☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 近衛信尹・松花堂昭乗・本阿弥光悦の3人の能書家の通称
- 始祖といわれる絵画の流派
- 角倉素庵と組み刊行した本の総称
- 芸術村を建設した地域名
- 光悦作で国宝の硯箱の名称
- 光悦作と伝わる「三巴の庭」のある寺院名
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《解答例》※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]130・176・177ページ/[新]168・224・225ページ
◦ 本阿弥光悦は永禄元年(1558)に京都で生まれ、江戸時代初期を代表する書家であり、陶芸や絵画、京漆器にも精通し、数々の作庭も手掛けたオールラウンドな芸術家である。
◦ 特に書においては、近衛信尹や松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の一人と称されている。また、絵画においては俵屋宗達とともに「琳派の祖」とも呼ばれている。
◦ そんな2人が組んで刊行した「嵯峨本」では、宗達の版画絵に合わせて光悦が書を寄せている美しい謡の和歌巻となっている。
◦ 一方、本阿弥光悦は徳川家康から受領した洛北の鷹峯の地に、種々の職人を集めて「光悦村」を開いて多くの工芸品を生み出した。
◦ 光悦作として有名な「舟橋蒔絵硯箱」(重文)は高台寺に所蔵され、霊屋内陣や調度品を飾る蒔絵には、草花文様が取り入れられた平明なデザインで、高台寺蒔絵とも呼ばれている。
◦ 他にも光悦が焼き上げた楽茶碗の代表作「毘沙門堂」は赤、「不二山」は白の意匠で、著名な茶人からも称賛を受けたという。
◦ さらにその才は著名な寺院の作庭にも生かされ、本法寺の「三巴の庭」は国の名勝となっており、三島をそれぞれ巴形に配置して、中庭には光悦遺愛の手水鉢を据える。
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