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kyo_miyato 2017年05月04日(木) 14:54:45履歴
(1) 朱雀大路の南端に位置した平安京の正門を( )という。
(2) 平安京の左京および右京にはそれぞれ( )と呼ばれる役所が設置され、行政・訴訟・租税・交通などの事務をつかさどった。
(3) 平安中期以降、内裏が焼失した時などに、天皇が一時的に居住した仮皇居を( )という。
(4) 高倉天皇が寺名を( )と定めた因幡堂は、日本三如来のひとつとして庶民の信仰を集め、町堂としても利用されてきた。
(5) 京都が主戦場となり全国に拡大した応仁の乱で、( )の率いた西軍が陣地を構えたことから「西陣」の名が生まれた。
(6) 京都御所の寛政度に行われた造営は、有職故実家の( )が作成した『大内裏図考証』に基づいて復元された。
(7) 二条城は、徳川家康が征夷大将軍の宣下を受ける際の居館として、京都所司代の( )を総奉行として築かれた。
(8) 長州藩士らが新選組の襲撃を受け、多数の死傷者および逮捕者を出した幕末の大事件は、三条小橋たもとの旅籠「( )」で起きた。
(9) 理化学・薬学の研究者であった( )は、京都府に出仕し、舎密局の設立に尽力するなど京都の殖産興業に大きな役割を果たした。
(10) 第3代京都府知事の北垣国道は、エネルギー・運輸・飲料水などの問題を解決するため、「百年の計」として( )事業に取り組んだ。
(2) 平安京の左京および右京にはそれぞれ( )と呼ばれる役所が設置され、行政・訴訟・租税・交通などの事務をつかさどった。
(3) 平安中期以降、内裏が焼失した時などに、天皇が一時的に居住した仮皇居を( )という。
(4) 高倉天皇が寺名を( )と定めた因幡堂は、日本三如来のひとつとして庶民の信仰を集め、町堂としても利用されてきた。
(5) 京都が主戦場となり全国に拡大した応仁の乱で、( )の率いた西軍が陣地を構えたことから「西陣」の名が生まれた。
(6) 京都御所の寛政度に行われた造営は、有職故実家の( )が作成した『大内裏図考証』に基づいて復元された。
(7) 二条城は、徳川家康が征夷大将軍の宣下を受ける際の居館として、京都所司代の( )を総奉行として築かれた。
(8) 長州藩士らが新選組の襲撃を受け、多数の死傷者および逮捕者を出した幕末の大事件は、三条小橋たもとの旅籠「( )」で起きた。
(9) 理化学・薬学の研究者であった( )は、京都府に出仕し、舎密局の設立に尽力するなど京都の殖産興業に大きな役割を果たした。
(10) 第3代京都府知事の北垣国道は、エネルギー・運輸・飲料水などの問題を解決するため、「百年の計」として( )事業に取り組んだ。
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