飛行船通信MLの主催者(few01)が気になった事を記録するWIKI

(古い記事をタイトルを変更し、内容を追記)

さて、
成功する Wiki の条件
という記事をさきほど読んで、なるほどなぁ、と思ったのだが、WIKIを共同作業用という前提で書いているのが気になった。WIKIの成功とか失敗とかいうのは、WIKIを使って共同編集サイトを作った場合に、それが盛り上がるのか否か、ということとして書かれているのだが、それをWIKIの成功/失敗、と言うのはちょっと問題がある。

WIKIはブログ同様に個々人のメモを残す仕組みとして、もしくは、2、3人など、ほんの少数の人数で掲示板的に使う目的の場合を考えても、かなり使える、というか私としては理想的と思える仕組みである。

残念ながらWIKIはweb browserの仕組みを使っているので、編集モードと閲覧モードがある、という問題はあるものの、バネバーブッシュのメメックス=ハイパーテキストを、最も忠実に具現化したものと言える。

何も共同作業に限定して考える事はない。知を蓄える仕組みとして、知識の断片が相互につながり合った仕組みを使うということだ。一人でも、二人でも、そこに人間がある限り、知は存在する。

私自身も勘違いしていたのだが、WIKIをあくまで共同作業専用、という視点で捉えると、可能性を見損なう。世の中にまだ多く、そういう勘違いが多い。ここlivedoor WIKIにも、みんなで編集、というような謳い方がしてあった。



編集モードと閲覧モードについて追記:

思えば、論文や報告書を執筆する時に、未だに印刷をしてみないと上手く修正できない、という人がいる。私もある程度できあがったら印刷して、別の視点で見直してみるとアラが良く分かる。だから、編集モードと閲覧モードという区別にも意味はあると思う。

ただ、閲覧している途中で、手を入れたくなることがある。赤を入れたり、てにをはを修正したくなる。その時に、画面はそのままの状態で編集モードに入ってほしい。viのように。この程度はなんとか技術的に解決できないものか。



紙のメモやワープロでは、編集だからといって、いちいち編集モードに移行する必要がない。思いついた所に思いついた時に即座に記入できる。WIKIやBLOGは、編集モードに移行して書き直す必要がある。だから書けるようになるまでにワンクッションある。そのワンクッションの間に、忘れたり、書きたかったことが薄れていって変質してしまう。

ただ、紙のメモやワープロは個々にバラバラに管理されているので、該当するドキュメントを探し出したり、目の前に持ってくるのに時間がかかる。ワープロのファイルしかり。MS Wordに至ってはアプリケーションが起動するのに時間がかかるという致命的な欠点がある。

このような状況に対して、美崎さんのSmartWriteなど、さまざまなトライアルがなされている。理想的には、考えた事がそのままハイパーテキストになる、という状態であり、それもネットワークを介して多数の人が、同時に編集可能という状態である。TRONの化身が良いという話もある。

これらは、まだ実用レベルではないが、技術的には不可能ではない。

ただ少し考えてみたのだが、編集モードと閲覧モードが別だ、というのにも実は意味があるような気がしてきた。もともとはHTTPが極めて単純なプロトコルであるが故に、こういう制限ができたのだが、実は単純、シンプルであるというのは、けっして悪いことでなくて、シンプルな基盤の上にこそ、様々なものが実現できる。まだ、十分、頭の中で整理できていないが、パケット通信をベースとするコンピュータネットワークの本質が、非同期かつ、不連続な応答を呼んでいる。だから編集モードと閲覧モードという垣根は、けっこう根深いものであって、小手先の技術で、たとえば細かなフロー制御や競合解消を行ったとしても、結局は広まらないのかもしれない。

あ、そうだ。Webブラウザ側で、キャッシュすれば良いのではないか?つまり、ブラウザ上で直接HTMLページが編集できるようにして、ただしその編集結果は非同期でサーバーにアップされる。パームのシンクロナイズのように。

うーん、技術的には難しくない。しかし、やはり広まらないだろうな。

今後のネットワーク社会における書き手には、編集(入力)モードと閲覧(発行)モードという区別を感覚的に敷居と感じず、意識の自然な在り方と感じれるような心持ちが求められるのかもしれない。人間が機械に歩み寄る一つの手段として。


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