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詳細情報
カンタス航空
Qantas Airways
Qantas Airways logo 2016.png
IATA
QF[1] ICAO
QFA コールサイン
QANTAS
法人番号
1700150004605
設立
1920年11月
運航開始
1921年3月
ハブ空港
キングスフォード・スミス国際空港
メルボルン空港
焦点空港
香港国際空港
シンガポール・チャンギ国際空港
パース空港
ブリスベン空港
アデレード空港
マイレージサービス
Frequent Flyer
会員ラウンジ
Qantas Club
航空連合
ワンワールド
子会社
カンタスリンク
ジェットスター
ジェットコネクト(英語版)
カンタスフレイト(英語版)
保有機材数
124機(4機発注中)
就航地
144都市(39ヵ国)
親会社
Qantas Airways Limited
本拠地
オーストラリアの旗 オーストラリア ニューサウスウェールズ州シドニー
代表者
Alan Joyce (CEO)
Richard Goyder (会長)
外部リンク
qantas.com
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カンタス航空本社 (Qantas Building A)
オーストラリアでのQantasの発音は、Quantas ([ˈkwɒntəs][2][3][4]、クウォンタス) のように発音される。
カンタス航空はオーストラリアのナショナルフラッグの航空会社であり、その機材数、国際便と国内便の就航都市数において国内最大の会社である。1920年11月に設立され、KLMオランダ航空、アビアンカ航空に次ぐ世界で3番目に古い航空会社で、旅客国際便開始は1935年5月である。当初の社名は「Queensland and Northern Territory Aerial Services Ltd」 (QANTAS、クイーンズランド・ノーザンテリトリー航空サービス株式会社) であった[5]。空飛ぶカンガルーの愛称がついている。ワンワールド・アライアンスの創立メンバーである。

シドニー郊外のマスコットをベースとし、シドニー国際空港をハブにしている。2014年3月時点で国内便の65%のシェアを占め、国際便ではオーストラリア国内へ入る乗客とオーストラリアから国外に出る乗客の合計の14.9%のシェアを持つ。オーストラリア国内では様々な子会社が遠隔地中心部と幹線空路にカンタスリンクの名称のもと乗り入れをしている。子会社のジェットコネクトはカンタスブランドのもとオーストラリア、ニュージーランド間を運航している。カンタスは、オーストラリアからの国際便とオーストラリア及びニュージーランドの国内線を運航している格安航空会社のジェットスターを所有し、多くのその他のジェットスターブランドに共同出資している。

オーストラリアは地理的に世界中から遠く離れているため飛行時間の長い長距離便が多い。伝統的に客室乗務員に男性を多く採用している[要出典]。世界で初めてビジネスクラスを導入した他、747率いる長距離用大型機材関連でボーイング社との結びつきも強いが、近年はエアバス社の導入も進んでいる状況である。

航空券の座席予約システム(CRS)は、アマデウスITグループが運営するアマデウスを利用している
カンタス航空は1920年11月16日にクイーンズランド州で設立された。当初はクイーンズランド州西部内で路線末端とつながっている、オーストラリア政府によって補助された航空郵便サービスを運航していた。1934年にカンタス航空とインペリアル航空は合弁企業を設立し、新会社であるカンタス・エンパイア・エアウェイズ(Qantas Empire Airways)となった。それぞれの出資社は独立仲裁者の2%の株を除く49%ずつの株を保有していた。

カンタス・エンパイア・エアウェイズは、イギリス製のデハビランドDH-86 を使用してブリスベン〜シンガポール間の運航を開始した。なおインペリアル航空はイギリスの植民地であったシンガポール以降、同じくイギリスの植民地であったインドなどを経由してロンドンまでの乗り継ぎ路線を運航していた。


ショート23

ボーイング707(現在はカンタス航空の親善大使であるジョン・トラボルタが所有)
1938年にこの路線はショート23 Empire水上飛行艇を使用しての水上飛行サービスに置き換えられた。シドニーからサウサンプトンへのサービスは、経由地で乗客がホテルに宿泊する必要があったために9日間かかった。

第二次世界大戦
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オーストラリアやイギリスも参戦した第二次世界大戦中、カンタス・エンパイア・エアウェイズの機材の多くは1939年9月から1945年までの間にオーストラリア政府に徴用され、航空機の多くは戦闘のため飛行中に失われている(1942年カンタス航空ショートエンパイア撃墜事件)。

カンタス・エンパイア・エアウェイズは1943年〜1944年には、当時戦争中であった日本軍の脅威を受けつつも、オーストラリア連邦西オーストラリア州パースとセイロン(現スリランカ)を結ぶ水上飛行艇による直航便を運航していた。飛行は、日本軍をはじめとする枢軸国軍による攻撃を避けるため無線なしで行われ、24時間以上かかった。

第二次世界大戦後
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第二次世界大戦後に、戦争による特需が終わったカンタス・エンパイア・エアウェイズは極度の財政難に陥り、ベン・チフリー首相率いるオーストラリア労働党政権によって接収された。これにより政府が株式の100%を保有する非上場の公営企業として存続することになった。また、1967年に「カンタス航空(Qantas Airways Limited)」に改名された。この措置はその後の保守政権でも継続された。

この様な状況にあったものの、大戦後ただちにカンタス航空は英国海外航空(ブリティッシュ・エアウェイズの前身)と共同でアブロ・ランカストリアンを用いたシドニー〜ロンドン間の運航を始めた。

拡大
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その後カンタス航空は1948年に、当時の最新鋭大型プロペラ旅客機であるロッキードL-049 コンステレーションの引き渡しを受け、長距離路線を中心に導入を進めた。カンタス航空のネットワークはカンタスがブリティッシュ・コモンウエルス・パシフィック・エアウェイズ(British Commonwealth Pacific Airlines/BCPA)の運航を引き受けた1954年に太平洋を越えて拡張された。

1948年にはダグラス DC-4によって週1便で岩国基地への乗り入れを開始し、また1952年には、ダグラス DC-4によって週2便で羽田空港への乗り入れを開始した。その後同路線はより大型のダグラス DC-6やロッキードL-188に引き継がれ、さらにデイリー化された。

1960年代にカンタスは大型ジェット旅客機のボーイング707の導入を進める一方、オーストラリアからアジア及び中東経由、アメリカ並びにメキシコ経由でロンドンへの世界一周路線を運航するなど、拡張路線を推し進めた。

しかし、それらの路線の多くは、1970年代以降にボーイング747の導入によりさらに推し進められることとなったが、1970年代初頭に起きたオイルショックなどによる世界各国における航空需要の落ち込みを受けて廃止された。

現在
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ボーイング747-400
1993年にオーストラリアン航空を吸収合併して以来、すべてのオーストラリアの州都間、同じく多くの地域都市及び町の定期便を拡張され、また、オーストラリアから多くの国際路線も運航している。

2001年には、完全出資子会社であるオーストラリア航空を設立し、2004年には、完全出資子会社である格安国内線航空会社ジェットスター航空を設立した。また、カンタスはカンタスとジェットスターの2つにブランドを統合する。これに伴って、2006年4月、子会社のオーストラリア航空の事業の廃止を発表した。

2012年9月6日に、ブリティッシュ・エアウェイズとの提携を2013年に解消し、新たにエミレーツ航空と提携を結ぶ事を発表した。[8]

2016年10月28日には、翌年2017年のボーイング787導入に向け新塗装を発表。フライングカンガルーの根本的要素を残しつつブランドを進化させるコンセプトのもと、カンガルーのマークに影を作り躍動感と奥行きを与え、垂直尾翼から機体後部にかけてシルバーのラインを加え高級感を演出させた。また、コクピット窓の下には伝統を受け継ぐ形でかつて尾翼に描かれていた「翼のあるカンガルー」のマークが描かれる[9][10]。

2018年3月24日に、商業飛行としては史上初の豪欧間無着陸路線となる、パースとロンドン・ヒースロー空港を結ぶ直行路線を開設予定で、移動距離は15,000kmに迫る。今後は2022年を目途に、シドニー・ロンドン線やパース・フランクフルト線など豪欧直行便を増やす見込み。
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