最終更新: kyo_miyato 2017年04月27日(木) 01:25:34履歴
(81) 明治5年(1872)、当時の京都府参事であった槇村正直が沈滞する町に活気を取り戻すために「( )」を拓いた。
(82) 明治5年(1872)、第1回京都博覧会の附博覧として京舞井上流三世家元の井上八千代らの発案で( )が始まった。
(83) 明治17年(1884)、岩倉具視の尽力により14年間中断していた( )が復活した。
(84) 明治18年(1885)、琵琶湖の水を多目的に活用するため琵琶湖疎水事業が着手され、その工事責任者には( )が任命された。
(85) 明治24年(1891)、日本初の事業用水力発電所が( )に完成し、京都の近代化に大きな影響を与えた。
(86) 明治28年(1895)4月から7月まで、第4回内国勧業博覧会が( )で開催され、100万人を超える入場者で賑わった。
(87) 明治28年(1895)、平安奠都千百年を記念し平安神宮が建てられた。社殿は、平安京大内裏の正庁であった( )を約8分の5に縮小復元したものである。
(88) 明治36年(1903)、山県有朋や伊藤博文らが東山の( )に集まり、日露開戦前の外交方針を決める会議が行われた。
(89) 明治40年(1907)、伏見に完成した陸軍第十六師団司令部は、現在は( )の校舎になっている。
(90) 明治41年(1908)、京都市は( )、上水道、道路拡築・電気軌道敷設の三大事業に着手した。
(82) 明治5年(1872)、第1回京都博覧会の附博覧として京舞井上流三世家元の井上八千代らの発案で( )が始まった。
(83) 明治17年(1884)、岩倉具視の尽力により14年間中断していた( )が復活した。
(84) 明治18年(1885)、琵琶湖の水を多目的に活用するため琵琶湖疎水事業が着手され、その工事責任者には( )が任命された。
(85) 明治24年(1891)、日本初の事業用水力発電所が( )に完成し、京都の近代化に大きな影響を与えた。
(86) 明治28年(1895)4月から7月まで、第4回内国勧業博覧会が( )で開催され、100万人を超える入場者で賑わった。
(87) 明治28年(1895)、平安奠都千百年を記念し平安神宮が建てられた。社殿は、平安京大内裏の正庁であった( )を約8分の5に縮小復元したものである。
(88) 明治36年(1903)、山県有朋や伊藤博文らが東山の( )に集まり、日露開戦前の外交方針を決める会議が行われた。
(89) 明治40年(1907)、伏見に完成した陸軍第十六師団司令部は、現在は( )の校舎になっている。
(90) 明治41年(1908)、京都市は( )、上水道、道路拡築・電気軌道敷設の三大事業に着手した。
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