午後10時半からEテレで、日本人は何を考えてきたのか 第11回「近代を超えて 西田幾多郎と京都学派」を見る。西田幾多郎(1870年/明治3年ー1945年/昭和20年)は「善の研究」で日本を代表するとともに世界的な哲学者である。今回のリサーチャーは生物学者の福岡伸一さんである。福岡伸一さんは西田幾多郎の最新史料を利用しながら、西田の人間像と社会状況と西田哲学の本質を調べていく。西田幾多郎は座禅に打ち込みながら、ヨーロッパ近代の主客二分の哲学を超克しようと営為努力していた。そのような時に時代は日中戦争、太平洋戦争と突入していく。少なからず西田幾多郎も時代の大波を受ける。番組は西田幾多郎のみならず弟子たちと京都学派の動向も取り上げられている。西田の弟子のなかでは、三木清(1897年/明治30年ー1945年/昭和20年)が一番多く取り上げられていた。それは三木清が近衞文麿の昭和研究会に参加していたことと関係している。三木清は陸軍の要請で戦場のフィリピンへ赴き、占領政策の理論武装となる文章を書く。「近代の超克」を唱え、「世界史の哲学」を提唱していた西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高は海軍に接近する。4人の京都学派は、海軍省調査課長・高木惣吉の依頼を受け、日本のあるべき姿の理論化を図ろうと、会合を重ねていく。高木惣吉はそのような中で西田幾多郎に接近する。番組では西田哲学のキーワードの一つ、「絶対矛盾的自己同一」という言葉がでていた。青山学院大学教授の福岡伸一(1959年生まれ)さんは西田幾多郎が書いた新資料を読んで、西田は一歩踏み込んで戦争に協力的な文章を書いたのではないかと感想を述べていた。それを聞いていた出演者の教授たちは不意を突かれたようになって、すぐには言葉を発せないでいた。紙媒体であったならば論争に発展する発言だと思った。出演は、京都大学教授の藤田正勝さん、京都産業大学教授の植村和秀さん、司会は三宅アナウンサー。スタジオではなかったが番組内で西田幾多郎の孫になる西田幾久彦さんと、京都造形芸術大学大学院院長の浅田彰(1957年生まれ)さんなどがお話していた。また取材した場所は西田幾多郎関係では石川県西田幾多郎記念哲学館と息を引き取った鎌倉市稲村ヶ崎のご自宅(現在は西田幾多郎博士記念館と呼称)、三木清関係では生まれ故郷の兵庫県たつの市の白鷺山公園哲学の道にある三木清記念碑と疥癬と腎臓病で獄中死した豊多摩刑務所跡地(2013年1月21日月曜日:記)
タグ

Wiki内検索

Menu

ここは自由に編集できるエリアです。

管理人/副管理人のみ編集できます