最終更新: kyo_miyato 2017年04月28日(金) 23:46:22履歴
(21) 清水寺の塔頭である成就院(じょうじゅいん)の庭園は、「( )」と呼ばれる借景式・池泉観賞式の庭園で、国の名勝に指定されている。
(22) 下鴨神社本殿の建築様式は、( )である。
(23) 醍醐寺の五重塔は、( )時代に建てられた京都府内における現存最古の木造建築物である。
(24) 江戸初期の京都出身の絵師である( )は、奇矯な画風で円山応挙に対抗した。十念寺に残る襖絵「雲龍図」は、京都では数少ないその絵師の貴重な作品といわれている。
(25) 明治35年(1902)、東京美術学校の教授であった( )が京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)に招かれ、その指導のもとで関西の西洋画壇の基盤が形成された。
(26) 明治から大正期、並河靖之は( )の高度な技法による作品で、海外の博覧会などで表彰された。当時の自宅兼工房は、記念館として保存・公開されている。
(27) 金箔を貼り合わせて厚みをもたせて、それを細かく切り、仏像や仏具などに貼り付けて装飾する伝統的な技法を「( )」という。
(28) 宇治の平等院には、雲に乗って楽器を演奏したり、舞うなど、様々な姿をした52体の「( )」(国宝)がある。
(29) 東福寺の塔頭である同聚院(どうじゅいん)には、康尚作と伝わる像高2.65mという大きな木造坐像である「( )」(重文)があり、火除けの信仰を集める。
(30)「利休七哲」と呼ばれる千利休の弟子のひとりである( )は、独自の焼き物が「へうげもの」と評され、その波乱の生涯がマンガにも描かれたことがある武家茶人である。
(22) 下鴨神社本殿の建築様式は、( )である。
(23) 醍醐寺の五重塔は、( )時代に建てられた京都府内における現存最古の木造建築物である。
(24) 江戸初期の京都出身の絵師である( )は、奇矯な画風で円山応挙に対抗した。十念寺に残る襖絵「雲龍図」は、京都では数少ないその絵師の貴重な作品といわれている。
(25) 明治35年(1902)、東京美術学校の教授であった( )が京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)に招かれ、その指導のもとで関西の西洋画壇の基盤が形成された。
(26) 明治から大正期、並河靖之は( )の高度な技法による作品で、海外の博覧会などで表彰された。当時の自宅兼工房は、記念館として保存・公開されている。
(27) 金箔を貼り合わせて厚みをもたせて、それを細かく切り、仏像や仏具などに貼り付けて装飾する伝統的な技法を「( )」という。
(28) 宇治の平等院には、雲に乗って楽器を演奏したり、舞うなど、様々な姿をした52体の「( )」(国宝)がある。
(29) 東福寺の塔頭である同聚院(どうじゅいん)には、康尚作と伝わる像高2.65mという大きな木造坐像である「( )」(重文)があり、火除けの信仰を集める。
(30)「利休七哲」と呼ばれる千利休の弟子のひとりである( )は、独自の焼き物が「へうげもの」と評され、その波乱の生涯がマンガにも描かれたことがある武家茶人である。
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