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【定義】

水の冷暖は、飲んだ当人にしか知られないように、仏法も自ら修行し体得しなくてはならないということ。自受用三昧

【内容】

中国禅宗六祖慧能が蒙山道明と交わした問答中、大悟した蒙山が六祖に対して、自ら得た悟りの状況を述べた言葉。
祖曰く「不思善・不思悪、正に恁麼の時、阿那箇か是れ、明上坐の本来の面目」と。師、当下に大悟し遍く体に汗流るる。泣いて礼すること数拝して、問うて曰く「上来の密語・密意の外に、還、更に別の意旨有りや、否や」と。祖曰く「我、今、汝の与に説くは、即ち密に非ざる也。汝、若し自己の面目に返照すれば、密、汝の辺に却在す」と。師曰く「某甲、黄梅の衆に随って在ると雖も、実に未だ自己の面目を省せず。今、蒙に指授して入る処、人の水を飲んで、冷暖自ら知るが如し。今、行者、即ち是、某甲の師也」と。 『景徳伝燈録』巻4

これは仏法と親密にある修行者が、その真実のあり方を自ら体得したことを述べたものだが、道元禅師はここにある「自ら知る」というあり方を批判して、自己が悟ったのではなくて、仏法によって自己が悟らされたという見解を提示するために、この一文を批判している。
大道は、如人飲水冷暖自知の道理にはあらざるなり。一切諸仏および一切菩薩、一切衆生は、みな生知のちからにて、一切法性の大道をあきらむるなり。 『正法眼蔵』「法性」巻

生知」というのは、生まれながらにして仏法を知っていることであるが、道元禅師は生まれながらに知る仏法が、修行者を悟らせたとしているために、仏法(この文では「大道」或いは「法性」)を「自ら知る」のではないとされる。

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