最終更新: kyo_miyato 2017年05月02日(火) 20:09:27履歴
(1) 平安京の地相は「四神相応之地」といわれ、そのひとつである玄武は( )にあたる。
(2) 平安宮(大内裏)の南の門である朱雀門がある東西の通りは( )である。
(3) 平安宮内裏の正殿である( )の南庭には、「右近の橘」および「左近の桜」が配されている。
(4) 平安初期に岡崎に造営された「六勝寺」と呼ばれる6つの寺院群の中で、最勝寺の建立を発願した天皇は( )である。
(5) 永徳2年(1382)、足利義満の発願によって創建され、七重の大塔があった京都五山の寺院は( )である。
(6) 寛永3年(1626)、大御所の徳川秀忠と将軍の家光が上洛して、( )で後水尾天皇を迎えた。
(7) 江戸幕府の第5代将軍である徳川綱吉の生母( )は、京都の青果商の生まれとも伝わり、のちに善峯寺(よしみねでら)や乙訓寺(おとくにでら)をはじめ寺社の復興に尽力した。
(8) 江戸時代末期に城南宮西側の小枝橋付近を強行突破しようとした旧幕府軍に発砲した( )の行為により、鳥羽・伏見の戦いの口火が切られたとされている。
(9) 明治2年(1869)、国による学校制度の創設より3年も早く、京都では「( )」と呼ばれる64の小学校が全国に先駆けて開校された。
(10) 蹴上発電所の電力を利用した電気鉄道の敷設を発案した( )は、京都商工会議所の初代会長にもなった。
(2) 平安宮(大内裏)の南の門である朱雀門がある東西の通りは( )である。
(3) 平安宮内裏の正殿である( )の南庭には、「右近の橘」および「左近の桜」が配されている。
(4) 平安初期に岡崎に造営された「六勝寺」と呼ばれる6つの寺院群の中で、最勝寺の建立を発願した天皇は( )である。
(5) 永徳2年(1382)、足利義満の発願によって創建され、七重の大塔があった京都五山の寺院は( )である。
(6) 寛永3年(1626)、大御所の徳川秀忠と将軍の家光が上洛して、( )で後水尾天皇を迎えた。
(7) 江戸幕府の第5代将軍である徳川綱吉の生母( )は、京都の青果商の生まれとも伝わり、のちに善峯寺(よしみねでら)や乙訓寺(おとくにでら)をはじめ寺社の復興に尽力した。
(8) 江戸時代末期に城南宮西側の小枝橋付近を強行突破しようとした旧幕府軍に発砲した( )の行為により、鳥羽・伏見の戦いの口火が切られたとされている。
(9) 明治2年(1869)、国による学校制度の創設より3年も早く、京都では「( )」と呼ばれる64の小学校が全国に先駆けて開校された。
(10) 蹴上発電所の電力を利用した電気鉄道の敷設を発案した( )は、京都商工会議所の初代会長にもなった。
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