国名クメール共和国(សាធារណរដ្ឋខ្មែរ)
首都プノンペン(ក្រុងភ្នំពេញ)
国の標語ការរួបរួមរបស់ប្រជាជនគឺជាអំណាច!
(諸民族の団結は力である!)
国歌ទឹកដីនៃមាតុភូមិចែងចាំង
(光輝く祖国の大地)
人口約1億1130万人
通貨単位ローバイ(រូបិយ)


概要

東南アジアのマレー半島に位置する多民族国家であり、首都はアンコール。稲作が盛んでありメコンデルタは東南アジア有数の穀倉地帯である。
気候は熱帯季節風気候で5月〜10月が雨季、11月〜4月が乾季である。
人口は1億を越えるものの民族としてのクメール族はおおよそ3000万人程度であり諸民族の団結が謳われている。

国名・国旗・首都・標語・国歌

国名

正式名称は支配民族であるクメール族に由来する「クメール共和国」であるが、クメール族は太祖カンプーシャに由来するカンプチア(កម្ពុជាក្រោម)と呼称している。

国名の変遷
期間国名
〜802真臘
802〜1864アンコール王国
1865〜1943クメール王国
1943〜1987クメール人民共和国
1988〜クメール共和国

国旗

上から恵みをもらたす水(青)、半永久的に燃え続ける火(赤)、平和(白)を表し中央にはクメールを代表するアンコール・ワットが描かれている。
ちなみに、赤は永遠の象徴である火を表すと言うのが公式発表ではあるが、人民が権利を獲得するのに流した血を表すと言う風説が存在している。

首都

首都はメコン川に面するプノンペンである。プノンペンはアンコール期に寺院が築かれたことにより繁栄し始め、一度アユタヤによりアンコールが陥落したときに臨時首都になるなど、古来より重要視されていた。1943年の社会主義革命でクメール人民党が決起したのもこのプノンペンである。
1943年以前には首都はアンコールに置かれていた。

標語

期間標語
1878〜1943សូមសរសើរស្តេចជាទីស្រឡាញ់របស់យើង
(讃えよ、我らの親愛なる国王を)
1943〜1965ការរួបរួមរបស់កម្មករគឺប្រសើរជាងអ្វីៗទាំងអស់!
(勤労者の団結は全てに勝る!)
1966〜1987តោះសង់វា! យូធូបរបស់យើង!
(築き上げよう!我らの理想郷を!)
1988〜1994សូមបំបែកចេញពីសម័យមុន!
(前時代から決別しよう!)
1995〜ការរួបរួមរបស់ប្រជាជនគឺជាអំណាច!
(諸民族の団結は力である!)

歴史

詳しくはクメールの歴史を参照

アンコール朝

8世紀頃にクメール共和国の前身であるアンコール朝が成立する。この国家は中国に朝貢しつつ12世紀には最盛期を迎えた。モンゴルの来襲などかあるも地の利を生かしこれを撃退。
13世紀にはクメール人が元来保有していた宗教のコンポトム教の国教化が行われた。この頃アンコール王家はヒンドゥー教を信奉しており首都アンコールにヒンドゥー教の寺院のアンコール・ワットが建築された。インドの影響を強く受けて建築されたこの寺院は後に仏教、そしてコンポトム教の寺院に変化した。
16世紀には独立し勃興しつつあったアユタヤを打ち破り再びタイを統治下においた。香辛料を求める大航海時代の頃であった為にヨーロッパ人との接触が行われた。
その後、欧州列強によるアジア侵略の時代にはアンコール朝は近代化された軍を保有していた為にフランスとイギリスの緩衝国家として存続し続けた。

立憲革命

1921年には絶対王政に反対する市民により立憲革命が発生した。この革命は首都アンコールを中心に全国に広まり国王が譲歩することで終息し人民主権の国家へと変貌した。

クメール人民共和国

1923年の革命にてクメール人民党が政権を奪取し社会主義社会の建設に取りかかった。議員と結び付いて汚職にまみれていた王制を廃止し、社会主義政党以外の政党の政治参加を禁止するなどの政策を行った。
伝統的な農業共同体を基盤とした社会主義社会を建設することを目指したが都市部と農村部の経済格差は埋めがたく農民は都市へと流出していった。
1986年にはこれまでの社会主義社会の建設路線の結果「社会主義社会の基盤が完成した。」と宣言され同時に「最早、我々が生きる社会はマルクスの生きた時代とは異なり、我々はマルクスの理論をより進化させ時代に適合させなければならない。」とされた。この宣言が出された第71回人民党党大会の時点でクメールの国民経済は行き詰まりつつあり、酸欠状態に陥っていた。その為に党はそれまでの教条主義的な路線から改革を決意して経済改革を行った。その結果鈍化していた経済成長率は再び改善し、マルクスの説いた「各人の自由な成長がその他の全ての人の成長を阻害しないばかりか、かえってその条件となる理想社会」(※共産党宣言より抜粋)の建設に向けて今もなお邁進しているのである。

地理・地方行政


詳しくはクメール共和国行政区分を参照
東南アジアの大陸部分に存在する。国内は多くがジャングルに覆われており典型的な高温多湿の気候である。
メコン川やチャオプラヤー川などの大河が国内を流れており、流域では灌漑による稲作が盛んである。また、東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖が存在する。
5月〜10月が雨季で11月〜4月は乾季である。

文化

宗教

コンポトム教を参照
国民の中で3割程度を占めるクメール人は伝統的なコンポトム教を信奉し、タイ人やラオス人は仏教を信奉している。また少数のイスラム教徒やキリスト教徒が存在している。

交通インフラ

詳しくはクメール国鉄を参照
国内には鉄道網が引かれており鉄道輸送が最も多い。道路も整備されているものの車の絶対数が少ないため輸送量は低水準に留まっている。
ロシアから技術を多数導入することでの交通インフラの近代化を図っているが遅々として進んでいない。

政治

かつての支配政党であるクメール人民党が第一党として権力を握っている。その次に自由党が支持されている。
タイ人やラオス人の独立運動が盛んであり、独立運動の沈静化が常に問題として存在している。また市場経済導入時に発生した貧富の差の解消や、都市への人口流入などの問題を抱えている。
政治体制は議会が政府を統制し、司法は完全に独立するものの裁判の公開を行う極度なまでの人民主権が貫かれている。

経済

降水量を生かした農業や軽工業が盛んであり、勤労者の約60%が農業や軽工業に従事している。重工業はメコン川流域で発展しているが同時に環境汚染をもたらしている。
市場経済導入時に大量発生した新興資本家達はその後互いに潰しあい、生き残った資本家は強大になっていた。彼らによりクメール経済は成長を続けているが一部が政党と癒着していると言う噂が流れている。

軍事

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