(きそ よしまさ)
生年不詳、文禄4年(1595)没
信濃国木曾の領主。
弘治元年(1555)、
武田信玄に降り
信玄の娘を妻としたが、
武田勝頼の代になり、
織田信長に通じる。天正10年(1582)2月、
勝頼が2万の兵を率いて木曾に侵入した際、
織田信忠の助けを得、これを鳥居峠にて撃破。同年3月、
信長から本領のほかに安曇・筑摩二郡を加増された。
天正12年(1584)の小牧長久手の合戦には秀吉に与し徳川方の保科正直と戦う。天正18年(1590)木曾の地が豊臣秀吉管轄になり、子の義利が下総国阿地土に1万石を与えられた。
文禄4年(1595)3月13日、阿地で没。
コメントをかく