【定義】
永平寺6世として晋住した僧であり、永平寺で様々な開版事業を行った。
生没年:永仁5年?(1297?)〜観応元年(1350?)
出身地:不明
【略歴】
出身地などは不明だが、越前宝慶寺2世の義雲禅師に参侍し、その法を嗣いで同寺3世となった。元弘3年(1333)9月27日には、永平寺5世に晋住していた義雲禅師から、『仏祖正伝菩薩戒作法』の伝承を許可されて、その席を嗣いで同寺6世に晋住した。
宝慶寺の寺伝に依れば、観応元年6月17日に示寂。しかし、観応3年との説もある。さらに、延文2年(1357)に上梓された『義雲和尚語録』『永平初祖学道用心集』、更に、翌年に上梓された『永平元禅師語録(永平略録)』を生存中の刊行だと考えれば、その頃まで存命していた可能性がある。また、慶安2年(1362)4月15日に弟子の等理に対し、『仏祖正伝授衣鉢作法』を伝えた記録もあり、さらに示寂年代が遅れる可能性もある。
弟子は、等理?・以一など。
永平寺6世として晋住した僧であり、永平寺で様々な開版事業を行った。
生没年:永仁5年?(1297?)〜観応元年(1350?)
出身地:不明
【略歴】
出身地などは不明だが、越前宝慶寺2世の義雲禅師に参侍し、その法を嗣いで同寺3世となった。元弘3年(1333)9月27日には、永平寺5世に晋住していた義雲禅師から、『仏祖正伝菩薩戒作法』の伝承を許可されて、その席を嗣いで同寺6世に晋住した。
宝慶寺の寺伝に依れば、観応元年6月17日に示寂。しかし、観応3年との説もある。さらに、延文2年(1357)に上梓された『義雲和尚語録』『永平初祖学道用心集』、更に、翌年に上梓された『永平元禅師語録(永平略録)』を生存中の刊行だと考えれば、その頃まで存命していた可能性がある。また、慶安2年(1362)4月15日に弟子の等理に対し、『仏祖正伝授衣鉢作法』を伝えた記録もあり、さらに示寂年代が遅れる可能性もある。
弟子は、等理?・以一など。
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