『市井集』
浅見淵/著
砂子屋書房/刊
昭和13年12月10日発行
概要 
体裁：B6/函入上製本/270頁/ルビなし
装幀：
定価：1円60銭（外地定価：1円76銭 )
収録作品
三宅島（12年9月）
眞夏の夜の夢（3年4月）
白鷺（8年11月）
山口剛先生と「都市紀行」（8年9月）
エロシエンコ（9年8月）
晝酒（9年12月）
墓と愛情（6年6月）
鬼子母神附近（10年2月）
映畫（10年6月）
下宿の飯（6年5月）
目白界隈（10年3月）
大人の小説（10年7月）
鬼気（7年2月）
神戸（7年7月）
魯迅とチエホフ（10年10月）
最後の高等予科（10年10月）
日記（11年3月）
方言（11年3月）
ハワイヤン・ダンス（3年11月）
コクトオ（11年6月）
牛蒡種（11年8月）
秋半日（11年9月）
望郷11年11月）
初夏の花（12年5月）
早稲田（12年6月）
戦争文学（12年9月）
早稲田と同人雑誌（12年10月）
肅軍（12年11月）
正月の旅（12年12月）
欧州大戦のころ（12年12月）
その頃（13年1月）
信濃路早春（13年3月）
短編要望（13年4月）
畿内の春（13年3月）
偶感（13年9月）
我孫子・銚子・佐原（13年5月）
川端康成断片（13年8月）
夏ところどころ（13年6月）
火野葦平（13年10月）
上高地（13年8月）
支那（13年9月）
ノート� Д┘蹈轡Д鵐鎧瓩両啻�
新宿の中村屋の店先に、ルーバシカ姿の盲目のロシア人の半身像を描いた油絵が埃を浴びて年久しく懸かつてゐたが、いまでも懸かつているかしら。
ーー29頁『エロシエンコ』
冒頭を飾る一節である。盲目のロシア人というのは勿論、エロシェンコ（エロシエンコ）だ。
中村屋に飾ってあるという絵はおそらく、今も中村屋が収蔵している鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」か。また、現在、国立近代美術館が所蔵する中村彝（つね）の「エロシェンコ氏の肖像」は近代の日本肖像画の傑作とされ、重要文化財に指定されている。
浅見淵はエロシェンコを実際見聞きした、エロシェンコを書き記している。人々に好かれた詩人だったが、政府の意向で日本を追われ支那に渡り、のちに魯迅もエロシエンコについての作品を書いた、という。
ノート�◆С慇源�代の横光利一
横光氏が新小説に「日輪」を発表し、その稿料で毎日のやうに鰻を喰つたといふ（後略）
ーー106頁『最後の高等予科』
横光が鰻をそれほど好んでいたのか。或いは、お金が入って毎日贅沢ができた、という話かもしれない。そういえば、横光が食べ物について記している文章をあまり見ない気がする。『紋章』では主人公がひたすら新種の醤油を開発していたが。
この、『最後の高等予科』は浅見淵の学生時代の回想であるが、これによると浅見と横光は早稲田の高等予科の文科で一緒になったことがあると書かれている。（この、高等予科については本文で詳しく説明されている。）
浅見はその同級生の中でも特に横光のことが印象に残っており、当時の横光について語っている。
曰く、横光は「おなじクラスに、すでに二年か三年とどまつてゐたやうで」「教室に顔も見せず、学期試験にだけ姿をあらは」し、「休憩時間に教科書やプリントをむさぼり読むというふうでもな」く「帝政時代の貧しいロシアの大学生のやうな」風貌で、「一日に一食しか摂らないで創作に打ち込んでい」たらしい。
デビューとともに、菊池寛に見出され、文壇のエリートコースを歩んだ横光の学生時代は（創作には真面目であったようだが）真面目な学生というわけではなかったらしい。そしてついに、大学には進まず、職業作家の道を歩みはじめることになる。この学生時代を想像すると、彼の作品に出てくるようなエリートではなく、さながらドストエフスキーの作品に出てきそうな人物である。
そんな彼が、のちにブルジョワ階級を舞台にした小説（『寝園』『時計』等の長編）を量産するようになる。しかし、その小説たちが「実感を伴っていない」という批判を浴びるのも、これを読むとある種仕方のないことだったのかもしれない。
ノート��：作家の人となり
『方言』では、文部省がこの頃民謡の歌詞統一にのりだし、方言を排除しようという取り組みを批判しつつ、意向に反して、文壇では方言を作品に取り入れることが「流行」していると指摘している。谷崎潤一郎『春琴抄』『猫と庄造と二人のをんな』の上方方言、横光利一『家族会議』の船場言葉、太宰治の『雀こ』の青森言葉など。
方言を使うことが流行した、これも知らなかった。
各々の作品を読むことはあっても、作家のという枠組みを超えて作品を並べることを、意外に自分が行なっていないことに気づけた。
本書は随筆集なので、小説に具体的に言及する例はほとんどないが、作家の人となりについては、言及されている。表題になっている作家では川端康成、火野葦平らがいるし、本文に登場する作家も先に述べた谷崎、横光の他、尾崎一雄、滝井孝作などがいる。
コメントをかく