉妖精どもに問いたい
「自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね？」
海外じゃ道路封鎖している活動家やらがそのまま轢かれたり、９ミリ２発でお掃除なんてのも増えてきているんでいっそのことＭ２ブローニング監督によるマシンガンノックで妖精共々精神を清めたほうがよろしいかと
ただでさえおかしいのが日本にいる状態でこれ以上アホが増えると「公安警察 現場の悲鳴」なんて事に
まぁ名誉妖精なら１０００人くらい行方不明にしてマシンガンノックしてもバレへんやろとか思ってそうですが
コメントありがとうございます。「名誉妖精」という言葉の響き、絶妙にムズムズしますよね……誰にとって名誉なのかという……()
数が多すぎて、弾の生産が追い付かない……なんて事態もあり得そうですね！！ 『公安警察、現場の悲鳴』誰かが書いてくれないかな（他力本願）
前編、後編執筆お疲れさまでした。
とても素晴らしい作品でとても満足できました！
ずん介とずん次郎、どちらも自分を正当化しようとして人間に突っかかった。けど自分達がセラピーずんという立場であるが故に苦しみ死んだというのが無情を感じられてとても良かったです。
しかし、無理矢理セラピーずんを推し進める愛護団体にはこれでもかって位エゴとクソが入っており 怒りのあまり あんこもん隊長が向かってしまいましたー！(susuru並感)
コメントありがとうございます。満足いただけて私も嬉しいです！
「ずん介」も「ずん次郎」も、人間の都合に振り回された哀しい妖精でしたが、「ずん介」の哀愁に勝るものはありませんね！
あんこもん隊長がここで暴れたら、果たして地球がもつのか……？ いずれ「戦争モノ」も書きたいですね……
事実を隠し、自分達の都合がいいように解釈するずんだ虫。
ですが、最後の場面は皮肉が聞いてましたね。
結局、人間もまたずんだ虫と同じように、モカちゃん言葉から都合がいいところだけを切り取って利用する。まさに、やっていることが、ずんだ虫と同レベル。
コメントありがとうございます。法律（理念法ですが）に基づく権利保障を盾に、好き勝手に振舞ったツケを妖精たちは払うことになります……ペットロボットのシーンは、絶対に使おうと初期構想から温めておいたものです！！
モカちゃんを追いかける男たちに、クズ妖精の面影を見ていただけたのならば、幸いです！！
かつて盗みを働いた過去とか、人間でも信用を覆すのは難しいですよね、ましてや妖精…
しあわせシリーズのままずんみたいに中身の無いプライドに固執し、その具現化された象徴のようなゼッケンに拘り妄執するところが、
けもさんの描く人間と関わりを持った妖精像を表していて良かったです。
勝手ながらずん次郎の最期と、全セラピーずん職員のジェノサイドシーンも書いてもらえないでしょうか？
イマイズミのキレ方が子ずんの学校の主人公に似ていて、怒りに任せた容赦無い蹂躙が見られそうで凄く楽しそうなので…
コメントありがとうございます。「信用」「信頼」に関して、これは妖精と人間とで、絶対に分かり合えない部分なのかもしれないと、執筆していて思いました！（プライドやモノへの執着を見せる妖精に関しても、同様かもしれません！ありがとうございます）
リクエストありがとうございます！ 『子ずんの学校は……』の主人公同様、「怒り慣れていない」感じを出せていましたら幸いです！