教師と生徒

初出スレ:初代126〜

属性:教師と生徒



 長い長い長い数式をチョークで黒板に刻み、塚原源蔵(つかはら げんぞう)は振り返った。
 塚原はアゴの無精髭(今朝、新妻共々寝坊してしまい剃る暇がなかったのだ)を撫でながら、教室を見渡す。短く刈り上げた髪に精悍な顔立ち、ジャージに包まれた筋肉質な長身は体育教師を連想させるが、れっきとした来年四十に届こうという数学教師である。
 鋭いのか鈍いのかよく分からない目つきが、今の状況を分析する。
 秋陽高校2年3組の生徒は真面目半分、不真面目半分な生徒達で構成されていた。
 ……ま、誰かが答えりゃいいんだが。
 そう思い、黒板に軽くチョークを突き立てた。
「ここの問題、分かる人――」
 すると、勢いよく色白の手が上がり、
「はい――」
 烏の濡れ羽色をした長い髪の、清楚な雰囲気の少女が立ち上がった。
「――お義父さ、……ま……」
 声が……徐々にしぼんでいく。
 まず、「やってしまった」的な気まずさが発生した。
 次いで、教室がしんと静まりかえる。
 さらに、真面目に聞いていた生徒も、雑談していた生徒も、一斉に彼女に視線を集中させた。
 最後、クラスは爆笑の渦に包まれた。
 うっかり。
 凡ミス。
 もはや、俯いた少女は耳まで真っ赤であった。

「……塚原、まあ落ち着け」
 塚原は深々とため息をついた。まー、自分だって小学校時代、一度や二度、
先生の事を「母さん」と呼んでしまった恥ずかしい経験はある。
 あまり笑うのも気の毒だろう。
 とはいえ実際、塚原と少女――塚原響(つかはら ひびき)は血は繋がって
いなくとも、数ヶ月前までは親子関係にあったので、完全に間違いではないの
だが。
「ごめんなさい、旦那さ……」
 響は塚原に途中まで言い、小さな口を両手でふさいだ。
「〜〜〜〜〜っ!!」
 塚原は教壇に突っ伏し、教室内はもはや再起不能の極限状況へと突入しつつあった。あああああ、また職員室で教頭にネチネチ言われる事、確定だ。
「じゃなくて、え、えっと、その、先生! 違う! 違うんです、皆さん! 
これはちょっと気が動転してですね!」
 そして涙目の響がフォローを入れれば入れるほど、皆の笑いは大きくなって
いた。
 つい数ヶ月前まで(色々とややこしい事情で)血の繋がらない親子関係だった二人が、現在は婚姻関係にあるのはもはや周知の事実だ。
 だが!
 義理の親子だろうと新婚夫婦だろうと、ここは教室なのである。
 教師と生徒のケジメは付けなければならないだろう。
「塚原、いいから問題を解け」
「は、はい……」
 真っ赤な顔のまま、響はこちらにやって来た。

 生徒の何人かが、酸欠状態になり、床に転がっている。
 まあ、放っておいても大丈夫だろうと塚原は判断した。ここの連中は丈夫だし。
 とか思っていると、申し訳なさそうな小声で、響が囁いてきた。
「……今晩、おいしいモノ作りますから、許して下さい」
 ニヤニヤ笑う生徒どもを苦々しく見ながら、塚原は新妻に囁き返す。
「お前な、オレを食い物でつられる男だと?」
「日本酒……今晩は『羅生門』、お付けします」
「よし、許す」
 即決であった。
 教師と生徒のケジメよりも酒が大事な男、塚原源蔵であった。
 ただ、響は少し心配そうな顔をしていた。
「あまり飲み過ぎないで下さいね。旦那様は、酔っぱらうとオヤジ様になって
しまいますから」
「……子虎になってジャレ襲いかかってくる奴に言われたくないがな」
「だ、だ、だって、旦那様がいつも、あんまりおいしそうに飲まれるから……」
 羞恥に頬を染めた響が塚原を見上げ、唇をとがらせて抗議する。
 あのゴム無し、当たってなければいいんだが……と、内心塚原は心配になった。ちなみに今日寝坊した原因は、それだったりする。
 なんて悩んでいる暇もなく、
「すみませーん、そこの新婚カップル、丸聞こえでーす」
「さっさと授業勧めやがれコンチクショー!」
 生徒達――主に男子――が、教壇の二人に向かってヤジを飛ばし始めた。

「うっせー! 授業延長するぞコノヤロー!」
「だ、旦那様っ、職権乱用ですよ?」
 響が塚原のジャージの裾を引っ張った。
 塚原は、ぺーんと教壇を叩いた。
「いーからお前も、さっさと解いて席戻るっ!」
「はいっ」
「ったく……」
 どうもこのクラスだと、娘……じゃなかった、女房が見てるからペースが狂うんだよな。
 などと深い吐息を漏らしながら、塚原は答え合わせを開始するのだった。



2007年09月23日(日) 10:29:17 Modified by toshinosa_moe




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