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前史

1500年代に前身国家のクルビア王国が建国される。それまではエンゲルライヒ帝国の領土だったがその国が滅亡し、どさくさに紛れて独立。300年間平和な時代が続いたが、1800年代後半、今はもう無いシベリア帝国との対立が起こり、その国と対抗するべく工業力を増長させた。しかしそれに反発した一部の民衆が反乱を起こした。最新式の武器を装備した王国軍によって旧式の銃と剣しか持たない反乱軍は劣勢に立たされる。しかし変装した反乱軍の兵士による銃撃で海外旅行に行く途中の国王が港で暗殺され、クルビア王国は滅亡した。
(詳しくは旧クルビア王国の歴史を参照)

略年表

1917年反乱により当時のクルビア王国が滅亡。後継国としてクルビア連邦共和国が建国された。国民議会が設立され、消防庁と防災省を除く全ての省庁がこの頃に作られた。
1920年解体されたクルビア王軍の後継としてクルビア連邦軍が設立された。この時点ではまだ兵站軍と諜報軍は無かった。また志願制ではなく徴兵制だった。またクルビア連邦共和国憲法が制定されたのもこの年である。
1930年アドルフ・ヒトラーが国家社会主義クルビア労働者党(NSCAP)を設立、ヒトラーの演説が上手かった事もあり翌年1月に政権獲得
1938年ポーランドとベラルーシとの間に起きた独立戦争にベラルーシ側として参戦する。
1946年クルビア連邦東部でマグニチュード8.0の大地震が発生。警察や消防等の対応が追いつかず、大きな被害が出てしまった。この反省から兵站軍の前身となる陸軍災害救助隊と防災省の前身となる災害対策庁が設立された。
1951年当時NSCAPの2代目党首だったヘルマン・ゲーリングがNSCAPを団結党に改名、党内部の大規模改革を実施する
1974年建国以来初めてのテロが発生。旅客機が駐機場で爆破され、周囲に甚大な被害をもたらした。犯人は警察により拘束された。
1989年陸軍災害救助隊が陸軍から独立して兵站軍となった。
1995年クルビア旅客航空362便墜落事故発生。原因はエンジン内での燃料漏れによって爆発したエンジンの破片によるものだった。
1999年治安省消防部が独立し消防庁ができる。
2005年連邦軍第二軍が政治的不満からクーデターを起こすものの一ヶ月後に鎮圧された。
2019年第二次世界大戦にLTO軍側に参戦。東欧戦争ベルカ公国に勝利しシベリアへの出兵でロシア東部を獲得し、八カ国宣言でフィリピンを獲得した。

1946年東部大震災

1946年5月20日午前7時31分、クルビア連邦共和国東部にてマグニチュード8.0の地震発生。震源が近かったモスクワは甚大な被害を被った。外遊中だった大統領は即帰国。副都であったエカテリンブルクに政府機関を移設し臨時首都とした。大統領は憲法に基づいて独裁権を行使。警察、消防、陸軍によって救助活動が行われたが対応が追いつかず、被害は増していくばかりだった。政府は被災したモスクワの住民の為に避難用の施設を数十カ所に用意する予定であったが首都のモスクワが大被害を被った事により経済も大打撃を受け、財政が厳しくなっていた為予算が限られていた。その為予定より避難用の施設が用意できず、多くの住民が野外での生活を強いられた。1ヶ月後の6月、政府は首都としてのモスクワを放棄、エカテリンブルクを正式な首都としてルズシーク特別行政区と改名した。71年経った現在、様々な支援により被災地は完全に復興し、震災前以上の発展ぶりを見せている。

1974年ルズシーク国際空港旅客機爆破テロ

1974年9月7日午後1時18分、ルズシーク国際空港に到着したイリーム国際空港(西部イリーム州)発クルビア旅客航空201便(LA-30型旅客機)が駐機場で突然爆発した。乗客は降機の最中であったがまだ中に残っていたり機体の近くにいた乗員乗客34名が死亡した。また駐機場で荷降ろしや到着した機体の点検等を行っていた地上スタッフ6名が死亡、7名が負傷した。またターミナルのすぐ前の駐機場だった為ターミナル内にいた利用客にも死傷者が出た。警察の捜査の結果、犯人を特定、事故から1ヶ月後に逮捕され、裁判では死刑判決を
受けた。

クルビア旅客航空362便墜落事故

1995年2月28日午後11時51分、ルズシーク国際空港発リステン国際空港行のクルビア旅客航空362便(LA-50B型旅客機)の第一エンジンが内部の燃料漏れによって爆発した。爆発により大量のエンジンの破片が飛び散り、左主翼や胴体左側、左側水平尾翼に当たり、胴体や水平尾翼が損傷、左翼に大小の穴が数十箇所にでき、燃料漏れが発生した。火災はエンジンの消火装置で沈下されたものの、数十箇所の穴から大量の燃料が漏れた為、左翼の燃料タンクと右翼の燃料タンクの重量に差が生じ、機体が右に傾いた。右主翼の燃料を投棄しようとしたが適量まで投棄するのには時間がかかり、傾斜の解消には至らなかった。また水平尾翼に当たった破片が油圧線を破断、左水平尾翼の昇降舵が使用不能になる。その為機体はバランスを崩し急降下、パイロットの懸命な操作により地表スレスレで激突を免れた。左エルロン(補助翼)が損傷していた為大きく右に傾いていた機体を元に戻す事は難しく、損傷していなかった右エルロンを使用しても右傾斜を解消する事ができず、激突を免れてから1秒後、パイロットが高度を上げようとした矢先に傾いた右翼が地面に接触。右翼端が脱落し、機首は若干下向きに、パイロットが慌てて機首を上げようとして機首が若干上がり始めた矢先、機体後部が地面に接触、そのまま墜落した。機体は左翼、接触した機体後部、第一エンジンが脱落し、機首が折れ曲がった状態となった。機体が地面と接触した際、衝撃で損傷が酷かった左翼の半分と第一エンジン、機体後部が脱落、機体はそのまま地面を数百m滑った所で停止した。一時間後に機体が発見され、乗員乗客318名のうち131名(うち機長と二名の客室乗務員を含む)が生還、187名は死亡した。

2005年クーデター

2005年、カイニ・グリス司令官率いる連邦軍第二軍が政治的不満からクーデターを起こす。
このクーデターは連邦軍初の大規模な軍事衝突となった。不意を突かれた連邦軍は劣勢に立たされるものの、新しく設立された諜報軍の兵士による工作によって反乱軍が進軍を手こずらせている内に体制を立て直した連邦軍が優勢となり、最終的にクーデターは鎮圧され、反乱軍の指導者であるカイニ・グリス司令官及び反乱軍の幹部は拘束された。この反乱では両軍1万人の死傷者を出した。また諜報軍・兵站軍の初めての実戦となった。
そして当時の政権は崩壊し、現在のターネフ政権が成立した。
2005年クーデター

第二次世界大戦(2019年)

2019年に勃発した第二次世界大戦でクルビアはLTO(ロンドン条約機構)側として参戦。第一次、第二次、第三次の派遣部隊を同盟国日本に派遣し、そこを前線基地として豊後への戦略爆撃機による巡航ミサイル攻撃を行い、行政施設を破壊するなどの戦果を挙げた。またシベリアへの出兵で東ロシアを獲得、また八カ国宣言で九州の一部とフィリピンを獲得した。また連邦軍にとって初めての戦争となった。

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