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ブラジルの歴史をこのページでは説明していますが、ブラジルの歴史が結構長いのでめちゃくちゃ端折りまくります
大航海時代、西回り航路(南アメリカの下を通っていくルート)でインドを目指していたポルトガル人航海士のカブラルが、偶然(これは諸説あり)ブラジルの出っ張ったところ(北東部)に上陸。それでカブラルさんはブラジルを島と勘違いし、「真の十字架の島」と命名。そこに港をつくり、街ができる。この植民第一号の街が、サルヴァドールという街であった(今でもけっこう都会)。そしてポルトガルから続々と人が来て、ブラジルに住み、原住民と混血もしていった。
ちなみにブラジルが「発見」されたころ、日本は室町時代。
ちなみにブラジルが「発見」されたころ、日本は室町時代。
ブラジルはトルデシリャス条約というスペインとポルトガルが世界を二分しますとかいうドラクエみたいな約束事により、ポルトガルの領土となった。しかしインドみたいにコショウが取れるわけでもないので、正直ポルトガルは持て余した。だがブラジルでは当時「パウ・ブラジル」という赤の染料の原料になる木がめちゃくちゃ生えていて、そして当時なぜかヨーロッパで衣服が作られまくる時期があった。すると赤の染料も足りなくなったため、「パウ・ブラジル」がめちゃくちゃ売れるようになった。その当時ブラジルはカブラルさん命名の「真の十字架の島」と呼ばれていたのだが、この一件で「パウ・ブラジル」のイメージが強くなって、いつの間にか「ブラジル」と呼ばれるようになったという。本当は島じゃないのに「真の十字架の島」みたいなDQNネームをつけられたのはなんだったのだろうか……。
その後オランダがブラジルを侵略したりとなんだかんだありつつ、ブラジルは順調に発展していった。しかし、本国ポルトガルでは、ナポレオンが攻めてきて大ピンチになっていた。そのためポルトガル王がブラジルに逃げてくることとなった。もはや「本国」となったブラジルはさらに発展しまくったが、この時期にブラジルの砂糖産業が落ち目となったことで、同時にポルトガル王に対する不満も増え始めていた。そのためブラジルはポルトガル王国と対等なブラジル王国として独立をする。これであくまでポルトガル王の下ではあるものの植民地は卒業した。
その後ナポレオンがけちょんけちょんにされるとポルトガル王はポルトガルに帰っていった。しかしポルトガル王がポルトガルに戻ると、これまで「ブラジル王国」扱いだったブラジルがまた「植民地」に戻されてしまう。これに怒り心頭のブラジル国民はそのときまだブラジルに残っていたポルトガル王子のドン・ペドロに「ブラジルを完全に独立させてください!」と頼み込む。やがてドン・ペドロ王子もポルトガルに帰ることになったのだが、帰る直前でポルトガルに対して「独立か死か!」と叫び、ブラジルの独立を宣言する。これによりドン・ペドロはポルトガル軍と戦うことになるがこれに勝利し、ドン・ペドロを皇帝とした「ブラジル帝国」が成立する。
そうして国軍によるクーデターで共和政がスタート。一代目と二代目は軍人が大統領になったが、その後は軍人じゃない人が大統領をやるようになった。その後なんやかんやあってブラジルはミナスジェライス州とサンパウロ州というところから大統領が交互に当選するという状態になった。ミナスジェライスは牛乳、サンパウロはコーヒーがめっちゃ作られていたことからこの体制は「カフェオレ体制」と呼ばれた。
しかしこのカフェオレ体制はミナスジェライス州とサンパウロ州の仲が悪くなったことから崩壊、そして漁夫の利を得た第三候補、リオグランデ・ド・スル州のヴァルガスが大統領となる。ヴァルガスは国軍の協力もあって、軍事力で独裁をぶち上げ、ブラジル統合主義運動やその他の政党の運動を禁止しまくった。また憲法を無視しまくったためサンパウロ州と仲が悪くなり、護憲戦争が発生。しかし軍事力でサンパウロ州をめっためたにした。
ここまで独裁をぶち上げたヴァルガスだったが、しだいに協力してくれる国軍も怖くなり、国軍の予算削減、司令官の交代などなどを行った。これには国軍が大激怒したが、同じくらいヴァルガスに怒っている人たちがいた。それが運動を禁止されたブラジル統合主義運動である。そこで国軍とブラジル統合主義運動は協力してクーデターを実行、ヴァルガスを監禁しブラジル統合主義連邦を建国した。
その後の歴史はブラジル統合主義連邦のページにて
その後の歴史はブラジル統合主義連邦のページにて
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