【定義】
流布本の『洞谷記』に依れば、曹洞宗の太祖瑩山紹瑾禅師が、正平8年(1353)12月8日に南朝の後村上天皇から賜った諡号(禅師号)のこと。
後村上院、贈瑩山和尚諡号〈南帝之正平八年者、後光厳院文和二年也〉。
上卿権中納言
正平八年十二月八日、宣旨
紹瑾上人
宜諡号、仏慈禅師
蔵人左少辨兼左衛門権左平時経奉。
ただし、まだ存命中であった總持寺二世、峨山韶碩禅師は名利に繋がるとして、断ったとする説もある。また、江戸時代に見える様々な宗門関係の典籍には、瑩山禅師を「仏慈禅師」と呼ぶ例があるため、広く定着したものであったと思われる。
流布本の『洞谷記』に依れば、曹洞宗の太祖瑩山紹瑾禅師が、正平8年(1353)12月8日に南朝の後村上天皇から賜った諡号(禅師号)のこと。
後村上院、贈瑩山和尚諡号〈南帝之正平八年者、後光厳院文和二年也〉。
上卿権中納言
正平八年十二月八日、宣旨
紹瑾上人
宜諡号、仏慈禅師
蔵人左少辨兼左衛門権左平時経奉。
ただし、まだ存命中であった總持寺二世、峨山韶碩禅師は名利に繋がるとして、断ったとする説もある。また、江戸時代に見える様々な宗門関係の典籍には、瑩山禅師を「仏慈禅師」と呼ぶ例があるため、広く定着したものであったと思われる。
總持寺は洞門出世祝聖第一の道場なり〈中略〉開祖仏慈禅師、諱は紹瑾、号は瑩山、永平弉祖に受業し、大乗の介師に嗣法す、元古仏四世の嫡孫なり。 徳翁良高『洞門亀鑑』
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