☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 桓武天皇に遷都を進言した人物
- 平安京の地相を調査した初代造営大夫
- 「四神相応」の四神の名称
- 遷都後の新たな国名
解答チェック
《解答例》※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]19〜22ページ/[新]13〜16・27〜30ページ
◦ 桓武天皇は延暦13年(784)に長岡京から、新たな都となる平安京を葛野郡一帯に遷都した。
◦ そのわずか10年前には平城京から長岡京に遷都したばかりだったが、その遷都の翌年に天皇の忠実な幕僚であった藤原種継の暗殺に端を発した早良親王の怨霊問題に騒然となり、主要官僚であった
和気清麻呂の進言により再度別の場所に遷都することになった。
◦ 新たな遷都事業は延暦12年1月から始まり、その際に初代造営大夫であった藤原小黒麻呂は地相「四神相応」により、新京予定地の葛野郡へ調査に入った。
◦ 「四神相応之地」の条件とは、北に玄武・南に朱雀・東に青竜・西に白虎という各守護獣が配され、四神にはそれぞれ、北には大岩(山)・南には大池(湖)・東には大川・西には大道という
地形上のシンボルが存在している場所が都としてふさわしいという考え方である。
◦ それによると、候補地は北に船岡山・南に巨椋池(昭和16年干拓)・東に鴨川・西に山陰道が立地していたため、新都の条件として合致した。
◦ 新都は「平らかで安らかな都」となることを願って「平安京」と名付けられ、国名もそれまでの「山背」から新たに「山城」(ともに読みは“やましろ”)への変更された。
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