img街の魔法少女の素質ある「」を集めてるポン

登場キャラクター:アンチェイン ウルフファング クチュリエール ソード・オブ・ケイシー "日魔人"まほ子 リリステリア 流刃



















 


                                     Les loups ne se mangent pas entre eux. (前編)





















★ウルフファング



深夜の埠頭に濃い闇と硝煙が立ち込めている。みぞれ交じりの雨が燻る空気を溶かすように、ぽつりぽつりと時雨れている。
重い闇の中を発火炎が断続的に煌めき、続いて耳をつんざくような銃声が響き、一時的に照らされた闇の中を華奢なシルエットが踊る。
優雅に、淑やかに、しなやかに、銃声と男たちの怒号の中を、ウルフファング――久瀬楼華であり、螺殿勇悟でもあり、可憐な少女でもあり、粗野な獣でもある
(やはり称するのならウルフファングであろう)魔法少女が舞い踊っていた。
今まさに自分に向けて銃口を向けているトカレフを持つ男の手首を、文字通り赤子の手を捻るように、優しく手で跳ね上げ(引き金にかかった指が折れたのか、男は女々しい悲鳴を上げた)
つま先で軽く腹部を押すと吹き飛んだ男は、背後に鎮座するコンテナに乱暴に受け止められ沈黙した。飛び込み前転で、左右からの挟撃(安物のトカレフによる盲射である。
反社会勢力の構成員のくせに銃に慣れていないのか銃口が跳ね上がっている。避けるまでもなく当たらなかったかもしれない)を躱すと、挟撃を行った片割れが誤射で肩を負傷したらしく
うめき声を上げて銃を取り落した。起き上がる途中で足元まで転がってきたトカレフを拾い上げる。中国製黒星。弾薬装填数は八発。今の男が4発撃ったので残り4発。
引き金を極めて軽く、口径7.62mm。7.62mm×25の通称トカレフ弾は、優に初速430m/sであり、対象がはっきりと目視出来る近距離において無類の貫通力を誇る。
手になじんだ黒塗りのグリップを優しく握り、怒声を浴びせながら銃口を向けている正面の男二人のそれぞれ右肩に一発ずつ発砲。屈んで肩を押さえる男らの、更に背後の一人に一発発砲。
苦痛にさいなまれている男らをグリップで優しく伸して、振り返りざま、右手を撃ち抜かれて喘ぐ男を裏拳で沈め、真後ろのコンテナの陰からこそこそと銃口を向けていた男の肩に最後の一発を見舞う。
「お……おぉ……」と苦痛の吐息を漏らし、屈みこんだ男は、ウルフファングが軽く放り投げたトカレフの銃身とキスをして仰向けに倒れた。鼻血が噴き出したところを見ると、よほど情熱的に接吻したらしい。
鼻の骨が折れている。

「今時、トカレフなんぞ使うからですよ。グローバル化の波に乗って、世間様ではAK74やらUZIやらも出回っているというのに。道具も道具なら、使うものも、使うもの、と言ったところでしょうか。
なんともまあ、お粗末な………」
嘆息してみたところで聞く者はいないか。深夜の埠頭でいそいそと取引に励んでいた反社会勢力(要はヤクザである)と中国語を話す作業着の一団(大方広東マフィアだろう。
以前上海マフィア下部組織の窃盗グループと付き合いがあったが、作業着の一団はその連中よりも風格があった。銃こそお粗末だったが、取引自体かなり大がかりだったようで
下っ端の窃盗団が動かせる案件ではないように思う)は、情報屋を介して素性不明だが金払いはいい依頼人(ウルフファングはマル暴か、公安か、ともかく警察関係者だろうと辺りを付けている。
連中は武装集団相手に事を構えるのは躊躇する。決して安くない隊員の葬儀代を思えば、外部委託もやむ無しだろう)から依頼を受けたウルフファングによって一人残らず叩き伏せられた。
ケープについた埃や汚れを払いつつ、地面に散らばったトカレフを拾い集め、マガジンを抜いて中身を夜の海に遺棄してから一か所に積み上げる。
作業の途中、うつ伏せだが意識はまだあるようでうめき声を上げている男を一人見つけたのでつま先で持ち上げ、仰向けにさせた。
根性のないヤクザ者にしては珍しく、なかなかタフなようで気絶させる前に遺言……失敬、殺しはしないので、何か言い残すことがあれば聞いておこうと仏心が出たのだった。
ついでに、というかこちらが本命だが、取引の内容も聞いておきたい。後始末は警察に任せるにしても、一応自分の仕事である以上、詳細を知っておきたいと思うのは人情だろう。
「もし、お兄さん。私の声が聞こえていますか?聞こえているのなら頷いてもらえると助かるのですが」
「くたばりやがれ……クソアマ………」
おや、口が悪い。粗暴な見た目通り、何の捻りもないリアクションだ。せっかく可憐な美少女が会話してやろうという気になったのだから、予想外で奇天烈な返答をしてくれると、こちらも話甲斐があるのだが。
「もしや新手の冗談でしょうか。今にもくたばりそうな男の台詞とは思えませんが?私としては全然笑えない冗談を交わすより、建設的なお話がしたいのですよ。
例えば、あのコンテナの中には何が入っているのか、とか」
「……てめぇ分かってんのか。分かってねえようだから教えといてやる。てめぇはもうおしまいだよ。俺らだけじゃねえ、三合会の連中も、チェチェンマフィアだって一枚噛んでんだ。楽しみだぜ。
ロシアの連中は荒っぽいからよぉ。うちの店にてめぇが泣きわめきながら変態の豚にヤられて手足もがれるビデオが流れてきたら……へへっ……俺が直々に買って楽しんでやるよ……おぉ!?」
お決まりの脅し文句が始まったのでわき腹を軽く、限りなく手加減して蹴り上げることで黙らせる。ヤクザ者、とりわけこの手の口ほどにもないチンピラの生態は忌々しい程に身に染みて理解している。
威嚇から始まり、恐喝、それが通じなければ暴力。それでも駄目なら虎の威を借る。狐が虎になれるはずもなく、また威を借りる相手も張子の虎でしかないというのに。なんとも愚かしく、なんとも醜い。
改めて見ればこの男、どこぞの誰ぞによく似ている。ささやかな挫折で腐り、落ちるところまで落ちて、惨めにドブ川でくたばるはずだったどこぞのチンピラの面構えにそっくりだ。
暴力性をむき出しにして、誰彼構わず噛みつくことで、自分が強いと勘違いしていた馬鹿な男。
頭痛がする。嫌なことを思い出してしまった。
「開けて確かめれば済む話なのです。ですが、せっかくなので貴方にお尋ねしているのですよ。コンテナの中身は何ですか?ヤクですか、銃ですか、それとも不法入国者?はたまた偽札か何かですか?」
「ぐっ……クソがっ……俺らのバックにはマフィアよりやべー人がついてんだ。てめぇなんざ姐さんにかかりゃ直ぐにでも潰される……。せいぜい今のうちに好きな男に抱かれとくんだ……なァ!?」
これ以上は時間の無駄のようだ。気持ち先ほどより力を入れてわき腹を蹴り上げる。鈍い音がして、胃液を吐き出した男はごろごろと無様に横転し、止まった時には意識を失っていた。
ひょっとすると肋骨の二本や三本折れたかもしれないが、花も恥じらう乙女に卑猥な言葉を投げつけた暴漢の末路としては優しい方だろう。後には白と黒で塗装された救急車と、手錠付きの白いベッドも待っている。
無事完治すれば三食労働付きの規則正しい理想的な生活の始まりだ。至れり尽くせりとはこのことだろう。
周囲を見回して今度こそ意識がある者がいないことを確かめると、明らかに船名が偽装されたタンカーから降ろされたコンテナに向かう。
コンテナはプレハブ小屋程の大きさがあった。丁度十人や二十人は押し込めそうな。麻薬や武器の密輸も可能性の一つとして挙げたが、実のところもっとも可能性が高いと思っていたのは人だった。
入国審査に通りようがない女性を不法に入国させ、夜の街で働かせる。いわば、現代の奴隷船である。暴対法成立後、予てより取り締まりが強化されていた麻薬の大量密輸は更に困難となり
一時は氾濫していた中国ルートの海上輸送も、目ぼしい港に警察が目を光らすようになってからは、もっぱら洋上取引が主となり、それも度々検挙されていたと記憶している。
今時、これ見よがしにコンテナ輸送するだろうか。武器も同様である。消去法で、人に思い至たったが、出来れば外れて欲しい。
長時間、換気窓すらないコンテナに大人数で押し込められてどうなるか、想像したくはない。
ともあれ胸糞悪い空想に浸っていてもしかたない。本当に人であるなら一刻も早く開放すべきだ。長く息を吐き出し、気を落ち着かせると、ボルトシールで施錠されたコンテナの扉を力任せに引っ張った。
本来シールを外すには専用の工具が必要だが、魔法少女の腕力を持ってすれば、無理やりにでもこじ開けることが可能だ。金属が軋む音が残響を伴って響き
ボルトシールがはじけ飛ぶと同時に勢いよく扉が開いた。
「これは…………」
予想に反して、コンテナの中はさながら夜空のようだった。闇の中に煌めくものが無数に点在している。狼は夜目が効く。コンテナの入り口からでも中に積まれたものが何であるか認識出来ていたが
念のため、はっきりと確かめようとコンテナの中に足を踏み入れた。






★アンチェイン



「…………宝石?」
「ええ、それもルビーばかり。麻薬に比べて宝石の密輸は露見するリスクが高く、捌くのも難しい。よほど上手くやらないと利益もそう出ないでしょう。
しかも産出量が少なく、最高級のものは……口にするのも憚る価格となるルビーを。……元手は相当かかっているはずです。
連中は底抜けの馬鹿なのか、それとも何か……収益以上の目的があったのか。まあ、後は警察が上手く聞きだしてくれるでしょう。
私の仕事は終わったのです」
平日昼過ぎの閑散とした回転寿司屋チェーン、その奥まったテーブル席で、アンチェイン――円堂綾子の向かいに腰掛けたウルフファングはお茶を啜りながら昨日の顛末を語っていた。
綾子の隣では、魔法少女時に行動を共にすることが多くなった流刃が一心不乱に寿司を食べている。
「む……このアナゴは美味しいな」等と呟きが聞こえてきたが、彼女が今、口にしているのは玉子だ。
彼女の突拍子のない勘違いは今に始まったことではないので、訂正せずに自分も、目の前に置かれた皿から玉子を口に運ぶ。確かに美味しい。
全国展開のこの回転寿司チェーン店は寿司ネタよりもサイドメニューに力を入れていることで有名で、寿司にしてみても魚介類よりも玉子やかっぱ巻きの方が比較的美味しかった。
隣で皿を積み上げている流刃と違い、綾子はどちらかというと小食だ。デザートを注文して食事を終えようと、タッチパネルに手を伸ばすと
同じく手を伸ばそうとしたウルフファングと指先が触れ合いそうになり、慌てて引っ込めた。彼女は気にしていないようで、綾子に視線を向けると会釈して「何頼みます?」
と促したので、プリンタルトを、と答えた。彼女は先に綾子の分を注文すると、牛丼を頼んだ。確かにサイドメニューに力を入れているのは間違いないが、それにしても一応はお寿司屋
なのだからお寿司を注文すればいいのに。サーモンや、甘えび等お寿司を注文しているのは綾子くらいで、席についてからウルフファングは肉の類しか食べていないし
流刃に至っては玉子しか注文しておらず、「むむ……このイクラもなかなか……」と呟きながらも口に運んでいるのはまた玉子だ。
「自分も注文いいだろうか?」
「ええ、いいですよ」
ウルフファングは内容を聞かずに玉子を注文した。最早何も言うまい。


狼女の赤ずきん――ウルフファングと知り合ってから一ヶ月ほどになる。県警と役所から依頼を受け、半ば地下組織と化していた半グレの集団を壊滅させた場に
同様の依頼を別口から受けていたウルフファングが居合わせていたのが切っ掛けだ。もっとも、依頼を受けたのは隣で無我夢中で玉子を食べている流刃であり、綾子は特に何をするでもなく
彼女に引っ付いていっただけだ。綾子は二人と違い、荒事には向いていないし、興味もない。そんな自分が何故、傭兵紛いの魔法少女生活を送っている流刃と共に行動しているのか
綾子自身にも未だによく分かっていない。流刃は寡黙でどこか浮世離れ、悪く言えば世間ズレしており、また主体性にも欠けるため、依頼主から度々足元を見られることがあり、綾子が間に
入って、リスクと釣り合った正当な報酬を得られるよう脅しという名の説得を行うことで、彼女のフォローを行っていたが、そもそも流刃は報酬に頓着しておらず、綾子が居ようが居まいが
実際のところ、彼女の生き方には関係はないのだろう。流刃は依頼を受け、達成すること自体に意義を見出している節がある。困っている人を身を挺して助ける、という意味では
成る程、流刃は間違いなく魔法少女であるだろう。他人のために身を粉にして働く。綾子には理解できない行為だ。理解できない彼女の側にいたいと願う自分の心情もまた理解し難いもので
あったが、幸か不幸か、何をするでもなく付いてくるだけの綾子を流刃も拒否せず受け入れており、何をするでもない関係がずるずると続いて早何ヶ月かになる。
そうなると、流刃を通して新たな関係が生まれてもおかしくはなかった。ウルフファングとの関係は詰まるところそういうものである。同業者であり、時には仕事仲間で、時には競い合う相手
そして今日のように情報を交換する関係でもある。
「あなたもいつまでも食べてないで、ちょっとは話を聞いたら?」
ウルフファングの話を聞いているのかいないのか、相変わらず玉子を一生懸命食べている流刃の手から強引にお皿を引っ手繰る。「あぁ…!」と必要以上に悲壮な声を上げて
綾子が掲げた皿に手を伸ばす様子がなんだか可愛くて、思わず笑ってしまった。それにしても食べ過ぎだろう。しかも玉子ばかり。視線を、あわあわと手を伸ばす流刃の顔から胸元、
開いたライダースーツから垣間見える豊満な胸へと移し、次いで自分の起伏の少ない胸元に向ける。………私ももっと食べたほうがいいのだろうか。
「まぁまぁ。そんな大した話ではないですからお気になさらず。馬鹿な連中が自分の馬鹿さ加減に気付かずに、ひっそりと店じまいしただけの話です。……はい、どうぞ」
ウルフファングはベルトに乗って運ばれてきたプリンタルトを、綾子の前に差し出した。どうも、と会釈し、流刃に玉子のお皿を返してから、スプーンを手に取る。
流刃はよほど食事を中断されたのが不満だったのか、彼女にしては珍しく拗ねたような声で「まったく、魚は鮮度が命なんだぞ……」と呟いた。
(だから玉子よ、それは………)
牛丼を上品に食べるウルフファングを一瞥してから(牛丼を器を持ち上げずに、手皿で食べる人を初めて見た)綾子もプリンタルトを口に運んだ。あ、美味しい。
「おっと、失礼………」
やはり手皿では食べにくかったらしく、床に米粒を落としたウルフファングが、紙ナプキンで散らばった米粒を拾い上げようと屈んだ拍子に、フードから何かが落ちて床に転がった。
からんからん、と甲高い音が響き、ウルフファングは「あ……」と小さく声を漏らした。その呟きにしまった、という後悔の響きが含まれていたのを綾子は聞き逃さず、視線を落として転がった何かを目で追う。
赤い……ガラス?いや、違う。
「それってひょっとして………」
いそいそと掌大の赤い宝石(もはや疑いようもない。内に妖艶な輝きを秘めた深い赤色はルビーのそれだ。しかも研磨こそされていない原石のようだが、目を奪われそうになる真紅の煌めきからして、
確か、ピジョン・ブラッドとか呼ばれる最高級の代物ではないだろうか)をフードに仕舞い、何食わぬ顔で食事を続けようとするウルフファングを猜疑心に満ちた目で見つめ続けて、10秒……20秒が経過した辺りで
観念したのか、彼女は箸を置いて、テーブルに両肘をついて手を組むと、遠いところを見るような目で窓の方に顔を背けて
「いえ、あまりに立派だったもので、その…危険手当と申しますか、追加報酬として頂こうかと思いまして………」
言い訳がましく呟いた。
「…………ネコババはよくない」
玉子を口に含みつつ、ジト目でウルフファングを見つめていた流刃の言葉に綾子も頷き同意した。先ほど確かウルフファングは最高級のルビーは希少価値が高く、口に出すのもはばかるような値段が付く、
とかなんとか言ってはいなかっただろうか。それに宝石の価格に詳しくない綾子にでも、今見た立派なルビーが10万や20万で取引されるような安物ではないことくらい分かる。
ひょっとすると一生かかっても得られないくらいの大金になるのではないだろうか。
「立派な窃盗よね、それ」
「鉱石というものはもともと自然の恵みです。だから、所有者などそもそも存在しないわけなのです。強いて、所有者を決めるとしたらやはり、発見者ではないでしょうかと私は思うのです」
欺瞞だ。詭弁だ。彼女も分かっているようで、うつむき加減で誤魔化すかのようにもそもそと食事を再開した。彼女の言い分も分からないではない。人知が及ばない魔法少女であるとしても、武装した集団の只中に
身を躍らせるのが危険であることは変わりないのだ。多少の報酬とキャンディだけでは割が合わないと考えてもしかたない。しかし、それにしても、最高級のルビーを自分の懐に入れるのはやり過ぎだろう。
そう思い、再度彼女を説得すべく声をかけようとしたが、

「ようやく見つけましたよ!ウルフファングさん!」

ウルフファングが咀嚼途中の米粒をブッっと噴き出した。唾液と米粒交じりの飛沫が真向いに座っていた綾子の頬や額にかかり、顔を歪める。
さすがの流刃も箸を止めて、慌てて紙ナプキンで綾子の頬を拭いてくれた。頷きながら、尚も紙ナプキンを頬に滑らせる流刃の手をそっと制して、努めて冷静に(頬がぴくぴくと動いているのを自覚しているが)
ウルフファングに笑みを向けようとするが、顔がこわばって上手く笑顔が作れない。彼女は綾子を見ておらず、声のした方向――店の入り口に、射すくめるかのような険しいまなざしを向けていた。
入り口には、月桂樹の冠を乗せた流れるような黄金の髪に、背中には天使の四枚羽を背負い、頭上では光輪が浮いている――ギリシア神話の女神もかくやという風体の魔法少女リリステリアと
その後ろには中世の貴族といった装いの魔法少女――クチュリエールが羽飾りのついた帽子を取って、苦笑を浮かべている。
ウルフファングは端正な顔を困惑で引きつらせている。いや、顔が引きつっているのはこちらも同じだ。困惑ではなく、怒りでだが。
文句とついでに平手打ちの一つでも見舞ってやろうかと腕を振り上げようとした間際、ウルフファングは牛丼の器を傾けて、上品さの欠片もない動作で残りを掻き込むと、「お先に失礼!」と言い残し
速足で近づいてくる二人を避けるべく、テーブル席寄りのコンベアとカウンターを乗り越えて、大きく店内を迂回しながら入り口兼出口へと走り去っていった。その後をリリステリアとクチュリエールの二人が
「お待ちなさい、ウルフファングさん!おのれ逃げ足ウルフ!今日こそ一緒にユリセプションを開放し、真実の愛を見つけるのです!お待ちなさい!お待ちなさいったら!」
「貴方にぴったりの服があるのよ!今日こそは着てもらうからね!」等と叫びながら追いかけていった。
まばらではあったが、客も残っていた店内は謎のコスプレ美少女らが巻き起こした騒ぎに一時騒然となり、一部の客からは「赤ずきんを女神と男装の騎士が追いかけていった」と呟きが漏れていた。
綾子は行き場のない怒りを持て余して茫然と立ち尽くしており、流刃は最後の玉子をもぐもぐと頬を膨らませて咀嚼していた。あ、そういえば――
「え……ちょっと待って。お金は……?」
「………うむ、食い逃げだな」
あの野郎、自分の食べた分の代金払わずに逃げやがった。天文学的な値段が付きそうな宝石をがめておきながら、たかだか千円するかどうかの自分の分の支払いを綾子たちに押し付けて。
綾子はダン!とテーブルに拳を叩きつけ、流刃は爪楊枝を銜えながら、新たな玉子を注文した。






★リリステリア



リリステリア――藤咲百合は女の子が好きだ。
百合の好きは友愛ではなく恋愛であり、慈愛ではなく渇愛である。百合は愛に餓えていた。極平凡な中流家庭に生まれ、両親から極々普通に愛情を受けて屈託なく育った百合はいつからか
愛の永遠性を信じるようになった。物心ついた時より空想の世界に浸かって育ったことも百合の価値観を決定付ける一因となったのだろう。少女漫画の世界では常に誰かが恋をしており
恋とは素晴らしいものだと誰もが口を揃える。少年漫画の世界でも皆が愛のために生きており、友情は麗しく、愛情とはそれ以上に尊いものとして描かれていた。ティーンズノベルの世界でも同様である。
世界は多くの愛で満ち満ちている。
百合の価値観は愛を至上のものと捉えるようになり、生きとし生けるものの行為は全て愛に帰結すると信じたのも無理もないだろう。愛情とは美しい。人を愛することは素晴らしい。
他者を愛し、他者に愛されることこそ百合の望みであり、生きる意味でもあった。そして百合の中では少なくとも、愛とはその強弱によって区別されるようなあやふやなものではなく
誰かを愛するということはその人の全てを受け入れ、慈しみ、深い繋がりを求める行為に他ならなかった。百合にとって家族以外――友人や恋人に向ける愛に区別はなく
ならば友人に恋することも当然自然の成り行きであった。
――好きです。
勇気を振り絞って友達に告白した時(ああ、認めよう。理性と感情とは別物であり、友愛と恋愛に区別はないと認識していたとしても、やはり告白とは、新たな関係へと進むべく行われる行為とは
とんでもなく勇気が必要なものだった。そもそも百合はどちらかというと人間関係に対し臆病でもあった)友達ははにかみながら「私も百合ちゃんのこと大好きだよ」と答えた。
百合は感動した。全身の血管に血潮以上に熱いものが流れるのを感じて肩を振るわせた。百合の価値観は間違っていなかった。愛とは万人に通じる素晴らしい概念で、今まさに同性の友人にも通じたのだ。
緊張と、失敗するのではないかという恐怖から俯けていた顔を上げ、そして困惑した。友達はいつもと変わらない朗らかな表情に揶揄するような微笑を浮かべていた。
何かおかしくはないだろうか。百合は精一杯の勇気を持って、自分の全てを搾り出すように、愛の告白を行ったのだ。頬は痛いくらいに熱を持っているし、言葉にも同様の熱量があったと確信している。
なのにその返答として、彼女の態度はあまりに淡白で。「今更なにぃ?愛の告白みたいで照れるよ〜」と友達が続けた段階で、百合は認識の違いに気付いた。彼女は百合の告白をいつものじゃれあいの延長線上、
おふざけの類だと思っていたのだ。彼女の言葉の通り愛の告白であったのに。
――違う!そうじゃないの!私は本当に……あなたのことが好きなの!
精一杯振り絞ったつもりだったけど、熱量が足りなかったのかもしれない。そう思い一拍置いて、今度こそ百合は思いの丈をぶつけ、そしてそれは友達に通じた。
彼女は困惑し、そして、嫌悪感を露にした。
その瞬間、百合の世界は音を立てて崩れた。
優しく暖かく、愛に満ちていた眩い世界は突如として百合に牙をむいた。あれほど輝かしかった空は曇天に覆われ、冷たい雨が、優しく咲き誇っていた愛の花を枯らした。
見るも無残に荒れ果てた、花畑だった寒々しい荒野に一人立ち尽くす百合は、寒くて辛くて自分の身体を抱くようにして震えた。
百合はルビコン川を渡ったが、その先にあったのは楽園ではなく、吐き気を催すような現実だった。
友達は百合に二、三言葉をかけて立ち去ったが、茫然自失としていた百合には最後の「ごめんね」しか聞き取れず、友達が去った後も日が暮れるまでその場に立ち尽くしていた。
今思えば放課後で良かった。もし早朝や途中の休み時間であったのなら、学校を丸々サボっていただろう。
茜色が薄闇に代わり出した頃、百合はとぼとぼと帰路についた。鞄を教室に置きっぱなしだったが、どうでも良かった。どうやって家に帰ったかも覚えておらず、母親の出迎えにも応えずに
部屋へと帰り、ベッドに倒れこみ、枕に顔をうずめて、ようやく百合は泣いた。泣いて泣いて、時間を忘れるくらい泣いて、枕カバーが涙で水浸しになっても気にせず泣いて、嗚咽の声が小さくなってきた頃
枕元に置いていた鍵付きのノートを手に取った。表表紙の中心に白百合のレリーフが彫られ、蔦の角枠で装飾されたダイアリーノートだ。以前、友達と一緒に購入したものだった。雑貨屋で、一緒に手に取り
二人で同じものを買った。その時のことを思い出すとまた涙が溢れてきた。滲む視界と震える手で手間取りながらも鍵を開けて本を開いた。丸っこい字で友達との甘く麗しい思い出が綴られており、時折空想の世界に
飛んだときなど、脚色され、物語のようになっていた。ここ何日かはどうやって百合の想いを伝えるか、場所や時間、告白の仕方について悩みに悩んだことを記し、最後のページには、決心の言葉と想いが報われた後の
未来について書いていた。興奮と不安が織り交ざっていて、字が震えている。
百合は力任せに最後のページを破った。破って、手の中でぐちゃぐちゃに丸め………丸めようとして思いとどまり、もう一度開いた。くしゃくしゃになった文字は涙で滲んで読みなくなっていた。
それをダイアリーノートの最後のページに挟み込み、再び鍵をかけると、机の引き出しの奥に仕舞った。破り捨てることは出来なかった。忘れることも出来なかった。だから、奥に仕舞った。
二度と目に付かないように奥の方に仕舞ったのだ。
百合は次の日から一週間学校を休んだ。元々身体が丈夫な方ではなかったが、一週間もズル休みしたのは初めてだった。日に日に心配の度合いを増す両親に申し訳なくなり、翌週の月曜日に久しぶりに登校した。
告白のときと同様に非常に勇気を要した。ひょっとすると、友達が告白のことを周囲に言いふらしているかもしれないと思ったからだ。だとすると、百合の学校生活は終わったも同様だ。同性の友達は気色悪がって百合には
近づかなくなるだろうし、男子からは(元々男子など相手にしていなかったが)嘲笑の的にされるかもしれない。女子からも恐らく酷いイジメを受けるようになるだろう。
そしてそれは異端者である百合を学校から排斥するまで続くだろう。恐怖が歩みを鈍らせた。どうにかHR前に教室にたどり着いた百合は、目を伏せ、震える手でゆっくりと扉を開けた。
百合の悪い予感は外れた。クラスメートや友人は一週間学校を休んだ百合を心配こそすれ(学校には入院したと連絡してあったようだ)奇異の目や罵倒を向けることはなかった。
驚きに目を見張りながらクラスの端、窓際にある友達の席に視線を向けた。あの日、百合が告白した友達は変わらずそこにいた。ただし、百合には目を向けず、窓から校庭を眺めていた。彼女は黙っていたのだ。
百合から告白されたこと、百合が女の子を恋愛対象にしていることを。ほんの僅かに救われた気がした。百合の想いこそ届かなかったが、百合が好きになった彼女は、やっぱり思ったとおりの素敵な子だった。
しかし、告白を機に二人の関係は途切れてしまった。彼女は自然と百合を避けるようになり、また百合も逃げる彼女を追おうとしなかった。二人の仲の良さを知る共通の友人からは何度も何があったのか訊かれ、心配されたが
結局、百合も彼女も何があったのかは話さなかった。そして、二人は離れ離れになったまま中学生活を終えた。
この時の出来事がトラウマとなり、百合は自分の想い――女の子に対する愛情を忌避すべきものとして、胸の奥に仕舞いこんだ。身勝手な愛情のせいで大切な友人を一人失っただけでなく、彼女に不要な重荷を背負わせる
ことになってしまったのが、愛情を切り捨てる一番の要因だった。以来、百合は正常な世界で、正常であるために、他者に正常であると認識されるために、異端者であることをひた隠しにして生きてきた。
―――魔法少女になるまでは。


「さあ、今日こそ素直になって貰いますよウルフファングさん!度重なる百合レクチャーによってあなたのリリックゲインは日に日に強さをましているはず!……20db、25…30…45……馬鹿なまだ上がるですって!?」
さしもの逃げ足ウルフも、クチュリエールの奇術師さながらの早着替えから繰り出された衣服取り換えっこ魔法により、地面に引きずる程裾の長いドレスを自分の衣服と取り換えられ、
裾を踏んづけて転倒しあえなく御用となった。今は必死にドレスを脱ごうとしながら(きゃっ💛往来でなんてはしたない)百合に向かって
「リリックゲインって何ですか!だいたい私は百合レクチャーとやらを受けた覚えもないのです!」等と白を切っている。嘆かわしいことだ。素直になれないお年頃なのだろう。ここはやはり百合が一肌脱ぐしかないようだ。
「素直になあれ!素直になあれ!」
「わっ……何ですか!ちょっとっ……冷たっ!…止めてください!やめっ……止めろぉ!」
百合謹製のリリックコロン(成分:砂糖・スパイス・素敵なもののなにもかも)をウルフファングに振りかける。これによって彼女に内在するユリセプションは解放され、素直な気持ちで少女という名の自分自身と向き合うこと
が出来るはずだ。たぶん、きっと、おそらく。
「いい加減悪ふざけは止めてください!……というかクチュリエールさん!貴方もどさくさに紛れて何やっているのですか!」
「え?いや、あのせっかくだから寸法を測っておこうと思って。服って見た目ももちろん大事だけど、フィット感やサイジングも大事だからね」
クチュリエールはメジャーを持って、ウルフファングの身体をまさぐっていた。これはさっそくリリックコロンの効果が表れたのではないか。ウルフファングが素直になることにより
彼女の半径5m圏内に強力なユリビティが発生し、引かれたクチュリエールがウルフファングに落ちる。つまり、ウルクチュキテる……。
「さっそく、キテますね……」
「キテない!」
「ああ、動かないで!メジャーがずれる!」





「あの〜……お取込み中、まことに申し訳ないのですが……少々お時間いただいてもぉ…………」
ウルクチュキテる景色を涎を垂らして鑑賞していたら、突如として頭上から声が降ってきた。百合は顔を上げた。ウルフファングとクチュリエールも声の方を向いた。
声の主は見覚えのない少女だった。サンバイザーの付いた帽子からブロンドのツインテールを垂らしており、バイザーに半分隠れた瞳は瞳孔がハート型になっている。
背中に蝋で出来たような上半分が溶けた天使の羽を付けており、ブレザーの上にハート型のエプロンという珍妙な出で立ちだ。
見るからにコスプレ少女という格好に不釣り合いなビジネスバッグを脇に抱え、サンバイザーの下から、中年のサラリーマンのようにしきりにハンカチで額の汗(よく見たら汗など出ていないので額を撫でているが正しい)
をぬぐっている。百合たちに視線に気づくと「ひっ……ごめんなさいっ……」と竦んで一歩下がった。訂正しよう、見覚えのない少女ではなく、見覚えのない魔法少女だった。
「そのぉ……ごめんなさい。少々、えーっとですね、お願いがございまして、その……コンタクトを取らさせていただきましたぁ……。ウルフファングさん、少々お時間いただいてもよろしいでしょうか?」
ウルフファングは半脱ぎのドレス姿のまま、表情を引き締め、「分かりました。場所を移しましょう」と答えた。
これは、新たなキテるの予感………!








★ウルフファング


魔法少女は名刺を差し出し、魔法の国監査部門所属であると名乗った。ハートで縁取りされたファンシーな名刺を眺めてから(裏にはいつでも電話してね♡と恐らく業務用であろう電話番号が記されている。
どう見てもキャバクラか何かの営業用名刺としか思えないが、魔法少女を現実の物差しで測るのは無粋だろう)ウルフファングと目を合わそうとせず、しきりにハンカチで額を撫でている少女に視線を返した。
彼女はまたひっと小さく悲鳴を上げて、猫ににらまれたネズミのように竦み上がった。どうも対人関係に難があるようだ。
彼女が訪ねてきてから、とりあえずクチュリエールに自分の服を返してもらい、公衆トイレで着替え終えた後、河岸を近場のファミリーレストランへと移した。
「お願いに上がったので払いはこちらで……」という彼女の好意に甘え、注文したコーヒーに口を付けながら、彼女が用件を切り出すのを待っている。
「えーっと……ですね〜……あの〜あちらの方たちは〜………?」
「ああ、お気になさらず。季節外れの蝉です」
どうも窓の外側にへばりついて「キテるキテる」と鳴き声を上げているリリステリアと、「ちょっと、リリステリアちゃん、ここじゃ丸見えだから、そこの柱の陰にでも移らない?」
と彼女の背後をうろうろしているクチュリエール(柱の陰に移ったとしても窓から丸見えである)のことが気になって仕方ないようだ。二人には「商談ですので、店には入らないように」と言いつけたのが間違い
だった。はっきりと帰るように諭すべきだった。「はぁ……蝉ですかぁ〜〜……」と呟いている向かいの彼女には気にしないよう言ったものの、自分も気になって仕方ない。
特にリリステリア、窓ガラスに顔をくっつけるんじゃない。ガラスに涎がついているじゃないか。

リリステリアという珍妙な魔法少女に付きまとわれるようになっておおよそ一ヶ月ほどになる。愛の女神を自称するあの魔法少女はどういうわけかウルフファングに目を付けたようで
事あるごとに悪ふざけ(頭が痛いことに彼女は至って本気であるようだ)を仕掛けてくる。ある時はどうやって嗅ぎつけたのかウルフファングが根城としている廃病院に「百合勉強の時間だオラァ!」とやって来て
マリア様がみてるという少女小説を押し付け、「わたくし達ユリシーズのバイブルです。読んでおくように」と一方的に言い放ってさっさと去っていったり
(妙なところで生真面目な気質だからか結局読破してしまった。感想を求められた際に「百合妊娠しました?」等と付け加えてきたので、何も言わずに突っ返したが
なるほど中々面白い小説だった。少女となる上で助けになったのは事実だ)またある時は今日のように、クチュリエールと組んでやたらと少女趣味な服を無理やり着させようと迫ってきたり
(クチュリエールはリリステリアのように話が通じないわけでないのだが、服飾には異様なほど熱心で、一度モデルになって貰いたい相手と出会うと、事情を省みない強引さがあった。リリステリアと合わさると
さながら暴風のようである。今日に至るまで何度か捕まってしまい、ふりふりのゴシックロリータや胸元にスパンコールの薔薇をあしらったワンピースなどを着せられたりした)
普段通る道に待ち伏せて、他の魔法少女のプロマイド(写真ではなく模写だが)付き下着を餌にした捕獲罠をしかけられたりもした。
(彼女は私のことを何だと思っているのだろうか。有無も言わさず金網式の箱罠を蹴り飛ばすと、電柱の陰から飛び出してきた彼女から「なにをするんですか!高かったんですよそれ!」と怒鳴られた。
怒鳴りたいのはこちらだったが、相手にしたら負けだと思い無言で立ち去った。去る途中、彼女の「譲ってもらうのにいくらかかったと思っているんですか!下着を粗末に扱わないでください!」
という声が背中越しに聞こえたが、振り向かず立ち去った。高かったってそっちですか!)
彼女曰くウルフファングは不自由な生き方をしており、それはよくないとのことだった。

「ウルフファングさん、素直になって御覧なさい。わたくしたちは魔法少女、夢と希望と愛で出来た存在なのです。
ですから、女の子が好きでもなにもおかしいことはありません。大丈夫、わたくしたちは魔法少女なのですから」

どういうわけかウルフファングはリリステリアに同類だと見なされており、彼女はそれを認めないウルフファングに大層ご立腹で、嫌がらせという形(彼女の言葉を借りれば百合教育だそうだが)で
鬱憤晴らしにウルフファングを利用しているのだ、と思っている。まったく、とんでもない頭痛の種を抱えたものだ。
とはいえ、彼女の推測は半分は当たっている。ウルフファングは己を偽って生きている。粗野で凶暴、大昔の哲学者の言葉を借りるならテーリオテース(獣性)に溢れた己を抑え込み、忘れ去ろうと
しかし出来ず、してはいけないと戒めて、裡に秘め、少女として生きている。ウルフファングの本質は容姿にも如実に表れている。可憐な少女のようであって、獣を表す耳と尻尾は頭巾を被っても隠すことは出来ない。
そうだ、リリステリアは的を得ている。ウルフファングは不自由だ。だが、不自由でいい、不自由がいいのだ。もう二度と、自由にしてはいけない。
特に彼女のように屈託のない少女の前では。
「あのぉ〜〜〜………ごめんなさい、もう一度お訊ねしてもよろしいでしょうかぁ〜〜〜?」
「………あ、ああ。失礼しました。どうぞ」
妙に間延びした、それでいて緊張感に溢れている声で我に返った。どうやら思索に耽っている間に、監査部門所属の魔法少女が話を切り出していたようだ。
頷き、話を続けるよう促した。
「では〜〜〜……お手数ですがぁ〜、そのぉ……こちらの二人に見覚えはぁございますでしょうかぁ〜〜〜〜……?」
彼女は机の上にクリップ止めされた書類を二束広げていた。一番上の書類には写真と……写真に写った人物の経歴のようだ。
ところどころ黒く塗りつぶされていて読めないが、少なくとも名前は読み取れた。どちらも魔法少女のもののようだ。
「ソード・オブ・ケイシーとこれは……"日魔人"ですか、まほ子、と。さて、寡聞にして存じませんが………」
「そのぉ……この二人はですねぇ……監査部門が追っている重罪人でしてぇ〜〜〜〜……」
彼女はしきりにハンカチで額を撫でながら、説明を続けた。まずは監査部門について。魔法の国には魔法少女を統括する機関が存在し、複数の部門に分かれている。
監査部門はその一つで、名前の通り、各部門の監査を担っており、魔法少女犯罪の捜査・犯人の検挙も業務の内容に含まれるという。
今回のケースは後者であり、複数の魔法少女を殺害し、人間界においてテロ事件を起こした容疑者として二人を追っているとのことだった。
「成る程、公安警察のようなものですね」とウルフファングが言うと「いっいえ……そんな物騒なものでは〜〜〜……ごめんなさい、あるかもしれないです……」
と彼女は強く否定はしなかった。魔法の国とやらも名前の割に存外物騒なところであるようだった。もっとも、魔法少女が物騒な存在である時点で分かりきっていたことだが。
しかし魔法の国の機関はウルフファングの想像以上に物騒だった。監査部門の魔法少女が言葉を詰まらせながらおずおずと切り出した本題を聞いてそう思った。
彼女は周囲をびくびくと伺い、声をひそめた。
「じ、実はですね〜〜〜……この二人がこの近辺に潜んでいるとの情報が入ってきましてぇ〜〜〜……で、私共の情報網によると
ウルフファングさんはそのぉ…傭兵のようなことをなさっていると……じ、事実でしょうか〜〜〜……?」
ええ、と頷いて肯定した。なんとなくであるが、話の流れが読めた気がする。彼女は更に声をひそめ
「も、もうしわけないのですがぁ……そのぉ、私共監査部門に、ウルフファングさんのお力をお貸し頂けないかと〜〜〜……もっ、もちろん十分な謝礼は用意させて頂く所存です……」
「つまり、件の二人の検挙に、私も力を貸せ、と?」
小声で謝りながら、彼女は肩を震わせて何度も何度も首を振った。違うのか。てっきりそうだとばかり。
「検挙ではなく、殺害です」
彼女は身を乗り出して、ウルフファングの耳元に口を近づけると、消え入りそうな声で囁いた。










★"日魔人"まほ子




いくつもの廃墟を拠点としてきたが、今回の場所は一段と酷い。かつては荘厳で厳粛な場であったろう古い教会は人の手が入らなくなって十数年と経った今は
床は腐って所々抜けていた。長椅子も大部分は腐っており、背もたれの部分に虫食い穴が空いていたり、天井の穴から漏れた雨や、吹き込んだ風によって削られ
木屑を足元に撒き散らしていたり、かつて敬虔な人々が並んで座ったであろう時の威厳をすっかりと失っていた。ステンドグラスが嵌められていたであろう天窓は
恐らく金銭に換えられる価値があったからだろう、ステンドグラスだけが抜き取られ、侘しい空洞となっていた。
――不心得者どもが。
"日魔人"まほ子――加藤宗徳は腕組みをし、長いすにもたれ掛かりながら一人ごちた。加藤は特定の宗教に帰依しておらず、所謂、日本人的な意味での無神論者だったが
その加藤をしてもこの教会の有様は酷いと感じた。かつては多数の信仰と敬意を集めた神聖な場の末路として、あまりに無残で、あまりに物寂しいものではないだろうか。
近隣の人々はこの教会の有様に何も思うところはなかったのか。誰か一人でも有志を募って、せめて解体をしようと思い立つ者はいなかったのか。
加藤は同じ日本人として非常に情けない思いだった。
「君の憤りは理解できるがね、本来ならば行政が着手すべき事案だろう。行政の怠慢を責めるべきであって、無辜の人々にあたってもしかたあるまい?」
加藤は声の主を見た。彼女はオルガンに備え付けられたパイプ椅子に腰掛け、鍵盤に指を滑らせている。「やはり駄目だな。調律したとしてももう手遅れだろう」と呟き
鍵盤板を閉じた。蓋の上に積もりに積もった埃が周囲の空気を淀ませた。
椅子から立ち上がり、シルクハットを被り直した男装の麗人――ソード・オブ・ケイシーとは短い付き合いながら、加藤は彼女に悪感情を抱いていなかった。
むしろ好意的であるといってもよい。自他共に認める狂人であり、己の身勝手な基準から外れた魔法少女を惰弱であると処断してきた加藤にとっては珍しいことである。
加藤が正しい、と認めた魔法少女は片手の指で数えるほどしかおらず、ソード・オブ・ケイシーは数少ないその一人だった。
ソード・オブ・ケイシーは戦闘狂である。闘争を生きる目的とし、優れた(戦いに秀でた)魔法少女と競い合い、高めあうことを至上の喜びとする。
ソード・オブ・ケイシーを知って日は浅い加藤をしても、重々に理解できる程度には彼女の生き方は単純かつ一本筋の通ったものだった。無駄がない、と言い換えてもいい。
さながら精密機械のようだった。ある特定の動作を行うためだけに生み出され、それ以外の機能を有していない、極限まで無駄をそぎ落とした機能美の極地。
加藤はその生き方を善しとした。加藤の信じる正しさとは道徳観念によって判断される善悪や正邪とは異なる。加藤は人の信じる正しさなどというものがいかに薄っぺらく
時代によって移り変わるものであるかを理解している。往々にして、その時正しいと信じられ、正しさを信じた人々によって行われた正義が、後の時代には悪徳であると判断される。
ならば、正義とは何だ。加藤は思う。正義とは、己の中に揺るがぬ指針を作り、最期までそれを裏切らないことだ。加藤の正義観に照らし合わせると、ソード・オブ・ケイシーの在り方は
紛れもない正義だった。確たる生き方を見つけ、最期まで貫き通す。簡単なようで実に難しい。大半の魔法少女は正義に値しない。
恐るべき力と超常の能力――魔法を持ち、一国の軍隊にすら匹敵しうる科学文明を超えた存在、魔法少女。にも関わらず、彼女らの在り方はあまりに惰弱で不安定だ。
魔法少女とその背後の魔法の国の存在を知った時、加藤は恐怖し、そして決心した。奴儕を自由にさせておいてはわが国の存亡に関わりかねない。
この時、革命の闘士であった加藤の中に、魔法少女を選別すべしと叫ぶまほ子が生まれた。


「彼の女狐の言、信用に値すると貴官はお思いか?」
「まさか。彼女は私に事が済めば君を始末するよう頼んできたのだよ。まったくもって笑えるじゃないか」
ソード・オブ・ケイシーは口元の笑みを深め、加藤は腹を抱えてそれこそ少女のようにけたけたと笑った。
魔王塾の門を叩き、相応の実力を身につけてから、野に降りて魔法少女を誅して来た加藤は今身動きが取りづらくなっていた。
監査部門の外注職員として秘密裏に、報酬も得ずに魔法少女の殺戮を続けてきた加藤は、彼を雇った監査部門職員に切り捨てられたからだ。
どうやら加藤を使ったのも彼女の独断であったらしく、トップの入れ替えに伴い、内部監査が入る前に薄汚い殺し屋との縁を切っておこうという算段だろう。何度か仕向けられた刺客を返り討ちにし
改めて何の枷もなく、自由に魔法少女の殺戮に励もうとした矢先(そもそも魔法の国の内情を知るためとはいえ、体制側に与し、官僚が如き毒虫と手を結んだのが間違いだったと猛省した。
加藤とまほ子は別人であると割り切っていたが、それにしても消しがたい汚点であったことは間違いない)自分を切り捨てたはずの監査部門の魔法少女が接触してきた。
彼の毒婦をくびり殺すことは簡単だったが、隠蔽工作等、彼女の助力あって魔法少女の選別を行えていたのもまた事実。
あなたを切り捨てたわけではない。嵐が過ぎ去るまで避難して貰いたいだけだった。その証拠にまた仕事を頼みたい。勿論謝礼も出す。と形だけは平謝りする彼女の話に乗ったのは
何も彼女の言を信じたからでも、再度体制側に戻りたかったからでもない。袂を分かつ前に、何の気兼ねもなく魔法少女を選別し、彼女に尻拭いをさせた後殺せばよいと思ったからだ。
彼女の持ってきた仕事はある魔法少女達の殺害と、そのうち一人に奪われたというマジックジェムの回収だった。
そしてその仕事のサポート役として連れてきたのがソード・オブ・ケイシーだった。自分のように雇われた外注職員ではなく、賓客だそうだが、加藤には関係のないことだ。
出会い頭、早速一合打ち合うことになり、彼女の気質は知れた。
それにしても、あの監査部門職員、女狐に例えたが、女狐にも二種類ある。狡知に長けた優れた策士であり傾国の美女。そして策士気取りの間抜けである。彼奴めは間違いなく後者だった。
いや、同列に扱っては狐が気を悪くするだろう。あの単細胞は蟲か何かである。大方、闇討ちの指示でも出したのだろうが、ソード・オブ・ケイシーが不意打ちの類を好むわけもない。
彼女は宣言した後、正々堂々正面から果たしあう性質であり、恐らく現にそうするつもりだろう。加藤との決着がつかぬまま剣を治めたのも、事が済んだ後対峙する機会があるからに他ならない。
あの毒虫はそんなことも分からないとは。いやはや一時的にとはいえ、彼奴の下についていた己をただただ恥じるばかりである。
「笑ってくれたまえ、小生は大間抜けであるな」
「なに、私も君も己の本分さえ果たせられれば、それで良いという性質じゃないか。使えるものは使うべきだ。たとえ、なまくらであったとしてもね」
うむ、と加藤は頷いた。ソード・オブ・ケイシーはつかつかと加藤に歩み寄り、祭壇までの道を隔てて向かいにある長いすに腰掛け、加藤に写真を投げて寄越した。
加藤が受け取った写真には、回転寿司チェーンらしきところで、寿司をほお張るライダースーツの魔法少女と、その隣で不機嫌そうに頬杖をついた軍服の魔法少女が写っている。
「私はウルフファング君を貰おう。聞けばなかなかの強者とのこと。胸が躍るよ」
言いながら彼女は指の間に挟んだ写真を加藤に向けた。写真には、ファミリーレストランらしきところで、連れ合いの女神のような魔法少女と男装の騎士という風体の魔法少女と共に
パフェを食べる赤ずきんの狼少女が写っていた。














Les loups ne se mangent pas entre eux. (前編) 了

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