「青信号の犬 大臣編」(中)

初出スレ:第四章235〜

属性:エロなし

たかな…でも、ぼくにじゃなくて、姫に付き合ってあげればいいのに
…いいよ。***との方が、楽しいし
―……ありがとう
なんだよ今さら。おれそーゆーのだめなんだよ。バカ笑うなよ恥ずかしいだろ。
―でも!あなたは――――
(でも?なんだ?きこえない)
膜で覆われたような、すべてが不鮮明な夢をぼんやりと思い出した。薄いカー
テンの向こうに青と灰の中間色の景色が、段々と明るくなってゆく。
ああ、紅茶がのみたい。
私はそう呟いて上掛けを頭まで引き上げる。それから香る、花の香りがすこし
気になった。
その中で伸屈をくりかえしていると近くから「っ…なぢ、でる」女の不明瞭な
声が聞え、
近づいてくる気配がした。むき出しの肩に女の冷たい手が触れて、不意に肩が
揺れる。
「おはようございます。でも、まだ早い時間ではありますから、ゆっくりなさ
ってください。もうすぐお茶も入ります、いかがですか?」
「*****?」
聞きなれた声に返事をした。まだ覚醒しきらない片目では、女が部下であると
わからず鼻が触れ合う位置にきて、はじめて確認できた。
「なぜ?という顔をなさらないでください。ここは仮眠室なんですから」
やわい手が頬にふれた。この女は変な女だ。ゆうべ、射殺さんばかりに睨みつ
けてきたというのに、今は不思議な笑みを浮かべて私に語りかけている。
私には女の笑みが何を示すのかがわからなかった。あいつならわかるだろうか。
いや、あいつにもわからないのだろう。
…つーかわかって欲しくない。
鼻からたれる液体を拭うこともせずしまりの無い顔をし、意識のない他人にま
たがりその男を剥こうとする女の思考など……!
「ちょ!暴れないで下さいっ、こわいことなんてないんですからねっ、気持い
いことなんですよォ!ひとっつ」
「になってたまるか変態女」
首に幾筋もの髪が触れて総毛立つ。
「…!なっななめていいですか」「い"っ!!やめなさいって!」
本当にもうこいつはわけがわからない。
食い込むほどに肩を強く掴まれる。護身の応用だろうか、うまく身体は縫い付
けられて、上の女をどかそうにも力が入らない。
「*****?」
また襲われるのかと思えば、それ以上の動きはなく。長い髪が、女が影となり
私からは女の顔が見えない。
爪が首に、一本かかる。その指が付け根から、這い上がり耳元を彷徨い、止ま
る。その指の下に自身の拍動を感じた。
「*****?」
「……***様は、あの方らをどうなさるおつもりですか」
目を細めて女を見るが、やはりよくは見えない。私は自分の首を覆う女の手に
同じ様にして重ねる。
「どきなさい」
女は僅かだが、身を引く。だが、動揺した様子ではない。
「では!」
鋭い声だ。…私の知った女の声ではなかった。
女が知らない私があるように、私が知らない女もあるのだ。そうじゃないか。
あれだけ、…だったのに。彼女は私の手を離れていたじゃないか。
喉を反らして、女を見据える。女は一瞬たじろぎ、吐き出した。




「あ、あなたはどうするつもりですか…」
意図がわからなく、眉が寄る。
「あなたはどうなさるんです!いっ、いつものように他人事ですますおつもり
ですか…!」
「そうですよ。答えたのですからこれで満足でしょう?どきなさい」
剣幕は普段とはまったく違ったが、睨めば怯むのはいつもの通りで、その隙に
上体を起こして逆転する。ベットが二人分の重みに悲鳴をあげ、ゆれた。
白いシーツに黒髪が広がるのはなかなかの眺めだが、残念なことにそういう場
面ではない。、そう思って自分は色狂いなのかと、口を歪める。
女の何かを探るような顔が、愉快だった。この女はこういう表情の方が、そそ
る。目を合わせて、時間が止まったかのように。
「……妹君ではありませんか」
消え入りそうな声で女は言い、目を伏せた。
「おまえが、どこでそういうことを仕入れたかは知りませんが。***という
人物は、確かに素性が判っていますね」
すっと、身を引いて女から遠ざかる。眼鏡、はどこだろうか。
「過ぎたことは忘れなさい、それがおまえのためでもあるのですよ」
ベットからすこし離れたラックの一番上の段に見つけて、眼鏡を着ける。それ
でも健常には程遠いが、必要なものは充分にみえる。
扉に手を当てた際、後ろから声が聞えた。
「でも!あなたは――」
言葉の途中で扉を閉める。すべてはおまえの望みの通り、私には女の言葉の続
きを知っているし、はぐらかさずに答えるつもりもある。大丈夫だ。そんな目
で私を見なくともあと少し付き合おう。
だが、思い出してくれ。おれはおまえのように辛抱強くないのだ。



上物のドレスを着ても、流行りの髪型にしても、白粉をいくらはたいても醜い
ものはみにくい。悪臭一歩手前の香水に鼻が曲がりそうだ。
「閣下?」
いぶかしげな中年女の声に、表情を作る。すると嫌でも目に入る、脂肪のかた
まり。
唇で緩やかに弧を描いて、吐き気がする程の甘い声を。
「いかがなさいました、奥様?」
厚く塗られた絵の下の中年女の頬が紅潮する。パタパタと仰ぐ扇に、広がるね
っとりとした匂い。
「・いいえ、なんでもありませんの」
「何を仰いますか、そんな表情をされては訊かぬ訳にはいきません。どうか奥
様。その曇りを拭い去ってしまいましょう?せっかくの美貌がそれでは台無し
です」
ぶよぶよと太った手に触れ甲に口付けて、見上げて微笑む。自分の言葉に吐き
気がする。猫のように目を細めて、どこだかわからぬような顎を掴んで覗き込
む。すると中年女は目を伏せて、ふっと息をつく。いまさら娘ぶったって獰猛
な目は隠されない。醜い、だけだ。
抱き寄せた中年女の手のひらがシャツ越しに胸に触れた。
「ねえ、奥様――僕のお願い叶えていただけました?」
にごった瞳を覗き込んで、もちろんこの中年女が好む無邪気げな笑みを浮かべ
る。弛緩していた中年女の顔が俄かに音を立てて固まった。




「…ええ。………離してくださる?それについてお話しがありますの」
常ならばそのままに唇を重ね、男をむさぼるような情交を求めるというのに。
手を握られ、スツールに即される。
床に膝をついた中年女が、眉をよせて私をみあげる。
「わたくしは、あなたを手放すことにしました。口惜しいですわ、時間が。あ
なたは、あの娘はだんだんと美しくなったというのにわたくしだけ。あと十若
かったならば、と何度思ったでしょう。でも十も違うとわたくしはあの時のあ
なたを、今までのあなたを愛せなかったし…難しいものだわ」
一拍置いて、またグロテスクな唇が大きく開く
「―あの件については既に実行してあります。火がつくのはそうね…二月もか
からないと思いますわ。……本当にこれが最後です。もうあなたには関わりた
くありませんの」
中年女はゆっくりと立ち上がり扉に近づいていく。すると今まで見ていたかの
ように中年女の付き人が外から扉を開け、進路を作った。いつもながらに見事
である。
「感謝しています」
「…そうかしら」
中年女は私を一瞥し、ひらひらと振れる手に嫌悪を顕わにし出て行った。
扉が閉じるのと同時に私はそれと反対方向の窓へ向い、風にゆれるカーテンを
勢いよくあける。
「――ばれて、いましたか」
胸の高さの窓の向こう側に、縮みこんだ男が居た。ばつの悪そうな声を上げ、
立ち上がる。
「覗きとは趣味が悪いですね」
「大臣殿の趣味も…」
「選り好みできませんでしたからね」
窓に持たれかかると、新鮮な空気が身体に纏わりついたあの香水の匂いをぼか
すようですこし、気分が良い。
それにしても――
「何故、ここに」
睨みつけるように男に目をやれば、男は疲れたように首を横に振った。
制服にはなにかしらの葉に泥はねが、少々。
「猫です。あ、えっとお猫様を追いかけていました。陛下が拾われたという
…」
「…ああ、あのまったく懐かない。私は知りませんよ、だからさっさと別のと
ころへ行きなさい」
それこそ猫を追い払うようにして、男に手の甲を向ける。男は瞬間固まり、意
味を理解したのだろう、露骨に眉間を寄せた。
立場が悪いというのに、このバカ正直な反応。…彼女が気にかけるはずだ。
そっくりすぎて、本当にいやになる。
彼と彼女の言動がゆっくりと目の前の男に重なって行き、ため息とも自嘲とも
取れるような息が吐いた。
そしてふと、思い出す。先日渡した、雑草汁・漢方風。
別の人物の嫌がらせに作ったものの、不発に終わってしまったものだったが。
この男はあれを飲んだのだろうか。あれはそれなりに手間がかかっているのだ
が…
「君、この前の飲みました?」
終に気になって、尋ねてしまった。私も男もあまり会話を続けたくないと思っ
ているのに。負けてしまった、好奇心に。
沈黙を置いて、男は言って逃げた。
「飲んでません」
      • ・・・・・・・・・つまらない。






 彼女は頭までシーツをかぶり、まるまっていた。
名前を呼んで、ベットの上のふくらみのすぐそばに腰掛ける。彼女には一切触
れず、もう一度名前を呼ぶ。
「――悩み事でも?」
盛大にふくらみが揺れ、それに自然と噴出しそうになる。おかげで息がすこし、
詰まったがどうにか堪えて返事を待つ。
「わ!…笑うなよ」
彼女のあせった言葉に口が弧を描くのを充分に自覚した。どうせ彼女からは見
えないだろうし、今さら取り繕う必要も無いだろう。
「努力は、します」
「……ぅ、やっぱり言わない!言わないったら言ーわーなーい!!本人目の前
にして誰が言うもんか!」
「…へぇー」
彼女はまだ気がつかないようだ。迂闊な発言にみじかい感想を述べ、足を組み
直すと音を立ててベットが軋んだ。
ほのかに顔を赤らめた彼女が、戻るバネのようにいささか奇妙な動きで跳ね起
きる。
これまた、ギギギとぜんまいがたらないような動きで私と顔を合わせ、叫ぶ。
「今のはナシだ!悩み事もないの!女王様は今日も元気なんだな!ホーラ大臣
くん良い天気だぞーぼく今日もがんばっちゃうぞー」
彼女の奇怪な動きはまだ続く。シーツを芝居がかった様子で私に投げ、下着姿
のままそこから飛び出し、厚いマットを蹴り跳躍、顔面より落下。
受身くらいとれないものだろうか。
彼女は痛むであろう額をさすりながらも、涙目の笑顔でベランダに駆け寄る。
この間ふらついていたようにも思えるが、気のせいにしたい。
そして勢いをつけてカーテンを開くと共に大きめの声で再度彼女は言う。
「ホーラ今日は良い天気だぞ!!」
窓の外はすでに茜も終わりで、青みを帯びた夜の空が腕を広げている。
宵の空は明確な表現も印象も持てず、曖昧だ。
いつだったか、あの空の色を彼女は名づけたはずだ。どんな名だっただろうか
…思い出せない。
「ほ、ホラ!この絶妙なコントラストがっ!」
彼女が私を振り返り主張する箇所を力強く指差すと、雲もないというのにサァ
ーっと軽い音の雨が唐突に降り始める。
何を思ったか、彼女がガラス戸を開け放つと冷たい風が吹き付けた。
「っ!さむっ」
両肩を抱き彼女は戸を閉じようとベランダに出、濡れていたのだろう。コント
のように転げた。
「天気がいいのはわかりましたから。怪我はありませんか?さっきぶつけた額
は?」
霧雨だが充分にそれは冷たく、それに薄着で当たっていた彼女はもっと冷たか
った。転げたままの姿勢で空を見上げる彼女の腕を取る。
「中に。身体を壊しますよ」
ぼんやりとした反応を返す彼女を抱き上げ、室内に戻ろうと立ち上がると、彼
女は首に腕をまわし子供のようにぴったりとくっついた。
「おふろ」
「そうですね、髪、洗ってあげましょうか」
「うん。めいれいしちゃおうか、しちゃおう」
雨にあたり、わずかに湿った彼女の髪をかき上げ額と額をあわせた。




ここからならば、彼女の瞳が良く見える。あの、宝石に良く似た。
「洗うだけですからね」
「なんで?一緒に入らないの?」
近すぎて彼女には合わないのだろう。少しばかり離れて、私の頬に触れた。
不思議そうな顔をする彼女の額に軽く口付け、私も思案顔をする。
「そうですね、一緒に入りましょうか」
「そうかーだれかと一緒におふろなんてなんねんぶりだろーなー?もしかして
ないんじゃないかなー?」
確かに。立場から世話係以外と入浴するなどなかったか。
「ノノコはなーアヒルを持っていくんだがー」
ぐるりと首を巡らすと、棚の上黄色い人形のアヒルの流し目とばっちり目が合
い、彼女の言葉を理解する。

温かな湯で、細かに立てた泡を流す。彼女のやわらかい髪は、比較するものが
無いのだが、洗いやすく指どおりの良い質であった。
長い髪をひとつにあつめ、かるくしぼるとそれだけで水が随分と出てくるもの
だ。
どうにか見よう見まねでまとめ、彼女を浴槽へ入れた。
自身の身体を洗うが、普段やらぬし、見えないしで随分と戸惑った。
彼女の髪を洗うのにも数倍神経をやったが、入浴とはこのようなものだったか。
浮かべてあった何かの花を彼女はその髪に一輪挿し、その隣に浸かった私の耳
横に同じものをかけようとして、やめた。
代わりに肩に手を置き、こめかみに唇で軽く触れる。
「ぼく…***が兄様だったらよかった、って」
彼女は手持ち無沙汰気に手の中の花を弄ぶと、ぽいっと外に投げ捨てた。
私は近くの彼女の表情よりも、遠く霞んで見えない水の重みに潰れた花を追っ
た。あれは、どんな花だったのだろうか。
「だって***と兄妹だったら、***が王様だよ?絶対そっちのほうがうま
くいくもん。それに」
近くを漂う同じ花を手にとって、観察するがわからない。
「キョウダイってずっと一緒なんでしょ?カゾクってずっと一緒にいてもいい
んでしょ?」
「それは――少し、違うんじゃないでしょうか」
小ぶりな花のじくらを抜き取って、彼女の耳にそれをかける。金に淡い色の花。
彼女の髪色に合わせるなら、もう少し濃い色の花が良いだろうか。
「違うの?じゃあ、ぼくと***がキョウダイでもずっと一緒にいられない
の?」
「どう、でしょう。――でも私たちはもう、兄妹にも家族にもなれませんね」
「じゃあ!じゃあ…」
何かに恐れ、震える彼女のまぶたにキスをすると、腕頭部分に食い込んだ指の
力がゆるくなりすんなりと離れた。
彼女はきっと、ひとりになることを恐れているのだろう。
だが、これは私の憶測だ。本当に彼女がそれを恐れているのかはわからない。
ひとりがいやなのか、ずっとでないことが我慢なら無いのか、だれか離れてい
くのが耐えられないのか、それとも――
彼女は泣いた。
いつものようにぽろぽろと涙をこぼすのではなく。子供のように、私にすがっ
て声をあげて泣いた。
いかないで、おいてかないで、みすてないで、ずっと、ずっと、と。


――彼女はすべて知っているのではないのだろうか。


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2007年07月02日(月) 21:41:31 Modified by ID:+2qn2ghouQ




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