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色の話


色の話をしよう。
少し長くなると思う。

私が知る限り、Web上で色について最もわかりやすく、かつ詳しく書かれているのは、以下のコニカミノルタのサイトだ。
色々雑学
ここは本当に良く書いてある。絵も豊富だし、全体にわかりやすい。

ただ、教科書に書かれている通りに書かれていて、それとコニカミノルタの計測機器のコマーシャルなので、一番面白いところが「ぼんやり」としてしまっている。

ここには、私がたどり着いた、一番おもしろいと思える所まで書きたいと思う。いろいろと準備がいるけれど、少しづつ進めてゆく。数式はたぶん一つも使わないと思う。ただ鍵となる数字がいくつか出てくる。


さて最初は明かりの色について話をしよう。

明かりの色


明かりに色があることは誰でも知っている。

太陽の光は、白く、真夏などは青白いと思えるほどだ。もちろん眩しさ、光の強さもあるが、色もある。朝や夕方は赤い。赤黄色いという感じかな。季節や天気、空気によってずいぶん色は変わる。

電球にも色がある。白熱球はちょっとオレンジっぽい色だ。もちろん白に近いのや、青白いのもあるが、普通に買って使う60Wとかの白熱球は、真っ白ではなくてオレンジっぽい。それに比べると、蛍光灯は白いのが多い。ろうそくの光は黄色から橙色に近い。

舞台照明では、ライトの前に色フィルタをくっつけて、色つきの光源を作り出す。赤や青や、さまざまな色の光が投影される。またレーザーには赤、緑、さらに青紫色のレーザーまで作られている。

この明かりの色ってのはなんだろうか。

光というのは電磁波(でんじは)の一種だ、というのは学校で習う。ただここでは、電磁波のことを詳しく知る必要はない。空中を伝わる波の一種だというのが分かっていればいい。

波なので、水面の波とおなじく、波の山と山の間隔と、山の高さにいろいろ違いがある。さざ波は間隔が狭くて、高さが無い。大波は間隔が広くて、高低差がとても大きい。

この山と山の間の長さを波長(はちょう)という。こっちは色の話を分かるのには大事だ。山の高さを振幅(しんぷく)という。こっちは光の強さに関係するけど忘れてもいい。

小学生の時に、プリズムで太陽の光を虹にしたことがあるだろう。プリズムっていいよね。

白い太陽光が、赤やら黄色やら、緑やら、青やらのグラデーションになる。継ぎ目の見えない大変綺麗なグラデーションだ。

この赤は、波長が長い。青は短い。

赤の山と山の間の長さは、700nm(なのめーとる)ぐらいだ。700nmってのは、0.0007 mmだ。すごく短い。

青は、430nmぐらい。赤より、さらに短い。

もしちょうど波長が700nmの光があれば、その光は赤く見える。430nmの光があれば青く見える。

色と波長は関係がある。

プリズムは、きれいに面が削られている。光は、この面を通るときに曲がる。その曲がり具合が、波長によって違う。波長が短いほど曲がりやすい。

プリズムから出てくる虹は、曲がり具合が違う光が並んでいる。グラデーションに隙間がないので、太陽の光には長短さまざまな波長の光が漏れなく入っているのがわかる。

虹は波長が長い方から、短い方へ行儀良くならんだ光だ。それが混ぜ合わさって、白い太陽の光に見えている。

電球の光も、同じようにプリズムを通すと虹になる。ただ太陽の光ほどきれいな虹にはならない。赤が強くて、青が弱い虹になる。

蛍光灯の光から虹を作ることもできるけれど、これはあまり筋がきれいじゃない。赤が暗くて、緑や青が強い虹になる。

最近は太陽光に似た色の電球や蛍光灯もあるけれど、虹にしてみると太陽光とは大分違うのがわかる。

プリズムがない人はCDやDVDに反射する光で虹を見ることができる。

明かりの色は、詳しく見ると、この虹のように色々な波長の光が混ざったものだ。虹は明かりの正体と言ってよいと思う。なぜ違う虹になる光が、同じような白い色に見えるのかは後で話します。

次は物の色のことを話そう。

物の色


真っ暗な部屋の中だと物は見えない。見えるのは自分から光を出している物、つまり明かりだけだ。

部屋の電気をつけると物が見える。だから物の色は、明かりから出た光が、物の表面や内側で反射した光の色だとわかる。

では物の色は、明かりの色と同じか、というと、そういうことはなくて、色々な色がある。

最近、生で見ていないけれど、薔薇(ばら)の花というのがある。赤い薔薇の花びらは、赤い。生で見ると、その迫力というか妖艶(ようえん)さが迫ってくるような色だ。

この赤というのは、明かりの色が花びらで反射するときに、赤い光、つまり波長の長い光を良く反射して、青い光、つまり波長の短い光はあまり反射しないので赤く見える。

この光の反射の特性を、分光反射率(ぶんこうはんしゃりつ)というけれど、この言葉は知らなくても良い。

物にはそれぞれ、どの波長の光は吸収して、どの波長の光は反射するかという性質がある。その特性は、例えば600nm以下は一切反射せず、600nm以上はすべて反射する、というような潔いのではなくて、グラフで描くと、ぎざぎざした曲線になるような、複雑な反射をする。

つまり、もともとの明かりが、色々な波長の光の集まりであったので、反射する光も、色々な波長の光の集まりになる。

プリズムで分解した赤色と、薔薇の赤色は、だから同じ赤でも大分違う。薔薇の赤は、700nmぐらいの波長の光を中心として、たくさんの光が混ざった光の色だ。

物の色が、明かりの色によって変わるのは、これも皆良く知っている。料理は蛍光灯じゃなくて、白熱球の下で見たほうが、ずっとおいしく見える。

なぜかというと、物の色は、明かりの色が反射しているのだから、明かりの色に無い色は、どうやっても反射しようがないからだ。

赤が含まれていない明かりで、赤い物を照らしても、赤が反射しないから、赤く見えない。赤いのに赤く見えない。

太陽の光には、人間が目に見える色が全部入っているので、赤い物が赤く見える。これは太陽の色でもある。太陽の光の中から、薔薇が赤い色を選んで、我々に届けてくれているのだ、とも言える。

色々な明かりの下で、物の色がどういう風に見えるかは、この波長ごとの反射の性質がないと、わからない。

分光光度計(ぶんこうこうどけい)という機械があって、これは安くても何十万円、高い物は何千万円という高価な機械だけれど、これを使うと、この反射の性質を細かく調べることができる。私は触ったことがない。

さて光の性質としての色の話はこのくらいにして、次から、私がおもしろいと思った、人間の目と、画像の話に移る。ここからが本番だ。

人間の目と色


これまで赤いとか青いとか言っていたけれど、それは、人間が見てそう思う、ということだ。人間の目を無視して色を名づけることは、できない。

「700nmの波長の光」と「人間の頭の中の赤」が一致しているから、700nmの光は赤い、ということになる。

ここで三原色というのが出てくる。三原色そのものは美術などで習ったことがある人が多いだろう。しかし三原色の本質を理解している人は少ない。

人間の目の中には、赤の光が入ってくると、強く反応する細胞がある。赤にビビッと来る細胞だ。この細胞があるおかげで、人間は赤い色を見分けることができる。

人間の目には、緑の光が入ってくると、強く反応する細胞もある。また青に強く反応する細胞もある。

ところが黄色だけに強く反応する細胞というのは無い。では、なぜ黄色が見えるのだろう。

人間の目には、赤と緑と青に反応する細胞しかない。もちろん赤といっても700nmの波長の光にだけ反応するのではなくて、周辺の色(橙色や黄色にも)幅広く反応する細胞だ。おおよそ400nmから700nmまで幅広く反応するが、600nmぐらいで最も強く反応する山なりのカーブになる。

緑や青に反応する細胞も同じように山なりの反応をするので、黄色い光が入ってくると、赤に反応する細胞と、緑に反応する細胞が両方とも反応して、その強さの違いから黄色だということがわかる。

つまり人間は、三つの細胞の反応の強さしか分からない。

私たちは色を見ている、と思っている。というか、そうしか見えない。

赤い薔薇を見て、赤い、と感じる。ところが、それは三つの細胞の反応の強さを感じているだけだ。

赤、緑、青の三つの細胞の反応の強さを、例えば数字で表すと、色を見ているのではなくて、3、1、1という反応の強さを感じているだけだ。

「おー、大変美しい赤ですね」
というのは
「おー、大変美しい、3、1、1の強さですね」
ということになる。

じゃ逆に、赤、緑、青に強く感じる細胞に、3、1、1の強さを与えると、どうなるか
「おー、大変美しい赤ですね」
となる。

人間の脳が反応しているのは、この細胞の反応の強さでしかないので、細胞が同じ反応をすれば、色が見えてしまう。

コンピュータのディスプレイや、映画、テレビ、デジタル写真は、この原理を使っている。

純粋な赤の波長の光で、黄色や緑が含まれない光があったしよう。プリズムで分解したような光だ。もしくはレーザーとか。同じように緑だけの光を用意する。

さて、その赤だけの光を1の強さ、緑だけの光を1の強さで、同時に人間の目に見せるとどうなるだろう。光の波長としては赤と緑だけが含まれている。プリズムで分解すると赤と緑だけの虹になる、そういう光だ。

目に入った光は、赤に反応する細胞と、緑に反応する細胞をおなじくらい刺激する。すると、人間は
「おー、黄色だ」
と感じる。

もちろん黄色の波長の光を見せても、人間は黄色を見たと思う。ところが、黄色とは似ても似つかない、赤と緑の二つの光が混ざったものを人間は黄色と感じてしまう。

そう。赤と緑を混ぜると黄色になるのではない。人間が黄色と勘違いしてしまうのだ。

三原色というと、色の素(もと)が、赤、青、緑だと思っている人がいる。実は色に素なんてのはなくて、人間の眼をだますのに必要な最低三つの色が、赤、青、緑ということだ。これが三原色の原理だ(光の三原色)。

テレビを虫眼鏡で見たことのある人は多いに違いない。赤、青、緑の点々が並んでいる。これを離れてみると様々な色が鮮やかに見える。テレビから離れるにしたがって、色が突然出現するのではなくて、人間の眼が赤、青、緑の点々を区別できない細かさになると、それらに刺激された別の色が脳内に浮かび上がってくる。

(実際にはテレビもPCモニタも、単純な赤の波長というわけではなくて、赤を中心として、その周辺も含んだ光になっているため、赤と緑だけが発光した場合に、黄色を全く含まないというのは正確ではないが、原理的には正しい。)

人間の眼のいい加減さとすばらしさ


じゃぁ、人間の眼は簡単にだまされる、オンボロな感覚器官なのか、というと、話はそう単純ではない。

例えば、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫色を検知する細胞を持っていたとする。そうすればより正確に色を見る事ができる。ところが数が増えると色々と問題が出てくる。

まず、今の人間と同じだけ細かく見えるようにするには、2倍以上の細胞を詰め込む事になるので、目を巨大にしなければならなくなる。それから今は3つの信号を処理すれば良いのが、7つの信号を処理しなければならなくなるので、脳の方にも大きな負担がかかる。

どうやって人類がこの三原色の視覚になったかには色々仮説があるようだ。いずれにしろ、生きてゆく上での色々な条件のバランスで、こうなっている。

三つの値だけで色を判定するという単純な仕組みになっているおかげで、人間は素早く色を識別できる。この素早さが重要だ。(それでも音に比べるとずいぶん遅いのだが)

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