カモシカ・シブヤ チリの大統領 | |
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個人情報 | |
生誕 | 1969年5月23日 チリ ラ・アラウカニア州 マレコ県 アンゴル |
配偶者 | なし |
子女 | なし |
別名 | ごっちゃん |
宗教 | 科学的無神論 |
軍歴・職歴 | |
軍最終階級 | チリ国軍最高指揮官 |
歴任 | 新しいカモシカ 党首 1998年3月31日〜 |
役職 | |
役職 | チリ大統領 |
任期 | 1998年〜 |
その他 | ー |
ー『服なんて局部さえ隠れていればなんでもいい』ー
1969年、チリ南部の都市アンゴルの貧しい家庭にて出生。父親はギャンブルとアルコール依存症で毎日カモシカと母である妻に暴力を振るっており、家庭環境は最悪そのものであった。家計は母親のパートの収入で回っており、それを父親がギャンブルで溶かす日々であった。そのため父親自ら「カモシカを大学に出せるお金は無い」と宣言していた。まさにプライドだけは高く収入はほぼ0にも関わらず亭主関白であった。これはカモシカに男性嫌悪を植え付け、のちにカモシカがミサンドリストとなって家父長制が蔓延するチリ社会を変えるきっかけになった。1979年、借金取りと父親から逃げるために母親の実家があったテムコに命からがら逃げることに成功。祖父の経済的援助もあり、苦難続きであったが高校を卒業した。その後は祖父の畑や山を売却し、それを売却して得た資金でドラッグストアやサーモン養殖企業インテサルを設立。カモシカドラッグストアはチリ最大のドラッグストアとなり大成功を収めた。1990年代、起業家として成功したカモシカは1997年に政党「新しいカモシカ」を設立し政界入り。1998年3月の大統領選挙に出馬。ライバル政党に僅か数万票の差で当選し、29歳の若さでチリ大統領に就任。男性でありながらミサンドリストというチリ史上類を見ない大統領が誕生した。公約として従来の新自由主義を加速させる。「開かれた自由なチリ」をスローガンに掲げる。
1998年に29歳の若さで大統領に就任している。これはチリでもかなり若いほうの大統領の登用であった。父親から人生を破壊され、男性嫌悪となった生い立ちから女尊男卑的政策を取ることが多い。また、チリのさらなる自由主義を加速させるため、就任から3ヶ月後には安楽死の合法化や同性婚の合法化に着手している。一方でこのような急速的な自由主義の加速は国内の保守派・キリスト教派から反発を受けている。さらにはプライドパレードの開催を容認したことで中東をはじめとする世界の権威主義国家から猛反発を受けている。
1998年1月25日夕方、サンティアゴ郊外の住宅街で突如異臭騒ぎが起きた。住民の通報で消防車や救急車、警察計17台が緊急出動した。すぐに調査が行われ、匂いの発生源がカモシカ氏の自宅であることがわかった。防護マスクを付けた軍がカモシカ氏の家に突入すると、カモシカ氏に事情聴取。カモシカ氏は「おならだと思って踏ん張ったら実が出てしまった。申し訳ない」と話した。この異臭騒ぎで周辺住民56人が気絶し緊急搬送された。ネット上では「もはや化学兵器」「どんだけ臭いねん」とのコメントが寄せられた。
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