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【定義】

成道以前の修行中の釈尊を指す言葉。
三乗の一。菩薩乗のこと。サンスクリット語のbodhisattvaに相当する音写語である「菩提薩埵」の略称であるが、元々インドにも略語に相当する俗語形があったらしい。大乗仏教の修行者が理想とし、六波羅蜜の実践を通じて一切衆生成仏を願うものを指す。

【内容】

もともと釈尊の伝記(仏伝)に於いて、成道以前の前生を指す言葉であったが、次第に仏伝の中で様々な修行者にとっての重要な生き方などが整備されるようになった。特に、自己犠牲の概念などが組織され、それが六波羅蜜になると、大乗仏教が引き継いで理想の修行者像を菩薩に求めるようになった。大乗仏教では、自未得度先度他を基本とする菩提心を発し、自利利他円融なる成仏を目指して修行すべきとされた。

ここには「空」の論理も影響している。本来、仏教では迷いと悟りの世界とは二分法的思考をしており、迷いを転じて悟りとなすことにしていたが、「空」の論理では二分法的思考を否定し、苦しみに満ちた迷いの世界を脱する修行を行うのではなくて、苦しみの世界の中で衆生とともに、実践しようという菩薩が重要だとされたのである。

道元禅師は、前期思想に於いて、菩薩と諸仏とは異なる存在ではないとされた。
いはゆる一切菩薩は、一切諸仏なり。諸仏と菩薩と異類にあらず、老少なし、勝劣なし。此菩薩と彼菩薩と、二人にあらず、自他にあらず、過現当来箇にあらざれども、作仏は行菩薩道の法儀なり。初発心に成仏し、妙覚地に成仏す。無量百千万億度作仏せる菩薩あり。作仏よりのちは、行を廃してさらに所作あるべからず、といふは、いまだ仏祖の道をしらざる凡夫なり。 『正法眼蔵』「諸法実相」巻

ただし、後期思想に於いては、仏と菩薩(祖師)とを厳しく区別するようになる。
あきらかにしるべし、仏祖学道、かならず菩提心を発悟するをさきとせり、といふこと。これすなはち仏祖の常法なり。発悟す、といふは、暁了なり。これ、大覚にはあらず、たとひ十地を頓証せるも、なほこれ菩薩なり。西天二十八祖・唐土六祖等、および諸大祖師は、これ菩薩なり、ほとけにあらず、声聞辟支仏等にあらず。いまのよにある参学の輩、菩薩なり、声聞にあらず、といふこと、あきらめしれるともがら一人もなし。 12巻本系統『正法眼蔵』「発菩提心」巻

なお、菩薩の定義については『正法眼蔵』「仏教」巻に注目すべきである。
三者菩薩乗 六波羅蜜の教行証によりて、阿耨多羅三藐三菩提を成就す。その成就といふは、造作にあらず、無作にあらず、始起にあらず、新成にあらず、久成にあらず、本行にあらず、無為にあらず、ただ成就阿耨多羅三藐三菩提なり。 「仏教」巻

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