☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 北野天満宮の祭神
- 現在の本殿を寄進した人物
- 本殿の建築様式
- 本殿前の中門の愛称
- 2月の天神さんの日に行われる祭典
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《解答例》※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]53〜54・146・222ページ/[新]64〜65・186・286ページ
◦ 北野天満宮は、天暦元年(947)に菅原道真の乳母を務めていた多治比文子に、道真からのお告げがあり、北野に道真を祀ったことが始まりとされる。
◦ 古くから道真は学問・文芸の神と崇められ、室町時代には連歌の中心地となった。一方、天正15年(1587)には、豊臣秀吉によって「北野大茶湯」が催され、さらに慶長8年(1603)には
出雲の阿国が社前で初めて歌舞伎の興行をしたことから、歌舞伎発祥の地ともいわれている。
◦ 現在の本殿(国宝)は慶長12年(1607)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行に据えて再興して寄進したものであり、この本殿と石の間および拝殿と楽の間は八ツ棟造(権現造)の代表例である。
また、本殿を迎える中門は、太陽・月・星の彫刻が施されていることから、別名「三光門」(重文)とも称されている。
◦ 北野天満宮では祭神である菅原道真の月命日に合わせて、毎月25日に通称「天神さん」の名で親しまれている市が開かれ、境内一円に多くの露店が並び賑わいを見せている。
◦ 特に祥月命日である2月25日には、梅をこよなく愛したといわれる道真にちなんで「梅花祭」が催され、本殿に梅花御供(ばいかのごく)を供えて厄を祓う。また、境内には屋天席が設けられ、
上七軒の芸舞妓による御点前が披露される。
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