朝日放送 | アタック25 のデータ倉庫

 「東リ・パネルクイズ アタック25」は1975(昭和50)年4月6日(日)、朝日放送制作、ANN系列での全国ネット番組としてスタートを切った。しかし、この番組のスタートの裏には、日本の放送史上に残る「事件」が深くかかわっている。

 アタック25のスタートの1年前となる1974(昭和49)年4月7日(日)、毎日放送で昼2時からの30分番組として「クイズ・イエスノー」の放送が開始された。司会は児玉 清さんと毎日放送の佐藤良子アナウンサー。 内容はシンプルな2択クイズであったという(参考ページはこちら)。毎日放送は当時日本教育テレビ(NETテレビ、現テレビ朝日)とネットを組んでおり、番組もANN系列の全国ネットで放送されていた。ただ、番組自体は半年後にタイトルを「5人抜きクイズ・イエスノー」と変え再出発を図るなど決して順調ではなかったようである。そして、この番組の1社スポンサーを務めていたのが東洋リノリユーム(現東リ)であった。

 ところで、この話のもう一方の当事者である朝日放送は当時東京放送(TBS)とネットを組んでJNNに加盟していて、現在とはまったく逆の状況になっていた。このあたりの経緯は朝日放送や毎日放送の社史、あるいはインターネット上にも数多く記載があるのでそちらを参照していただくとするが、ネットワークのキー局であるNETテレビは朝日新聞系、TBSは毎日新聞系の放送局と位置付けられていたため、東京−大阪のネット関係は違う新聞社系列の放送局同士がネットを組む「腸捻転」 と呼ばれる状態になっており、このことが朝日新聞社サイドを中心にかなりややこしい問題となっていた。ネットを組替えれば済む話であるが、 日本初のテレビネットワークとして各地の有力局が加盟し歴史も力もあったJNN系列と、 テレビ東京系を別とすれば最後発となる1970(昭和45)年の結成、しかも大都市圏の後発局が中心で結成当時のフルネット局はわずか5局にすぎなかったANN系列(後のANNが全国拡大するのはかなり後の話である)では大きな差があり、ネット替えとなればANN系列に移ることになる朝日放送は長らく難色を示していた。しかし、 紆余曲折を経て結局昭和50年春をもって朝日放送がネット替えに合意。JNNに毎日放送が移り、ANNに朝日放送が参加することとなった。

 しかし、ここで問題がおきた。ネットチェンジが図られることで放送番組の大幅な入れ替えが当然のように発生する。毎日放送制作の「アップダウンクイズ」は東京での放送局がNETテレビからTBSへ移り、逆にNETテレビの「クイズタイムショック」は 大阪のネット局が毎日放送から朝日放送へ移された。このように番組を入れ替えていく過程で「5人抜きクイズ・イエスノー」の枠が毎日放送〜TBSの新ネットでは消滅することになった。しかし、「イエスノー」自体の評判はともかく、スポンサーの東洋リノリユームとしてはせっかくの全国ネット提供枠を失うのはしのびないとばかりに、引き続いて同じANN系列でクイズ番組を 提供することを希望。毎日放送にかわってANNの大阪準キー局となった朝日放送は類似時間枠に番組を制作することとなった。

 新クイズの制作に当たっては枠組みがMBSから引っ越してくる、という特殊な事情もあってかそのMBSですでに10年あまり放送されている看板番組でもあり、当時の日本のクイズ番組の最高峰といっても過言ではなかった「アップダウンクイズ」を参考にしたという。初代番組プロデューサー三上泰生氏の著書「6chは上方文化や」 (大阪書籍)に詳しい記述があるが、クイズ問題のクオリティの高さ、一目で誰が勝っているのかが判る趣向のおもしろさ、ルールの非情さ。アップダウンの人気の三要素ともいえるこれらを新クイズでは取り入れることとなった。クイズの作成など番組の構成は 「イエスノー」の構成スタッフでもあり、「アップダウンクイズ」でも構成を務める堤 章三さんが担当。またカラーパネルによるオセロゲームをクイズとドッキングさせるという趣向は「白黒テレビでは勝敗がわからないから記号で表示できないか」という今の感覚からは考えられない思わぬクレームが企画段階ででたものの(昭和50年前後だと白黒テレビもまだまだ健在である)将来的なことも考えこれもクリア。また、パネルの獲得枚数で勝敗を決めるためいくら答えても成績がいいとは限らない非情性も企画段階では「それではあまりにもひどすぎる」とクイズの成績でも別に賞金を出す案がでたという。しかし、これがこの番組の最大の特徴であるとプロデューサー三上氏が頑として譲らなかったことで成績を二重構造にする案もボツ。こうして「アタック25」の骨組みは出来上がった。 一方、司会者は「イエスノー」に引き続き児玉さんに要請するが、前番組の経緯もあり当初児玉さんは難色を示したというが東リの意向や説得に折れて最終的には受諾、こうして今日まで続く「アタック25」は第一歩を踏み出したのである。

 準キー局同士のネット替えという放送史上まれにみる大事件の狭間で誕生した「アタック25」。もしネット替えがなければ、もしくはさらに遅れていれば、「アタック25」は出来ていてもそのシステムが今と異なっていたら、今や我が国有数の長寿番組のひとつとして数えられる「アタック25」は存在しないまま、あるいは短命に終わり、ひいては正統派視聴者参加クイズ番組の灯もすでに消えてしまっていたかもしれない。複雑な事情が入り組んだ末、「アタック25」は今なお色あせることなく日曜の昼にスリリングなひとときを我々に提供してくれている。

(参考文献・毎日放送、朝日放送の各社史、三上泰生著「6chは上方文化や」(大阪書籍))

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Posted by ncrlzwsdo 2013年11月19日(火) 08:17:09 返信

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