最終更新:ID:WPVyUA8VHA 2012年07月20日(金) 23:49:33履歴
八基のエンジンがプロペラを回し、単色に近い空を割り裂く。
亜音速で高高度を征く鉄の獣は四方を海に囲まれた國を攻めんとする者の存在を早期に認め、ときには海の向こうで、爆弾を雪のごとくに降らせる。
それが高津770型大型爆撃機〈てつゆき〉に望まれた姿であり、これまでに果たしてきた役割である。
高津重工が当時に持ち得た技術の結晶といえようこの巨人機は、海洋国家の護手にとり必須となる航続力の高さ・哨戒機としての要素を多分に含むというスペックに加えて
「爆撃機として単純かつ純粋な運用が可能である」
という点をもって自衛隊に受け入れられた。
武器の換装や改造を経て、機体は運用開始から数十年が経過した今も各地に配されている。冗長性を最大限に発揮した、兵器が理想型のひとつ。合衆国が擁する爆撃機にも似て巨大な、
難攻不落の空の城。
爆撃機のあだ名を思い出した、男は額を左手で押さえた。笑いが乾いて喉にくぐもる。
銃後の者をも巻き込んで死をもたらして征っただろう城が、地上にあっては要塞(フォートレス)。在りし日に國を焦土とした米軍の機体と、いま自国の民を護るものとが、同じ名で呼ばれていたとは。
そして、そこにひとつ付け加えるならば。
要塞と呼ばれた爆撃機は、この國で『撃破』されている。
笑みを収めた男にとって、それは、きつい酒を思わせる皮肉だった。
黒手袋をはめた五指のあいだを、色の失せた髪が流れていく。秀でた額と激情を抑えて寄った眉、眼頬溝に刻まれた陰も、掌のおとすのっぺりとした影に隠された。
人の影すら見えぬ廃墟よりきびすを返す、その前に、彼は墜ちた巨人を見据える。
血の色をした双眸も、削ぎ落とされたような曲線をえがく頬にも、感情は表れていない。
爆撃機もまた、製作者が想像もしなかった方向に改造をうけた姿を晒して動かない。
……両翼下に、みっしりと詰め込まれた土嚢。
各所に取り付けられた、重機関銃とジュラルミンの防盾。
気休めにはなるとでも思ったか、後背部には欺瞞紙の発射機――。
その威容だけで判断をくだすのならば、爆撃機としてのアイデンティティを徹底的に削り取られた〈てつゆき〉は、まさに地上の要塞となっていた。
だが、要塞の内部から漂う臭いは肉の。ヒトの腐り落ちるそれに他ならない。
死者の墓標もなく、位置も記録されず、伝染病への備えという卑近さを由とした埋葬すら行われず。そこここが雷に焼け、刃に裂かれた装甲の底部は、黒くねばった血肉で塞がれている。
威容。厚い装甲と巨獣のごとき外観が人にもたらしていたであろう、信仰とも言うべきなにものかすら、死と敗北によって塗り替えられてしまった、いま、このとき。地上の要塞は即席のトーチカよりも頼りない、鉄の棺にと堕していた。
「……敵手の本拠も策源地も不明である以上、狩人どもへの戦略爆撃は不可能。
電光機関によって誘導弾と電探がともに無力化されるのであれば、武器を換装する意味もない。
もとより出撃を行おうにも、空にありしを剣舞で落とす手合いが相手であったなら」
死に抗った者の無為と無力をつらねる声が、廃墟をわたった。
誰に向けられたものでもない囁きに、しかして瑕瑾をあげつらう響きはない。そればかりか最後まで。最後の最期まで戦って果てた、諦めを知らぬものに対する敬意さえにじんでいる。
聖堂騎士団が手にかかれば離陸も許されず、かといって任務を投げることもかなわず。『旧人狩り』がもたらした魔女の大釜をまえに、おのが無力と過誤の代償を思い知らされ、
それでも自身に可能なことを行った者たちの健気を信じずして、この世のなにを信ずるか。
言葉に続いて思考を切りあげた、男は額から手を離した。
風にあそびゆく髪の下から眉間の皺がのぞけても、顔貌からは怒気の欠片もみとめられない。
日本人離れして深い陰影を刻む眉は、彼に内在する憐憫を示して静謐である。
「ならば――重大なる秋を迎えたのだな。現し世の、いずこにあるものも」
諦めを知らぬもの。
ただ、専守防衛の責務を果たさんとの誓いに殉じていった騎士たち。
かれらの屍が埋まる残骸要塞を背にした男の瞳は、瞬間硝子玉のような光をみせた。
◆◆
――目覚めたとき、目に映る物は全て敵だということを覚えておくのだな。
完全者ミュカレの言に倣うならば、塞にとっての最初の敵とは湿気である。
薬剤による睡眠から醒めた彼を取り巻くものは、白く透き通る朝の日差しと針葉樹が半ば以上を占める森。かてて加えて、低地へ向かって幾筋かの川を作っている水源だったのだ。
地図を一瞥しただけで現在地が判明したことは幸いであると言えようが、陽光はすずしげな見目に反して容赦を知らない。湿度の低い土地で生み出されたスーツ――運の悪いことに、色は黒だ――と腰まで届く長髪も手伝って、彼は気温以上の熱感をおぼえている。
「いやぁ……暑い、暑い暑いねェ」
すくなくともドレスシャツの襟をはたいて風を呼び込む彼の、どうにもしまらない様だけを見れば、そうと断言出来ただろう。
だが、塞の視線を隠しきっているワインレッドのサングラスは、彼が首をうごめかせたひと刹那、爬虫類を――いちど獲物を呑み込めば、けして逃さぬものを思わせてぬめる光を放っていた。
「夏じゃなくとも夏の日和だ。まったく日本の夏ってヤツは、親密さってものを履き違えてやがるぜ」
ひとりごちる声の錆付きは、小悪党と紳士というふたつの印象を見事に両立させている。
小悪党。新華電脳公司のエージェントという仮面では隠せぬ品性を有するイギリス情報局が諜報員は、風に流れた髪を後ろへ撫で付けた。足を踏み出すのと連続した動作で、両手をズボンの前ポケットに入れる。
その状態でこともなげに斜面を降りていく、彼はつと立ち止まって右手を上げた。
はるかな型の敬礼にも似た仕草で人差し指を額に添わせ、晴れすぎて冷たい空を見上げる。
「やれやれ。だれが言ったか『戦争の夏』だ、こいつは」
目立って大きな声を上げても、挙手した脇は締まっていた。「よく晴れた空に白い雲。うってつけの日とはかけ離れたもんだが、それでも殺り合って死ぬには、今日はいい日なんだろうさ。なあ、旦那」
諧謔と、それを支える理性のあらわれを体現した呼びかけに、応じる者も笑ってみせた。
陽光をはじく白い髪。日本人離れして彫りの深い、峻厳なものを纏った顔立ち。旧陸軍武官たる男はにやつくはずもなく、口角を冷たく吊り上げている。
「こうしてまみえるが三度となれば、もはや剽げる要もないか。クロード・ダスプルモン」
「そのとおりだ。ムラクモ。アンタの目的なんざ、いまさら考えるまでもないからな」
牽制じみた言葉の応酬を行いながら、塞は左手もポケットから抜き出した。
やれやれと腕を組んだ視界の先ではムラクモの唇が描いた曲線の優美と、腰に佩いた太刀――芸術品との形容もかなう得物のそれとが、ひどく似通って見えたのだ。
ゆえにこそ、塞はオーバルのレンズの下で涙袋に力を入れ、過去の記憶を引き出す。
「戦い、闘争――戦争。あのお嬢ちゃんが仕掛けたこいつも戦争の縮図さ。
なんなら『スプレンディッド・リトル・ウォー』とでも形容してやろうかね?
皮肉としちゃすこしばかり直截だが、軍事物資をちょろまかしたそちらさんもお好きなのが」
「…………」
「死ね、と言うかい? 二度目と同じに?」
逆手に太刀の柄を握った男に向けて、塞はサングラスを外して言い放った。
理合いで紡がれた悪意の言の葉は、かつてムラクモの怒りを目にした塞だからこそ作り得た一手である。
裂帛の気合とともに放たねば成らぬ居合とは違い、片手が潰れようとも切ることのかなう兇眼――ムラクモがサングラスを外すという予備動作を知っている札ではなく、より広い間合を捉えることの可能な邪視でもって相手の機先を制した点も、また。
「冬眠制御があったとはいえ、それだけ生きてりゃ怒る気力も失せように」
続いた嘲弄は、対面の男を怒りで揺らがせるための言葉だった。情報をもとに相手を理解し封殺することこそあれど、敵手との交流による相互理解など、王国に仕えし剣十字の騎士は望まない。
より正確には、ムラクモが掲げる『彼の勝利条件』を知るがゆえに望めない。
星の未来。ルール・ブリタニアよりも上を行く野望を掲げ得た、完全者の秘儀を知る男。
すべてを平等に殺すと明言出来た、彼は日帝軍人であった自身の瑕瑾をつつかれて怒った者でもある。
その、あまりの人間らしさ。長い生のなかにあっても軍人としての自身を忘れることの出来ない『神』の姿と、彼の統べた秘密結社の行いを知る身なれば、この男の望みだけは叶えさせるわけにはいかない。
――とはいえ、だ。
俺の拝命していた任務の達成と、最大多数の最大幸福。
後者は俸給分を超えているだろうが、これを実現するにはいささか骨が折れる。
まず間違いなく、先ほど少しくPDAをいじって諦めた、名簿の早期閲覧よりも。
「この程度の挑発には乗らないか。さすがに望みの半分を叶えただけのことはあるな、敗北者」
「ふ……ッ、」
ついに刀を離して繰り出された、右の四本貫手。
本来ならば瞬時に相手の水月を衝こう一撃は、しかして風切る速度を喪っていた。
兇眼者が邪視に込めた呪いは、二度死ねるような完全者ですら等しくその手に絡めとる。
だが、やすやすとムラクモの一撃を避けた塞は、ほんのわずかに頬の皮膚を突っ張らせていた。
ムラクモ。アカツキ零號。
人口調節審議会を立ちあげてなお、完全教団の者どもに『人減らし』を実行された男。
軍人としての義務を果たすことなく二度死に、その後に掲げた使命を横取りされた旧陸軍武官。
ゲゼルシャフトの壊滅も含めれば明らかに負け続けている男は、痛い事実をつく言を聞いて――小ゆるぎもしていない。
「死にたく、なければ。そこを退け」
諦めぬ者の声が途切れるまでに、その姿もかき消えていた。
電光迷彩。電光機関の力を発揮することによって、一時的に自身を不可視とする技だ。
まるで亡霊のように、塞の目前を生ぬるい微風が横切って征く。
それを追ってさやさやと、朝の風に針葉樹の葉が鳴った。
◆◆
「あー、これは……やっちまったなぁ……」
大物食いをやり損ねた諜報員は、今度こそ赤いタイを緩めた。
だらしのない仕草と裏腹に、その声には強く自身を叱責する芯がある。
思えば、負けなどという言葉にあの男が反応するはずはなかったのだ。先刻引き出して利用した記憶のとおり、あの男は、『過去にいちど負けを認めていた』のだから。
軍人――望んで軍に入り、陸大さえも出ている将校としての義務を果たさなかったことに怒りを示したという一点によって忘却していたが、あの男が電光機関や複製體などを研究していた時期は、ベルリン陥落以前にさかのぼるのだ。その目で日帝の降伏を見ていなくとも、電光戦車のような『一億玉砕』を容易に実現しうる兵器を開発しかけた男の頭脳と内部情報は、自国の敗北を嫌でも彼に教えたことだろう。
ならば、すでに名も知れぬ『彼』は、武官であった頃――あるいはアカツキ零號やムラクモといった彼自身を直喩しないコードネームを手に入れたそのときに、軍人としては戦死していたにも等しい。
そして、すでに死んでしまったものは、それ以上に殺せない。
生き果てたかれらの有する魂は、いかな意味においても穢せはしない。
仮に殺すことがかなったとしても、あの男は、まったき同じ顔で転生を繰り返す。
「旧人狩りの裏を探るだけで良かったはずだが、またもタフな寄り道か。
お嬢ちゃんを救うような寄り道なら、汚れ仕事がならいの俺は喜んで歓迎したんだがね」
しかしこれじゃあ、『不運』はどっちか分かりゃしねえ。
自嘲とともにタイを締め直した塞は、両の手を自由にしたままで歩みを再開した。
◆◆
「『我と共に』、か」
口の中で転がした言葉は、空疎に過ぎる後味を残した。
共に。同じに。それは、つまり、あの女も正しく『女』であったということか?
――私も完全者となり、転生の法を会得した。お前にもう用は無い。
正対称の関係を望まぬたぐいの者にとり、それを口にした者の思いは一生かかっても理解し得ない。
孤高や孤独、相似でもって繋がらんとする完全者ミュカレの思考は、孤独を恐れぬムラクモと相容れない。
これ以上何を望む。決まっている。人減らしが終わったというのなら、自分の行うべきことはひとつだ。奪われても殺されても負けようとも、たとえ過去に無用の執着を受けていたとしても、歩むべき途に変わるところはひとつもない。
ただ、轟々と散りゆく、満櫻を見たかった。
それは四方を海に囲まれた国家にあれば、『仇なす國を攻めよかし』で一定の納得が出来る海軍以上に、なにものかを無条件で信じねば成り立たなかった陸軍将校――侵略者の末路を思ってのことか。
それともすべてを通過儀礼と心得て生きる者たちの弛緩を、変わり果てた祖国で目にしたからか。
死んでしまうその前に、自身が拠って立てる名さえ捨てた男は鼻にかかった笑みをこぼす。
そもそもの始まりすら定かでない殺し合いの場に招かれてなお、孤独の極致たる神を望んで目指す男の挙動に、揺らぎというべきは微塵もない。
菊の御紋が刻まれた太刀を手にしていても、少なくとも表面上は同じだ。
当然といえば、当然のことではある。
彼の始まりすら定かでないのは、この場を離れた現し世においても、なんら変わりはなかったのだ。
【D-04 南西・高原池→???/朝】
【ムラクモ@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康、移動低下(時間経過で解除)
[装備]:菊御作、六〇式電光被服@エヌアイン完全世界
[道具]:基本支給品、不明支給品0〜1
[思考・状況]:自らに課した責務を果たす
【D-04 南西・高原池→???/朝】
【塞@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、不明支給品1〜3
[思考・状況]:自らが受けた任務を果たす
【菊御作(きくごさく)】
後鳥羽上皇みずから御番鍛冶と鍛造した太刀。
茎(なかご)には銘でなく、十六葉の菊文が刻まれている。
亜音速で高高度を征く鉄の獣は四方を海に囲まれた國を攻めんとする者の存在を早期に認め、ときには海の向こうで、爆弾を雪のごとくに降らせる。
それが高津770型大型爆撃機〈てつゆき〉に望まれた姿であり、これまでに果たしてきた役割である。
高津重工が当時に持ち得た技術の結晶といえようこの巨人機は、海洋国家の護手にとり必須となる航続力の高さ・哨戒機としての要素を多分に含むというスペックに加えて
「爆撃機として単純かつ純粋な運用が可能である」
という点をもって自衛隊に受け入れられた。
武器の換装や改造を経て、機体は運用開始から数十年が経過した今も各地に配されている。冗長性を最大限に発揮した、兵器が理想型のひとつ。合衆国が擁する爆撃機にも似て巨大な、
難攻不落の空の城。
爆撃機のあだ名を思い出した、男は額を左手で押さえた。笑いが乾いて喉にくぐもる。
銃後の者をも巻き込んで死をもたらして征っただろう城が、地上にあっては要塞(フォートレス)。在りし日に國を焦土とした米軍の機体と、いま自国の民を護るものとが、同じ名で呼ばれていたとは。
そして、そこにひとつ付け加えるならば。
要塞と呼ばれた爆撃機は、この國で『撃破』されている。
笑みを収めた男にとって、それは、きつい酒を思わせる皮肉だった。
黒手袋をはめた五指のあいだを、色の失せた髪が流れていく。秀でた額と激情を抑えて寄った眉、眼頬溝に刻まれた陰も、掌のおとすのっぺりとした影に隠された。
人の影すら見えぬ廃墟よりきびすを返す、その前に、彼は墜ちた巨人を見据える。
血の色をした双眸も、削ぎ落とされたような曲線をえがく頬にも、感情は表れていない。
爆撃機もまた、製作者が想像もしなかった方向に改造をうけた姿を晒して動かない。
……両翼下に、みっしりと詰め込まれた土嚢。
各所に取り付けられた、重機関銃とジュラルミンの防盾。
気休めにはなるとでも思ったか、後背部には欺瞞紙の発射機――。
その威容だけで判断をくだすのならば、爆撃機としてのアイデンティティを徹底的に削り取られた〈てつゆき〉は、まさに地上の要塞となっていた。
だが、要塞の内部から漂う臭いは肉の。ヒトの腐り落ちるそれに他ならない。
死者の墓標もなく、位置も記録されず、伝染病への備えという卑近さを由とした埋葬すら行われず。そこここが雷に焼け、刃に裂かれた装甲の底部は、黒くねばった血肉で塞がれている。
威容。厚い装甲と巨獣のごとき外観が人にもたらしていたであろう、信仰とも言うべきなにものかすら、死と敗北によって塗り替えられてしまった、いま、このとき。地上の要塞は即席のトーチカよりも頼りない、鉄の棺にと堕していた。
「……敵手の本拠も策源地も不明である以上、狩人どもへの戦略爆撃は不可能。
電光機関によって誘導弾と電探がともに無力化されるのであれば、武器を換装する意味もない。
もとより出撃を行おうにも、空にありしを剣舞で落とす手合いが相手であったなら」
死に抗った者の無為と無力をつらねる声が、廃墟をわたった。
誰に向けられたものでもない囁きに、しかして瑕瑾をあげつらう響きはない。そればかりか最後まで。最後の最期まで戦って果てた、諦めを知らぬものに対する敬意さえにじんでいる。
聖堂騎士団が手にかかれば離陸も許されず、かといって任務を投げることもかなわず。『旧人狩り』がもたらした魔女の大釜をまえに、おのが無力と過誤の代償を思い知らされ、
それでも自身に可能なことを行った者たちの健気を信じずして、この世のなにを信ずるか。
言葉に続いて思考を切りあげた、男は額から手を離した。
風にあそびゆく髪の下から眉間の皺がのぞけても、顔貌からは怒気の欠片もみとめられない。
日本人離れして深い陰影を刻む眉は、彼に内在する憐憫を示して静謐である。
「ならば――重大なる秋を迎えたのだな。現し世の、いずこにあるものも」
諦めを知らぬもの。
ただ、専守防衛の責務を果たさんとの誓いに殉じていった騎士たち。
かれらの屍が埋まる残骸要塞を背にした男の瞳は、瞬間硝子玉のような光をみせた。
◆◆
――目覚めたとき、目に映る物は全て敵だということを覚えておくのだな。
完全者ミュカレの言に倣うならば、塞にとっての最初の敵とは湿気である。
薬剤による睡眠から醒めた彼を取り巻くものは、白く透き通る朝の日差しと針葉樹が半ば以上を占める森。かてて加えて、低地へ向かって幾筋かの川を作っている水源だったのだ。
地図を一瞥しただけで現在地が判明したことは幸いであると言えようが、陽光はすずしげな見目に反して容赦を知らない。湿度の低い土地で生み出されたスーツ――運の悪いことに、色は黒だ――と腰まで届く長髪も手伝って、彼は気温以上の熱感をおぼえている。
「いやぁ……暑い、暑い暑いねェ」
すくなくともドレスシャツの襟をはたいて風を呼び込む彼の、どうにもしまらない様だけを見れば、そうと断言出来ただろう。
だが、塞の視線を隠しきっているワインレッドのサングラスは、彼が首をうごめかせたひと刹那、爬虫類を――いちど獲物を呑み込めば、けして逃さぬものを思わせてぬめる光を放っていた。
「夏じゃなくとも夏の日和だ。まったく日本の夏ってヤツは、親密さってものを履き違えてやがるぜ」
ひとりごちる声の錆付きは、小悪党と紳士というふたつの印象を見事に両立させている。
小悪党。新華電脳公司のエージェントという仮面では隠せぬ品性を有するイギリス情報局が諜報員は、風に流れた髪を後ろへ撫で付けた。足を踏み出すのと連続した動作で、両手をズボンの前ポケットに入れる。
その状態でこともなげに斜面を降りていく、彼はつと立ち止まって右手を上げた。
はるかな型の敬礼にも似た仕草で人差し指を額に添わせ、晴れすぎて冷たい空を見上げる。
「やれやれ。だれが言ったか『戦争の夏』だ、こいつは」
目立って大きな声を上げても、挙手した脇は締まっていた。「よく晴れた空に白い雲。うってつけの日とはかけ離れたもんだが、それでも殺り合って死ぬには、今日はいい日なんだろうさ。なあ、旦那」
諧謔と、それを支える理性のあらわれを体現した呼びかけに、応じる者も笑ってみせた。
陽光をはじく白い髪。日本人離れして彫りの深い、峻厳なものを纏った顔立ち。旧陸軍武官たる男はにやつくはずもなく、口角を冷たく吊り上げている。
「こうしてまみえるが三度となれば、もはや剽げる要もないか。クロード・ダスプルモン」
「そのとおりだ。ムラクモ。アンタの目的なんざ、いまさら考えるまでもないからな」
牽制じみた言葉の応酬を行いながら、塞は左手もポケットから抜き出した。
やれやれと腕を組んだ視界の先ではムラクモの唇が描いた曲線の優美と、腰に佩いた太刀――芸術品との形容もかなう得物のそれとが、ひどく似通って見えたのだ。
ゆえにこそ、塞はオーバルのレンズの下で涙袋に力を入れ、過去の記憶を引き出す。
「戦い、闘争――戦争。あのお嬢ちゃんが仕掛けたこいつも戦争の縮図さ。
なんなら『スプレンディッド・リトル・ウォー』とでも形容してやろうかね?
皮肉としちゃすこしばかり直截だが、軍事物資をちょろまかしたそちらさんもお好きなのが」
「…………」
「死ね、と言うかい? 二度目と同じに?」
逆手に太刀の柄を握った男に向けて、塞はサングラスを外して言い放った。
理合いで紡がれた悪意の言の葉は、かつてムラクモの怒りを目にした塞だからこそ作り得た一手である。
裂帛の気合とともに放たねば成らぬ居合とは違い、片手が潰れようとも切ることのかなう兇眼――ムラクモがサングラスを外すという予備動作を知っている札ではなく、より広い間合を捉えることの可能な邪視でもって相手の機先を制した点も、また。
「冬眠制御があったとはいえ、それだけ生きてりゃ怒る気力も失せように」
続いた嘲弄は、対面の男を怒りで揺らがせるための言葉だった。情報をもとに相手を理解し封殺することこそあれど、敵手との交流による相互理解など、王国に仕えし剣十字の騎士は望まない。
より正確には、ムラクモが掲げる『彼の勝利条件』を知るがゆえに望めない。
星の未来。ルール・ブリタニアよりも上を行く野望を掲げ得た、完全者の秘儀を知る男。
すべてを平等に殺すと明言出来た、彼は日帝軍人であった自身の瑕瑾をつつかれて怒った者でもある。
その、あまりの人間らしさ。長い生のなかにあっても軍人としての自身を忘れることの出来ない『神』の姿と、彼の統べた秘密結社の行いを知る身なれば、この男の望みだけは叶えさせるわけにはいかない。
――とはいえ、だ。
俺の拝命していた任務の達成と、最大多数の最大幸福。
後者は俸給分を超えているだろうが、これを実現するにはいささか骨が折れる。
まず間違いなく、先ほど少しくPDAをいじって諦めた、名簿の早期閲覧よりも。
「この程度の挑発には乗らないか。さすがに望みの半分を叶えただけのことはあるな、敗北者」
「ふ……ッ、」
ついに刀を離して繰り出された、右の四本貫手。
本来ならば瞬時に相手の水月を衝こう一撃は、しかして風切る速度を喪っていた。
兇眼者が邪視に込めた呪いは、二度死ねるような完全者ですら等しくその手に絡めとる。
だが、やすやすとムラクモの一撃を避けた塞は、ほんのわずかに頬の皮膚を突っ張らせていた。
ムラクモ。アカツキ零號。
人口調節審議会を立ちあげてなお、完全教団の者どもに『人減らし』を実行された男。
軍人としての義務を果たすことなく二度死に、その後に掲げた使命を横取りされた旧陸軍武官。
ゲゼルシャフトの壊滅も含めれば明らかに負け続けている男は、痛い事実をつく言を聞いて――小ゆるぎもしていない。
「死にたく、なければ。そこを退け」
諦めぬ者の声が途切れるまでに、その姿もかき消えていた。
電光迷彩。電光機関の力を発揮することによって、一時的に自身を不可視とする技だ。
まるで亡霊のように、塞の目前を生ぬるい微風が横切って征く。
それを追ってさやさやと、朝の風に針葉樹の葉が鳴った。
◆◆
「あー、これは……やっちまったなぁ……」
大物食いをやり損ねた諜報員は、今度こそ赤いタイを緩めた。
だらしのない仕草と裏腹に、その声には強く自身を叱責する芯がある。
思えば、負けなどという言葉にあの男が反応するはずはなかったのだ。先刻引き出して利用した記憶のとおり、あの男は、『過去にいちど負けを認めていた』のだから。
軍人――望んで軍に入り、陸大さえも出ている将校としての義務を果たさなかったことに怒りを示したという一点によって忘却していたが、あの男が電光機関や複製體などを研究していた時期は、ベルリン陥落以前にさかのぼるのだ。その目で日帝の降伏を見ていなくとも、電光戦車のような『一億玉砕』を容易に実現しうる兵器を開発しかけた男の頭脳と内部情報は、自国の敗北を嫌でも彼に教えたことだろう。
ならば、すでに名も知れぬ『彼』は、武官であった頃――あるいはアカツキ零號やムラクモといった彼自身を直喩しないコードネームを手に入れたそのときに、軍人としては戦死していたにも等しい。
そして、すでに死んでしまったものは、それ以上に殺せない。
生き果てたかれらの有する魂は、いかな意味においても穢せはしない。
仮に殺すことがかなったとしても、あの男は、まったき同じ顔で転生を繰り返す。
「旧人狩りの裏を探るだけで良かったはずだが、またもタフな寄り道か。
お嬢ちゃんを救うような寄り道なら、汚れ仕事がならいの俺は喜んで歓迎したんだがね」
しかしこれじゃあ、『不運』はどっちか分かりゃしねえ。
自嘲とともにタイを締め直した塞は、両の手を自由にしたままで歩みを再開した。
◆◆
「『我と共に』、か」
口の中で転がした言葉は、空疎に過ぎる後味を残した。
共に。同じに。それは、つまり、あの女も正しく『女』であったということか?
――私も完全者となり、転生の法を会得した。お前にもう用は無い。
正対称の関係を望まぬたぐいの者にとり、それを口にした者の思いは一生かかっても理解し得ない。
孤高や孤独、相似でもって繋がらんとする完全者ミュカレの思考は、孤独を恐れぬムラクモと相容れない。
これ以上何を望む。決まっている。人減らしが終わったというのなら、自分の行うべきことはひとつだ。奪われても殺されても負けようとも、たとえ過去に無用の執着を受けていたとしても、歩むべき途に変わるところはひとつもない。
ただ、轟々と散りゆく、満櫻を見たかった。
それは四方を海に囲まれた国家にあれば、『仇なす國を攻めよかし』で一定の納得が出来る海軍以上に、なにものかを無条件で信じねば成り立たなかった陸軍将校――侵略者の末路を思ってのことか。
それともすべてを通過儀礼と心得て生きる者たちの弛緩を、変わり果てた祖国で目にしたからか。
死んでしまうその前に、自身が拠って立てる名さえ捨てた男は鼻にかかった笑みをこぼす。
そもそもの始まりすら定かでない殺し合いの場に招かれてなお、孤独の極致たる神を望んで目指す男の挙動に、揺らぎというべきは微塵もない。
菊の御紋が刻まれた太刀を手にしていても、少なくとも表面上は同じだ。
当然といえば、当然のことではある。
彼の始まりすら定かでないのは、この場を離れた現し世においても、なんら変わりはなかったのだ。
【D-04 南西・高原池→???/朝】
【ムラクモ@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康、移動低下(時間経過で解除)
[装備]:菊御作、六〇式電光被服@エヌアイン完全世界
[道具]:基本支給品、不明支給品0〜1
[思考・状況]:自らに課した責務を果たす
【D-04 南西・高原池→???/朝】
【塞@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、不明支給品1〜3
[思考・状況]:自らが受けた任務を果たす
【菊御作(きくごさく)】
後鳥羽上皇みずから御番鍛冶と鍛造した太刀。
茎(なかご)には銘でなく、十六葉の菊文が刻まれている。
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