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【定義】

三十七品菩提分法」に含まれる七覚支のことである。悟りを得るのに、役立つ7つのことがらを指し、心の状態に応じて、存在を確認するときの注意や方法を7つにまとめたもの。その内容は以下の通り。

・択法覚支 様々な教えの中から、真実の教えを導き、偽りの教えを捨てること。
・精進覚支 一心に努力すること。
・喜覚支 真実の教えを実践することを喜び励むこと。
・軽安覚支 身心を軽やかに、安らかにしていくこと。
・捨覚支 対象へのとらわれを捨てること。
・定覚支 心を集中して乱さないこと。
・念覚支 強く想い続けること。

なお、道元禅師は『正法眼蔵』「三十七品菩提分法」巻に於いて、この「七覚支」について以下のような提唱をされる。
択法覚支は、毫釐有差天地懸隔なり。このゆえに至道不難易、唯要自揀択のみなり。精進覚支は、不曾攙奪行市なり。自買自売ともに定価あり、知貴あり、屈己推人に相似なりといへども、通身撲不砕なり。一転語を自売することいまだやまざるに、一転心を自買する商客に相逢す。驢事未了、馬事到来なり。喜覚支は、老婆心切血滴滴なり。大悲千手眼、遮莫太多端、臘雪梅華先漏泄、来春消息大家寒なり。しかもかくのごとくなりといへども、活鱍々笑呵呵なり。除覚支は、もしみづからがなかにありてはみづからと群せず、佗のなかにありては佗と群せず。我得你不得なり、灼然道著異類中行なり。捨覚支は、設使将来佗亦不受なり。唐人赤脚学唐歩、南海波斯求象牙なり。定覚支は、機先保護機先眼なり、自家鼻孔自家穿なり、自家把索自家牽なり。しかもかくのごとくなりといへども、さらに牧得一頭水牯牛?なり。念覚支は、露柱歩空行なり。このゆえに口似椎眼如眉なりといふとも、なほこれ栴檀林裏爇栴檀、師子窟中師子吼なり。

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