地理

■ローマ時代

ロンドンの歴史はローマ人によるブリタニア支配にさかのぼる。ローマ人は紀元43年にテムズ川北岸にロンディニウムを建設し、これをブリタニアの首都とした。それ以前この地域周辺にはケルト人が居住しており、初期の植民の跡が残されている。61年には女王ブーディカに率いられたケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還した。現在のシティ・オブ・ロンドンにある遺跡からはこの争いによるものと見られる焼け焦げた木材などが出土している。その後紀元2世紀頃には町の防衛のため市街壁が建設された。およそ4万人の人口を擁していたシティ・オブ・ロンドンを中心としてその後も都市は順調に発展を遂げていった。また現在のウェストミンスター地区にも独立した集落が形成されており、現在のフリート・ストリートおよびストランド・ストリートによって結ばれていた。

■ウィリアム1世時代

ローマが撤退した410年以降、イギリス史上の空白期間が続くが、シティは自治都市として独立を保持した。ウィリアム1世の時代に、市壁東部にホワイト・タワー(ロンドン塔)が建てられた。一方、政治と宗教の中心地はウェストミンスター宮殿を中心とするシティ・オブ・ウェストミンスターにあった。

■急成長期

16世紀にヘンリ8世のもと宗教改革が進展する中で、修道院解散に伴いシティ内外で没収地の開発が進んだ。これにより多くの人口を許容できるようになったロンドンは当時の経済発展とあわせ急激に成長しはじめた。シティとウェストミンスター間には市街地が成長して両者は一体化し、17世紀中期には人口50万以上、さらに半世紀後には70万人以上が居住している。1666年に発生したロンドン大火はロンドンの町並みに大きな影響を与えた。市街中心部は石造に作り替えられ、民間投資によって標準化された住居建築群が建設されて道路も拡幅された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2007年12月28日(金) 18:56:11 Modified by b_eng




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