日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。


(あらき むらしげ)
天文4年(1535年)生まれ、天正14年(1586年)5月4日(6月20日)没。幼名は弥助。

戦国・安土桃山時代の武将であり、利休七哲の一人として有名である。摂津池田城主の家臣・荒木信濃守義村の嫡男として生まれ、池田に使えるが、池田氏の内紛に乗じ茨木城主となった村重は、上洛した織田信長の傘下にはいる。その才能を認められた村重は信長より摂津1ヶ国を与えられた。足利義昭討伐に参戦し、槇島城を攻撃。


天正6年(1578年)、この時期より村重の信長への謀反疑惑が浮上する。有岡城にて村重は信長に対し謀反をする。この件に関しては諸説ありなかなか説明が正確にできないのだが、本願寺と通じていたという説が有力なようである。有岡城で篭城をする村重のもとへ、信長・秀吉から村重とは旧知の仲であった黒田官兵衛孝高が説得にくるが、これを捕らえ牢獄に閉じ込める。この時官兵衛は足をわずらったと言われる。篭城は約1年あまりに及ぶが、村重は単身毛利氏へ逃れ、城に残された妻子一族は信長により皆殺しにされている。

 
信長が本能寺の変で急死し、秀吉が天下を治めると、茶人・荒木道勲として大阪は堺に姿を現す。利休らと親交を深め【利休七哲】の一人となる。

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