「Il mio augurio」74〜

初出スレ:第四章74〜

属性:エロなし

「あき、らぁ」
苦しげな息と共に微かに声が漏れる。
聞こえるかどうかも怪しい声ではあったが、それは暁良に届いた。
「はい、暁香お嬢様。私はここにおります」
額のタオルを取り、氷水で絞ると再び暁香の額に置いた。
「ちゃんと、いてね?…ちゃんと、よ?」
「はい、暁香お嬢様」
きゅ、と弱々しく、不安げに袖口を掴む暁香に微笑み、暁良はその手を解いて包み込んだ。
ほぅ、と小さな息を吐いて暁香は目を閉じた。
暁香から、苦しげではあるものの寝息が聞こえてくる。
どうやらすぐに寝入ってしまったらしい暁香を見つめ、暁良は安堵の息を吐いた。
長く暁香を苦しめたこの熱も、もう下がるだけだ。
「……大丈夫でございますよ、暁香お嬢様。ご安心くださいませ、暁良はいつまでも傍におります。
……暁香お嬢様がどこに嫁がれましても、御子をお産みになられましても。……いつまでも…」
暁良は暁香の耳元に顔を寄せ、密やかに密やかに囁きかける。
力の抜けた、熱のためにいつもよりもずっと熱い、包み込んだ手の甲に、ひらに、恭しく口付けた。

「…………どんな未来が待ち受けるとしても、この手は離せないんです。離したくないんです。
暁香お嬢様…私は、貴女に会えないで得られる平穏よりも、貴女の傍にある苦痛を選びます。
もう、これより他を、選べないんです。もう、遅いんです……」
そう、もう遅い。
この道がたとえ茨の道だとしても、もう引き返せない。
暁香の夫となれた幸運な男を疎ましく思うだろう、妬ましく思うだろう。…憎み憎悪するだろう。
暁香の子は愛せるだろう。愛する女が産んだ子なのだから。だが、自分の子でないことが哀しいだろう。
それでも、暁香を愛する心を、想いを、捨てられないに違いない。
捨て去ることができる時は、もう、とうに過ぎてしまったのだ。
「暁香お嬢様、私は貴女を愛しています。他の全てを諦めますから、どうかそれだけは許してください」






「ん…」
小さな声を上げて身動ぎすると、暁香は瞳を開いた。
「お目覚めになられましたか、暁香お嬢様」
「ぅん……あきら…ずっと、そばにいてくれた?どこにも、いってない?」
「はい、勿論でございますとも。それより、お加減は如何でございますか?」
寝起きのために拙い言葉遣いの、目を擦ろうとする暁香の手をやんわりと押し止めて布団に戻す。
目をぱちぱちと瞬かせながら暁香は答えた。
「うん…だいぶ、いいよ」
「それはようございました。…何か召し上がれるようならば、ご用意致しますが…如何なさいますか?」
「ん……つめたいのが、ほしい」
「冷たいの、でございますか?…アイスになさいますか?それとも、冷えた果実になさいますか?」
「うんとつめたいの」
「かしこまりました、アイスでございますね。それではご用意致しますので、しばらくお待ちくださいませ」
にこり、と微笑んで枕元に寄せた椅子から立ち上がると、つん、と微かに服が引かれる。
それを為したであろう暁香に視線を落とせば、じぃ、と見つめられた。
「やだ。いるの。いかないで」
行かないでと訴える暁香の、潤んだ瞳と薄紅に染まる頬。
熱のためであるとわかっているのに、なんと艶を帯びて見えるものだろう。
身体に走った、ぞくん、としたものを無視して、暁良は苦笑する。
「暁香お嬢様?」
「や」
「そうは申されましても……それではご用意させて頂くことができません」
「や。いるの」
むぅ、として見上げたまま、暁香は頑なに言う。病の人特有の心細さだろうか。
そんな暁香に、暁良はどうやっても敵わない。
どんなことであっても、きいてしまいそうになる。
「……承知致しました、暁香お嬢様。誰かに持ってこさせましょう」
折れた暁良に、こく、と満足そうに暁香は頷く。
それでも離してもらえない服の端を視界に写して苦笑しつつ、暁良は連絡を取った。







しばらくして暁香所望のアイスを持ってきたのは氷雨だった。
どうやら、メイド達はちょうど忙しかったらしい。
「暁香お嬢様、ご所望のアイスでございます。桃とバニラをご用意させて頂きました」
サイドテーブルに置かれたアイスの甘い香りに、暁香は嬉しそうにやんわりと微笑む。
「あきら」
名を呼び、ぱかり、と雛鳥のように口をあけた暁香に苦笑しながらアイスを掬い、その口に運んでやる。
火照った身体と渇いたのどに、冷えたアイスは潤いになったようだ。
嬉しそうに、ぱかり、と再び暁香は口を開いた。
それを眺めながら、愛おしそうに暁香を見つめる暁良を観察していた氷雨は、静かに瞳を伏せた。
「暁香お嬢様」
「んぅ?」
「お腹がお空きになられましたら、厨房へご連絡くださいますようお願い致します。
連絡が入り次第、すぐに暁香お嬢様のお食事をお作り致します、とのことでございますので」
「ありがと」
にこ、としつつ、暁香は暁良に何度もアイスをねだる。
暁良は仕方ない、という顔をしながら、しかし嬉しそうに暁香の口にアイスを運ぶ。
その光景を視界に入れながら、氷雨は静かに一礼し、部屋を辞した。







「暁良は、どうだい?」
「……」
暁香の部屋の外の壁に背を預けて待っていた瑶葵に、静かに氷雨は首を横に振る。
いつでも、人の心はどうにもならない。
できれば…と思っていたことはたしかだが、初めからわかっていた。
自分も暁良も。捨てられる程度のものならば、端から囚われたりしない。
「そう、か…甲斐は、なかったんだね…お前も暁良も、どうして茨の道を行きたがるのだろうね…」
「………ただ、互いが存在したから、でございましょう…」
「それは…どうしようもない、ね。……なんとかしてやれないもの、かなぁ…」
苦笑を零し、ふむ、と瑶葵は考え込む。
生前、由貴は暁香の婚約者すら決めず、候補を挙げることも許していなかった。
いつまでも因習に囚われず、好きにすればよい、と考えていたためだということを瑶葵は知っている。
その考えに異論はない。
後継には自分がいるのだから可愛い妹は好きなようにしていい、と常々思っている。
そう思う者は瑶葵の他にもいるが、いまだ少数派だ。
「……」
氷雨は沈黙を守り、主の決定を待つ。
瑶葵が事を為せるように全てを整え、主がやる必要のない、汚れ仕事を片付ければよいのだ。
「おじい様の影が薄れてきた今…そろそろ、私も『起きる』べき、なんだろうね。氷雨、力を貸してくれるかい?」
瑶葵の問いかけに、氷雨は恭しく頭を垂れた。
「勿論でございます。瑶葵様の御為に惜しむものはございません。……何なりとご命令をどうぞ、ご主人様(マイロード)」

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2007年07月02日(月) 17:47:54 Modified by ID:+2qn2ghouQ




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