日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。

(さとむらじょうは)
?年〜慶長7年(1602)4月12日。

戦国期に活躍した連歌師。本姓は松村氏。
昌休の門下で、秀次連歌の師。

本能寺の変の3日前の5月28日愛宕山で光秀が催した連歌会に出席をしていて、秀吉が光秀を討った後「あの句は天下を奪おうとしていたようには思わなかったのか」と責められたが紹巴は「本当は、雨が下しるではなく、雨が下なるでした」と弁明をしたが、それではも疑いを掛けられて愛宕山から懐紙(発句を書いた紙)を取り寄せた。そこには「雨が下しる」と書かれていたが、紹巴は泣きながら「懐紙が削られて、書き換えられてます!」と言い、何とか許された。
紹巴は元々書かれてた「しる」を一度削り、また「しる」と書き直したと言われる。

天正13年秀吉から百石与えられる。
天正16年8月10日夢想の連歌会を催す。
文禄3年2月秀吉の醍醐での花見に近侍する。
翌年、文禄4年秀次事件に塁坐をして失脚。
三井寺に謹慎する。百石の知行資財宅地まで没収されて弟子の昌叱が貰いうけた。

慶長7年(1602)4月12日死去。

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