img街の魔法少女の素質ある「」を集めてるポン

登場キャラクター:アンチェイン ウルフファング クチュリエール ソード・オブ・ケイシー "日魔人"まほ子 リリステリア 流刃



















 


                                     Les loups ne se mangent pas entre eux. (中編)


















★クチュリエール



クチュリエールには夢がある。
恐らくではあるが、女の子なら誰でも一度は夢見る普遍的な理想――お姫様になる、こととは少し違う。
クチュリエールが憧れたのは眩いドレスで舞踏会に向かうシンデレラではなく、彼女をお姫様に変えた魔法使いだった。
元々、アニメや映画という創作に慣れしたんだ彼女は、物語の中の着飾った役者達、その個性的で瀟洒、時には可憐で、時には雄雄しく、そしていずれも美しい衣装に目を奪われた。
美しく生きる登場人物たちをより美しく際立たせる魅力が衣装にあると信じた。父親が愛読していたイタリアを舞台に、天才仕立て屋の唯一の弟子となったテーラーが活躍する漫画や
個性的だが天才的な女子高生がデザイナーを目指す古い少女漫画、同じく天才的な閃きを持つクラゲ好きの変人女子が活躍するコメディなどに触れたことで、
よりファッションデザイナーになるという目標を強固なものとした。魔法少女名となったクチュリエールは、そのまま彼女の夢である服飾デザイナーを意味する。
魔法少女となったクチュリエールの前には夢のような世界が広がっていた。魔法少女たちは、創作の役者達のように皆一様に可憐で美しく
彼女らが身に纏う衣装もまた美しいものから、個性的なもの、奇妙なものから、クールなものまで様々で、クチュリエールは大いに創作意欲を刺激された。
――あの子達の衣装を作ってみたい。
魔法少女クチュリエールの行動原理は至ってシンプルだ。彼女らに似合う衣装を作ってみたい。ガーリッシュなフリル付きドレス、フェミニンなレーススカート、
パンクなストリートファッション、クールなスーツスタイル、彼女らの個性にあう衣装はそれぞれ違う。衣装とは即ち、着る者の個性と融和させ、時には反発させることで
相乗効果を促すものであり、そのためにはモデルを知る必要がある。外見に合うか、サイズ感はどうか、という表面的なことだけではない。内面を知り、うちに秘めた美を引き出すために
デザイナーは、モデルの人格、人生観すらも追及する必要がある、とクチュリエールは考えている。ファストファッションにように大衆向けの誰にでも似合う服を作るのではない。
その人に最も似合う服を作る。それがクチュリエールの目標だった。
衣装作りとはファッション誌やファッションショーをただ見るだけで出来ることじゃない。大事なのは見聞を広めることだ。人を見ることだ。
趣味の旅行や、人付き合いもデザイナーとしての技量を高める上で意義があることだと思っている。その過程で人を見る目が養われているとも。
だから、今向かいで、ため息をつきながら空になったガラスコップの中の氷をストローで回しているリリステリアが悩みを抱えていることも分かる。大よそではあるが悩みの内容も見当が付く。

「ウルフファングちゃん、言葉ほど迷惑がってないと思うわよ」
「……はぇ!?な、なんのことです!?」
あらら、目に見えるくらい動揺しちゃって可愛いなあ。リリステリアとはそう付き合いが長いわけではないが、彼女に対し少なからず好意を抱いていた。
好意といっても、普段リリステリアが口にして憚らない百合――所謂同性愛としての好意ではなく、あくまで友達としての親愛の情である。
ある特定の物事に情熱を注いでいる、という点で通じるものもあった。クチュリエールにとっては服飾であり、彼女にとっては百合である。
それ以上に、普段エキセントリックな彼女がふとした瞬間見せる素の自分――自信なさげで人間関係に対し臆病な少女としての顔に共感した。
クチュリエールも魔法少女ではない素の自分は特段自信家というわけではない。ファッションデザイナーになる、という夢に向けて万進しているつもりでも、心のどこかで
叶うかどうかわからない夢よりも、現実の安定を取るべきではないのかと囁く弱腰な自分がいる。夢はある。叶えたいとも思う。叶えるべく努力もしている。
しかし、残念ながら、だからといって迷いがないわけでもない。彼女も同じだ。百合好きを公言していたとしても、また行動で表していたとしても、
心に一点の曇りもないわけではないだろう。どこかに迷いはある。だから時には悩むし、落ち込みもする。今のように。
だから同じ迷える子羊として、役に立つかどうかは別にしても助言くらいは出来るだろうと思った。
「もし心の底から嫌がっているとしたら、さっきみたいに私達と一緒にお茶したりしないと思うけど」
先ほどまでウルフファングはクチュリエールの隣に腰掛けていた。三人で同じ期間限定の産地直送りんごパフェを注文し、談笑しながら味わった。
りんごの程よい酸味と生クリームの心地よい甘みが調和して美味しかった。期間限定なのが残念だ。ウルフファングが断片的に語ったところによると
どうやら新顔の魔法少女との商談とやらはご破算になったらしく。「条件が整わなかったので断りました」
いつになく思いつめたような表情でそう締めくくったウルフファングにクチュリエールもリリステリアもそれ以上は聞かなかった。クチュリエールは内心ほっとした。
あの新顔の魔法少女を一目見たとき、直感的に仲良くはなれないな、と思ったからである。クチュリエールにとっては珍しいことだった。
別に聖人君子ではないし、誰とでも仲良くなれる博愛主義者でもないにしても、人間関係において選り好みはしない方だと自覚している自分が、たった一度会っただけで
得体の知れない嫌悪感を催したのだ。人を見る目にはそれなりに自信がある。彼女はきっと良くない子だ。そんな子と友人であるウルフファングとの間に仕事上とはいえ
付き合いが出来なかったことに安堵した。そう、それなりに観察眼に長けている、と自負しているクチュリエールの目から見て、最近の、とみにリリステリア他
魔法少女と付き合いだしてからのウルフファングは以前よりも魅力的になったように思えた。
勿論以前は魅力がなかったわけではないが、柔和な物腰で誰に対しても丁寧に接しながら、誰も信用していないような、それこそ一匹狼のような頑なさがあった。
今はその頑なさも解きほぐれ、以前よりもずっと付き合いやすく、より魅力的になったと感じている。クチュリエールがウルフファングのために服を作りたいと思う程には。
そんな彼女はパフェを食べ終えた後、珍しく「支払いは任せてください」と言い
(新顔の魔法少女にコーヒーの代金は支払ってもらったようだが、新顔の魔法少女が去った後に注文したパフェは別払いだった)「今の私はちょっとした富豪ですからね」
とフードに手を入れ何かを取り出そうとしたが、途中で「あれ……ない…うそ…」と愕然と呟き、あたふたと服のあちこちに手をやった後
「……急用が出来ました」と呼び止める間もなく慌てて走り去っていった。

「あっあの……わたくしは別に、最近ちょっと強引過ぎたでしょうか、とかひょっとして本当に迷惑だったでしょうか、とかそういう……
その、心配をしているのではないんですよ。ただ、ウルフファングさんがなんとなく思いつめたようなご様子でしたので、今もさっさと逃げるように帰っちゃいましたし
一応彼女にも人狼権もとい人権はあるのですし、最近彼女が発するリリックゲインも数値的には上昇しているようですので
百合レクチャーの頻度を減らしてもいいですね、とかそういう…あの彼女の頑張りに対するご褒美と申しましょうか……」
「うんうん、つまりリリステリアちゃんはウルフファングちゃんのことが心配だと」
「そんなこと一言も言ってませんよ!?」
やおら身を起こし、クチュリエールに顔を近づけて否定するリリステリアをまぁまぁと宥めながら(彼女もけっこう顔に出るほうで。今も頬が桃色に染まっている)
「なんか失くしたぽかったし、リリステリアちゃんが一緒に探してあげたら彼女も喜ぶと思うけどなあ。リリステリアちゃん愛の女神なんでしょ。
愛のためにも困っている人は助けてあげないと」
「いえ、それは、ですが、しかし……」
踏ん切りがつかないようで、両手の人差し指同士をちょんちょんとくっつけたり離したりしているリリステリアの隣に座りなおし
「ほら、行った行った。会計は済ませておくからね」と背中をぽんぽんと叩いて無理やり立たせた。彼女も決心が付いたようで
「分かりました。クチュリエールさんもウルフファングさんのことを心配している。つまり、ウルクチュキテる……ということですね。
ならばキテる二人のため、このリリー、一肌脱がせていただきます!お金は後でお返ししますので。では!」
キテるかなぁ……と思いながらも、走り去っていく彼女の背に手を振って送り出した。
(それにしても、青春だなあ……)
思い、自分の年寄り臭い思考に笑ってしまった。まだクチュリエールも大学生、成人の仲間入りをしたばかりだ。
恐らく、自分よりも年下であろう(なんとなく雰囲気から察した)リリステリアにおせっかいを焼くにしても、「青春だなあ」はないだろう「青春だなあ」は。
いけないいけない。クリエイターは常に若い感性、瑞々しい感性を備えておくべきなのに、これではいけない。
丁度、リリステリアに着て貰いたい衣装の案も浮かんだところだ。常時形態しているA4のスケッチブックを取り出し、鉛筆を走らせた。
普段、ギリシアの女神のような神々しくもセクシー、コケティッシュな衣装を身にまとう彼女ではあるが、活動的でボーイッシュな格好も似合うと思うのだ。
インスピレーションは何より大事だ。丁度今ミューズが降りてきている。今のうちにかねてより衣装を作りたかった他の魔法少女にも会っておこう。
実物を見れば、よりイメージは固まる。しゃっしゃっと鉛筆で線画と形作りながら、思考の片隅で他の魔法少女、流刃とアンチェインの顔も思い浮かべていた。

















★流刃



―――やはり、返した方がいいのではないだろうか。
掌の上でころころと弄ぶように宝石を転がしながら、隣を歩いているアンチェインを横目で伺いつつ、そう思った。
眩い真紅の輝きを放つ宝石は、つい半日ほど前、リリステリアとクチュリーエルに追われて逃げたウルフファングが落としていったものだった。
席を立つ際、テーブルの下に転がっていたそれを流刃が見つけ、ウルフファングに返しに行こうとするのをアンチェインが止めた。
彼女曰く「元々盗品なのだから、本来なら然るべきところ、警察とかに預けた方がいい。それはそれとして、
人の顔に米粒吹きかけた上に、自分達に払いを押し付けて逃げたウルフファングを困らせてやりたいので、しばらく預かっておく」要約するとこんなところだった。
前半には、なるほど、と同意したが、後半には同意しかねた。とはいえ、直接の被害を被ったのはアンチェインなので、特に反対もせず今に至る。
しかし、確かウルフファングの話によると非常に高価な宝石ではなかっただろうか。そんなものをいつまでも預かっておくのはいささか気が引けた。
元々ウルフファングのものでないにしろ、それを言うならば流刃やアンチェインのものでもないのだ。
そう思い、再度口笛を吹きながら上機嫌に隣を歩く彼女に声をかけた。
「やはり返した方がいいのでは?」
「………なんで?」
心底不思議そうにアンチェインは首をかしげた。ふむ、なんでと問われれば何故だろう。はっきりとした理由は思い浮かばない。
そもそも流刃自身それほど道徳的でも、法を遵守しようと心がけているわけでもない。
落し物は必ず持ち主に返しましょう。交番の掲示板に貼ってあった標語だったろうか。物にもそれほど執着がないので、本来ならばそれが正しいか否か等深く考えず
そういうものだろう、と持ち主が判明しているのであれば、直ぐに返しに行ったことだろう。でも今はアンチェインが私的な理由から拒否している。
ウルフファングは仕事仲間であり、友人でもある。アンチェインも同様だ。片方に肩入れする、というわけではないが
赤い宝石がウルフファングにとって必要不可欠なものではなく、また元々他者から奪い取ったものであるのなら、確かに返す必要もないような気がしてきた。
それ以上に、経験上こうなったアンチェインは頑なだと知っている。
彼女の魔法はテレパシーで、自分と他者の心をリンクさせ、ダイレクトに思考でやり取りが出来るようになる、というものであるが、
他者の感情の機微にそれほど聡いわけでもない流刃にも、思考を読むまでもなく、今のアンチェインがウルフファングに宝石を返したがっていないのは分かった。
「確かに、今すぐ返す必要はないな」
「でしょう?」
この話はそれで終わった。アンチェインは軽く肩を竦めると、上機嫌で掌の上のルビーを再度転がしだした。彼女も世間一般の女性に漏れず、光物が好きなのかもしれない。
宝飾品の類に興味のない流刃からしてみても、確かに、美しい宝石だった。美しい宝石には魔力が宿るとどこかで聞いたことがあったが、なるほど魔法少女の目から見て
不可思議な力が宿っているとしてもおかしくないと思わせるほどの妖艶な美しさを宝石は持っていた。
「仮にこの宝石売ったとしたら私達大金持ちね。たぶん使い切れないくらいのお金になるわよ。なに買おうかしら」
アンチェインは冗談めかして笑ってみせた。彼女には珍しい悪戯っ子のような口角を吊り上げたニィ、という笑い方だった。
しかし流刃には、彼女の口調は真実味のあるもののように思えた。本気なのかもしれない。意趣返しに本気で売り飛ばすつもりかもしれない。
「返すかどうかはともかく、警察に預ける、という話ではなかったのか?」
「そんなこと言ったかしら?でもね、考えてみてよ。大金が入ったら、もう仕事の報酬とかで交渉する必要もなくなるし、なんでも好きなもの自由に買えるわよ。
あなただって、ほらお寿司とか食べ放題だし」
なんと。食べ放題とは。想像した。頼めど頼めど尽きることのなく湧き出てくる寿司。次から次へとお腹に入れる自分。でもなくならない。魔法の泉のように寿司が湧き出てくる。
悪くないかもしれない。いや、いい。
「食べ放題どころか店ごと買えちゃうかも」
なんと。店ごと。兼ねてより食べるのもいいが、一度寿司を握ってみたいとも思っていた。寿司――素晴らしき日本食。シャリ(酢飯)にネタを乗せ握るだけ、
というシンプルな料理にも関わらず、その種類は豊富で、味も千差万別、そして何よりも肝心だが、美味い。
元々牛丼が好物だったが、最近になって寿司の魅力に気付き、虜になった。更に空想は飛躍した。
暖簾を掲げる隠れ家的な寿司屋の主人となった自分。好きなときに好きなネタを握り食べ、そして客にも提供する。牛丼寿司というのも悪くない。
新しい旋風を寿司界に巻き起こすこと間違いない。以前、クチュリエールから借りた漫画を思い出した。
傭兵稼業の主人公がある日偶然立ち寄ったレストランで出された料理のあまりの美味しさに感動し、思い立って、廃業し自分もシェフとなりレストランを開業する、といった内容だった。
悪くないかもしれない。いや、いい。
うんうん、と頷きながら空想の未来図に思いを馳せていると、横から呆れたような声をかけられた。
「………納得しているとこ悪いけど、ジョークだから」
なんと。冗談。
「………………そうか」
そうか。冗談か。いや、それはそうだろう。大体宝石を売りさばくにしてもルートがないし、非常に高価という話だから、買い手が見つからないかもしれない。
いや、それ以前にウルフファングの所有物だし、元を辿れば盗品だ。流刃達の裁量で処分出切るものではない。ため息をついた。
一人で舞い上がり、一人で落ち込んでいては世話がない。まだまだ修行が足りない。
「あの、ごめんね。いや、ほんとに信じるとは思わなくて。あ、そうだ。ほら、また明日お寿司行きましょうよ。奢るから。好きなもの食べていいわよ」
アンチェインは宝石を胸元に仕舞うと、あたふたと手を動かして流刃を気遣ってくれた。困ったように笑う彼女に、いや、いいと答えてから
「自分も勿論払う。二人で好きなものを食べたらいい」
と告げるとアンチェインは「そ、そう。それならいいけど」とほっと胸をなでおろしていた。


流刃は魔法少女であると同時に傭兵だ。依頼に応じてトラブル(大抵は荒事だが)を処理する。流刃は自らを一振りの刃であると定義していた。
刃は独りでに動くものではない、誰かに振るわれるものだ。振るわれるためには、ナマクラではいけない。常に研ぎ澄まし、切れ味を保たなければならない。
錆びた刀で何かを斬ろうと思い至る者はいないだろう。鋭い刃でなければ、振るわれる価値はない。流刃は鋭い刃であるために鍛錬を欠かしたことはない。
魔法少女の恵まれた身体能力に胡坐をかかず、心身共に、己を苛め抜いてきた。技を磨き、心を鍛え、戦術のための思考を巡らせてきた。
流刃は考えるのが苦手だ。頭が悪いわけではないと自分でも思う。事実、戦術を練るのは好きだった。
生死の狭間で直感と経験則を総動員し、組み立てた戦術を状況に応じ解体し、再び組み上げ、その作業を何度も繰り返しながら勝利への道筋を探る
詰め将棋のような思考の遊戯は流刃も得意とするところだ。だが、こと考える対象が善悪だの正邪だの政治だの組織だの得体の知れないものへと及ぶと途端に思考は鈍る。
だから下手に考えるのを止めた。一振りの刃になった。考えるのは刃を振るうものに任せればいい。
そう考えながらも、出切る事なら好ましい者に振るわれたいと思っている。研ぎ澄ました刃は鏡面のように振るうものの姿を映し出すという。
かつて流刃に戦い方を教えた人が言っていた。剣とは心を映す鏡だと。邪なものに振るわれれば、いかな名刀、神刀であろうと邪剣になる。
逆に正しきものが振るえば、妖刀の類であろうと正しい輝きを放つようになる。
ならば、流刃もできる事であれば、正しきものに振るわれる刃でありたいと考えるのは、道具にあるまじき傲慢だろうか。
隣で手を合わせ、ごめん、と謝っているアンチェインに視線を向ける。彼女は少なくとも邪なものではない。流刃にとっては好ましい存在だ。
度々自身で性格が悪い等と口にしているが、流刃はそうは思わなかった。そういえば、まだ出会って間もない頃、彼女の魔法で思考を共有することがあった。
その際、彼女の苛立ちや愚痴まで流れ込んできて、それを自覚した彼女は流刃に言った。「幻滅したでしょ」と。流刃は、なぜ?と訊いた。
確かに当時の彼女はいつも物腰柔らかで丁寧で、普段の態度とテレパシーで流れ込んできた思考との間にギャップを感じないでもなかったが
そもそも人間であれば、大なり小なり建前と本音を使い分けているものだ。誰だって物事がうまくいかなければ苛立つし、その原因が他者にあるのであれば
罵倒の一つや二つしたくもなるだろう。流刃は長話は嫌いだが、一方的に聞かされる類の愚痴は別段嫌いではなかった。それにアンチェインの声は綺麗だった。
鈴の転がすような、と表現すべき美しい音色だった。だから「こいつ性格悪いと思ったでしょ」と続ける彼女に「別に。嫌いじゃない」と答えた。
「………その性格直した方がいいと思わないの?」と更に訊く彼女に、少し考えてから「直したいのならば直せばいい。自分は別に気にしない」と告げた。
他者からどう思われようと自分の在り方というものはそう変えられない。流刃だってそうだ。もっと口が上手くなれだの、愛想をよくしろだの言われても
確かに努力はしているつもりだが、直せないものはしかたない。自分で修正しようという気があるのならば、それは尊ばれるべきだが
他者から強要されたのならば、無理に改める必要はないと思った。魔法少女とは強烈な個性の集まりだから別にいいだろうとも。
彼女は「………そう」と呟いて、その話は終わった。
そういえば、それ以来だったか。彼女と組んで仕事をすることが多くなったのは。この街の魔法少女とも知り合った。ウルフファング、リリステリア、クチュリエール。
皆、好ましい人物だ。彼女らに振るわれるのであれば、流刃は正しい刃でいられるだろう。





そんなことを考えていたからか、背後の道路から迫る大型ワゴンの存在に気付くのが遅れた。けたたましい音を立て急ブレーキをかけたその車は
流刃とアンチェインの隣に急停止し、勢いよく空いたスライドドアの向こうから、道路側にいたアンチェインへ向けて無数の手が伸びてきた。
流刃は彼女の襟首を掴み、ぐっと引っ張って抱き寄せた。無数の手は空を切ったが、次の瞬間、ワゴンから明らかにカタギではない男達が数人降りてきて
流刃とアンチェインを取り囲んだ。
「けほっ……っ。……なにこいつら?あなたの知り合い?」
「……いや、見覚えはない」
男達は特殊警棒やスタンガンで武装し、(ふむ、銃器の類はないようだな)一様に流刃とアンチェインを値踏みするような目でなめつけており、にたにたと薄笑いを浮かべていた。
見覚えはないが、仕事上度々遭遇する人種、所謂、暴力を前提に欲望を満たそうとするチンピラだった。以前片付けた仕事で取り逃した残党だろうか。
「えーっとなんだっけなあ……あ、そうそうウルフファングちゃんだ。なんだこりゃ芸名かなんかか。まあいいや、お前らウルフファングちゃんの知り合いなんだろ?」
リーダー格らしき、蛇の刺青が彫られた腕に特殊警棒を持った男が、携帯端末の画面と流刃達の顔を見比べて告げた。流刃は得心し、アンチェインは大げさにため息を付いた。
「なるほど、彼女の知り合いか」
「……あの馬鹿。食い逃げだけじゃなくて、こんな連中まで私達に押し付けるつもり………」
「なんかウルフファングちゃんがさあ、俺らの大事な商売道具パクちゃったそうなのよ。お前らさあ、こんなでっかいルビー…ああ、宝石ね。知らない?知ってるよね。
今からさあ、知っていること訊きたいんだよ。その車の中でじっくりとね」
男は親指で急停止してライトがついたままの大型ワゴンを指差した。有無を言わさない態度だ。アンチェインが額を手で覆い「ほんっとありえないわ……」と履き捨てた。
流刃も頷いた。交渉の余地はなさそうだ。男達は変わらず下品な笑みを浮かべたまま包囲網を狭めてくる。男の一人の手がアンチェインの肩に触れる前に
流刃はその男の手首を捻り上げ、持っていたスタンガンを奪い取ると。何の躊躇もなく男の腹部に押し当てた。
「……いぎゃひっ……!?」
何とも形容しがたい悲鳴を上げて男は仰向けに倒れた。スタンガンを押し当てた衣服の腹部付近にはコゲ目がついている。違法改造して出力を上げたスタンガンか。
当てた場所が悪ければ最悪死に至る可能性もあるだろう。物騒な、と思いながらスタンガンをスイッチを強く押し込み上空に放る。
特殊警棒で殴りかかって来た男の腕を片手で取り、もう片方の手を男の右膝内側に潜り込ませ、男の重心を崩しつつ引き寄せ、肩に乗せるようにして一回転させ放り投げた。
柔道でいうところの肩車である。受身も取れず地面に叩きつけられた男の腹部に先ほど放り投げたスタンガンが着地し感電。さっきの男と似たような悲鳴を上げて沈黙した。
スタンバトンを振りかざす男をデコピンで弾き飛ばし、(バク宙させられた男は後方の自販機に当たって気絶した)
逃げるべきか向かうべきか迷っていたナイフ持ちの男を手刀で落とした。リーダー格は残しておくとして、あと一人か。
「おぐ………っ!?」
訂正、終わった。最後の一人はアンチェインの限りなく手加減されたであろうヤクザキックによって自販機まで吹き飛び、
同様に自販機まで飛ばされたスタンバトンの男とぶつかって止まり折り重なるように倒れた。
アンチェインは戦う魔法少女ではないが、戦えないわけではない。ましてや相手は魔法少女ではなくただの人間。武装も大したことがない。
違法改造したスタンガン程度仮に首筋に当てられても、魔法少女にとっては針で刺された程度の痛みも感じないだろう。千人、いや万人いても敵ではない。
腰を抜かしているリーダー格の男は誰かから指示されていたようだが、魔法少女の身体能力までは知らされていなかったようだ。
警棒が足元まで転がってきていた。丁度良いと思い拾い上げる。
運転手を残していたのか、武装組が全滅したと見るや慌てて大型ワゴンは走り去っていった。リーダー格の男は腰をぬかしたまま後ずさりつつ
自分を追いて逃げていった仲間に罵声を浴びせた。
「さっきウルフファングと言ったが、その名前、誰から聞いた?」
警棒を一回転させながら問うた。男はなさけない悲鳴を上げた。
「し、知らねえ……がっ………!」
また悲鳴を上げた。先の悲鳴は恐怖からだが、今のは痛みからだ。見れば、アンチェインが男の足を踏みつけていた。
「知らないわけないでしょ。めんどくさ……10秒以内に喋らないと殺すわよ。10…9…8…7…」
「あ、姐さんからメールで聞いたんだ!俺も詳しいことは知らねえ。取引のブツを横取りされたとかで取り返して来いって師指示がメールで来たんだ!」
言いながら男は震える手で携帯端末の画面を流刃達に向けた。なるほど、差出人不明のメールに簡素な文章で指示が書いてある。
「姐さんとは?」
「そ、それも詳しいことは……兄貴からは組のえらい客人だから必ず指示は聞くようにって言われて。一度見たことはあるが、ガキみてえな小さい女だった。
サングラスと帽子にコートでどんな奴なのかは分からなかったが……ほ、他には何も知らねえ。助けてくれよ、なあ!」
流刃もアンチェインも元より殺すつもりはない。男のいう助けるがどういう意味合いかにもよるが、少なくとも命は奪わない。気絶させて後は警察に任せよう。
そう思い、男に一歩近づいた瞬間、上空から突き刺さるような鋭い殺気を感じた。流刃の直感が全力で警鐘を鳴らしていた。この場から離れろ、と。

「……………下がって!」
突然の流刃の行動に困惑するアンチェインの腕をぐいっと引き寄せ、その場から退避する。直後、尻餅をついた男のいた場所に遙か高所から何かが落下し、
カエルのように潰された男は赤い飛沫へと変わった。
「………ッ!?」
アスファルトが砕け、砂塵が巻き上がり、砕かれたアスファルトの破片が礫となって周囲に弾けた。砂塵の中に人影がある。
男達の誰かではない、もっと小柄な――――子供か?
「失礼。降りる場所を少々間違えた。クッションにもならぬとは……情けない。それでも日本男児かね?
痩せても枯れても武士は武士というが、婦女子に狼藉を働くような連中は武士ではないな。小生、卑劣漢は政治家の次に嫌いである」
砂煙が徐々に晴れると同時に、高くよく通る声の主も姿を現した。軍服の少女だ。所々意匠は異なるが、アンチェインの着ている軍服とよく似ている。
歳は十代前半くらいだろうか。小柄な体格とあどけない見た目に似合わない尋常ならざる威圧感がある。狂気じみた赤い瞳が夜の薄闇の中に煌々と輝いていた。
地面が陥没し、人が圧死する程の高さから降下したであろうに、傷一つない。間違いない―――
「…………魔法少女か」
「如何にも。号は日魔人。名はまほ子という」
まほ子と名乗る魔法少女が外套を翻した瞬間、周囲に倒れ伏したままだった男達がやおら意識を取り戻し絶叫した。目の前の魔法少女から視線を外さず
視界の端で火の手が上がったのだけ確認する。アンチェインが後ずさりながら「ちょっと……嘘でしょ」と呟いた。男達が燃えていた。
ごうごうと燃え上がる男達に視界の端で捉えながらも、意識と視線はまほ子に集中する。事も無げに複数人を殺害した事実だけではなく、流刃の直感も告げていた。
この魔法少女は、危険だ。
「小生、契約を守らぬ連中は卑劣漢の次に嫌いである。例え、毒虫からの依頼であったとしても、それはそれ、一度受けた以上契約は果たすべきだ」
退路は、あるか。夜間で人通りの少ない道とはいえ、これだけの騒ぎが起きれば人も集まってくる。火の手も上がっている。誰かが消防に通報していてもおかしくない。
「便利なものがあってね。簡易結界という。持続時間はおおよそ20分程らしいが、一度結界を張ると結界内の出来事は結界外に伝わらず、また中の者も出ることは出来ない。
外から入ることは可能らしいがね。先ほどこの周囲に張らせて貰った。試してみてもいいが、結果が分かりきっていることに労力を割くのは賢明ではないと思うね」
流刃の考えを読んだのか、まほ子が口の端を吊り上げて笑った。なるほど、道理で、騒ぎが起きていてもおかしくないのに、人の声がまったく聞こえないはずだ。
どうやら戦いは避けられそうにない。特殊警棒を握り直す。
「……私も!」
戦うつもりで横に並ぼうとするアンチェインを腕で制した。彼女を一瞥し、頷く。敵は恐らく手練れだ。男達を燃やした正体不明の魔法もある。
戦う魔法少女ではないにしても、アンチェインは決して弱い魔法少女ではないが、彼女と密に連携して戦う機会は一度もなく、
(脅威となるような敵はおらず、その必要もなかった)即席の連携で戦うより、彼女には魔法でサポートして貰い、流刃一人で戦う方が勝算は高い、という合理的判断と
彼女に危険な目に合って欲しくないという感情的な判断が混ざり合った結果、下がって欲しいと目で伝えた。
伝わったようで彼女は頷き、何歩か下がった。脳内にテレパシーで「分かったわ。でもどっちにしろ危険な目にあうのだから、私だけ逃がそうとかそういうのはなし」
という声が響いた。了解した。ならば―――
「名を聞こう。知識としてはあるが、貴殿の口から聞きたい」
「………流刃」
「承った。では、魔法少女、流刃よ。貴殿の真価、確かめさせてもらおう!」
――――戦って、勝つ。






★リリステリア


リリステリア――藤咲百合は息を切らして逃げていた。


ファミレスを出た時にはすっかり日が暮れていた。ずいぶんと長い間話し込んでしまっていたようだ。
幸か不幸かウルフファングは直ぐに見つかった。彼女の根城である廃病院への道の途中、人通りの少ない工場街傍の狭い道路、その歩道で赤ずきんは立っていた。
周囲を狼に囲まれて。
狼たちは普段百合とは一切接点のない人種、暴力の匂いを色濃く漂わせる獰猛な男たちだった。冬場であるにも関わらず、まくられた袖から見える腕にはタトゥーや入れ墨が
彼らの凶暴性を象徴しているかのようだった。百合は焦って走った。ウルフファングの窮地だと思った。

つい一か月ほど前に出会ったばかりの魔法少女、ウルフファング。月光のような銀髪に、切れ長の赤い瞳。まるで陶器の人形であるかのような端正な顔立ち。獣の耳と尻尾を生やした赤ずきん。
ウルフファングに初めて会った時、百合は彼女に目を奪われた。美しさ、にではない。魔法少女は皆一様に美しい。百合が変身するリリステリアですら、まさに女神の如き美しさだ。
可憐な男装の騎士クチュリエール。妖艶さとあどけなさが共存したライダースーツの魔法少女流刃。軍服に身を包んだどこか高貴な雰囲気を漂わせる怜悧な美少女アンチェイン。
百合の知る魔法少女は皆美しかった。少女性を存分に発揮しながらも、魔法少女特有の神秘的なヴェールに包まれた美しさだった。ウルフファングも例外ではない。
だけど、百合が目を奪われたのは別の理由だ。彼女は似ていた。あの子に。百合が中学校時代、勇気を振り絞って告白し、そして玉砕したかつての友達であり想い人に。
百合がウルフファングに何かとちょっかいをかけるようになった切っ掛けはそれだった。かつての想い人の面影があったから。そして(半ば強引にだが)ウルフファングと友達として交流する中
気づいたことがある。百合だからこそ気づけたことだ。
――――彼女は私と同じだ。
何の根拠もない。だが確信はあった。根拠を問われれば、百合乙女のカンと答えざるを得ないだろう。彼女――ウルフファングは女性を恋愛対象にしている。間違いない。
彼女にはエネユリーがある。リリックゲインを発している。その事実に気づいた時、百合は今度こそ、そうだ、今度こそ逃げないと決めた。
その日から以前にも増してウルフファングに干渉した。彼女を待ち伏せ、自分の気持ちに素直になるよう説き伏せたり、クチュリエールと一緒になりウルフファングに百合乙女力を高める衣装を着せたり
彼女の根城を突き止め、その廃病院に乗り込んで百合バイブルを無理やり渡したり、朝のどっきり百合をしかけたり、あの手この手でウルフファングを百合開眼させようとしてきた。
それもすべて、彼女に後悔して欲しくなかったからだ。かつての百合のように。
かつて百合は後悔した。いや、今も後悔し続けている。自分の気持ちを友達に告白したことを、ではない。いや、心の表層ではそれも後悔だと認識していた。女性が女性を好きになるのは異常だと
この感情は不自然で、おぞましいものだと。だが、気づいていた。そうじゃない、と。魔法少女になって、自覚した。百合はこの感情――女性に対する恋愛感情を捨て去ることは出来ない、と。
百合が本当に後悔したのは、女性を好きになったことじゃない。好きになった女性に一度拒絶されたからといって、想いを封じ込め、大切な友達を、好きになったあの子を放ってしまったこと。
逃げる彼女を追いかけず、いや、逃げていたのは百合の方だ。………逃げてしまったことだ。
それが百合の一番の後悔。それが私の何よりの失敗。
だからだ。余計なおせっかいだとは思う。正直迷惑がられているとも思う。さっきはクチュリエールさんに励まして貰ったけど、ひょっとすると嫌われているかもしれないとすら思う。
でも、それでも、ウルフファングさんには自分の気持ちに正直になって欲しかった。女の子を好きになることが間違いだとか、おかしいだとか思ってほしくなかった。
あの子によく似ている、あの人には。大切な友達によく似ている、大切な友達には。



拍子抜けなほどあっさり狼藉者達はウルフファングに叩きのめされた。冷静に考えれば当然だ。いくら凶暴そうで(実際に凶暴だった)悪漢達でも、相手は人間、魔法少女に勝てるはずがない。
争い事が苦手で、魔法少女にしてはひ弱な百合ですら、彼らの言動に怯えることはあっても、彼らに打ち負かされることはないだろう。それくらい魔法少女と普通の人間との間には差があった。
(ここはわたくしが百合暴力技で颯爽と悪者をやっつける場面でしたのに……)
若干残念ではあったが、ほっとした。どうやら面識があったらしい暴漢共のリーダー格の男(倒される前から既に満身創痍だった。ウルフファングに向かってお前に折られた肋骨が云々と怒鳴って
いたところを見ると、既に一度叩きのめされていららしい)をウルフファングが尋問している途中にそれは起こった。
最初はクチュリーエルが合流したのだと思った。紳士服にシルクハットという出で立ちが彼女の格好と似ていたからだ。だが、直ぐに別人だと分かった。
クチュリエールは穏やかな微笑みこそ見せてくれるが、あんな獰猛な笑みを浮かべたりしない。そこから先は、出来れば思い出したくなかった。
ソード・オブ・ケイシーと名乗った魔法少女は「舞台を整えるか」と呟くと、地面に倒れ伏してうめき声を上げていた男の足を掴んで身体を持ち上げると、コンクリートの塀に叩きつけた。
百合は小学生の頃、同じクラスの男子生徒が道端にいたカエルを捕まえて、ふざけて壁に投げつけたことがあったのを思い出した。二度と思い出したくない光景だ。
塀に叩きつけられた男はあの日のカエルと同じだった。その後は……赤い色と男たちの悲鳴だけは覚えている。百合は口を覆って震えていた。吐き気が込み上げてきていた。
誰かに凄い剣幕で「ばか!早く逃げなさい!」と肩を押されるまで震えて立ち尽くしていた。今は、息も切れ切れに走っている。何故?逃げているから。
(………待ちなさい!)
我に返った。どうして自分は逃げていたんだ。それは、彼女が――ウルフファングが逃げろと言ったから。
(おばか!わたくしは馬鹿ですか!)
逃げろと言われて素直に友達を置いて逃げる馬鹿がどこにいるのだ。残念なことに、ここにいた。恐怖と困惑で思考が止まっていた。言われるままに無様に逃げ出していた。
(ええ、ええ、ほんとにもう馬鹿です。なにをやっているんですリリステリア、あなたは愛の女神でしょう!)
もう逃げないと誓ったばかりだっただろう。特に大切な友達からは。震える足を叩き、夢遊病者のようであった頭をしゃんとさせるため、パンと頬も叩いた。Oh……ちょっと強くたたきすぎて痛い。たぶん腫れてる。
だが、目は覚めた。足の震えも止まった。場所は覚えている。直ぐに走って戻ればまだ間に合う。
「待っていて下さいウルフファングさん!全世界のキテる…を守るため、リリステリアが今行きますよ!」

魔法少女リリステリアはうおおおおおお!と雄たけびを上げて踵を返し、全力で来た道を引き返していった。





















★ウルフファング



血臭が漂っている。先ほどまでウルフファングが特大のルビーを持っていると思い込んで、取り囲み暴力によって奪い返そうとしていた男たちは道路の奇怪なオブジェへと変わっていた。
ルビーの行方は知らない。むしろ自分が教えて欲しいくらいだった。
そして今は、彼らを物言わぬ死骸へと変えた魔法少女――ソード・オブ・ケイシーと対峙している。
(リリステリアさん、ちゃんと逃げたでしょうか……)
自分を追いかけてきたらしい彼女も一喝して逃がした。素直に逃げてくれたことには安堵した。目の前の、殺人をなんとも思わない獰猛な魔法少女の相手は彼女では荷が重いだろう。
悲鳴と怒号と破裂音が響き渡ったにも関わらず、人っ子一人通りかからない。いくら夜中で、もともと人通りの少ない工場街だとしても異常だ。恐らくソード・オブ・ケイシーが何か仕掛けたのだろう。
あるいはそれが彼女の魔法かもしれない。ともかく、勿論戦術的撤退も選択肢に入れてはいるが、逃げることは困難な状況だろう。
ひょっとするとリリステリアは良いタイミングで逃げてくれたのかもしれない。
と、なれば―――

ソード・オブ・ケイシーが背中に背負った二対の大剣をゆったりとした動作で両手に構え直した。
長身の彼女の身の丈と変わらない長大な両刃剣だ。目にするだけで重量が伝わってくる。筋骨隆々な偉丈夫であっても持ち上げることすら難しいだろう。
常識に当てはめれば、長身とはいえ華奢な少女が振り回せる類の得物ではない。ただし、彼女は魔法少女だ。物理法則も科学文明すら超越した超常の存在。
「さあ!戦おう!競い合おう!確かめ合おうではないか!我が双剣を乗り越え、この身にその爪を、牙を、刻むがいい!」
喜色を満面に浮かべたソード・オブ・ケイシーは跳躍し、落下エネルギーに双剣の重量を乗せて自由落下した。
先ほどまでウルフファングが立っていた場所には巨大なクレーターが出来ている。
バックステップで身をかわしながら、飛び散るアスファルトの破片のうち、顔に向かってきたものを払い落とし、思考を巡らす。
すぐさま体勢を立て直した彼女が双剣を力任せに振り回し、飛び散る破片を切り裂きながら、意志ある暴風となって向かってきた。
後退しながら、身を屈め避ける。鼻先を大剣の横振りが巻き起こした太刀風が撫でた。彼女の魔法は未だ判然としないが、刃長から大よその間合いは掴めた。
無論、刀身が変化するかもしれない魔法の武具であることも考慮に入れなければならないが、それならば既に初撃で変化させているだろう。
少なくとも、武器の巨大化――間合いの変化はないものと思っていい。可能性は無数に存在する。しかしある程度割り切らねば、逆に迷いとなり、死地において迷いは死に繋がる。
「どうしたのだね!逃げてばかりでは勝負にならないではないか!」
挑発には微笑で答えた。セオリーならば剣士相手に白兵戦を挑む道理はない。ケープの中に仕込んだ武器を再度確認する。
ベレッタ90two。弾丸は9x19mmパラベラム弾。マガジンには17発装填。スペアマガジンは2本。合わせて51発。選択肢から除外。対人想定の武器であり、対魔法少女戦においては威嚇にもならないだろう。
ホークスヘリオン――コンバットナイフ。ブレード長約220mm。刃圧5.5mm。頑丈で刃こぼれしにくく、数回ならば太刀打ちも可能。焼きを入れなおし強度と殺傷力を上げているが、同様に対人想定の武装。除外。
M84スタングレネード。轟音と閃光を撒き散らし対象の視覚·聴覚·平衡感覚を一時的に制限する。場合によっては採用。魔法少女相手でも有効であると判断する。
しかし、ピンを引き、投げ、退避するという三動作を現状敵が許してくれるとは思わない。となれば――
(一番頼りになる武器は自分自身ということですね)
死中に活を求めるしかない。後退していた足を急制動。左足を軸として身を屈めて腰を旋回しつつ、右手の大剣を横振り終えたソード・オブ・ケイシーの胸元に潜り込む。
彼女が左手の大剣をウルフファングの無防備な頭蓋に振り下ろそうとする直前、彼女の左手手首をとり、しなやかな下半身の屈伸を利用し、顎に向かって頭突きを放った。
―――楊式太極拳、採腕側頭撃。
(まだだ!)
魔法発動。身体能力一段階増強。脚力、腕力強化。左手に勁を練る。内家の拳、とりわけ太極拳は身体を巡り巡るエネルギー、内功を自在に扱うことを目的としている。
鍛えられたしなやかな筋肉はぶつけるのではなく、勁を通すためのもの。緩やかな推手は敵の力を受け流し、自らの力を通すためのもの。
太極拳の套路は円圏――動作の一つ一つが円として完成し、それぞれの圏は起・承・転・合を過程とする。即ち、起り、承にて続き、転にて展開し、合をもって締める。
着着貫串、連綿不断。円圏は途切れることなく、害意を受け流し、我意を通す。さながら岩肌を削る流水の如し。
仰け反りながらも、決して剣を離そうとしないソード・オブ・ケイシーの左腕を、右手で引き、迫る彼女の脇に、勁を練った左手で掌底打ちを放つ。
―――楊式太極拳、閃通背。
吹き飛ばんとする彼女の腕を今度は腕力が強化された左手で掴み、引き留める。更に力を込め、彼女の身体を引きよせつつ、
下半身の屈伸と、腰の捻り、円の動きから、左腕の下方より右の拳を突き出し、彼女の胸を打った。
―――楊式太極拳、掩手肱捶。
踏み込みの勢いで地面は陥没し、拳の衝撃がソード・オブ・ケイシーの背中を伝播し、周囲の生垣を揺らす。
血反吐を吐き今度こそソード・オブ・ケイシーは吹き飛んだ。後方の電柱に衝突し、柱がひしゃげ、電線で羽を休めていた烏と思わしき鳥が一斉に飛び立った。
黒い羽が舞う中、深く呼吸をし、残心を解く。
手ごたえはあった。ただでさえ鉄を砕き、空を抉る魔法少女の膂力を、更に一段階強化する魔法で持って打った。同様に強度の上がった魔法少女の肉体であっても耐えられる道理はない。
実際に、骨を砕いた感触はあった。内臓も損傷しているだろう。絶命までは至らずとも、いかに手練れであろうと、回復には時間を要するはず。電柱を背に項垂れたソード・オブ・ケイシーを一瞥してから背を向ける。
強かった。結果的には完勝だったが、内実は紙一重だったといってもいい。まさか懐に飛び込んでくるとは思っていなかったであろうソード・オブ・ケイシーの虚をつけたからこそ得られた成果だった。
手の内を知られた以上、もし今後再戦する機会があれば、より苦戦を強いられるだろう。もっとも、再戦の機会はないだろうが。戦闘の間に頭部から垂れ落ちていた頭巾をかぶり直し、胸元に仕舞っていた名刺を取り出す。
裏向けて、記載された電話番号に目を通す。
後はあの監査部門とやらの魔法少女に任せておけばいいだろう。魔法の端末を手に取り、番号を入力しようとした瞬間、背後に気配を感じた。






「―――――――ッ!!!」
振り向くより先に右に飛び退く。風切り音を伴って飛来した大剣が真横を通り過ぎた。転身しつつ、身をかがめて、投擲された二本目の大剣を避ける。
二刀目の切っ先が、ウルフファングの背後に無断駐車してあったフェラーリと思わしき車のボンネットに突き刺さり、摩擦熱でエンジンオイルが点火したのか、炎上し小規模な爆発が起きた。
爆風で前方に吹き飛ばされ、前屈姿勢になり、両掌で地面を叩き身体を起こそうとした途中、ウルフファングの眼前に白手袋をはめた拳が突き出てきた。スウェーで躱し、右足で蹴りを放つ。足首を掴まれた。まずい――
「………………つぅ!?」
右足を掴んだ片手一本で身体を持ち上げられ、地面に叩きつけられた。接地の瞬間、辛うじて首を持ち上げたため、後頭部へのダメージは避けられたが、受け身が取れず背中から全身に落下の衝撃が直に伝わった。
四肢がもがれたかと錯覚するような痛みに思わず苦悶の声が漏れた。呼吸が荒い。吐息に血が混じっている。霞む視界の向こうでソード・オブ・ケイシーが車のボンネットに突き立った剣を抜くのが見えた。
思考がまとまらないが、少なからず積んできた戦闘経験が、修練の末身に着けた危機察知能力が、全身に、動かねば死ぬ動け、と指令を出していた。――動け。
身体を捻り転がる。直ぐ傍に刀身が落ちた。衝撃で身体が浮く。――動け。首はね起きの要領で立ち上がる。右ストレートを左手で捌き、右手で、敵の大剣持つ左手首を掴み、引き寄せ、
鞭のように撓らせた左手首のスナップを持って顔面を打つ。単鞭。敵は一瞬のけ反ったが、すぐさま首を持ち上げ復帰した。
骨を砕いたと思った。内臓を損傷したに違いないと。事実、彼女は口角から鮮血を垂らしている。折れた骨が刺さったのか、青いスーツの胸元から覗く黒いシャツには、朱色が混じっていた。
にも関わらず、彼女は猛っていた。歓喜を叫び、血に濡れた口角を吊り上げて嗤っている。痛みを感じていないのか、脳内の快感物質が痛みを上回っているのか。
―――怪物め。
ソード・オブ・ケイシーが放った大剣の横振りを身をかがめて避けながら、再度懐に飛び込もうと身を捻る途中、大剣を、振り切る前に手放していたソード・オブ・ケイシーの掌に肩を止められた。
しまった、と思う間もなく痛烈な頭突きを額に浴びせられた。意趣返しのつもりか。痛みと衝撃から一瞬目を閉じてしまった。血の匂いがする。額が割られたか。たたらを踏んで踏みとどまる。白い手が迫る。避けられない。
「くっ………あ……!」
首を掴まれた。足が地を離れる。身体が宙に浮く。咄嗟に手を、首と相手の手の間に差し込んだため、直に掴まれることは避けられたが、尋常の腕力と握力ではない。
身体強化を施したウルフファングの力でさえ振り払うことが出来ず、ウルフファングの手の上から首に、敵の強靭な指が食い込んでいく。おかしい、どう考えても異常だ。
如何に修練を積んだ戦う魔法少女であっても純粋な膂力で、魔法を使ったウルフファングに対抗し、あまつさえ嵩に回ることなど出来ようはずがない。
魔法で身体能力と肉体強度を平均的な魔法少女よりも一段階強化するウルフファングの魔法を力で上回るなんて………上回る。強化。待て。まさか。
「見事な一撃、否、連撃だった。なるほど、あれが武術……拳法というものか。実に楽しませて貰った。そして、この威力……君も肉体を強化する類の魔法か。
なんとも奇遇だ!素晴らしい!運命のめぐり合わせに感謝しようではないか!」
やはり、そうか。ソード・オブ・ケイシーの魔法も身体能力の強化、いや、純粋な筋力の強化か。更に指が食い込む。
「かっ……ぐっ…………ふっぅ………」
喘ぎ声が漏れた。息が苦しい。呼吸をしたいのに出来ない。ふと、おぞましい暗闇の向こうに消えたはずのものが想起された。
まだウルフファングが魔法少女ではなかった頃、赤頭巾ではなく、可憐な少女ではなく、ただの餓狼であった頃、螺殿勇悟であった頃、こんな風に女性が首を絞められていたことがあった。
彼女は獣に襲われた哀れな被害者で、男は獰猛な獣であり加害者だった。
少女ではなく、少女でこそなかったが、うら若い商売女だった。勇悟が所属していた暴力団傘下の店の女だった。
常に優しげに微笑んでいるようなぼんやりとした薄目でいる女だった。まるで現実を見たくないかのように。その姿が勇悟の加虐心を刺激した。事に及ぶ際、毎度首を絞めてやった。
そんなに目を瞑っていたのであれば、無理にでも開かせてやろうと思った。薄目のまま、必死に手足をばたつかせて抵抗する様はおかしかったが、維持でも見開くことはしなかった。
事が終わると、怯えて布団を被り縮こまって泣いていたのを覚えている。勇悟がまた来ると告げると、小さく悲鳴を上げて身体を抱くようにして震えていた。その姿もおかしくて笑った。
哀れな彼女を見世物として喜ぶ感性があの男にはあった。そういえば、あの女性、誰かに似ている。誰だったか。勇悟の知り合いではない、つい最近、ウルフファングとして知り合った少女に似ていた。
――因果応報か。
「だが、非常に残念だ。楽しい時間というものは矢のように早く過ぎ去る。瞬き程の短い間だったが、とても有意義な時間だった。感謝しよう、ウルフファング君」
途切れそうな意識を必死に繋ぎとめ、笑う彼女をねめつけ、ウルフファングは怖気づいた。心底愉快であるかのように呵呵大笑するソード・オブ・ケイシーの目はしかし、何の感情の光も宿していなかった。
どこまでも深く、どこまでも空虚だ。まるで深淵に繋がっているかのようだった。なんだ、こいつは。こんな奴に。恐怖は怒りへと変わった。そうだ、まだ終わっていない。
リリステリアは逃げられただろうか。自分を殺した後、ソード・オブ・ケイシーが彼女を狙わない保証はない。ならば、自分がすべきことは一つだ。ソード・オブ・ケイシーを倒せないにしても
せめて一時、行動不能にする程度の損傷を与えなくては。そこまで考えて自嘲した。まさか利己主義者の自分が他者のための捨石になろうとは。
リリステリアが記憶の底から蘇った女性に似ていたからか。それだけではないと思う。罪滅ぼしをするにしても遅過ぎる。どうやら私は、少しは、魔法少女らしくなれただろうか。
「良い目だな。死の淵にあっても、絶望をせず活路を探す目だ。追い詰められたとき、恐怖でも絶望でも怒りでもなく、そういう目を私に向けてくる魔法少女は例外なく強かった。
彼女らと同じように、君の名も、私の記憶に永遠に刻んでおくことを約束しよう。さらばだ、強き魔法少女よ」
ソード・オブ・ケイシーがウルフファングの首を握りつぶさんと力を込めた瞬間、振り子の原理で重心を移動させ足刀を放った。
「………惜しいな」
足首を掴んで止められた。予想通りだ。だが、ここから先は予測出来たか。
「……っ…はぁ!」
魔法発動。強化第二段階、部分獣化。足先を狼のそれへと変化させる。狼の足は強靭でしなやかだが、人の足首より一回り細い。
掴んだものが縮小したため、ソード・オブ・ケイシーの手による拘束が緩む。再度振り子の原理で勢いを付け、もう一度、今度は顎を狙い、打ち放った。
――どうだ。
敵は仰け反ったが、首を掴んだ手は離れない。首を鳴らしながら持ち上げ体勢を立て直したソード・オブ・ケイシーは変わらず嗤っていた。
…………駄目、か。


















「ゴッドパニッシュメンッ!!」







馴染み深い声と共に光輪が首を竦めたソード・オブ・ケイシーの頭上の空を切った。一瞬ではあるが、指の力が緩んだ。今なら―――
「こ………のぉ!」
魔法発動。部分獣化。敵の手と自分の首の間に差し込んで緩衝材の役割を果たしていた右手を狼のものへと変化させ、引き抜きつつ、上半身を捻り、
ソード・オブ・ケイシーの顎に掌底打ちを放った。度重なる顎への衝撃は、今度こそ敵の脳を揺らし、首から手が離れた。
地に足が着くと同時に歩法――碾歩からの
―――楊式太極拳、楼膝拗歩。
体勢を立て直し、踏み出さんとするソード・オブ・ケイシーの膝を払って重心を崩しつつ、勁を練った右の拳で胸を打ち据える。
身体をくの字に折り曲げたソード・オブ・ケイシーが衝撃波と共に吹き飛んだ。
「……かっ……はぁ………」
乱れていた呼吸を整える。深く、長く息を吸った。空気が美味しい。手の背で口元の涎をぬぐう。赤いものも混じっていた。
………危なかった。死ぬところだった。いや、実際に死を覚悟した。光輪を振るった何者かに敵の意識が向かなければ、
あのまま絞め殺され、いや、首を握りつぶされていた。何者か、ではない、あの声には聞き覚えがある。あの光の輪も、嫌と言うほど目にしたことがある。
取れたのか、あれ。ではなく―――
「……なにをしているんですか!リリステリアさん!」
場違いにも程がある朗らかに微笑を浮かべ、興奮しているのか腕をぶんぶん振り上げながら「やりましたね!百合成敗!」等と口にし、ぱたぱたと駆け寄ってきたリリステリアに一喝した。
この……ッ馬鹿!何故戻ってきたのだ。
ウルフファングの剣幕に圧されたのか、リリステリアは一瞬身を竦ませたが、直ぐに胸を張り
「何故も何も大切な友人の危機を、一人逃げて放っておくなんて百合乙女にあるまじき愚行だからです!わたくしは魔法少女、愛の女神リリステリア!
愛の花が摘み取られようとしているのを見過ごすことは出来ません!」
大見得を切ったはいいが、よく見れば足ががくがくと震えている。肩も小さく震わせていた。当然だろう。戦えない彼女が殺すか殺されるかの死地に飛び込んできたのだ。
恐ろしくて当然だ。なのに、何故戻ってきたんだ。
「貴方の助けなんて私には必要ないのです!戦えない足手まといが一人増えただけじゃないですか!」
「なんですって!?この馬鹿!お馬鹿ウルフ!足手まといとはなんですか!リリーがどういう思いで戻ってきたと!
だいたい、さっき、わたくしに助けられなければ危なかったじゃないですか!よくもまあ命の恩人にそんな口がきけますね!」
「貴方が来なくてもなんとかしていました!」
「嘘おっしゃい!素直になれないのは百合に対してだけではないのですね!この百合ウルフ!百合変質者!」
「変質者って何ですか変質者って!貴方の方が変質者でしょこの露出狂!」
「ろしゅ……!?わ、わたくしの女神衣装を露出狂呼ばわりするなんて……!そこにお座りなさいウルフファングさん!わたくしの百合レクチャーが甘かったようです。
貴方には今から体感時間100年に及ぶ百合修練を積んで貰います!」
「一人でやってろ!」
「なんですかその口のききかたは!」
「きゃんきゃん喚くな!傷に響きます!」
「きゃんきゃんなんて喚いてないでしょ!」
お互い息を荒くして、額がくっつきそうな距離で行っていた口論は、ガラ、という瓦礫を退かす音で中断された。リリステリアを制し、庇うように前に出る。
右手の傷というより陥没か、ソード・オブ・ケイシーの指が食い込んで、穴となっていた箇所と、そこから流れ出す血に気付いたリリステリアが小さく悲鳴を上げた。
射すくめるかのような視線の先には、資材置き場に結い巡らされていたコンクリの壁に空いた、周囲に蜘蛛の巣状にひび割れを残した穴の向こうから
瓦礫を払い落としつつ、ソード・オブ・ケイシーが姿を現した。胸の血は凝固しかけており、胸元の青い薔薇と対になって赤い薔薇のようだった。
相変わらずの不死身っぷりだ。化け物め。
呼吸を整え構え直す。
「リリステリアさん、早く逃げなさい」
「……逃げません、わたくしも一緒に戦います」
――はぁ?
「まだ意地を張っているのですか!貴方じゃ何も出来ず殺されるだけです!さっさと逃げなさい!」
「意地を張っているのはウルフファングさんの方でしょう!一人じゃ無理です!」
「貴方がいたからって何が変わるものでもないです!むしろ足手まといです!」
「まあ!ウルフファングさん貴女と言う人はどこまでも素直になれない人ですね!」
とつい口論を再開してしまっていたら、ふぅ、とソード・オブ・ケイシーがため息を付いたのが感じられた。視線を向ける。彼女は地面に落ちていたシルクハットを拾い上げると被りなおした。
変わらず不敵な笑みを浮かべているが、全身に漲っていた殺気が消えていた。
「興がそがれた、というやつかな。やはり真剣勝負は一対一で行うべきだろう。それが君のような真の強者とであるなら尚喜ばしい」
言うと彼女は背を向け
「出直すとしよう。また再び、君と二人きりになれる機会を待つよ」
そう言い残して、地面に転がっていた大剣と、壁に突き立ったままだった大剣、二振りを回収すると夜の闇の向こうへ去っていった。








後姿が完全に消えるのを確認してから、ウルフファングは残心を解き、リリステリアはぺたんと力なく座り込んだ。ほら、見ろ。やっぱり恐怖でまともに立つことも難しくなっていたんじゃないか。
ウルフファングの責めるような視線に気づいたのか、リリステリアは腕を振り上げてぷんすこ怒った。
「なんですか!何か仰ったいことがあるならどうぞご自由に!そんな愚か者を見るような目で見下される所以はありませんよ!誰が愚か者ですか!このお馬鹿ウルフ!」
まだ何も言ってない。とはいえ、彼女も普段の調子が戻ってきたようだ。苦笑して、立たせてあげようと手を差し出す。
「………なんですか?」
いや、なんですか、ではなく。何を躊躇しているのだろう彼女は。ほら、と掌を向ける。リリステリアは赤くなってそっぽを向いた。なんなんだ、一体……
「とりあえず危険は去ったようですから帰りますよ。送っていきます。ほら、立たないと帰れないでしょ。私の手を掴んでください」
「ウルフファングさんの力を借りなくても、一人で立てますし帰れます!」
リリステリアは私の手を振り払って、えいっ!という掛け声と共に立ち上がろうとするが、足が生まれたての小鹿のようにがくがく震え、途中でまたへたり込んだ。
しばらく見守っていたがその後も「エネユリー全開!地球の百合乙女(みんな)わたくしに百合力を分けてください!」だの「愛のっ女神っパワー!」だの
「どっこい……いえ、いくらなんでも乙女がどっこいしょはどっこいしょ……」等と掛け声をかけて立ち上がろうとしたが、結局出来ず、最終的に顔を真っ赤にしそっぽを向いたまま手を差し出してきた。
手を握って、ぐっと立ち上がらせる。
「あ……っと!」
「きゃっ……!」
勢いあまってリリステリアが胸に飛び込んできた。腕を回して抱きとめる。彼女はしばらく何も言わず抱かれていたが、小声で「離してください……」と呟いたので、彼女の足がもう震えていないことを確認すると
両肩に手をやり、そっと離した。彼女の顔は面白いくらいに真っ赤になっており、思わず吹き出した。腹を抱えてけたけたと笑っていると、困ったような怒ったような声が聞こえた。リリステリアだ。頬を膨らませている。
「もぉお!なんて失礼な人なんでしょう!だいたい今の笑うところですか!どこかに笑いどころありました!?誰が笑い女ですが!」
まだ何も言ってない。笑いを必死に抑えながら、(笑いすぎて涙が出てきた)目尻に浮かんだ涙をぬぐって、いえ、違うんですよ、と彼女に言った。
「リリステリアさんと思えないしおらしいリアクションだったのでつい……あれでしょうか、貴方風に言うならウルリリキテる……って感じですか?」
「………そんな、わたくしは…………だって、愛の女神で……私自身がそんな………」
あれ?からかったつもりだったのだが、彼女はまた顔を真っ赤にして押し黙ってしまった。言葉尻など消え入りそうで。ウルフファングは失敗を悟った。これはよくない。この雰囲気はよくない。
何がよくないって、普段エキセントリックで頭に輪っかではなく花でも咲いているのではないかと疑っていた彼女がこうもしおらしく、控えめに俯き加減で上目遣いに私の様子を伺っているのもよくないし
そんな彼女を可愛いと思ってしまった私もよくない。だいたい、私達は女性同士で、いや、厳密に言うと女性同士ではないのだが、いや、彼女は女性同士がいいのだから、いやどっちだ。ややこしいな。
頭が混乱している。これもよくない。冷静になれ。だいたいうら若き女性をどうこうしようなど、それこそウルフファングがもっとも忌避することで。恐らく吊り橋効果というやつだ。ともに死線を超えた男女が
恐怖から解放された安堵を愛情と勘違いするあれだ。彼女は勘違いしている。そうに違いない。一日経てば冷静になるだろう。よし、決めた。帰ろう。
「帰りましょう!さあ、帰りますよリリステリアさん!」
彼女はまた小声で、はいと囁くように言った。あーもーどうしたらいい。

ドツボにはまっていく感覚に恐怖を覚えていたら、突然軽い衝撃が襲い、ふらついた。何事かと混乱していた頭を切り替え、うつむいていた顔を上げると、リリステリアが自分を突き飛ばしていた。
何を――
と疑問が鎌首をもたげる前に、パン、と乾いた音が響いた。
























































★リリステリア



咄嗟に体が動いた。運動神経の鈍い百合とは思えないほどの素早い動きだった。ウルフファングを突き飛ばしながら
ひょっとして頑張れば運動も出来るのではないかとどうでもよいことが心に浮かんだ。
何もない宙に突如として出現した手にはやたらとデコレーションされたおもちゃのような拳銃らしきものが握られていた。
銃口がウルフファングの無防備な背中に向けられている。彼女の肩越しにそれに気付いた時、既に百合の身体は動いていた。
「あ……ぐっ………!」
腹部を鋭い痛みが襲い、苦悶の声が漏れた。鋭い痛みは一瞬だったがじわりじわりと鈍い痛みが全身に広がっていく。
撃たれたのだと、思った。百合の愛読する漫画のワンシーンに、友人を庇って撃たれる青年のシーンがあったが
(所謂青年同士の友情を描いた漫画で、百合は脳内で少女に変換して読んでいた)実際に撃たれてみると、本当に痛くて辛かった。
漫画の中で撃たれた彼はその後どうなったのだったか、思い出せない。
冷たいアスファルトの地面にふらつきながら倒れた。軽い痛みが全身に響いたが、魔法少女でなければもっと痛かっただろう。頬がひんやりとした。
それ以上に手足が、全身が冷たい。誰かに仰向けにして貰い、次いで抱き寄せられた。誰だろう。霞む目を向ける。ああ、あの子だった。
中学時代、百合が告白してフラれた…のだろうか、フラれたのだろう、あの友達だった。
「しっかりして下さいリリステリアさん!意識をしっかりもって!……しっかりしろ、リリステリア!」
友達の顔の輪郭がぼやけて、よく似た顔の魔法少女の顔と重なった。ウルフファングさんだ。やっぱりよく似ている。顔立ちというか雰囲気が。
澄ましたようでけっこう感情的で、クールなようで暖かくて。ぶっきらぼうなようで世話焼きで。
「今救急車を呼びましたから……いや、私が走った方が速い!リリステリアさん、少し揺れますけど、しっかり意識をもって!いいですね!目を閉じちゃ駄目ですよ!」
彼女は悲痛な表情で百合に呼びかけた。なんのことだが分からなかったけど素直に頷こうとして、身体が動かずに代わりに咳が漏れた。口の中に血の味が広がっていく。
口の中をどこか切ったのだろうか。やだな……
気付くと夜空を駆けていた。いや、違う。ウルフファングに背負われて、屋根伝いに夜の街を駆けている。彼女の背中は獣毛に覆われていた。
風は冷たく、身体も冷え切っているのにお腹越しに伝わる彼女の体温はびっくりするほど暖かく、心地よかった。そういえば昔、同じように怪我をして、あの時は確か足だったか。
同じように負ぶわれたことがあった。誰に。お父さんだったろうか、お母さん?違う、あの子にだ。ウルフファングとよく似たあの子。
百合をおんぶして自宅まで送り届けてくれた。何度も遠慮して断る百合を強引におぶって、家路を百合を励ましながら歩いてくれた。
あの子のことが好きになった切っ掛けの一つだ。そうだ、やっぱり好きだった。
あの時、もし逃げる彼女を百合が追っていれば、何か変わっただろうか。何も変わらなかったかもしれない。悪い方に変わったかもしれない。
でも、もし、あの時、逃げる彼女を掴まえてそれでも好きだと伝えていれば、もしかしたら、もしかしたらだけど、なにか、別の未来があったんじゃないか。
いや、今からでも遅くはない。今になって決心が付いた。やりたいことはたくさんある。
ウルフファングとも、クチュリエールとも、流刃、アンチェインとももっと一緒にいたい。同じ時間を過ごしたい。今になって、未練が溢れてきた。
止めどなく溢れてくる。涙のように。

「……しに、……たくない………」
気付けば涙も溢れていた。そうだ、死にたくない。まだ、死にたくないよ………
「……ッ………大丈夫!もうすぐ着きます!貴方は死なない、私が死なせません!貴方のことだからあっという間に回復しますよ!私が保証しますよ!
元気になったら、ええ、百合レクチャーでもなんでも受けさせて頂きます!またみんなで美味しいものも食べに行きましょう!今度こそ、私が奢りますよ!」
元気付ける強い声は震えていた。彼女も泣いているのかもしれなかった。死んだらウルフファングさんはきっと悲しむだろう。
ひょっとすると自分のせいだと思うかもしれない。それはよくない。そんなことになったら私も悲しい。悲しいのは嫌だ。明るく、楽しい方がいい。
脳裏に光景が浮かんだ。ウルフファングさんがクチュリエールさんに取り押さえられ、メジャーでぐるぐる巻きにされている。
流刃さんは屈んでウルフファングさんのほっぺたをつついていて、アンチェインさんはやれやれと嘆息している。
百合はその様子をいつものように涎を垂らして眺めている。ウルフファングさんは迷惑そうな顔をしながらも口元には笑みを浮かべていた。
クチュリエールさんも楽しそうに笑っている。流刃さんも無表情だけど、よく見たら頬がほころんでいる。アンチェインさんもため息を付きながらも微笑していた。
百合も笑っている。やっぱり仲良しの方がいい。その方が楽しい。
みんなの笑顔を思い浮かべ、暖かで心地よい毛に顔をうずめて、百合は静かに目を閉じた。
眠りに落ちる寸前、瞼の裏に、百合の手を引いて歩くあの子のような、ウルフファングさんのような、どちらでもあるような少女に付いていく自分の姿を見て
そっか、私の好きになる人って同じようなタイプなんだなって、なんだかおかしくなって、笑ってしまった。

















































Les loups ne se mangent pas entre eux. (中編) 了

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