時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

プリニオ・サルガード
ペンネームエゼキエル
国籍ブラジル統合主義連邦
生年月日1895年1月22日〜1975年12月8日
性別男性
出身地サンパウロ州
所属政党自治体党(1918〜1920)パウリスタ共和党 (1928〜1930)ブラジル統合主義運動(1930〜1974)
宗教キリスト教カトリック
職業政治家、作家、ジャーナリスト、歴史家、神学者
死因肺水腫

概要

1895年1月22日、サンパウロ州の小さな町サンベントドサプカイにて生まれる。彼の親はどちらもポルトガル出身であった。
16歳の頃父親が亡くなり、その頃から哲学、心理学に興味を持つ。
20歳になった彼は自らの学んだことを発信するために「サンベントポスト」という週刊新聞を創設する。彼は「エゼキエル」というペンネームを使い記事を書いていた。その二年後には「自治体党」に入党し政治家としてのキャリアをスタートさせた。
同じ年、マリア・アメリア・ペレイラという女性と結婚する。1919年7月6日には彼の一人娘、マリア・アメリア・サルガードが生まれた。しかしその15日後、マリア・アメリア・ペレイラが亡くなった。彼はこのことでひどく落ち込み、哲学の研究を拒否し、唯物論を唱え始めた。そしてキリスト教カトリックの教義にもこの時から興味を持ち始める。
彼はジャーナリストの傍ら、作家としても活動した。そしてカーメラパティという女性と再婚する。しかしマリアの死は、再婚してからも彼の人生に深い影響を与えた。
1928年に彼はサンパウロの州副首相に選出された。その任期中にいったイタリア旅行で、イタリアのファシズムに感化された彼は、1,930年にブラジル統合主義運動を設立した。その後ヴァルガス体制の成立に協力したが、ヴァルガス大統領に党の解散を命令される。彼はこれに反対して、サンパウロで引き続き運動を継続した。

1934年、サンパウロの党本部で撮影された写真

1945年、軍事クーデターを実行しブラジル統合主義連邦を建国し、初代大統領に就任した。
1960年に大統領を退任した後も党に所属し政治家として活動はしていたが、1974年に党を離党し政治家を引退した。その一年後、肺水腫によって亡くなった。
彼の葬儀は国葬として行われ、多数の国民が参加した。
現在ブラジルで最も偉大な人物の一人として数えられている。
タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

メンバーのみ編集できます