☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 琵琶湖疎水建設の主な目的
- 実現に向けて尽力した京都府知事
- 工事の責任者
- アメリカを視察した京都商工会議所初代会長
- アメリカ視察をきっかけに実現した画期的事業
解答チェック
《解答例》※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]46・161・289ページ/[新]55・206・352ページ
◦ 琵琶湖疎水は、明治18年(1885)8月から同23年9月にかけて建設工事が行われた京都府による一大事業で、東京遷都によってさびれた京都の復興起爆剤としての目的があった。
◦ 主な用途としては琵琶湖の水を水車動力・物資運搬・灌漑用水など多目的に活用するため、大津の三保ヶ崎から京都の蹴上まで水路が開削された。なお、さらに延長して蹴上から伏見まで鴨川運河は
明治25年(1892)から開削され、およそ2年で完成した。
◦ これらの工事を主導したのは当時の京都府知事の北垣国道で、主任技術者として工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの田邉朔郎だった。この計画の概要は田邉の卒業論文『隧道建築編』
および『琵琶湖疏水工事編』によるもので、それに感銘を受けた北垣が招聘したとされている。
◦ また、明治21年には京都商工会議所初代会長の高木文平と田邉朔郎は、渡米した際に視察した電気鉄道を琵琶湖疏水の流れを利用した蹴上発電所の電気によって日本初の市街地電車を実現させた。
◦ 明治28年に岡崎で開催される第4回内国勧業博覧会に合わせて敷設工事が実施され、予定通りその年の2月1日に東洞院塩小路と伏見下油掛町間の約6.7kmを先行開業させた。さらに4月には同時に
工事が行われていた博覧会場の岡崎と結ぶために、二条で鴨川に木橋を架設して開通させるなど、それ以降も京都市内中を鉄道もが張り巡らされた。
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