基本情報 | |
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交戦勢力 | |
クルビア連邦共和国軍 | 旧連邦軍第2軍(反乱軍) |
サウス・レイシー大統領(当時) | カイニ・グリス司令官 |
アイク・ルバイン国防長官(当時) | ライン・ローネ副司令官 |
各戦力 | |
クルビア連邦軍 | 反乱軍 |
戦車 | |
700両 | 500両 |
装甲車 | |
1000両 | 120両 |
兵員輸送車 | |
4500両 | 5000両 |
ヘリコプター | |
300機 | 50機 |
戦闘機 | |
130機 | 10機 |
2005年クーデターとはクルビア連邦共和国で発生したクーデターである。これはクルビア連邦軍発の実戦であった。最初は連邦軍が劣勢に立たされたものの後に形勢逆転し勝利、反乱軍のカイニ・グリス司令官は拘束され処刑された。
当時の大統領「サウス・レイシー」大統領は費用削減の為の軍縮計画の一環として軍人の減給を行った。しかしこれは異常な物であり、これまでの半数以下にまで減給された。これに反対していたのが連邦軍第2軍のカイニ・グリス司令官で、カイニ司令官はクーデターを計画するようになった」
2005年6月26日、カイニ司令官率いる旧第2軍は第1軍の管轄であるキーロフを突如占領、同時にカイニ司令官はクーデターを起こすことを宣言した。当時の連邦軍は軍縮の一途を辿り、不意をつかれた事から次々と敗北を繰り返し、翌7月11日にはルズシーク特別行政区のすぐ東にあるペルミが占領され首都ルズシークも危うくなった。
その頃反乱軍も進軍に手間取っていた。2004年に設立されたばかりの諜報軍の破壊工作により進軍や連邦軍との戦闘が妨害されていた為である(第2軍には諜報軍の部隊は居なかった)。それに加えて同じく2004年に設立された兵站軍がペルミの南の首都ルズシークへの最終防衛地点にある都市「クングル」に反乱軍の侵入路となりうるあらゆる場所に地雷を設置した上、都市にはあらゆる場所に機関銃陣地が置かれ、他にも戦車陣地や建物内に設けられた戦闘陣地、即席型対空ミサイル陣が置かれた。こうして武装都市と化したクングルでは7月29日に侵入した反乱軍が地雷により戦闘をせずに大敗を喫した。再び8月19日に反乱軍が対地雷部隊を編成してクングル攻略に向かってもそれぞれの陣地により2日で攻略部隊は全滅、その中には反乱軍の貴重なヘリコプターの半数や戦闘機6機が含まれていた。反乱軍はクングルを迂回してルズシークに直行したが、ルズシークとクングルとの間にも地雷原が張り巡らされ、反乱軍の進軍を阻んだ。また連邦軍ゲリラ部隊による奇襲攻撃やいち早く体勢を立て直した連邦空軍の攻撃機部隊により補給部隊の列車やトラックが破壊され、輸送機も戦闘機に撃墜されるなどして補給が困難になった為攻略は難航した。またルズシークもクングルと同じく重武装化されており奇跡的にルズシークに侵入した反乱軍部隊もことごとく撃退され、もはや攻略は不可能に近いものとなっていた。
一方、ルズシーク方面以外の場所でも同じように重武装化された都市が反乱軍の侵入を許さず、10月には疲弊した反乱軍が遂に進軍を停止した。反乱軍が再攻勢に出るための準備中に連邦軍は軍縮一方だった方針を軍拡へと一気に方向転換し、次々と兵器を生産していった。そして西部、北部、南部、ルズシーク方面から一気に攻勢に出る作戦「巨人の歩み作戦」が開始された。疲弊していた反乱軍は敗退を繰り返し、11月末には兵士1200人、戦車12両、装甲車3両、輸送ヘリ1機という悲惨な状況だった。この為反乱軍は最後の根拠地である「ボルクータ」の防衛に専念し、すべての戦力をここに集結させた。またそこにいたカイニ司令官はいつでも逃亡できるように輸送ヘリを用意していた。12月6日に連邦軍はボルクータに侵入、反乱軍は必死な抵抗を見せ奮闘するも同月16日に敗北、カイニ・グリス司令官は輸送ヘリでボルクータを脱出した。
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