最終更新: kyo_miyato 2017年04月27日(木) 00:33:48履歴
賀茂社は、上社の( 21 )と、下社の( 22 )の総称で、京都で最も歴史ある神社のひとつであり、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。 上社は平安遷都以来、王城鎮護の神社とされ歴代天皇の行幸があった。5月5日の( 23 )は、平安時代に起源をもち、古式に則して行われる伝統行事のひとつである。 下社の社叢(しゃそう)は「( 24 )」と呼ばれ、古代祭祀の遺跡が発掘されている。平安遷都後は、上社同様、朝廷はじめ公家や武家の崇敬を集めた。両社とも本殿は三間社の( 25 )の形式をもち、国宝に指定されている。 |
(21) 賀茂社は、上社の( )と、下社の( 22 )の総称で、京都で最も歴史ある神社のひとつであり、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
(22) 賀茂社は、上社の( 21 )と、下社の( )の総称で、京都で最も歴史ある神社のひとつであり、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
(23) 上社で5月5日に行われる( )は、平安時代に起源をもち、古式に則して行われる伝統行事である。
(24) 下社の社叢(しゃそう)は「( )」と呼ばれ、古代祭祀の遺跡が発掘されている。
(25) 両社とも本殿は三間社の( )の形式をもち、国宝に指定されている。
平等院は、永承7年(1052)に藤原頼通が父である( 26 )の別荘を寺としたことに始まる。翌年には阿弥陀堂(鳳凰堂・国宝)が建立され、仏師である定朝(じょうちょう)作の丈六阿弥陀如来坐像(国宝)が安置された。この像には( 27 )の技法が用いられ、後世の造仏の規範となった。庭園は平安時代の( 28 )庭園の代表作として知られ、国の史跡・名勝である。 宇治川を挟んで、平等院と向かい合う位置に( 29 )がある。神社建築で最古の遺構である本殿と、鎌倉時代の建築である( 30 )は共に国宝に指定されている。 |
(26) 平等院は、藤原頼通(ふじわら の よりみち)が父である( )の別荘を寺としたことに始まる。
(27) 阿弥陀堂には仏師である定朝(じょうちょう)作の丈六阿弥陀如来坐像(国宝)が安置され、この像には( )の技法が用いられ、後世の造仏の規範となった。
(28) 平等院の庭園は平安時代の( )庭園の代表作として知られ、国の史跡・名勝である。
(29) 宇治川を挟んで、平等院と向かい合う位置に( )がある。
(30) 神社建築で最古の遺構である本殿と、鎌倉時代の建築である( )はともに国宝に指定されている。
タグ
コメントをかく