メンブレントラフィックとは何かを知るためには、まず細胞内小器官=オルガネラ(organelle)について理解する必要があります。真核生物は、細胞内部に細胞膜と同じ脂質2重層で囲まれた小部屋=区画(compartment)を持ちます。これらの膜構造を、細胞内小器官あるいはオルガネラと呼びます(注1)。オルガネラは、原核細胞から真核細胞へ移行する過程で細胞膜が陥入して特殊化したり、他の原核細胞が寄生したりして生じたと考えられています。生体の膜は生存に不可欠な様々な生化学反応が行われる場ですが、巨大化した真核細胞では細胞膜だけでは膜の絶対面積が不十分であり、オルガネラの獲得は膜の増加という意味を持ちます。さらには細胞質と隔絶された局所環境が形成されたので、代謝反応物の濃度を上げることによる反応の加速、分解酵素のような危険なものの隔離等が可能となりました。結果、その膜と内部環境により各々が特別な機能を担うようになったオルガネラ群が真核細胞の複雑な営みを分業により支えているのです。オルガネラの多く〜小胞体、ゴルジ体、分泌小胞、被覆小胞、エンドソーム、リソソーム、オートファゴソーム、その他はお互い同士とさらには細胞膜とも膜及び内容物の交換を行い、動的なネットワークを形成しています(図1)。この交換はランダムなものではなく、運ばれる対象(積み荷分子=cargo)及び行き先が厳密にコントロールされており、メンブレントラフィックと呼ばれる輸送システムが遂行します。メンブレントラフィックがオルガネラ群を結んで造るネットワークすなわち細胞内膜系は、細胞膜との接続により外界と接する細胞の有効表面積を増大させると同時に、外部環境との大規模かつ多面的な相互作用を行うための装置として機能しています。その働きは特に多細胞生物における細胞間の情報や物質のやりとりに極めて重要です。これらのオルガネラでは細胞質と勝手には(自由拡散では)分子が往来しないこと、内腔は細胞の外部環境と空間としては等価であること、しかし常に連続しているわけではないことに留意する必要があります。
注1)以前は中心体などの膜以外の構造もオルガネラと呼んでいましたが、現在はオルガネラと膜区画はほぼ同義に用いられています。ただしオルガネラには、単なる区画では無く固有の機能を持つ構造体というニュアンスがあります。ンブレントラフィック(membrane traffic)とは、膜の分裂や融合により、細胞膜とオルガネラの間、あるいはオルガネラ同士の間で分子が移動する過程を指します。小胞輸送(図2)がよく知られていますが、メンブレントラフィックにはオルガネラ間の直接融合を含む多様な方式が存在します。いずれの方式も膜融合を伴うので、メンブレントラフィックを膜融合型輸送と呼んでも良いでしょう。しばしばメンブレントラフィックの同義語として用いられる膜輸送という言葉は、膜を透過して物質が移動するmembrane transportの訳語でもあるので、混同を避けるため我々は使用しません(注2)。メンブレントラフィックは複雑な過程ですが、膜透過の場合と異なり輸送される分子のコンフォメーション変化を必要としない、膜の成分である膜タンパク質や脂質も輸送できる、一度に他種類の分子を大量に運べる等数々の利点を持ちます。

メンブレントラフィックの役割は、必要に応じてタンパク質や脂質を所定の場所に送り届けることです。それを通して、小胞体で新たに合成されたタンパク質のその機能の場(他のオルガネラや細胞膜)への輸送、細胞膜や各オルガネラの膜の恒常性維持、多くの細胞が持つ極性の形成、情報伝達物質の放出や取り込み、栄養摂取、抗体分泌など多岐に渡る細胞外環境との相互作用等様々な機能を担っています(表1)。メンブレントラフィックによる外部との相互作用や細胞極性形成は、とりわけ個体における多細胞社会の成立に不可欠です。これらの機能を果たすために特定の分子を選び(あるいは排除し)特定の場所に運ぶメカニズムが存在します。分子選別は各オルガネラが輸送によって均質化してしまうことを回避するためにも必要です。

メンブレントラフィックによる輸送の流れは、小胞体からゴルジ体を経て細胞膜に至る分泌経路、ゴルジ体からエンドソームへ向かう生合成経路、細胞膜からエンドソームを経てリソソーム乃至細胞膜に至るエンドサイトーシス経路、細胞質からオートファゴソームを経てリソソームに至るオートファジー経路に大別されます(図1)。

注2)研究所一般公開の際の当研究室のポスターを見たご婦人(国語の先生?)から、カタカナが多すぎると非難されました。我々もできれば日本語を使用したいのですが、メンブレントラフィックについては今のところ良い訳語がありません。膜融合型輸送はどうでしょうか。
3. 選別と標的化

上述のように、特定の分子が特定の場所に効率よく運ばれて初めて細胞内膜系はその機能を発揮しうるし、ランダムな輸送によるオルガネラ固有の組成喪失を避ける必要もあり、積み荷分子の選別/仕分け(sorting)と目的地の標的化(targeting)がメンブレントラフィックでは重要な要素となります(表2)。選別は、運ぶ物の選択乃至運ばない物の排除という形を取ります。あるいは、残るべきものが運ばれてしまった場合に、元の場所に戻す(retrieve)という処置が執られることもあります。選別は物理化学的には、タンパク質同志もしくはタンパク質と脂質間の特異的な相互作用によって成立します。小胞輸送では、積み荷分子に付けられたタグを、オルガネラ膜に待機している特異的分子が識別し、それに連動した細胞質側の小胞形成装置によって特定の積み荷分子を含む輸送小胞が出芽します。タグの実体は、特定のアミノ酸配列であったり、糖鎖であったり様々です。形成された輸送小胞は、特定の受入膜を識別し特異的に融合します(図2)。相手膜の認識も、鍵と鍵穴のような関係の分子間相互作用に基づきます。哺乳類細胞のような大型の細胞では、細胞骨格系(微小管およびアクチンファイバ)をレールとしてモーターたんぱく質の働きによって輸送小胞を受け手オルガネラまで効率よく運搬する仕組みも存在します。

すでに述べたように、メンブレントラフィック=小胞輸送ではありません。例えばエンドソーム系やオートファジーでは別の輸送形式が使われています(詳しくは、各輸送経路の章で述べます)。しかし、それらのシステムにおいても分子間相互作用による選別と標的化は同じく基本原理となっています。一見安定した存在であるかのようなオルガネラですが、それは絶え間なく起こっているメンブレントラフィックのただなかで選別輸送の結果成立している動的平衡状態とみなされます。
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