ヴァリーン・ハイド

初出スレ:初代201

属性:護衛とお嬢様




エマニュエル街の貴族、ヴァーセント家の屋敷は、街から少し離れた場所に
ひっそりと存在している。
屋敷の裏に広がる森は、真っ直ぐ突き抜ければ隣町のネージュレーブ港に
続く道に出るのだが、屋敷から街までまた距離があるので、周り道になるが、
森の外の道を馬車で行った方が早いので、森を訪れる者は滅多にいない。

木漏れ日が暖かくて気持ちがいい。鳥が飛び立って梢が揺れた。
少女はこの森が好きだった。ここでは嫌いな継母の嫌味を聞かなくてすむ。
開いた本を胸の上に乗せ、草の上で寝転がり寝息を立てて眠っていた。
「お嬢様、こんな所で寝ていると風邪をひいてしまいますよ。」
少女の顔に影がかかった。上から降ってきた声にゆっくりを目を開ける。
背の高い、服を着ていても分かる鍛えた体躯。中途半端な長さの、黒髪
と茶色の優しい瞳。
「…ヴァリーン?」
「おはようございます。」
「ん…、わたし寝てた?」
「はいぐっすりと。」
影の主、ヴァリーン・ハイドは笑って言い、手を差し出す。
「そろそろ冷えてきますから、お屋敷に戻りましょう。」
屋敷に戻る。少女は嫌そうな顔をしてもぞりと寝返りを打つ。胸の上に
あった本がばさりと落ちた。腕を枕にして、 ヴァリーンを見ない。
「やだ。」
「お嬢様…」
「だって、あの人の顔見たくないんだもん。」
あの人とは、少女の継母の事だ。少女と継母の仲の悪さは屋敷中の
誰もが知っている。
ヴァリーンは困った様に息を吐くと、少女の隣に座り、上着を脱いで
少女にかけてやる。そして落ちた本を広い表紙を見た。
兜を被りマンとを纏った少年が剣をかかげている絵が描かれている。
タイトルは
「勇者ポールの物語。お嬢様は本当にこの本が好きなんですね。」
「うん。だって面白いのよ。特にポールがトマトのたくさん乗った荷台から
飛び出してきたとき、潰れたトマトで全身真っ赤になって、ライバルの
ジョーに逆に心配されるところとか、ポールが海で溺れたときに、
人魚に助けられるんだけどねその人魚がしわくちゃのおばあさんで、
ポールはびっくりして気絶しちゃうの。それに人魚が傷ついて、仲間に
それを話すのよ。怒った人魚達がポールをボコボコするシーンとかが特に
面白いのよ。」
本の話なった途端、碧色の瞳を輝かせて話すのを、ヴァリーンは微笑んで
聞いていた。
白い肌にまだ幼い、可愛らしい顔立ちに、金色の長い巻き毛は背中に
流していて、今は草の上に広がっている。金色の長い睫毛。
襟と袖と裾の部分にレースをあしらったピンクのワンピースと靴下。靴は
飛ばしたのか、靴の裏が見える状態で草の上に転がっていた。
まさか貴族の娘−しかもまだ子供といっていい年齢−の護衛として屋敷
に仕える事になるなんて、昔の自分では考えられないだろう。
「ヴァリーンは人魚を見たことある?本ではおばあさんだけど、本当の
人魚は若くて綺麗な女の人の姿をしていると聞いたわ。」
寝転がったまま視線だけをヴァリーンに向けた。黒い髪が日に当たって、
少しだけ輝いて見えた。
「遠目にだったので、綺麗かどうかは分かりませんが、一度だけ見たことが
ありますよ。」
「本当!?」
少女は驚いて身を起こす。上着がずり落ちた。
「すごいすごい!いつ?どこで見たの!?」
ヴァリーンはずり落ちた上着を今度は肩に羽織らせて、そうですね、と
昔の記憶を辿る。
「確か、15、6歳くらいの時だったかな…」

現在ヴァリーン・ハイドと呼ばれる男が育った国の大陸の近くには小さな島が縦にいくつも浮かんでいて、
その中で大陸から一番離れたところに、シバニア島があった。
白い断崖と人の手が一切加えられていない豊かな自然と緑が広がる、
碧色の海に囲まれた美しい無人島。
島周辺ではよく人魚が目撃された事から、ついた別称は人魚島。
彼は仲の良かった仲間と何人かで、打ち捨てられた小船を漕いで
人魚島に向かったのだ。
1日と半分かけて島についた時はすでに夕方で、腹が減ったと島に生っている
果物を探して食べたらすぐに夜になった。
その日は雲一つ無く、月が明るく輝く夜だった。
何人かはあっちで人魚を探しに行くと、島の対側の海岸へ行ってしまった。
今この海岸にいるのは特に仲のいい2人が残っていた。
黒髪の少年と、茶色いの髪をした少年。
2人は息を潜めて、夜の黒い海岸を見つめていたが、海からは波の音が聞こえる
だけだった。
「あーあ、やっぱり昨日今日で見つかるもんじゃねえんだなぁ。」
黒髪の少年が暇に耐え切れなくなり、砂浜に大の字に寝転がった。
「お前の日頃の行いが悪いからだよ。」
「んだと?」
少年は気色ばむ。
「なんだよ本当の事だろ。」
お互い睨みあう。
「てめえ人の事言えんのかよ喧嘩売ってんのか。」
「売るなら買うぞ。」
「上等だこのやろう!」
2人は立ち上がり、今まさに拳を振り上げた瞬間、遠くで水飛沫が上がる音がした。
振り返ると、上半身は人間の女、下半身は魚の形をした影が月と重なった。
「い、いまのって」
「人魚…?」
拳を振り上げたまま少年たちは顔を見合わせた。
次の瞬間、また飛沫が上がった。
次々と人魚が海の中から飛び出し、海面を跳ねる。
まるで月を目指してるような、優雅なダンスを踊っているようなそんな光景だ。
2人はそれをぽかんと口を開けて見ていた。
ほんの一瞬の出来事だったが、それは神秘的で、しかし圧巻の一言だった。

「あの後、戻ってきた連中は悔しがって寝てしまったんですが、俺たちは
興奮して眠れなかった眠れなかったんですよ。」
実は人魚島は禁足地で、人魚を見に行ったのではなく捕まえに行くつもりだったのだが
それは黙っておく。実際、本物を見た後は本来の目的など忘れてしまって素直に感動
していたのも事実だった。
「すごい!素適な思い出ね。いいなぁ。わたしもいつか見てみたいわ。」
碧色の瞳が驚きと感動で輝いている。
そう言えば、次の日の朝見た海の色は確かこんな色だった。
「そういえば、ヴァリーンが自分の昔話をしてくれるなんてはじめてじゃない?
なんか嬉しい。他にも色々聞かせてほしいわ。」
「え」
ヴァリーンはぎくりと肩を揺らした。
少女はここぞとばかりに詰め寄ってにやりと笑う。
「ねえその大陸ってどこにあるの?ここに来る前はどんなお仕事をしていたの?
一緒に人魚を見たお友達はお元気?」
質問責めだ。
まいったなぁ。
困った顔で、口の端には苦笑を浮かべる。片膝を曲げ、肘を乗せて手の平で口元を
隠してうぅんと唸る。
昔の自分の事で、人に言えるよう話なんてそう多くはない。むしろ人には言えない
事だらけだ。
物心ついたらスラムにいた。親の顔なんて知らないし、生きるために喧嘩だって
盗みだって、人を殺すのだってなんだってやってきた。
5年前、二十歳の時、この少女に拾われる以前の事。
ヴァリーン・ハイドと名乗る前の、昔の自分のはなし。
「随分昔の事ですから、もう忘れてしまいました。」
「えー!?」
「思い出したら教えて差し上げます。さあそろそろ戻りましょう。日も落ちてきましたし、
本当に風邪をひいてしまいますよ。」
ちぇーと唇を尖らす少女を横目に立ち上がり、脱ぎ捨てられた靴を取りに行く。
白いエナメルで、甲の部分にはりボンがついている小さな靴。
ヴァリーンは少女の前に片膝をつき、少女の踵を持ち上げて靴を履かせる。
「戻りたくないなあ。」
「お嬢様がどうしてもと言うならしょうがないですね。今日のデザートは苺のアイスだと
料理長が言っていましたが、お嬢様の分を残すのはもったいないので、俺が全部
食べちゃいましょう。」
「それはダメ!」
「なら帰りましょう。」
ヴァリーンは笑った。
少女はむぅと頬を膨らませて睨んだが、迫力はなかった。
継母と顔を合わせるのは嫌だったが、苺のアイスが食べられないのはもっと嫌だった。
「………帰る。」
ヴァリーンは手を差し出し、少女は今度こそその手を取って立ち上がる。
髪や服についた草を払ってやり、行きましょうと少女の隣を歩く。
―― 一緒に人魚島に行ったお友達はお元気?
そういえば、あいつとはもう何年もあっていない。
一緒にスラムで育った仲間の中で、喧嘩ばかりしていたけれど、一番仲の良かった
茶色の髪をした少年。
風の噂でネージュレーブ港にいると聞いた。意外と近くにいると知って
驚いたが、それでも何年もあっていない。
あいつ元気かな。
…多分元気だろうな。



考えにふけるヴァリーンを少女は見上げた。何となく手を繋ぎたくなったので
そっと握ってみた。ヴァリーンは一瞬驚いた顔をしたが、何も言わず握り返してくれたので
少女は嬉しくなった。

大きな手だなあ。といつも思う。
ヴァリーンの昔の話のこと、はぐらかされてしまったけれど、
私が大人になったらいつか話してくれるかしら?

それまでヴァリーンは私のそばにいてくれるのかな。


夕日が沈んで森を赤く染め上げる。草を踏む二つの音がする。

苺のアイスは目の前だ。




終わり。





2007年09月23日(日) 10:52:07 Modified by toshinosa_moe




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