※18歳未満の方、二次創作小説の苦手な方は閲覧をご遠慮ください。

きっかけは何だろう。
(はじめて会ったときは、ちょっと怖そうなひとに見えたのに)

心当たりはいくつかあるけど、どれも“そう”な気がするし、違う気もする。
(七味をくれたとき、本当は優しいひとなのかなって思った)

理由なんて、はじめから無かったのかも知れない。
(だけど、はじまりなんてきっとそんなもの)

あのきらめく蒼い瞳が、
(炎みたいにきらめく)

たまに見せる笑顔が、
(子供みたいでかわいい)

意地悪のなかにある、少しだけど確かな優しさが、
(ギャップ?そうかのかも)

いつしか私の中で、特別なものになっていった。
(そう、これはきっと――)



朝、眼が覚める。
軋む狭いベッドと、ほこりっぽい部屋。だけど、あなたの夢を見た日の朝は、少しだけ幸せ。
きらめく暖かな陽光を浴びながら、夢の余韻に浸る――
「何にやけてんのさ、エリー」
まもなく。すぐ隣から聞こえた友人の声で、現実に引きもどされる。
「っ!?……ネ、ネロ……」
「……にやけたり、キョドったりして。どうかしたの、エリー?」
いつの間にか起き上がっていたネロは、眠たげな目をこすりながら、不思議そうに私を見ている。
どうということを言われたわけでもないのに、指摘されると、
まるで心の中を見透かされたように感じ、頬がかあっと熱くなる。
「な、なんでも……なんでも、ないの……」
平静を装おうとすればするほど、頬は高潮し、頭に血が上る。平静に言葉を紡げなくなる。
「ふぁっ……あふ、変なエリー」
幸いにも、ネロは深く追求することはせず、大きくあくびをひとつして、顔を洗いに行ってくれた。
ほっ、と胸をなでおろす。
「…………」
他の二人がまだ眠っていることを確認してから、安心して今日見た夢のことを考える。
(いい夢……だった……)
ぼうっと遠くを見つめながら、夢の続きを夢想する。
(…………)
目覚めてから、ほんの少しの間の。
ふわふわとした、暖かなひとときを楽しんだ。



朝ごはんの後、学院の廊下。
偶然、あなたと出くわす。
どきん、と。心臓が跳ねるのを感じる。
息がつまり、体がしびれたように動かなくなる。顔がひどく熱い。
「根津くーん、おはよー!」
「おはよう、根津くん」
「チッ」
「ああ、おはよ――おいちょっと待て、オマエ『チッ』ってなんだよ、『チッ』って」
「別に、ただ朝っぱらから根津の顔なんて見たくなかったなー、って思っただけ」
「なんだと!」
楽しげに会話する二人をうらやましく思いながら、ぼんやりと眺める。
(私も……せめて、あいさつくらい……)
とは思えども、でかかった言葉を想いが遮って、何も言うことができない。
「……っと、授業に遅れちまう。じゃーな、ダメダメ探偵!」
「フンだ、ネズミコゾーのくせに!」
「あっ……」
結局、ただ顔を真っ赤にして、走り去っていく根津くんを黙って見送ることしかできなかった。
「…………」
何故私はこうも情けないのか。自己嫌悪で思わずうつむく。
「エリー、私たちも行くわよ?」
「あ……はい」
コーデリアさんの声に応じて、付いていく。
さっきまであんなにいい気分だったのに、今はひどく憂鬱な気分だ。
「はぁ……」
ため息を吐き出す。だけど、暗い気持ちまでは吐き出せなかった。



収穫、そしてお昼ご飯、その後。教室で授業を受ける。
他のみんなはこの授業を取っていない。だから安心して、後ろからあなたをそっと見つめる。
「…………」
たまたま、根津くんのすぐ後ろの席に座ることができたので、その後姿を思う存分堪能することにする。
あなたの背中をじっと見つめていると、しだいに今朝の失敗が軽く頭をもたげてきて、少し暗い気持ちになる。
軽く頭を振って、暗い気持ちを押さえ込む。
(考えないように……今は、今を、楽しもう……)
前方、すぐそこにいるあなたを見る。頬杖をついて前を向いているあなたは、私の視線に気付く様子も無い。
「…………」
下から、舐めるような視線を送る。
(こんなにジロジロ見ちゃって……ばれたら、嫌われるかな……)
だけど、見つめずにはいられない。
小柄だけど、私より大きな背中。
男の子なのにキレイなうなじ。
未発達の細い首。
かるく纏めてある、サラサラとした後ろ髪。
ふわり。
何の弾みか。不意に、微風が吹いた。風にあおられ、あなたの髪は、かすかにさらりと揺れる。
芳香が、運ばれてくる。
(――…………)
触りたい。それは甘い誘惑。
すぐ後ろに座ることができた「たまたま」と、「たまたま」吹いた風が、刹那、私の理性を失わせた。
そっ、と。音を立てないように。かるく身を乗り出す
すこし手を伸ばせば届く距離。
あと、もう少し触れ、
「ボクを見ろおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオぉォぉォォぉォォ!!!!」
「ひぃっ!!」
ばさばさっ。
突如、授業を行っていた二十里先生が、奇声と共に脱衣したことに驚いて、身体をすくめる。
身を乗り出していたせいでバランスを崩し、机の上のものを落としてしまう。
「あ、ああ」
しゃがみこんで、急いでそれらを拾う。
だけど、気が動転しているせいか、うまく拾えず取り落としてしまう。
わてわてしていたら、誰かの手が手伝ってくれた。
「あ、ありが――」
「ったく、見てらんねーぜ」
「ひぅっ!?」
手伝ってくれたのは、すぐ前に座っていた根津くんだった。
落としたものを拾っていると、自然と距離が近くなる。先刻の香りをより強く感じる気がして、身体が固まった。
「あ……あぅ……」
悩ましいこの香りを嗅いでいると、先ほどの自分の愚行が思い返されて、顔が熱くなってくる。
うろたえているうちに、気付いたら根津くんに全て拾われてしまっていた。結局ほとんど根津くんに任せてしまった。
せっかく手伝ってくれたのに、自分のことばかりで、根津くんに押し付けて――。
(……せ、せめて、お礼くらいは……ちゃんと……)
そう決意してあなたの方を向く。
「ほら」
スッ、とこちらに向かって差し出されるそれらを、おずおずと受け取る。
(受け取ったら、お礼……受け取ったら、お礼……)
さわっ。
お礼を言おうとした直後、受け取るその瞬間、軽く――ごく、軽く――あなたの指と、私の指が触れた。
「――ッ!!」
その感触は、天国に似ていた。

一気に胸が締め付けられる。比喩ではなく呼吸が止まり、声が出せなくなる。
言うはずだったお礼も、強制的に遮断された。
だけど、根津くんの方は特に気にすることも無く、私に落としたものを渡したら、さっさと自分の席に戻っていた。
混乱している私が馬鹿みたいに思えて、急に恥ずかしくなり、自分もそそくさと席に戻る。
何事も無かったかのような根津くんの態度を見ていると、急速にときめきの奔流が引いていく。
変わりに押し寄せたのは、激しい後悔と自己嫌悪。
(お礼……言えなかった)
親切に手伝ってくれたのに。
馬鹿みたいに浮かれて、
馬鹿みたいに舞い上がって、
自分のことしか考えないで、
挙句お礼も言わない。
(ううん、「馬鹿みたい」じゃない――)
私、馬鹿だ。
あまりの情けなさに泣けてくる。
良いことが起こった、幸せなことだったはずなのに。
それは暗雲となって、今朝の失敗と共に、私の心に纏わりつく。
「…………ぐすっ」
あなたはお日様みたいにきらめいているのに、黒くくすんでよく見えない。
空は晴れているのに、私の心は雨模様。



夕食、みんなで食堂に集まる。
いつもなら楽しいひと時だけど、今日に限っては食事を楽しむ気分になれない。
「ほら、晩飯だ。よく味わって食え」
「お芋さんいっこだけですー」
「これっぽっちで足りる訳ないだろ!せめて一人一個ずつよこせ!」
「貴様達は本来なら学院に居られぬ身、もらえるだけでもありがたいと思え!」
「知るかそんなことー!いいからよこせー!」
「ネロ!わがまま言わないの!」
例によって例のごとく、ご飯の量のあまりの少なさに、石流さんにかみつくネロと、
それをたしなめるコーデリアさん、そしてマイペースにいち早く食べはじめるシャロ。それから――
「トイズのないダメダメミルキィホームズのくせに、ゼイタク言ってんじゃねーよ!」
区切られたこの一画の外から、意地悪なあなたの声がした。
ちくり、と胸が痛む。意地悪なことを言われたからではない。
あなたの声を聞くと、今日の色んな失敗が思い返されて心が痛い。
「うるさーい!お前に何が分かる!こっちはお腹ぺこぺこなんだよー!」
「ネロ、私の分をあげるから……」
「え、いいの、エリー?」
「うん、今日はあんまり食欲が無いから……」
後悔と自己嫌悪で、お腹はいっぱいだから。
「食欲がない……?エリー、どうかしたの、具合でも悪いの?」
「ご飯はちゃんと食べないとダメですよ!」
「あ……そ、そういうわけじゃ……」
言われた後で、しまった、と思う。みんなに心配をかけてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。
「そうだよエリー!僕は根津からパン貰うから大丈夫だよ!」
「やらねーよ!」
「ほ、本当に……大丈夫……だから……」
なるべく元気に振舞いながら、またもや失敗してしまったことに対してひどく落ち込む。
いったい、私は一日で何度失敗すれば気が済むのだろう。
本当に、ダメな私。
「……まあ、エリーがいいなら、いいケドさ」
結局、四等分したお芋の一片をネロは受け取ってくれた。
「でもエリー、本当に――」
「うん、大丈夫……ちょっとお昼たべすぎちゃったかも……」
「えー、そうだっけ?」
「エリー、具合が悪いならすぐに言うのよ?」
「ほくほくおいしいですー」
「うん……みんな、ありがとう」
ごめんなさい。
「…………」
楽しい夕餉も、どこか遠い出来事のように思えた。



夜、屋根裏部屋で、ベッドに腰掛けながら、学院の図書館から借りた本を読む。
軋む狭いベッドと、ほこりっぽい部屋。だけど、気分が沈んでいるのは、それだけが原因じゃない。
「……あ、」
「ん?どうかしたの、エリー?」
「本の、貸し出し期限が……」
巻末についている図書カードを見る。貸し出し期限は……、
「あちゃ〜、今日までかー」
「はぁ……また、失敗……」
がっくり、と落ち込む。今日は本当に失敗の多い日だ。いい加減嫌になる。
「元気出してくださいよー、エリーさん」
よほど陰鬱とした表情をしていたのだろうか、シャロが声をかけてくれた。
「今から行けば、まだ図書館には人が居ますよ。失敗は、取り返せばいいんです!」
「まあ、一日くらい返却が遅れたって、ちょっと怒られるくらいだろうし、別に明日でもいいと思うけど……」
「ううん……今から、行ってくる」
期限を破るのはあまり気分の良いことではないし、取り返せる失敗はなるべく取り返したかった。
(失敗は、取り返せば……)
「そう?……一人で大丈夫、エリー?」
「うん、大丈夫……ここからなら、図書館からそんなに離れてないし……」
第一、自分の事でみんなに迷惑などかけられない。
部屋着に着替える前に気付けたのは重畳だった。
本を持ってベッドから降り、ぱたぱたとドアに向かいながら、たった今シャロに言われたことを反芻する。
――失敗は、取り返せばいいんです!
(取り返せれば……いいな……)
何気ない言葉だったけど、シャロのこの言葉に、少しだけ元気を貰った気がした。



屋根裏部屋への帰り道、渡り廊下。
図書館は閉館間際であったが、とくに問題なく本を返すことができた。
(ひとつ、失敗は取り返せたけど……でも……)
歩きながら、今日の数々の失敗を思い返す。
どれも自分が原因で、
どれもみんなに迷惑をかけて。
「はぁ……」
暗い気分が追い出せない。ひどい自己嫌悪。自分でなくなってしまいたい。
(もし、もしも)
私が、私じゃなかったら。
こんな、ダメダメな私じゃなかったら。
あなたとも?
(もし、もしも)
思い浮かぶのは、私の一番の友達たち。ああ、どうして。私は、みんなみたいになれないのだろう。
私から見て、みんなは、とても魅力的な女の子に見える。私なんかとは全然違って。
もしも私が、みんなみたいだったら。
(そう、たとえば……)
譲崎ネロ。あの、おひさまみたいに笑う、私が彼女だったなら。
夢想する。
(ネロ……今日も、根津くんと、仲良く話してたな――)
否、それは妄想。
あの元気が、私だったなら。
あの笑顔が、私だったなら。
あなたと、仲むつまじく会話しているのが、私だったなら。
「……はぁ」
なんて無意味。
やっぱり、馬鹿だ、私。自己嫌悪で、なおさら、ネロのことがうらやましくなる。
それは嫉妬にも似た、暗い感情。
(…………)
そして、親友に対してそんな感情を抱くことに対して、また自己嫌悪する。
悪循環。
抜け出せない底なし沼。自分の気持ちをコントロールすることすらできない、ダメダメな私。ぐるぐる。
(こんな私じゃ――)

誰かを好きになる資格なんて、無い。

「――エルキュール・バートン?」
「っ!」
ぼんやりとしているところを、急に後ろから声をかけられ、反射的に身体をすくませてしまう。
とくに意味も無く恐る恐る振り返り、声の主を確認する。
驚愕した。
「ボサッと突っ立って、どうかしたのかよ、エルキュール」
「ね……ず……く、ん」
声の主は根津くんだった。
どきん、と。心臓が跳ねるのを感じる。息がつまり、体がしびれたように動かなくなる。顔がひどく熱い。
あなたはただ黙って、じっと私のことを見つめている。
どうすればいいのか、どうすべきなのか分からなくて、何もできずに立ち尽くしていたら、あなたが口をあけた。
「やっぱり、具合でも悪いのかよ」
「……え?」
「ほら、夕食のとき、何か変だったじゃねーか」
「あ……」
言われて、納得する。今日の夕食を私だけ食べなかったことを心配してくれたのだ。
そして同時に、そんな些細なところまで気をかけてくれて事を、
意外に思いながら、同時にうれしく感じ、申し訳なくも思う。
「ほら、コレ、やるよ」
ぽんっ。
何かを投げて寄こされる。あわてて受け取ると、それは赤くて丸い、つやつやとした果実。
「……りんご?」
「勘違いすんなよ!それは、来栖がバカみたいに食い物たくさんくれて、
俺一人じゃ食いきれないから分けてやるだけなんだからな!」
あなたは、びし、と言い放った。それは稚拙ないい訳じみていて、なんだか無性にかわいく思えた。
「それ食って、おとなしく寝てろ。ちゃんと食わないと、治るものも治んないぞ」
あなたはそう言い残すと、くるりと背を向け、去っていこうとした。
「あ……!」
あなたの後姿を見て、はっ、とする。
(お礼、言わなきゃ……今度こそ!)
「ま、まって!」
「?」
あなたは、怪訝な顔をして振り返る。キラキラとした蒼い瞳が、私のことを見つめている。
「あのっ……そのっ……」
決意して呼び止めたはずなのに、その瞳に見つめられると、何も言えなくなってしまう。
(ダメ!ちゃんと言わないと……でも……)
「用が無いなら、帰るけど……」
このままではあなたが帰ってしまう。お礼を言い損ねてしまう。また過ちを、重ねてしまう。
なのに、声が出せない。
(ああ、本当に、ダメな私――)
そう思ったとき、何処か遠いところから、声が聞こえた。
――失敗は、取り返せばいいんです!
「ね、根津くん!」
彼女の言葉に、軽くだけど、背中を押してもらった気がした。
「な、何だよ」
「あ、あの……」
私の、素直な気持ち、今なら言える。
「今日は、いろいろ……ありがとう。また、明日」
あなたの瞳を、見つめ返して。今の私にできる、精一杯の笑顔と言葉で。
私の想いよ、あなたに届け。
「…………」
あなたは、一瞬ぽかんとした表情をした後、すぐにふわりと微笑んだ。
「ああ、また明日」
「っ――――」
その笑顔が、あまりにも素敵で、かわいくて、かっこよくて――。
発火能力者(パイロキネシスト)。あなたは、私の心に火をつける。



ときめきの余韻に浸りながら、屋根裏部屋に帰る。
「お帰り、エリー……ああー!そのりんごどうしたの!?」
手に持っているりんごにいち早く気付いたネロが、歓喜の声をあげた。
「帰り道で……根津くんに、貰ったの。みんなで食べよ?」
「へぇ〜、根津もたまには良いことするんだね〜。明日は雨かな?」
「ネロ、失礼でしょ……明日、根津くんにお礼言わないと」
「りんごおいしそうですー」
和気藹々としているみんなを見ていると、自然と頬がゆるんだ。
「エリーさん、うれしそうですねー。元気、でましたか?」
「え?」
「晩御飯のときから、なんだか元気なかったじゃないですか。私たち、心配してたんですよー」
「エリー、やっぱり晩御飯食べなくてお腹が……」
「ごめんねエリー、僕がご飯足りないなんて言ったから、エリーは遠慮して……」
「そ、そういうわけじゃ……あの時は、本当に食欲が無くて……」
結局私は、みんなに大いに心配をかけてしまっていたようだ。
私のせいなのに、みんなの方から謝られて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「心配かけて、ごめんなさい。ありがとう」
だけど、謝罪も感謝も、するりと言えた。私はさっきまで何を悩んでいたのだろうか?本当に、馬鹿みたい。
「それじゃあー、エリーさんの元気がでたところで!みんなでりんごを食べましょー!」
「エリーの分はちょっと大目に切ってあげるわね」
「ええっ!別に……そんな……」
「遠慮しないの、おとなしく受け取りなよ、エリー」
たった一言で、世界は一変する。そんな決まりなど無いと笑うように。
かじったりんごが甘く感じたのは、みんなよりも大きな一切れだからではない。



真夜中、ベッドの中で、だけど私は眠れない。
あなたが、私の心に火を付けたから。
「……はぁ」
ごろんっ。
小さく、寝返りをうつ。切なく漏れるため息は、自然と熱を帯びる。
あなたが、私の心に火を付けたから。
(根津くん……)
闇の帳が降りた屋根裏部屋。他のみんなはもう夢の中で、規則正しい寝息だけが響く、静かな夜。
だけど私は眠れない。
あなたが、私の心に火を付けたから。
「…………」
目を閉じて、今日のあなたを思い返す。
あなたの瞳を、あなたの声を、軽く触れた、あなたの指の感触を、
あなたの、笑顔を。
「……っ」
胸の鼓動が高鳴るのを感じる。あなたのことを考えただけで、心の火は、より激しく燃え上がる。
そして、私の身体に燃え移る。
「……くぅ……ん」
身体が火照る。頭がくらくらしてくる。胸の鼓動はどんどん速くなる。息が苦しい。私がめちゃくちゃになる。
あなたのせいだ。
あなたが、私に火を付けるから。
だから――結局、“今日も”我慢ができなくなる。
「……はぁ、はぁ」
火照った体ははけ口を求めて、その手を下腹部へと伸ばす。
下着越しに触るそこは、熱く、既に湿り気を帯びていた。たまらず、軽くなでさする。
「ん……」
漏れる声を、できるだけ抑える。
忘れてはいけない、すぐ隣には――ぐっすりと眠っているとは言え――、みんながいるのだ。
「ふぅ……ん……ふぁ……あ……」
身体が求めるままに、むにむにと片手でそこを弄る。
もう片方の手は、気持ちよさのあまり出そうになる声を抑えるべく、口元へ移動させた。
そうやって享受できる快楽は、しかし、どうしても遠慮がちなものになってしまい、
身体の火照りを冷ますどころか、より一層燃え上がらせる。
(やっぱり……直接、触らないと……)
下着を脱ぐ。みんなを起こさないように、そっと。
寝そべったまま下着を脱ぐことも、初めのころは上手にできなくて、
ベッドから落ちたこともあったけど、何回も続けているうちにすっかり慣れてしまった。
裸になった下半身は、毛布に隠れて見えないが、触れるとそこはひどくぬるぬるしている。
「ん……んん……んっ!」
先ほどと同じように弄る。直接触ると、やはり得られる快感はより一層強いものになる。
口元を押さえていた手も、昂ぶる感情に応じて、勝手に胸へと移動した。
「ん……はっ!あ、ぁ……ぁう……」
必死でこらえるが、やはりどうしても声は出てしまう。
しかも、下半身に伸びた手の動きが次第に激しくなってきて、水音をたて始めた。
止めなければいけない、そうなのだけれど、今はあまり深く考えたくなかった。ただ、この快楽を貪りたい。
(気持ちいい……でも、本当は、あなたに――)
ぴくんっ。
身体が反応する。止まれ、私。それ以上は、ダメ。
(そう、ダメよ、私……それはもう、やっちゃダメって……)
だけど、思考とは裏腹に、身体は更なる快感を得ようと動く。
(“する”のは、もう……しょうがないけど……でも、根津くんで“する”のだけはっ……!)
あなたを、汚してしまうようなことは、“もう”やってはいけない。
それがいくら、“する”ことの快感を、何倍も何倍も膨らませてくれるとしても――。
(うう……でも、もう……そうしないと、収まりそうにないし……)
そう、これは仕方のないこと。そう自分に言い訳する。
熱に浮かされた頭は、正常な思考を妨げた。
(これで最後……そう、これで、本当の本当に、最後にすれば……)
もう、何度目か分からない決意。
結局私は、いつも快楽の誘惑に負けてしまう。意思の弱い私。だけど、弱くたっていい。
気持ちよければ、それでいい。
「っ!……ん……ふぁ……」
私の指をあなたの指だと思って、そこに触れる。
ただそれだけで、頭がしびれるほど強烈な快感が、体中を走る。
そのまま、じっくりと撫で回しながら、同時に、服の下に手を滑り込ませ、胸も責める。
(根津くんは……どんな風に、触ってくれるんだろう……)
私に触れているのは、あなたの手。やわらかくもみしだきながら、あなたのやり方を妄想する。
(やっぱり……いじわるに、触ってくれるのかな……)
うに、うに。
(それとも……意外と、優しく?)
ふよ、ふよ。
(がむしゃらに……荒々しく、とか……)
ぐに、ぐに。
妄想に応じて、手の動かし方を変える。焦らすように。優しく。やや乱暴に。
(根津くん、そういう経験は、無さそうだから……無いと、いいなぁ……)
手の動きと同様に、妄想はとまらない。
(根津くんも、初めてだったら……すごく、うれしいなぁ……)
あなたと私が、初めて同士で、恋人同士で、初めての行為。
取り留めの無い、そんな、“もしも”を思い描く。
ぐにいぃ。
胸を少し強めに掴む。
(ね、根津くん、激しいよぉ……)
(『し、仕方ないだろ!だって俺、ずっと、エリーとこういうことしたかったんだし……』)
きっとあなたは、少し乱暴に、私の身体を貪る。
ぐちゅり。
下を撫で回していた指を、軽く中に進入させる。
(『うあ……すご……』)
(や、やぁ!根津くん、そんなに……見ないでぇ……!)
私の言葉にも構わず、あなたは、初めて見る女の子のそこを、じっくりと鑑賞する。
(『エリー、ごめん……俺、もう我慢できない……』)
(……い、いいよ、根津くん……でも、優しく、ね?)
(『……っ、ほんとごめん、無理』)
(え、根津く――!!)
あなたは、自制できずに、荒々しく私の初めてを奪う。
そして……欲望に身を任せたまま、何度も、何度も、私を犯すのだ……!
(根津くん……根津くん……根津くん!)
(『エリー、エリー!』)
激しい妄想、激しい手の動き。燃えるようなその激しさの中で、とうとう限界は訪れた。

「んっ!んー!……んっ、んん……」
快感が爆発する。それはまるで火薬球のように。
歯を食いしばって、なんとか声が出るのを抑える。
「……ふー、ふー、ふー……」
快感が過ぎ去ると、こわばった身体が、次第に弛緩していく。
後に残るのは、過ぎ去った快感の余韻と、行為の後の充実感。そして、あなたを汚してしまったことへの後悔。
(はぁ……また、やっちゃった……でも、)
下を弄っていた方の手を、毛布を汚さないように、そっと目の前へ持っていく。
指は、私自身の粘液で、ぬるぬるになっていた。
(気持ち……よかったなぁ……)
――火は、まだまだ、消えそうにない。



翌日の朝、朝食を食べるため、私たちは食堂に向かう。
「ふぁ……あふ」
「エリーさん、寝不足さんですか?」
シャロに言われて、寝不足になった原因、昨晩の激しい行為が脳裏をよぎる。
「あ……違……その、なんでも……」
普通にしていれば大丈夫、冷静に、冷静に。と、頭では分かっていても、ついあわててしまう。
「んー?どうかしたんですか、エリーさん?」
「ほ、本当になんでも――」
「よう、お前ら」
後ろから、声をかけられた。私が知っている声。私の心を焼き尽くす声。
あなたの、声。
「あ、根津くんだ!おはようございますー」
身体が緊張する。呼吸すら危うくなる。
(ダメ、このままじゃ、昨日と同じ……)
「おはよう、根津くん。昨日はごちそうさま」
肺に無理矢理、空気を送り込む。
(失敗は、取り返せばいい……)
「おはよー。リンゴおいしかったよ、ありがとねー」
うつむいていた顔を、あなたの方へ向ける。
(お願い、もう一度背中を押して)
「ね、根津くん……」
一度出た言葉を、遮るものは何も無かった。
「お……おはよ……う」
「ああ、おはよう」
私の顔が、ぱぁ、とほころぶのを感じた。
「にしても、お前は食い物やると愛想よくなるんだな」
「なんだよー!なんか文句あるのかよー!素直にお礼言ってやったのにー!」
楽しげに会話する二人をうらやましく思いながら、ぼんやりと眺める。だけど、もう昨日とは違う。
(言いたい気持ち……ちょっとだけ、伝えられた……)
もっと奥の、そのまた奥に秘めた気持ちは、まだ言えないけど。
いつか言える日が来るのかさえ、分からないけど。
だけど、今日この瞬間、確かに何かが、少し動いた……と、思う。
「……ふふっ」
きっと、今日もいい日になる。

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