多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

戦争
事件

概要

北方帝国の歴史においては、自らを横暴に支配する宗主国から独立を遂げた数十年に及ぶ独立運動と戦争の歴史である。しかしながらその他の諸国の歴史においては暴動と騒乱の結果、採算のとれなくなった北方氷土の植民地を手放し、その後の無秩序な戦乱が収まるまでの一連の歴史である。
結果として北方諸国による連合帝国、通称北方帝国が成立するが、この帝国はその後の第二次建国戦争の後の外交によって各宗主国から認められるまで、「叛徒」と呼ばれ、国家扱いはされず、また治安も不安定なままであった。

開戦前夜

巨大隕石の墜落と、その後の巨大火山の爆発等の気候変動による北方氷度?の融解の結果、諸国は争うようにして植民地の建設を行った。しかし、その結果として北方氷土の植民地の殆どは、地続きの領域ではなく、各国それぞれにとって飛び地が点在する状態になってしまった。また、北方氷土への巨大隕石落下や火山の噴火の際の日照時間の深刻な低下によって大量発生した琉民たちも各国に先駆けて非合法に植民地開発を行っており、氷土時代から若干いた先住民や土地の繋がる草の民の一部族と結びついて無視できぬ土豪勢力や軍閥と呼ばれる勢力を各地に築いており、それらは北方氷土地域の開発において無視できぬ勢力となっていた。
 それらの宗主国の送り込んだ開拓団と土豪勢力との間で小競り合い、場合によっては大規模な衝突が起きることが度々あったが、植民地が無秩序な飛び地状態になっている状態では、それらの騒動に対して各宗主国共に効果的な軍隊の派遣は不可能であった。結果として、各植民地は独自に自衛の手段を講じる必要があり、場合によっては宗主国が敵対している場合でも、近隣にあるその植民地と手を結ぶこともあった。
 また、この時点において、北方氷土の植民地への投資はその回収は難しいのではないか? という意見も、一部の商会や各宗主国の財務を扱う役人から出てきており、これらの意見が後になって北方氷土地域の植民地破棄へと繋がったのも事実である。
 

開戦

この事件が内乱や戦争の類であるのかは、各国ともに定義が分かれるため、どの戦いが事件の始まりになったか? については各国の歴史においてまちまちである。
しかし、戦争(と敢えて呼ぶ)初期において特筆すべき大きな事件として下記の事件があり、それらの大小の事件が積み重なった結果この戦争が始まったというのは多くの歴史書において共通する認識である。
 

バルダー蜂起

バルダーというのが地域の名前であったのか、詳しくは後述するが、農奴を示す言葉であったのかは不明であるが、先住の琉民による開発団とリクシャマー帝国から委託を受けた開拓団との衝突事件である。
リクシャマー帝国から植民地建設の委託を受けたボリュフ商会は、傭兵を中心とした開拓団を率いて北方氷土南西部へと赴いた。しかし、この地域は既に草の民と結びついた琉民が先住し、彼らによって開発が行われていた。
そこでボリュフ商会は草の民と交渉してこの地域から手を引かせ、その後リクシャマー帝国には「後からやってきた琉民が勝手に棲みついた」と報告することで軍事行動の許可をもらう。開拓団に比べてろくな武器を持たない琉民たちはすぐに武力制圧されてしまい、琉民を率いていた主導者は公開処刑され、琉民たちはボリュフ商会によって農奴化された。
 支配者となった開拓団の人間は、彼らをバルダーと呼んで差別した(ただし、リクシャマー帝国の慣習である奴隷の間名を押し付けることはなかったようである)。
 当初は支配し差別したとは言え、食料の配給等は公平に行われ、また開拓のために潤沢なインフラの建設が行われたため、むしろリクシャマー帝国の後ろ盾が出来たとバルダーたちは喜んで支配を受け入れた。
 しかし、やがてボリュフ商会の本国での取引が思わしくなくなり、また現状のやり方ではこの開拓への投資の回収が難しいことが分かると、ボリュフ商会はバルダーたちへの過酷な搾取を始め、その中にはバルダーの子供たちを奴隷として諸国へと売買するというものもあった。
 それに対し、バルダーたちは開拓団への抗議としてサボタージュや、リクシャマー帝国の代官への告訴という形での抵抗を行ったが、ボリュフ商会は「リクシャマー帝国への反乱である」として首謀者の公開処刑や参加者への厳罰によって事件の再発を防ごうとした。
 結果、開拓団に対してバルダーたちは一斉蜂起し、またこの蜂起は同様に各国の開拓団によって押さえつけられ、また土地を奪われた琉民や先住民の連鎖的な蜂起をも引き起こしてしまう。
 先述の通り、各宗主国において植民地は飛び地になっており、各国ともに反乱鎮圧の初動および鎮圧のための部隊展開が遅れる結果となり、同様な蜂起は北方氷土中央部にまで飛び火することとなる。
 数年の戦いの結果、各国が連合軍を結成して対処したことにより一連の蜂起は鎮圧されたが、この騒動で責任を取らされる形でボリュフ商会のこの地域の開拓に関する一切の権利は剥奪され、大量の負債を負ったことでボリュフ商会は倒産する。
 この地域に関しては、他に開拓を受ける商会が現れなかったため植民地建設の破棄という形になり、結果としてバルダーたちの治める地域となった。
 この地域に築かれる都市が後のボレフである。
 

ウティルの乱

北方氷土中央部において勢力を誇っていた代官代行のウティル?によって起こされた反乱である。しかし、反乱というより、宗主国への反逆へと追い込まれて発生した事件であり、乱の発生から収束までは一月足らずと短い。
バルダー蜂起より後、各国は北方氷土地域への有事の際に展開できる治安部隊を必要としたが、依然として各国の勢力は飛び地的に散っており、有事の際に有効に展開することは不可能であり、またそれだけの兵力を植民地で常備的に配備し続けることは膨大な費用が必要であった。また、各植民地も、それが宗主国を同じにする場合であっても隣接する別植民地と諍いが起きた場合の自衛の兵力や領内を維持するための治安武力を必要とした。そのような背景の中、宗主国の代官に変わって徴税を行い、有事の際に兵力を提供するサービス、所謂傭兵団が北方氷土の各地で力を持つようになる。
やがて、それらの傭兵団は集合合併を繰り返すようになり、傭兵団のさじ加減で各地の勢力図に影響を与えるということも珍しくなくなった。各宗主国の中には、自国にとって事態が有利に進むように、陰ながら投資を行っていた場合もあったようである。
それらの傭兵団のうち、北方氷土中央部において勢力を誇ったのがウティル?率いる傭兵団であった。
ウティル?自身は草の民ないしはトゥルサの出身であったようだが、ロズゴール王国より傭兵団の設立許可と、辺境伯の地位を与えられていた。ただし、この「辺境伯」の地位は他の例(通常は公爵と伯爵の間の地位である)と違い、北方氷土における本国の許可を待たずに自衛戦闘とその備えを行うために必要な各行動の許可として便宜上与えられていたにすぎず、そのことはウティル?に送られた書簡に明記されている。また、同様な地位を他の国からも与えられており、この地位には北方氷土において本国からの指示を待たずに迅速な行動が行える、という以外の価値はなかったようである。
最盛期には北方氷土中央部の2/3の地域において代官代行権を持ったウティル?であるが、各地の傭兵団を招集し、諍いを減らすための会議(ジェスタの会合?)を、ロズゴール王国の名の元に招集したことからウティル?を心良く思わない他の傭兵団よりロズゴール王国の代官に「ウティル?に叛意あり」と密告されてしまう。
代官は慌てて真偽を正すための使者を送ることが決定されるが、その時点ではウティル?に反乱を起こそうという気はなかったようである。
しかし、代官が使者を送る、という情報は各傭兵団に伝わり、自身の勢力範囲を広げるために各傭兵団は各自勝手に「ロズゴール王国の名前を勝手に僭称する賊徒を鎮圧する」という名目で挙兵しウティル?の支配領域を攻めた。
結果、追い詰められたウティル?は挙兵したが、その時の名目も「ロズゴール王国の権益を守るため」であった。
紛争は当初ウティル?陣営の有利に進んだが、結局のところ物量に押されていった。また、終盤で「ロズゴール王国ウティル?討伐のために兵を送る」という噂(もちろん根も葉もない流言であり、実際はロズゴール王国はこの時点でもまだ情報収集を行っている状態であった)が流れたことで味方から裏切りや相手方への投降が相次いだことが決め手となり、ウティル?は敗走した。最終的に、逃亡中のウティル?が副官から毒殺されることにより乱は終結した。
戦後、傭兵団はウティル?の勢力圏内を宗主国の断り無く勝手に分割、略奪したが、これに対して各宗主国は、乱が終結せずに泥沼の戦いに発展し、それに巻き込まれるのを恐れて見て見ぬふりをした。
これが後の無秩序な戦国時代の始まりであったとする説もある。
 
 

ヴォルドの乱

第二次継承戦争の影響で起きた反乱であり、ある意味反乱の構図はバルダー蜂起と同じであるが、この時ウティルの乱の影響で各植民地は傭兵団を雇い入れるのと併用する形で独自に武装するようになっており、各宗主国において北方氷土の植民地破棄の意見が台頭していたことも手伝い、北方氷土全域において無秩序な武力衝突が発生することになる。
第二次継承戦争の結果独立したカリデもまた北方氷土への進出を企んでいたが、北方氷土地方への海路の進出路であるロクシアは既に独自に国家を築いてカリデと対決姿勢をとっており、独立元であるバロッサ、強いてはリクシャマー帝国カリデに対する強固な封鎖制作をとっていた。また、同盟国であるはずのロズゴール王国も農産国であるカリデの国力を警戒していたため、北方氷土地域への進出は難しい状態だった。
そのため、カリデは中立国であるステアトの商会を通し、バロッサが植民政策をとっていた土地でバロッサの開拓団と対立する琉民や傭兵団に対して資金援助を行い、これらを転覆させて自分たちへ寝返らせることを企んだ。この工作のために宣教師として北方氷土へと赴いたのがカリデの僧侶、ヴォルド・ディ・ドゥーデン?であった。
「口から先に産まれた」とカリデ内で評されていたウォルドは、本国では詐欺師の扱いであった(実際、彼のディという聖職者の間名第二次継承戦争のドサクサで名乗ったものであるという説がある)が、彼は聖職者としてうまく信者を増やし、その裏で開拓団を騙し、バロッサの植民地に有事の際にカリデに寝返らせていく約定を結ばせていった。
しかしながら、この時代には既に各植民地にとって宗主国は「口を出し、税金をとり、無体な命令を下し、時々気まぐれに金をくれる」存在であり、有事の際の用心として極秘裏に複数の国と主従関係を結んでいたので、むしろヴォルドの方が騙されたとも言える。
これらのヴォルドの動きはバロッサの代官の知るところとなり、傭兵部隊を率いた代官にヴォルドは逮捕されが、ヴォルドに心酔した一部信者によって代官所から助け出される。
その後、北方氷土東部へと逃げた彼は現地の打ち捨てられた城塞に立てこもり、「カリデ王国とロズゴール王国により、北方氷土統一のための遠征軍が派遣されるので、約定に従い蜂起せよ」と各地へ檄文を飛ばした。
無論、そのような事実はなく、各国との軋轢を恐れたカリデはヴォルドに、扇動工作を止めて本国へと戻るように使者を送るが、この頃には自分に従う信者が五千に膨れ上がったことで増長したヴォルドは勝手に教皇を名乗り、北方氷土統一のための進軍を始めてしまう。
この動きに対して本来であれば邪教征伐を名目に各国は軍を派遣するところであるが、既にこの頃までに北方氷土への巨大隕石落下による気候変動は収まったことから、各宗主国ともに農業生産技術の向上も手伝い、自国の領土を開発するほうが利益が高くなっており、また各宗主国政府内においてもこれ以上の北方氷土への投資の利益回収は難しいという意見が主流を占めていたため、軍の派遣は行われなかった。代わりに、各国はヴォルド軍の討伐とカリデに与すると思われる植民地への攻撃を自国の植民地へと命じた。
しかし、北方氷土地方は既に勢力が入り組んだ状態になっており、またウティルの乱の際に、実際にはウティルとは関係がなかったがウティルに従ったとされて傭兵団から略奪を受けた地方も少なくなかったため、互いに疑心暗鬼になっていたり、自領防衛のために宗主国の異なる相手とも同盟を組んでいる例も少なくなかった。また、「カリデに与する植民地」が具体的でなかったことも手伝い各植民地や傭兵団は、めいめい敵とみなす植民地や琉民の開拓地へと勝手に攻撃を行い始め、北方氷土地方は無秩序な戦闘や略奪が横行することになってしまう。
これらの動きに対して各国政府は渡りに舟とばかりに北方氷土の開拓団への政府としての投資中断と代官を始めとする役人の撤収を決定した。事実上、各宗主国から北方氷土地域は破棄されたのである。
しかし、ヴォルドの軍勢は既に反乱より一月目に対立する軍閥との間の戦いで討たれており、そのまま放っておけば騒乱は終結するはずであった。
反乱が終結しなかったのは、騒乱末期にグリンガ?が正規軍を率いて参戦したからである。第二次継承戦争において膨大な被害と多額の負債を負ったグリンガ?が、残った国力を賭けて各宗主国の勢力が空白地になった北方氷土の切り取りにかかったのである。
結果、戦局はさらに複雑に入り組むことになった。最早各植民地も豪族、軍閥も宗主国の関係なしに無秩序に同盟を組み、また対立して北方氷土各地で戦闘を行った。
複雑怪奇に変わる戦局に最早どの国も冷静に分析して対応策を練ることは不可能であり、それは参戦したグリンガ?も例外ではなかった。
結局、グリンガ?は多額に膨らんだ戦費が原因で国が傾き、参戦より数年でロズゴール王国に王位を返還する(元々グリンガ?ロズゴール王国の衛星国であったため)という形で滅亡した。
諸説はあるが、多くの歴史書において、ここまでの流れをヴォルドの乱と呼び、この乱をきっかけに北方氷土全域が戦乱の時代へと突入する。
 
 

戦国時代

各宗主国が手を引き、有力な傭兵団や豪族、軍閥によって切り取り放題となった北方氷土地方は無秩序な戦乱の時代へと突入した。
各宗主国はこの戦乱状態に対して、自国へ戦乱が飛び火することを恐れ、北方氷土地域との貿易や人の流れを禁じた。
しかし、草の民を通じた密貿易や、リクシャマー帝国ロズゴール王国のそれぞれの領土でありながら、諸国より選ばれたバキスタ卿の自治領であるバキスタ地方を通じての貿易は行われた。そのため、北方氷土の各勢力はバキスタ地方や草原地域により近い土地、あるいは巨大街道や、開拓時代に盛んに作られた運河に面した土地を巡って激しく争った。
それらの戦乱において、運河や街道等の生活に関わる大規模インフラには手を付けないことは暗黙の決まりになっていたが、それらが破られることも珍しいことではなかった。
 
 

戦乱の終結へ(ロセアン王国?から北方帝国の成立へ)

戦乱の時代の開始より15年。北方氷土の各勢力とも、絶え間ない諍いによって勢力が疲弊しており、誰もが戦いの終わりを望んでいた。
その中で、バキスタ地方草の民の草原地方近くに領土を持つロセアン家が、ゼダ家から援助を受ける形でサイクロプス・クラウドの協力の元、北方氷土南西部から中央部へと勢力を伸ばした。
この頃には既に、有力豪族や傭兵団、そして何より開拓民たちが戦いに疲れており、既に戦いが原因で財政破綻する植民地も多かった。そのため、ロセアン家が北方氷土の王を名乗った際、これを積極的に支持、あるいは諦観する形で諸侯としてこれに従い、ロセアン王国?が成立する。
ロセアン王家?は出資元であるゼダ家への対抗の意味もあり、諸侯たちの中から有力者であるアーロ・ニッキスを宰相として登用した。両者は当初こそ、ロセアン王家の子女がアーロ・ニッキスの長子と婚姻するなど良好な関係を保っていたが、次第にロセアン王家とアーロ・ニッキスは国政において王家と度々対立するようになり、ロセアン王国?は擾乱状態に陥ってしまう。
再び北方氷土が混乱状態になるのを恐れたゼダ家は、他の諸侯をまとめて王都ソフォフをクーデターで占領して、諸侯を集めて国政に関して以下のことを決める。
 ・現国王は即時に退位し、また宰相もその任を解かれること。
 ・国政は合議制で行うこと。
 ・国主は合議制によって決められた人間がなること(ただし世襲は否定していない)。
 ・諸侯は合議での決定時に従うこと。
 ・戦時に、運河や街道等のインフラを傷つけないこと。
 ・国の決まりである法律を早急に決めること。
この取り決めに従い、ニクラ・ロセアン?は国王の座より退位し、ロセアン王国?は解体された。しかし、全くの部外者を国主として立てることに対して諸侯が難色を示したため、両家の血を引くスヴァン・ダル?を国主として北方諸侯による連合帝国、通称北方帝国を成立させる。 この時点ではまだ国の最高権力者、ないしは代表者として皇帝は立てられておらず、まずは戦乱ないしは擾乱の終結の周知、そして未だ進展せずにいた宗主国との交易等の交渉が優先だったため、ズヴァン・ダルの立ち位置は、そのまとめ役としての意味合いが強かったようである。
最高権力者が決まっていない時点で国号を王国ではなく帝国とした理由として、諸侯たちの中にリクシャマー帝国の出身者が多く、またこれから始まるだろう各宗主国との交渉において少しでも優位に立とうとしたという思惑があったらしいが、ハッキリとしない。
しかし、帝国を号し、ズヴァン・ダルを中心とした政府が成立したに関わらず交渉は進展せず、また宗主国は北方帝国北方氷土の統一された国家として認知しなかった。 これは「化外の『叛徒』が一時的にまとまったに過ぎず、その永続性は怪しい」(リクシャマー帝国記録文章より)、「永続性の保証されない国家と条約を結んでも、この条約が守られるどころか反故にされる可能性が高い」(ロズゴール王国御前会議記録より)と各宗主国が考えたからである。 
その後も各宗主国は北方帝国を、「叛徒」、「化外の地の蛮族」として扱い、閉鎖政策をとり続けた。
遅々として進まぬ交渉と、ズヴァン・ダルのともすれば粗暴な性格も手伝い、次第に北方帝国の政府は諸侯たちからの求心力を失っていく。
そして遂に、酒宴においてズヴァン・ダルが家臣との口論の末、刺し殺されるという事件が発生してしまう。
ズヴァン・ダルの死によって北方帝国政府は瓦解、各地の有力諸侯は周辺の中小諸侯を抱き込み、あるいは侵略し、再び北方氷土は分裂の危機に見舞われる。 しかも今まで政府の後ろ盾であったゼダ家はこれ以上の混乱に巻き込まれるのを恐れ、北方氷土に治安維持のために展開していた軍勢を引き上げることを決定してしまう。
この撤兵が行われれば北方帝国の分裂と崩壊は決定的なものとなり、北方氷土一体は再び戦乱の時代に突入することになるはずだった。しかし、北方帝国南部の諸侯にして戦乱の時代の英雄シャーフリートの息子ハーン・バルフリートは仲間や、志を同じくする北方帝国の諸侯たちと共にリクシャマー帝国に密入国し、ゼダ家当主への直談判を試みる。 途中、敵対する北方帝国の諸侯に妨害されたり、バキスタ地方の国境管理の役人に拘留されたりするものの、遂にリクシャマー帝国への入国を果たし、ゼダ家当主との面会に成功した彼らは、軍勢の引き上げの中止と再び北方帝国を統一するための援助の約束を取り付ける。
北方帝国へ帰国したハーン・バルフリートと、その一党はゼダ家駐留軍の支援の元に後に帝都となるソフォフにて北方帝国新政府の樹立の宣言をおこなって諸侯を再招集した。 無論、ゼダ家の支援を受けているとはいえ新政府に全ての諸侯が従ったわけではなかったが、新政府は彼ら新政府への参加の交渉、あるいはあくまで軍事による討伐を行い、数年の後に北方氷土地域を統一支配する政府を完成させる。 歴史によってはこの時点を北方帝国の興りとする場合もある。
だが、交渉により新政府への参加の代わりに諸侯に認めた条件は、領内における徴税や軍事、治安維持等において各諸侯の権利を大幅に認めたものであり、北方帝国は表面上は北方氷土を統治する国家であったが実質上は正式名称の示す通り諸侯による緩やかな連合体に過ぎなかった。 そのため相変わらず各宗主国は北方帝国を国として認めず、また貿易をはじめとする交渉も進めるのが難しい状態にあり、豊富な資源がありながらも依然としてバキスタ地方草の民を通しての密貿易に近い形でしか貿易ができなかった。
しかも、戦乱期にも止まらなかった西方諸国からの琉民の流入は、戦乱が一応の終結をみたことで増加し、彼らが各地で暴動を起こしたり、諸侯をはじめとする既存の勢力と衝突することは珍しくなかった。 また、巨大なインフラ投資をしようにも合議制による政治システムを中心とした国家運営においては諸侯がこれに抵抗することは珍しいことではなく、税収をはじめとする国家収益は不安定なままだった。 そのため、皇帝の権力は安定的とは言い難く、皇帝の暗殺事件が起きることもしばしばあった。
また、全諸侯による合議制とうたった国の運用体制も、全ての諸侯を帝都なりに集めることが難しかったため、自ずと常に帝都に代表者を置くだけの富や権力のある、各地の代表者である央機卿によって牛耳られるようになる。
そのため、無秩序な戦乱の時代が終結したとは言え、北方氷土地域は独裁者として国の全権限を掌握したパトゥーサの時代、あるいは奇跡的に諸侯をはじめとする国民が独立を後押しした第二次建国戦争まで、各地で小さな武力衝突が起きる不安定な時代を過ごすことになる。

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