「唯一」310〜

初出スレ:第四章310〜

属性:エロなし

「……セラフィナに違いないな?」
「は、はい…」
ファリナが念を押すと、扉の向こうから戸惑いを含んだ答えが返ってくる。
それに一つ頷いて、ファリナは口を開いた。
「ならば入れよ。構わぬ」
すぐ傍と扉の向こうで絶句するのを感じたが、ファリナがもう一度促すと、侍女が扉から離れる音が聞こえた。
「よい、のですか?」
おそるおそるといった態でアルスレートは問いかけた。
「構わぬと申したであろう」
「ですが」
「セラフィナならばよい。あれが私の敵になることなど有り得ぬ」
きっぱりと断言され、アルスレートは口をつぐんだ。
ファリナがこうもきっぱりと断言するということは、確信を持っているということに他ならない。
ならば、アルスレートに言うべき言葉はないのだ。


室内に足を踏み入れたセラフィナは寝台の傍らに歩を進めると、優雅な仕種で跪き頭を垂れた。
何があったか容易に悟ることが出来る、雰囲気と名残を気にすることなく。
その、玉座の君主に対するようなそれに、アルスレートは内心驚いていた。
アルスレートの内心の驚きに気付くこともなく、セラフィナは声がかかるのを待った。
「久しいな、セラ」
「はい。お久しゅうございます」
セラフィナは顔を上げ、ふんわりと微笑む。それはさながら、春の日差しのよう。
「そなたが寵姫になっているなど、驚きであったわ」
「ふふ。わたくしも驚きましたわ、我が君がおいでになるなど…」
「我が君と申すなと言うたであろう」
「では、お姉様」
くすくす、と鈴を転がすような笑い声が零れた。
「ふむ…まぁ、それならよいわ」
くつりと笑みながらアルスレートに寄りかかり、ファリナはすっと手を伸ばす。
セラフィナはそっとファリナの手を取り、その指先に口付けて押頂いた。
さらり、と肩口からセラフィナの髪が零れる。
ファリナがそれを払い、頬を撫でてやると、セラフィナはうっとりと瞳を閉じた。
触れられ嬉しくて堪らない、と、如実に告げるセラフィナの表情。
その表情を見た瞬間、アルスレートの脳裏に浮かんだ、友の呆れ切った顔と声音。
『撫でてもらったくらいで蕩け切りやがって…そのツラどうにかしろ、この姫馬鹿』
そのときは馬鹿とはなんだと思ったが、セラフィナの顔を見て納得する。
――ああ、確かにそうですね
そう思ったときには、くすりと笑んでいた。
「どうなさいましたの?」
「いいえ。…ただ、貴女も姫馬鹿なのかと思いまして」
初対面の貴婦人に対する言葉ではないと思う。
しかし、言われたセラフィナは気分を害することなく、まぁ、と、目を丸くした。
そうして、やんわりと微笑む。
「そうかもしれませんわね。…も、とおっしゃるからには、貴方様もですの?」
「ええ。撫でられただけで嬉しくなるような馬鹿です」
「あらあら…同じですわね」
ころころと可笑しそうに笑いながら、セラフィナは同意を示した。
きょとんと首を傾げるファリナに揃って笑みを零す。
ファリナにはわからなくともいい。アルスレートとセラフィナにわかっていれば。
アルスレートとセラフィナは、すでに互いを絶対の味方に据えた。
ファリナの敵に回ることなど有り得ない、と、互いに感じたのだ。




わたくしは、かの愚王を許すつもりなどありませんわ、そう言ったセラフィナの瞳は凍て付く怒りを湛えていた。
「……力持たざる弱き者の、我が身苛む戦い方、というものですわ」
さらり、とファリナの手がセラフィナの髪を滑った。
その優しい手つきはセラフィナの心を落ち着ける。
「わたくしは復讐のために身を鬻いでおりますの。反乱軍に属する方々のような力は持ちませんもの。
ならば、使えるものを使うしかありませんでしょう?…わたくしの場合、わたくし自身であったというだけですわ。
触れられたくもありませんけれど、確実に復讐を遂げるためには必要ですもの、いくらでも我慢しますわ。
それに、寵姫、という地位は何かと便利ですの。……こうして我が君…お姉様にお会いすることが叶うように。
…もっともそう長時間とはいきませんのですけれど」
にこり、と、セラフィナは柔らかく甘く微笑む。
確かにそうだ。王の気に入りであるから、一時であろうと後宮を出るなどということが叶っているのだ。
「それで?どうなのだ?」
どう、とは何のことだ、そうアルスレートが思う間もなくセラフィナは答えた。
「あの娘の一派以外は、すでにわたくしの手の内。御下命あらば、いつでも従いますわ」
「上出来だ」
あの娘、とはファリナとほぼ同時期に後宮に上がったもう一人の寵姫のことだろうか。
それは、ほぼ後宮を掌握しているということか。
アルスレートの心情を見透かしたかのようにセラフィナは口を開いた。
「不思議そうな顔をしておいでですわね。それも仕方ありませんわ。……きっと、殿方には理解できませんもの」
「仕方なかろう。それが性差というものであろうからな」
「ええ。わたくしは…いえ、わたくしたちはわたくしたちが生きている間に復讐を終えることがなくともよいのです。
……ゆっくりと誰の目にもわからぬように王家の血を薄め、いずれ一滴たりともその血を引かぬ子を玉座に――
そうして王家の血統がまったく違うものになれば、それが表向きにわからなくとも、血統は滅んだと同義ですもの、それで満足なのですわ」
それは気の遠くなるような歳月がいるのではなかろうか。それすら構わないというのか。
どれほど時間がかかろうとも、と思うものがあっても、それは生きている間に成すつもりのものだ。
事が成るとき生きていなくともいい、とは到底思えない。
そんな思いでアルスレートがセラフィナを見れば、にこりと微笑んだ。
「ですが、ここにきて反乱軍の動きが活発になってきましたでしょう?ですから、わたくしたちも乗ることにいたしましたの。
そのほうが、確かに手っ取り早いのですもの。確実に血を絶やしてくださるでしょうから」
「反乱が成った後は案ずるな。望む者がおるならば、末端ではあるが女神神殿にて受け入れるよう通達しておる」
「それは…我が国の、ですか?」
「そうだ。この国にいては辛かろう」
いつの間にと思わなくもないが、そこを問うても意味はないか、とアルスレートは思い直す。
傍を離れることは多々あったのだ、そのときだろう。やり取りをする時間は十分あった。
「それは有り難きことですわ。寄る辺のない者ほど辛い者はありませんもの」
「末端とはいえ神殿ゆえ、贅沢は出来ぬがな」
「それは構いませんわ。わたくしたちの大半は、静かに穏やかに暮らすことが望みですもの」
それさえ叶うなら、どこでも構わない……それが切実な願いだ。
もしもそれを叶えてくれる人がいたら、迷うことなく従うだろう。
ゆえにファリナの申し出は、願ってもないことだった。
もっとも、セラフィナには予想できていた。優しく聡明なこの方がそう言わないはずもない、と。
「人数を把握しておきたい。聞いておいてくれぬか?」
「はい、承知いたしましたわ。人数は鳥に伝えさせてもよろしいでしょうか?」
「構わぬ。セラもそうそう出歩けるものでもなかろうし、疑われてはかなわぬ」
「はい。それではそういたしますわ。……そろそろ、お暇させていただきたく存じます」
「そうか。…まぁ、長居をして疑われるのもかなわぬし、仕方なかろう」
返答代わりににこりと微笑み、セラフィナはゆっくりと優雅に立ち上がった。
しゅすりと衣擦れの音をさせて扉に歩み寄ると、振り向いた。
「今しばらく睦んでいる時間はありますわ」
うふふ、と、楽しげに微笑むと、セラフィナは出て行った。






「驚き、ました」
ぱたん、と閉じられた扉を見つめ、アルスレートは呟いた。
「そうか?」
「ええ。私はあの方を存じませんので」
不思議そうにするファリナにそう答える。
しばらく考え、ああ、とファリナは頷いた。そういえばそうだった。
アルスレートが遠征に出ているときに使節の一人としてやって来たセラフィナと出会い、膝を折られたのだった。
「そうであったな。……セラは…セラフィナは私の傍に控えることのない者だからな。
セラの一族は特殊でな。たった一人、と己が生涯仕える主を決めるそうなのだ。しかしその主の傍に控えるとは限らぬ。
……あれは人を癒すことを使命とする、治癒師の一族ゆえ」
主を持ってもその主のためだけではなく、すべての人のために世界を巡る治癒師の一族。
武力こそ特筆すべきものではないが、その一族の治癒の力は多くある治癒師の一族の中でも一、二を争うほどだ。
ゆえにその一族であると証明できれば、どんな国であっても無条件で迎え入れられる。
国によっては衣食のみならず、薬や薬草、治療のための器具を無償で差し出す―主には呪によってなされることが大半だが―ところもある。
「その治癒師の一族の一人が、何故?」
「母代わりであった姉とその夫と幼い甥、そして夫を無残な形で殺されたから、だ。
いかに優れた治癒師とはいえ、恨みを持たぬはずもなかろう?」
「そうですね。ひと、なのですから…恨みを持たぬはずもありませんね」
納得して頷きかけ、あれ?、と、アルスレートは思った。
「……王はあの方が治癒師だと、ご存じないのですか?」
「知らぬのだろう。セラフィナは夫の姓を名乗ったままであるからな」
愚かなものよ、と、ファリナは呟いた。アルスレートは頷いてそれに同意する。
それほど高名な治癒師一族なら、少し調べればすぐに知れるはずなのだ。
それすら調べもせず――いかに王の興味が美しい女を侍らせることだけにあるかが伺える。
「あの方は身籠って…」
「おらぬ。もう一人のほうだ。……あの時セラフィナは男を受け入れられる状態ではなかった」
あの時、それを聞いて苦い思いがアルスレートの胸を満たす。
つまり、愛でていた新しい寵姫が身籠り、セラフィナが折り悪く月の障りであったためか――
大切な大切な主にあんなことをしなければならなかったのは……。
後宮の他の女のところに行けば良かったものを、そう思うが過ぎたことはどうにもならない。



しかしそれよりも、と、アルスレートは思う。
「貴女は本当に…」
「うん?」
「本当に様々な人に膝を折られるものですねぇ…。あれも、貴女が王となるなら宰相になってもいいぞ、と言っていましたし」
アルスレートは感嘆の息を漏らしながら言った。
あれ、と言われた自国の宰相の首席補佐官を務める男がそう嘯く光景が簡単に想像でき、ファリナは笑った。
「相変わらず尊大なやつだ、そなたの友は」
「そうは思いますが…能力は確かですし、根は良いのでよいのではないでしょうか。宮廷では猫も被ってますし」
「あの激変振りには驚いたが…私に素を表すということはそれだけ信用されているのであろうから、悪い気はせぬ」
「貴女のそういうところが、臣民に愛され、忠誠を捧げられるんですよ」
そう言いながら、アルスレートはファリナを抱いたまま背後に倒れこむ。
ファリナの月色の青銀と、アルスレートの豊穣の麦色が混ざった。
二人分の重みを受けても、倒れこんだ程度で最上級の寝台が軋みをあげることはない。
そんなものか、と、不思議そうに首を傾げながら、ファリナはアルスレートに擦り寄った。


ひくり、と、腕の中のファリナが震えているのを感じ、アルスレートは意識を浮上させた。
ファリナを抱きしめたまま、いつの間にか眠っていてしまったらしい。
それをいささか恥じはするが、まずはファリナだ、と声をかける。
「どうしました?」
「……いや、なんでもない。案ずるな」
口元に手を当てているが、顔色まではファリナの背後から差し込む光でわからない。
訝しみ、確かめるようにアルスレートはもう一度問いかけた。
「まこと、ですか?」
「うむ、大事無い。……そろそろ起きねばなるまい?」
「………ええ、そうですね」
気にはかかるが、大事無いとファリナが言い張るなら、それ以上はアルスレートには言えない。
アルスレートが腕の力を抜いてやると、ファリナは髪に光を散らしながらゆっくりと起き上がった。

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2007年08月18日(土) 14:57:10 Modified by ID:+2qn2ghouQ




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