チビとせんちゃん

初出スレ:4代目661〜

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「知美、彼が今日から勉強見てくれる先生よ」
「せ、千田昇です。よろしく」
 のっぽのノボルくんか。何だか冴えないおのぼりさんって感じ。
「……よろしく」
 促されて渋々下げた頭を上げる前に、隠れて舌を出した。
「じゃあよろしくお願いします」
「うん。力になれたらいいんだけどね」
 そう言ってあたしを見て笑った。


 中3の夏休みが終わり、親が成績の伸び悩むあたしに悩み、大学2年のお姉ちゃんに頼んで友達を連れて来させるようになった。
 といってもその目的はあたしの家庭教師をさせる事。知らない人間よりは知った人間の方が良いという、ただ単純に
それだけの理由らしい。まあ、家に、それも一応年頃の娘と2人きりで部屋にこもらせるわけだから。
 当のあたしはというと、相手はどんな人間だろうとどうだって良かった。皆同じだったのだ。この時も、何人目かの脱落者が
現れた位にしか思っていなかった。


 予想に反して、彼は全く辞める気配を見せなかった。

「ねえ、お姉ちゃん、言っとくけど彼氏いるよ?」
 それは1ヶ月程経ってからの事だ。
 それまでの家庭教師達は皆、初めはそれはそれは真面目に教えてくれはしたが、そのうち、この事実に打ちのめされ
次々替わっていった。
 勿論、その事は承知の上だったのだろうが、あわよくば……と安易に引き受けたものの、結局は自分の点数はおろか
あたしのテストの点数を稼ぐ事すら叶わず脱落して行った。
 それだけ愛される姉を持ったあたしは、いつも途中で投げ出され、その妹というだけの理由で利用されたに過ぎなかった。
 だが、彼は違った。

「そんなの知ってるよ。だってそいつ俺の親友だからね」

 そう言って笑って、でも少しだけ切なそうな顔をした。
「なんで引き受けたの?」
「頼まれたから」
「……辞めてもいいのに」
「なんで?」
「だってさ、やってみてわかったでしょ?それ程デキも良くないし、幾ら貰ってんのか知らないけど、ワリが合わないん
 じゃないの?」
 あのひとの妹なのに。

「デキがよけりゃ家庭教師なんていらんだろう?それを良くするために俺がいるんだし」
 それに、とあたしをまっすぐ見て真顔で呟いた。

「知子ちゃんは知子ちゃん、君は君。得手不得手とか点の伸び方だって違って当たり前だろうが。だから一緒に頑張ろうぜ、な?」
 頭に乗っかってきた暖かい大きな男の人の手に、ちょっとドキッとした。そんな事最近じゃお父さんにもされてない。
「……頑張ったらなんかくれる?」
「待て待て、そんな理由で……」
 渋い顔して言いかけたのを飲み込んだのか、ぐっと詰まってせき込むと、うん、と頷いて向き直った。
「よし。じゃあ期末テストの頑張り次第じゃ何かプレゼント考えてやる。ちょうどクリスマスだしな」
「ほんと!?」
「おお」
 頭をわしわしと撫で回され、一瞬むっとして睨むつもりで見たその顔に
「約束な」
と浮かんだ笑みが、あたしの瞳から険を消した。
 その時カッと火照った頬の正体が何なのかはわからず、戸惑ったのを見破られるのが何故か怖くて慌てて手を払いのけた。
 考えてみれば、そんな心配はするだけ無駄な鈍感喪男だったんだけども。
「子供じゃない!もう頭ぐしゃぐしゃ」
「ああ、悪い悪い。じゃあ早速やってみ、まずこれからな、おチビちゃん」
 それまではどうせすぐ辞めるのだから、と全くやる気を見せなかったあたしが反応したのが余程嬉しかったらしい。
「ねぇせんちゃん、ここわかんない」
「どれどれ?……っておい、せんちゃんゆーな。先生と呼べ先生と」
「だって言いにくいんだもん。“千”田“先”生だからせんちゃんでいいじゃん。そっちこそチビチビ言うのやめてよ」
「あれっ?お前の名前そう読むんじゃないの?ほら見た目まんまじゃん」
「知美だよと・も・み!音読みすんな!!すごいこじつけじゃん」
 つかお前って。
「馴れ馴れしい……」
「あ、悪いつい。俺きょうだいいないからさ、妹とか欲しかったんだよなぁ」

 妹、という言葉に緩みかけた心の紐がきゅっと締まる音を聞いた気がした。
「ふーん。お兄ちゃんか」
 いても良かったな、と思う事はあったけれど、どちらかというと妹や弟が欲しかった。
「ん?何だ?何なら先生が嫌ならお兄様とお呼」
「それは嫌」
 凹んでるよ、おい。
「……呼んで欲しかったら頑張りなよ」

 それでせいぜい点数稼ぎなよ。

「ははぁ、さてはツンデレだな?よし遠慮せず存分に甘えるがいい」
「……遠慮しとく」

 生意気で可愛げのない小娘だと思った事だろう。
 だけどあたしには、それしか彼と向かい合っていられる術がなかった。

 結果的に一番長く続いたこの冴えない家庭教師こそが、これまでの誰より深く、苦しい想いを抱えていたのかもしれないという
事実に気付いてしまったのは、役目を終え、『姉の恋人の友』という繋がりを断ち切られた後だった。


* * *

 躰を揺らす度に古い畳がミシッと音を立てる。
 何度も通って見慣れた筈の部屋は、少し角度を変えるとこんなにも違うものなのか、と新鮮な違和感を覚えながらも、
それを味わおうとする前に別の刺激に意識が持っていかれる。
 背中にある捩れたシーツの冷たさがふっと無くなって、ひんやりとした空気のそれに触れて少し震えた。
 だけど寒さを訴える前に優しい温もりがぴったりと重ねられて、背中からぎゅっと抱きしめられる。

「……ち、び」

 耳元で囁きながら、大きな手はあたしの胸を包んで揺さぶるように弄ぶ。
「それ……やだってば」
「そっか……じゃあ」
 つつっと突き出た乳首の先を指で押されて、ぞくんと痺れが走って鳥肌が立った。
「違……やぁんっ」
「何が?……じゃ、どこ」
「んもうっ……や、あ、あぁ……」
 横倒しになった体の目の前にある本棚の、一番下の段が少しずつぼやけて見えてくる。

 シーツをひっつかみながら、枕に顔を埋めて声を押し殺す。そんな事はお構いなしに、その手は背中から太ももへと
自由に動いて撫で回してくる。
「なぁ」
「えっ?」
 下着の中に入り込んだ手が、お尻の丸みを確かめるようにするすると上下している。時々指先がむにゅむにゅするのが
くすぐったい。
「パンツ脱がしていい?」
「え……いいけど……」
「よし」
 仰向けに寝かし直され腰を少し浮かすと、下ろされた布は持ち上げられた太ももを通り、足下までたどり着く。
 それを脱ごうとする前に、また体は横にくるっと倒された。
「えっ?ちょ……」
「いいから」
 下になった方の足だけ曲げて引き抜かれると、下着の引っ掛かった脚をぐいと持ち上げられた。
「やぁっ!?」
 慌てて閉じようとしたのに間に合わなくて、膝を立ててねじ込まれてきた彼の脚に乗っかった状態のまま開かれた躰の中心に
指が分け入ってくる。
 その時、テレビボードのガラス戸に映る自分の姿が目に入って、探ってくる手を掴んで止めた。
「いや……」
 恥ずかしい。
 そういうコトをしてるのはわかってるけど、でも。
 背後から羽交い締めにされて、脚を広げる自分と目があって平気でいられる程の開き直りは、できそうにない。
「恥ずかしい事ないだろ?いつもしてんのに」
 蠢く指が僅かにちゅっと濡れた音を立てたのを聞いた。
「……じゃあせめて、パンツ穿かして」
「汚れるからやだって言うじゃん。何、着衣とかいうのがいいのか?」
「そうじゃ、なくて……」
 見なきゃいいだけなんだけど、ダメだと思えば思うほど目線はそこへ釘付けになっちゃう。ちらっと後ろに視線を送って
振り向こうとすると、首を伸ばして覆い被さってきた顔は、ニッコリしながらキスをくれた。
 気付いてないんだ……。
 諦めて閉じた瞼の裏に、ビクッと衝撃が走る。

「エロいなー」
 引っ掛かった足首のくしゅくしゅの布を見て呟く。ていうかわざとでしょ、それ。エロ写真の見過ぎだ。ったく。
 えへへなんてスケベがかった笑いをしながら吸い付いてくる首筋がくすぐったくて、身を捩ってちょっと肘でつついて
反撃してみる。
「いてっ!軽く脇に来たぞおい」
「ふんっ」
 胸にまわしてきた手をこしょこしょと動かして揉む。身を縮めると首筋に吸い付き、耳元に息を吹きかけられて仰け反った。
「きゃ……」
「お返し」
 こんなふざけ半分の愛撫に硬くなった膨らみの先を、摘んでぐりぐりと転がして歓んでる。
 初めての夜は、何をされるのにも恥ずかしさから黙ってやり過ごす事で精一杯だったのに、信じられない。慣れっていうのは
あるもんだ。今は平気でいられるわけではないけれど。
 腕枕されながら横になり、空いた手のほうは忙しなくあたしの全身を許す限り撫で回して離さない。
 のしかかられて組み敷かれてる時よりも、捕まえられてる感が強い。
 あたしの頭を撫でてぐしゃぐしゃに乱れさせた大きな暖かい手は、今は触れると声をあげずにはいられなくなるところを
狙ってきて、これまで味わった事のなかった感覚を次々と引き出されていく。
 それは本人も愉しそうで、あたしの見せるそれぞれの反応を嬉しがっては色々と試みようとしてくる。ていうかやっぱり
24年モノの鬱憤から来てる?
「舐めちゃだめ?」
「いや!!」
「ちぇっ……」
 勘弁してよ、それはまだ!だって
「あっ……」
「こんなに濡れてるのに」
そうやって、指だけでくちゅくちゅと音を立てて、触られてるせいだというのも堪え難い恥ずかしさだというのに、見られるのが
わかっててオッケーできるわけないじゃん!
 一番感じるところを擦られて、泣きそうな程切ない息を漏らさずにいられないのに、そんなコトされたらどうなっちゃうん
だろう、あたし。
 そう思うと怖い。

 自分の指を噛むようにして抑えた声は、中心からの蜜が溢れてくるのを感じる毎にのみ込むのが辛くなり、言葉にも出来ない
ような甲高い音となって喉の奥から漏れる。
「く、ぅぁ……んっ」
「イキそう?」
 それはまだ、良くわからない。多分、近いところまでは行っているのだろうけど、まだ自分を保てていると思っていられる
なら違うのかもしれない。なんせまだそういう行為を覚えて日が浅いし。
 けれど、じんじんと痺れるような気持ち良さが強くなってきて、その余りの勢いに怖くなって首を振った。
「や――だめっ!?」
 全身をびりびりと電気が走る。押さえて止めようとした彼の手を掴もうとして、気持ちとは反対にそこに押し当てたまま、
爪先が釣る程脚が引っ張られるような感覚を味わった。
「……っぁ……やぁ……はぁっ……」
 首筋にざらりとした舌が当てられ、やぁっと悲鳴をあげて仰け反った。
「も、無理……だめ」
「そっか……」
 ぎゅうっと抱きしめられて、鼻先を舐めた跡に埋めて呟く。
「そっかぁ」
 小さくても嬉しさを隠せないその声に、ぐったりとした躰を預けながら頬を緩めた。

 背中の温もりが消え、脱力した躰を仰向けに転がす。
 視界の隅に、お尻のあたりにあった堅い塊が準備を終えようとしているのをとらえた。
 いつも思うんだけど、この間は何とかならないのかなぁ?気になるけど、見ると『しっしっ』なんて猫の子の気分に
されるんで見ないフリしてるけど、みんなどうしてるんだろう。
 着けてあげる?多分ムリ。全力で逃げそう。何が今更恥ずかしいんだかわかんないんだけど、まあそれはお互い様という事か。
 つらつらとそういう事を考えてると、腕を引っ張られて起こされた。
「こっちおいで」
とあぐらを掻いてる膝の上をぽんと叩く。
 ぼうっとしていた頭が徐々に持ち直してきて、言わんとする事に気が付いた時には、開いた脚の中心にゴム付きのモノが
あてがわれて擦りつけられている。


「これで!?」
「そ」
 脚をがばっと開いて抱きつくと、なんかこう……。
「……サルみたい」
 ぶっ!と吹き出して頭の後ろをぐしゃぐしゃとされる。
「お前……こういう時にそういう事言うかぁ!?」
 ほら、と促されて力を抜くと、串刺しにされていく感覚に脚が震えて、しがみつく腕に力が入る。
「んぁ……」
 圧迫感に息が詰まる。
「ちょっと痛……」
「いきなりはやっぱ無理だったか?ごめん」
「ん、でも……慣れてきた。動くのは待ってくれる?」
「ん」
 初めての時に比べたら大分こなれてきたけれど、深々と貫かれるのは、まだそこに馴染むのに時間が掛かる。
 いきなり上に乗っかるよりは、こうして密着して支えて貰えるぶん、楽かなとは思えるけど。
 背中の手がなぞるに合わせて溜め息が零れる。それを掬い取るように、開きかけた唇は舌の絡まるキスに塞がれて逃げ場を失う。
 とっくにそんなものは残っていないんだけど。
 ちょっとの間、抱き合ったまんまでキスしたり、頭を撫でて貰ったりして落ち着くのを待って貰い、
「いいよ」
と言ったのを合図に再開する。
 ゆらゆらと腰が揺れ動くと、微かに畳の軋みと共に棚がカタカタと小さな音を立てる。
「んっ」
 しっかりと強く抱きかかえてくれた手が、お尻の辺りに下りてきて、くっと掴み上げられるような感覚に思わず出そうに
なった声を堪えるために首筋に唇を押し付けた。
 それに被せるように呻き声を漏らすと、同じように向こうもあたしのそこに熱い吐息を吹きかけ吸い付く。
 深々と差し込まれたそれが、繋がった躰の真ん中で頭を突き上げ暴れてる。
 そんなふうにしておいて、何度か擦りつけるように掴んだお尻を揺すり、
「も……だめかも」
と弱音を吐いてくる。
 背中に腕を廻して支えながらあたしを仰向けにして、うまく繋がったまま上にのしかかってくる。
 そのまま膝を押し曲げられて、開いた脚の間で動くと、切なそうに息を吐きながら腰を押し付けた。

「うぁ……まだイキたくない……っ」
 そう言ってるくせに腰はどんどん速く動かされるし、息は荒いし。でも、やめられちゃ困るの。
「だ……め、や、やめちゃ……いやっ」
 浅い所で抜き差しされる度に、じんわりと擦れて頭の中がどんどん真っ白な世界に近づいていく。
「――ああっ!?」
 いきなりぐい!と深いところに押し込まれて、引かれる動きに合わせて脚が震えた。
「やぁ……出しちゃいや……」
 そのまま、そこから出てっちゃいや。
「わかっ……るよ……けど……」
 太ももの付け根を抑えるように置かれていた彼の手が、あたしの脇にきて自身の躰を支えてまた動く。
「も……イ、く……ごめ……」
 耳元に寄せてきた口から途切れ途切れに言葉を発すると、ふうっと呻いて力の抜けた躰を預けてきた。
 じんじんと疼く下半身はそのままに重なったままじゃ、はっきりいって苦しい以外の何物でも無いんだけど、
「ごめん〜……ちょっと……だけ……」
なんて気の抜けた声で甘えられたら、悪い気しないじゃない?


* * *

「じゃあもう知美は誘えないねー。あんたの事話したら『会ってみたい』って子もいたのに」
「ごめんね」
「ううん、しゃーないよ。でも知らなかった!いつの間にそんなヒトできたのよ〜。しかも大人じゃん、イイな〜。
 そりゃ学生なんてコドモ相手にできないよね」
「いや……そうでもないよ?」
「またまたぁ!じゃ、他のコに声掛けてみるわ。初恋のヒトに宜しく」
 彼女はそういうと学食で暇をつぶしてる子達に片っ端から声を掛けている。
「初恋ねぇ……」
 改めて言われると、何か凄く恥ずかしいんですけど。いや、考えてみればその通りなんだけどね、なんかとんでもなく
美化してそうに思えるんですけど。
 短大に入ってから、やたらと男の子の出会いを意識した集まりみたいのが増えて、そういうのがちょっと苦手なあたしは
辟易していた。正直、付き合い上渋々参加していただけに過ぎない。
『引きずってる相手がいる』からなんていうのは、断りの理由にはならない。逆にそれなら尚更、と変なお節介気分で余計な
セッティングの場が増えただけだった。

 要は面白がってるだけなんだよね、悪気はないの。ただ、愛だの恋だのばっかりのあの独特の世界があたしは苦手だったのだ。
 まぁ、これで本当にその煩わしさから解放されたわけだけども。
 だけど、本来なら幸せ一杯なはずのこの時期に、あたしは密かに不安の種を胸の中に抱えている。

 ――昨夜。事後の余韻が消え去る前に体を離され、時計を見るなり
『そろそろ帰れ』
と追い立てるように服を渡された。
『もうちょいいいじゃん……』
『ダメ。遅くなると心配するだろ?明日は学校も仕事もあるし』
『電話するから、泊まっちゃだめ?ご飯作ったげる』
『ダメだって。……無理言うなよ』
『けち!』
 何とでも言え、と背中を向けたまま呟かれて、もう後は何も言えなかった。
 車の中で交わしたおやすみのキスさえも、唇が触れてる間ですら見えない何かに阻まれている気がした。
 二人で居るときはあんなに優しい空気に包まれてるのに、ひとりになると、それらが全て夢だったのかと思える程に掻き消えて、
淋しさだけが胸をつき抜けていく。
 そりゃ、相手は社会人だし。やっぱり学生のそれとは色々違って当然なんだろうけど。
 まあ、働く前に色事の余韻を残したままってのはマズいけどさ。だったらお姉ちゃんみたいな新婚さんはどーなるわけ?
 部屋に居てほしいとか、一緒にお茶を飲みたい、ずっとこうしていたい……と包まれた温もりはきっと嘘じゃないって
信じたいのに。やっぱり惚れたが負けなの?にしても冷たいと思うんだけど、言葉とか。
 せんちゃんが気の利かない鈍感喪男なのは知ってるから、甘い台詞なんか期待はしてない。ヘタレでむっつりなのも解ってる。
 あたしが好きならそれでいいじゃんって思ってる、けど、せんちゃんの心の中が見えない事実にもやもやして胸がつかえる。

 ――両想いって切なくなくなる恋だと思ってた。

 これじゃ片想いと変わらない。それともあたしが子供なだけ?

 そんなあたしの気を知らずにいるであろう『恋人』は、突然会おうかなどと気楽なメールを寄越してきた。

* * *

 最寄り駅前まで来て、通りの向こうに見えるガラス張りの店内にせんちゃんの姿を探した。
「いないなぁ……?」
 さっき着いたメールを貰った筈なのに???――まさか、と視線をずらしてみれば、ああ、やっぱり。
 この寒いのに、通りに面した外のテーブルで携帯を握り締めて小さくなってやんの、もう!多分、その理由はそれだけじゃ
ないと思うけど。
 ちょっと脅かしてやれ、なんて電話を掛けたら、握った携帯がぶるったのにびびって慌ててる。てか、出なさいよ。
「もしもし、せんちゃん?もうちょっとかかるかもー」
『あぁ!?ちょ……ざけんなお前っ』
 早くしろよなんて無愛想な声でぶっつり切られた。……何よぉ、その態度。やっぱ冷たくない?
 考えたくないけど、これが他の女の子だったり、もしも、もしもだけど――お姉ちゃんだったりしたら、こんなつっけんどんな
言い方するんだろうか。
 やっぱり、あたし、15の頃から何も変われてないのかもしれない。
 オンナになったからといって、必ずしも相応に扱われるとは限らないんだ。
 なんかムカつくなぁ。人の気も知らないで、ほんっと呑気に手帳なんか眺めて、なにニヤついてんのよ。携帯、
使い終わったなら置け!
 植え込みに隠れつつ近づいて、後ろに回るとそっから『だーれだ!』なんて驚かしてやる――つもりだったのに。
「えっ……」
「!?……うわ、びっくりした!なんだよお前はっ!!」
 その前に覗き込んだ手元のものを見て思わず声が出た。失敗した。で、振り向いたヤツに怒られた。
「趣味が悪い!」
 はいはいごめんなさい。
「もう、トイレいってくっからな。っとに寒いのに待たすから」
 知らないよ。だったら中にいりゃいいじゃん。
「何よ。こんな季節に憧れの待ち合わせシチュなんか試すからでしょ」
 慣れない場所にびびってキョロキョロしてたくせに。
「……」
 図星か。もう一つの理由、確定。
「あれ?置いてくの?」
「もういらん」
 大事そうに握り締めていた筈の携帯をテーブルに置いてくのを見て、ちょっと泣きかけたのは……内緒。




 少しだけあの後中でお茶を飲みながら話をして、今、こうしてせんちゃんちに向かって歩いてる。
「今日はこのまま車出すから。……泊めたりはできないぞ」
「わかってるよ。お母さんにご飯いらないって言ってないし」
「えらく聞き分けがいいな今日は。よし良い子良い子」
「……そのかわり、どっかで遊びに行っていい?」
 土日までもたないよ。せんちゃん成分不足――なんて言ったら、らしくないって引かれるかな。うん、やめよう。
「ていうか頭撫でないでよ」
「悪い悪い。……ほれ」
 差し出された手にあたしの手を乗せると、むぎゅむぎゅ握りながら先を行く。ちょっと痛いよ。
「お前歩くの遅くね?」
「そっちが速いんだよ!」
 優しくしてよ。
「普通だろ?ああそうか俺は脚が長」
「それはない」
 速攻かよ!とツッコむものの、反応の薄いあたしに空振りしたのが堪えたのか。むーっとむくれた顔を向けた。
「なに拗ねてんだよ」
「別に」
 あっそ、と大股で進まれたもんだから、ちょっとした歩道の段差に躓きかけてよろけた。
「おっと、大丈……」
 慌ててあたしを支えて半ば抱き締めるような形のまま、戸惑った顔をして覗き込んで動きを止めた。
「こけるとこだった!せんちゃんが急ぐから」
「だからお前がゆっくり過ぎるんだって」
「そんなに早くアパートに着きたい?」
 だったら待ち合わせなんかしなきゃ良かったのに。
「そんなに早く帰らせたい?」
「……は?」
 うわ、やば。
 どうしよう。引かれた、完全に引かれた。だって泣きそうだあたし。
「お前なぁ……」
 きょろきょろと辺りを見渡して人気の無いのを確認すると、ぎゅうっと抱き締め、頭をぽんと叩くと体を離した。
 本当に一瞬で、何も無かったかのように手を繋ぎ直す。あっという間の出来事に滲みかけた涙も止まった。
「バカ。俺だってゆっくり手繋いで歩きたいんだよ。けど、そしたらお前を家に帰すのが遅くなる。だったら早く帰って
 少しでもいちゃいちゃしたい所だけど、そしたら……帰したくなくなっちまうから」
「嘘……」
「……あんまりそんな可愛い我が儘言うなよ。チューすっぞ」
 耳まで真っ赤にして、鼻啜って何言ってんのよ。

「だったら泊めてくれたらいいのに」
「お前、親御さんに何て言う気だ?」
「何てって……友達んとことか、お姉ちゃんとこ」
「……正直に俺んとこ泊まるなんて言えないだろ?」
「そりゃ……でも、お姉ちゃんもあたし位の時に外泊なんて良くあったよ?だから大丈夫……と思う……けど」
「けど、やっぱり不安だろ。言わなくてもわかるだろうし、かと言って本当の事言うのは躊躇う。だからってその度に嘘つくのは
 気が引けるだろ?お前はそういう奴だ」
 さっきより心なしかゆっくりに感じる歩調で、ぽつりぽつり言葉を確実にあたしの耳に届けるように話しているのがわかる。
「俺な、お前が初めての彼女だ。お前もそうだって言ったけどさ。だからちゃんと大事にしていきたいと思ってる。でも、
 ……それだけじゃない」
 足を止めると、軽く咳払いをして、前を向いたまま暫くの沈黙の後。

「……それでお終いにする気、無いから」

 それだけ言うと、あたしが聞き返す前にまたさっさと歩き始める。

 あたし、知ってた。
 あたしが懐いて周りをうろちょろしていた事でお父さん達が変な心配をして、こっそりせんちゃんが釘を刺されたりした事。
 15のあたしは今よりもっと幼くて、そういうのに全然気が回らなかった。だから、ちっとも迷惑がらずに許してくれてたのを
いい事に、我が物顔でアパートに出入りして甘えていた。年頃だとか世間の目なんて全然考えてもみなくて。
 でもせんちゃんは優しかったから、あたしには何も言ってはくれなかった。だからあたしから少しずつ会いに行くのを止めた。
 もうあんなふうに、好きなひとを諦めるのは嫌だ。


 今さえ良ければそれでいい――そういう恋じゃないんだ。

 多分、言っているのはそういう意味なんだろう。
 あたしに嘘をつかせて、後ろめたい気持ちで逢瀬を重ねることを良しとしていないのだ。
 言葉は足りなくて、時々それにイライラしちゃうこともあるけど、それはあたしが子供なだけなのかもしれない。
 やっぱり、優しいひとだと思う。

「早く帰そうと思うなら、何で呼び出したりしたの?」
「……チビ」
「何?」
 やめてよ、って言うのは今はやめとこ。
「俺もお前に会いたいな、って、考えたりするって思わん?」
 4年近く経てばもう、女の「子」じゃなくなれると思ってた。
「ただこうやってほんの少しでも、顔見られりゃ嬉しいな、明日から頑張れるなって思っちゃったんだよ。勝手言ってすまん」
 幼いあたしの頭をくしゃくしゃに撫でた。それは、想いを確かめ合う時は優しく梳くように動き、今は強くあたしを捕まえて
前に進む。込められた想いはその時々で違うけれど、その手はいつも大きくて温かい。
 やっぱりせんちゃんはオトナだ。あたしは自分の気持ちばかり先走って甘えてた気がする。いつだってそれを当たり前に
思ってたあたしはやっぱりコドモだ。本当は何も変わってないんじゃないかな。
「……な、チビ」
「ん?」
「俺が何で合い鍵渡したかわかるか?」
「さあ」
「俺だって甘えたいんだよ」
 アパートが見えてきた所でまた足を止める。
「土日だけなら俺がいるから必要ないじゃん」
「だね」
「でもそれ以外なら?大体俺の方が遅く帰ると思うんだわ」
「あっ……」
「だから、たまには週の半ばに元気の補給させて欲しかったりとかするんだよ」
 本当はちょっと気づいてた。こっそり見たテーブルの上の手帳に挟んであった、三つ葉のクローバーの栞、手放した携帯。
 ニヤけながら眺めてたのは多分、栞の裏に貼ってあった、二人で初めて撮ったプリクラ。大事に持ってた携帯がいらないと
言ったのは、あたしからの連絡を待つ必要が無くなったから。自惚れなんかじゃなかったんだ。
「30分だけ上がってく?」
「30分?」
「……それ以上だと押し倒したくなるし」
「えっち!」
 ハイ、と頭を掻き掻き顔を朱くした。
「明後日、来ていい?バイト無いからご飯作ったげる」
「マジ?じゃオムライスがいいな」
「子供じゃん」

 仕方ないから、ケチャップでおっきなハートマークをプレゼントしてあげよう。
 なんて考えながら、広い背中を眺めて階段を昇った。



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2010年04月02日(金) 16:34:37 Modified by ID:BJs0GvqjeA




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