日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。

(やましなときつぐ)
永正4年(1507)〜天正7年(1579)
廷臣。言綱の子。山科家は朝廷や公家の衣服・装束を取りまとめたり、雅楽や和歌の奉行を務める家柄だった。
永正17年5月内蔵頭に任ぜられ、累進して正二位権大納言になる。
天文17年春日祭に参向を命じられたが費用が支給されないので、
借銭や、借物、自分の蚊帳を質に入れたり、雅楽の指導をしてお金を得て五十余人の衣装を調達し使命を果たした。
また、貧窮な朝廷の為に各地の大名の所へ赴き、献金の約束をしたりと朝廷の経済にも力を尽くしている。

山科言継が1527〜76の期間に亘って書いた日記『言継卿記』は当時の大名や公家の様子がよく書き綴られていて現代でもよく史料として引用される。

天正7年死去。享年73歳。
大正4年に贈従一位。

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