2003年(平成15年)6月16日(月)
   8月9日に長崎市で開催する『第九回長崎原爆平和祈念詩の夕べ』の案内状を作り始める。詩人、歌人、俳人をはじめ新聞、放送、出版などのメディアに携わる人たちにも郵送する。去年まで長崎市万屋町にあるギャラリー・ぐみの舎でやっていたが、今年の会場は新築された国立長崎原爆死没者追悼祈念館の地下エントランスホールに決定した。どういう会場なのか未見である。約百人は入ると聞いている。午後6時から午後9時までの予定で、内容は一部と二部に分けて行う予定である。二部の内容は『追悼 吉原幸子の詩と思い出』で参加者は大村市在住のT・K氏、吉原氏のご子息Y・J氏である。








2003年(平成15年)6月17日(火)

   12チャンネルの番組『ガイアの風―風力発電』を観る。風力発電の日本における現状を特集したもので、風力発電の製造では国内トップの三菱重工業長崎造船所が紹介されていた。風力発電の製作過程と受注を受けた愛媛県に設置する工事が映し出されていた。その後に会社を辞めて風力発電の会社を起こした青森県の男性が紹介されていた。風力発電でおこした電気を電力会社に売る仕事なのだが、風が吹かない日もあり苦労している姿があった。資金集めにも奔走していた。自然エネルギーによる発電量をもっと増やす努力が必要だろう。










2003年(平成15年)6月18日(水)

   仕事を終えて帰宅すると、堺市の犬塚昭夫氏より詩誌「異郷」七月号がポストに入っていた。一貫して日常生活の中から戦争と平和の問題を追及している詩誌である。











2003年(平成15年)6月20日(金)

   現代詩手帳「特集エズラ・パウンド」(1998年9月号)を読む。その中で詩人の高橋睦郎氏の文章が目に留まった。「詩人とは一般に考えられているように詩を書く人ではない。詩なるものを求め続ける人のことだ。求め続けたあげくついに手にすることができないと認識して、何も書かず、何もせず、冬眠し、瞑想する、それも究極の詩なるものの求め方だろう。」考えさせられる文章である。                       
夜にTBSの番組『世界遺産/イスタンブール』を観る。映像が美しい。旅情を誘う番組である。トルコのイスタンブールは東洋と西洋の境目、一番行ってみたい都市である。












2003年(平成15年)6月28日(土)

   友人の依頼で午前中の仕事を終えて、愛車で東京都練馬区から長野県鬼無里(きなさ)村へ荷物を運んだ。出発は午後四時頃だった。軽油を満タンにして関越自動車道と上信越自動車道を使った。長野JCで降りて長野市を経由して善光寺の脇を曲がり、国道456号線(白馬・鬼無里線)に入り、鬼無里村へ向かった。善光寺から鬼無里村までは山の襞を縫うような道路で、道幅も狭く曲がりくねっていて、日も暮れていたので緊張を強いられる運転だった。しかし全体を通しては久しぶりの高速道路の運転だったので、気分は爽快だった。高速道路では平均速度100キロぐらいで走った。鬼無里村は自然に溢れ、名前からして物語の宝庫であるように察せられた。興味を持って、一泊した。















2003年(平成15年)7月1日(火)

   仕事帰りに池袋駅西口にある映画館「シネ・リーブル池袋」へ行き、本年度アカデミー賞受賞作品『シカゴ』を鑑賞した。歌と踊りは出演者たち自身によるもので、よくトレーニングを積んでいると感心した。陰に大変な努力があったことだろう。月初めであったので、入場料は千円であった。上映は午後7時5分からだったので一時間ほど余裕があったので、同じ階にあったタイ料理店で夕食をとった。生春巻きがおいしかった。













2003年(平成15年)7月3日(木)

   夕食に大好きなポテトサラダを作る。午後8時から午後9時までヒストリー・チャンネルの番組『ロスト・ジェネレイション』を観る。1920年代にパリで生活したアメリカ人芸術家達の話である。登場するのはアーネスト・へミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・スタイン、エズラ・パウンド、アーチボルド・マクリーシュ、ジョン・ドス・パソス、マルコム・カウリー、たちとその妻や恋人達であった。彼らはパリ左岸に住み、パーティーを開き、カフェで語り合い、憎しみあい、愛しあうのだった。へミングウェイはパリで作家としての地位を築き上げていく。一方、フィッツジェラルドは酒浸りとなり創作活動が停滞するが、代表作『偉大なるギャッツビー』を書き上げる。フィッツジェラルドの妻ジェルダは夫が有名であることに嫉妬心をもち、夫の創作活動を邪魔していたという研究者の話があった。へミングウェイはフィッツジェラルドに手紙を送り、小説を書き続けるように励ましている。世界恐慌が起こりアメリカの芸術家たちはガートルード・スタインを除きアメリカ本国に帰還していく。














2003年(平成15年)7月6日(日)

 午前9時半頃に起床する。洗面を済ませ、コーヒーメーカーでコーヒーを煎れる。朝食はトースト2枚、スクランブルエッグ、蜂蜜を入れたコーヒー。テレビ朝日の番組『サンデーモーニング』で大阪府の太田房江知事の話を聞く。午前11時からピアノの練習をする。                午後3時から午後4時半までNHK教育テレビの番組『アウシュヴィッツ証言者はなぜ自殺したか』(第四十回ギャラクシー賞テレビ部門大賞受賞作品)を観る。在日韓国人の徐京植氏が1988年に自分のアパートで投身自殺したユダヤ系イタリア人記録作家、プリモ・レーヴィ氏の足跡をイタリアのトリノ市とポーランドのアウシュヴィッツに旅して、氏の人生と自殺に至った理由をレポートしたドキュメンタリ番組であった。徐氏がプリモ・レーヴィ氏に感心を寄せたのは、徐氏の二人の兄がスパイ容疑で韓国軍事政権により20年間の牢獄生活をしていたからだった。プリモ・レーヴィ氏の著作活動はユダヤ人から非難されていたという。また当時のイスラエルはレバノンへ侵攻し、多数の民間人が犠牲となっていた。レーヴィ氏は同じユダヤ人としてそのことで苦悩していたという。                        
午後8時30分から浦和でピアノと声楽のレッスンを受けて、午後11時頃に帰宅。










2003年(平成15年)7月7日(月)

   午後8時からNHKの番組『地球・ふしぎ大自然―日高山脈のナキウサギ』を観る。3000万年前の氷河時代を生き抜いてきたナキウサギは希少で貴重な小動物である。番組の中で出てきた動物は他にキタキツネ・ホシガラス・ヒグマ・エゾシカがいた。世界には17種のナキウサギがいて、その内キタナキウサギはシベリア・中国・サハリンなどに分布している。今回取り上げられたものはキタナキウサギの亜種のエゾナキウサギという種類で、北海道の山地から高山の乾燥した岩場に生息している。エゾナキウサギの食べ物はコケ類や高山植物である。北米大陸の高山地帯にもナキウサギがいるそうである。











2003年(平成15年)7月9日(水)

   午後7時30分から午後8時までNHKの番組『クローズアップ現代―祖国への帰還・亡命イラク人』を観る。日本では経験することの出来ない経験をクルド人はしている。イラン・イラク戦争が始まりイランと同じシーア派に属するバグダッドに居住するクルド人は、フセイン政権下でイランに追放された。今回のフセイン政権の崩壊でクルド人はイランからイラクのバグダッドへ帰還した。帰還しても元の家には関係ない見知らぬ人たちが居住していて、住む家もままならない状況である。裁判所に訴えるが、権利を回復する法律がないということで門前払いされる。混乱するバグダッドでは権利の回復は当分望むべくもない。ロンドンに亡命しているイラク人の男性はバグダッドへ一時帰国するが、一族18人はフセイン政権下で20年前に集団処刑されていた。墓守の年老いた男の証言でわかった。これからフセインがやった数々の悪事が暴露されてくるのではないかとテレビを見ながら思った。現代史の一断面である。目を離してはいけない。イラク人のことは日本人のことである。












2003年(平成15年)7月10日(木)

   現代詩手帳(1998年9月号)の『特集エズラ・パウンド』を読了。エズラ・パウンドの偉大さが少しずつ分かり始める。特集の中にあったホルへ・ルイス・ボルヘスの言葉が印象に残った。「ウォルター・ペイターははっきり言いました、すべての芸術は音楽の条件を満たす、と。音楽では内容が形式に一体化しています。われわれのように、多少とも喜びを持ってポエジーの練磨に身を捧げてきた者にとっては自明のことですけど、韻文の本質とはその音調にあるのであって、抽象的な意味にあるのではないのです。」(野村喜和夫訳)                        現代詩手帳特集版『吉原幸子』(思潮社刊・2003年3月15日発行・208頁・1600円)を読み始める。                    
日本映画専門チャンネルで溝口健二監督作品『西鶴一代女』を鑑賞する。1952年制作のモノクロで138分の作品。出演は主役のお春役で田中絹代、他に三船敏郎、菅井一郎、松浦築枝など。感動すべき作品で、お春の悲しみが伝わってくる。御殿女中から夜鷹になるまでの流転するお春の過酷な生が、映画作品として溝口健二のよく練られた演出とカメラアングルで、また田中絹代の見事な演技もあって不朽の名作になっている。後の世に残したい日本映画の一本である。溝口健二監督の作品は全部観たいと、この作品を観て思った。













2003年(平成15年)7月11日(金)

   ニューヨーク・マンハッタン在住のYukoさんへ国際電話をかける。8月9日の「詩の夕べ」に、ご主人のSteveさんとYukoさんの詩とメッセージをテープで送って欲しいという依頼をした。他にイラクの事、長崎市で起きた少年の事件の事などを話した。















―2003年(平成15年)7月12日(土)

 午後4時から午後5時までナショナル・ジオグラフィックの番組『最年少単独無寄港世界一周航海』を観る。少年の名前はJesse Martin(ジェス・マーティン)。メルボルン在住のオーストラリア人である。航海を完了した年月日は1999年10月31日。ジェス・マーティン少年はヨットにライオンハートという名前をつけて1人、荒海に向けて世界一周の航海に出た。若干17歳の少年である。この番組は少年自身が撮影したビデオをもとに作られたドキュメンタリーであった。数々の嵐に遭遇して悪戦苦闘する映像が生々しく迫力を持って僕の眼に飛び込んできた。ホーン岬の嵐は到底自分だったら耐えられないと実感できるものだった。少年の両親が高額な旅行費用を工面してアゾレス諸島を航海する息子の少年に会いに行く映像があって、40分ほど船とヨット間で会話が交わされるが、時間切れとなり家族の乗った船と少年のヨットは離れていった。母親は最愛の息子が1人大海に出て行く姿を見て大粒の涙を何度も手で拭っていた。自分も涙が出て仕方がなかった。
NHK教育番組『「宇宙」地球はどうして生まれた?』を午後8時から午後8時45分まで観た。惑星どうしの引力で軌道が変わり、ある惑星は太陽系のような体制から外れていく。地球のような生物が存在する惑星が在るためには、数々の奇跡的な条件が重なって誕生したということを番組では説明していた。解説は毛利衛氏で聞き役は中山エミリ氏だった。アメリカ・ワシントン在住でカーネギー研究所研究員のある博士は、木星と土星がなければ地球には今以上に隕石が衝突していて、人類が誕生するほどの生物進化はなかっただろうと述べていた。宇宙の果てから太陽系にやってくる隕石や彗星は、木星と土星の引力により軌道が変わったり衝突したりして、地球に衝突することを防いでいるそうである。それがなければ6万年に1回の割合で地球に衝突していて生物に甚大な被害を与え、今のような進化は成立していなかったと研究員の博士は述べていた。番組ではそのことをコンピューターグラフィックでシュミレーション化して見せていた。実際に彗星が1991年に木星へ大衝突している電波望遠鏡で捉えた映像もあった。この番組はシリーズもので、今日のは2回目のものであった。
シネフィル・イマジカの番組で、午後9時から午後10時までスペインのドキュメンタリー作品『フラメンコ』を鑑賞した。監督はスペイン映画界の重鎮であるカルロス・アウラ。出演者はギタリストのパコ・デ・ルシア、フラメンコダンサーのホアキン・コルテスその他。サウラ監督は華美な装飾や意図的な演出を一切せず、フラメンコの迫力と魅力を素で直接的に撮影していた。
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