三つ葉のクローバー 4

初出スレ:4代目484〜

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「せんちゃん、何が好き?」
 コタツの真ん中に置かれた鍋から、湯気とともにいい匂いが狭い部屋に漂う。
「ちくわと……大根」
「わかった。はいどうぞ」
 取り皿によそって目の前に置かれたあつあつのおでんに、空きっ腹の中に流れ込んだビールが余計に早く
染み渡る気がする。

 この頃はこうして、休日に晩飯を食べる事も増えた。メニューはと言えば、カレーとか肉じゃが、パスタ等、要するに
鍋1つあれば出来るようなもんが多い。なにせ、うちにはそれ程気の利いた調理器具は揃っていない。
それに、多めに作って保たせておける場合もあるし、正直助かる。
 気が付けば掃除、洗濯、炊事と随分と世話を焼いて貰い(焼かれてるという気もする)、何かこいつと
一緒にいるのが普通になりつつあるような気がする。
 それはそれで悪くはないと思うんだけど。


「そういうの、カノジョって言わない?」

 会社の昼休み、同期のやつと飯食ってる時にふとチビ――知美の話をした。話したというと打ち明けた
みたいだが、休みはどうたらこうたら、そんな流れだったと思う。
 隠す程の事も無いしな。やましさなんぞ欠片も無い。
「だって、飯作らせて、家事やって貰って、一緒に遊んでるんだろ?」
「まあ、そうかな……?」
 いや、でも遊んでるはともかく『作らせて』はない。頼んだわけでもないしな。
「うわ、やだねぇこの男は!なんつう贅沢な……女の敵だ敵!!可愛い短大生が小汚い独身サラリーマンの
 部屋で世話焼いてくれるんだぞ!?これ以上の幸せあるか。何なら俺にくれ、替われ」
「いや、くれっつわれても……」
 はいどうぞ、つうわけにもいかんしな。つうか、あいつはそもそも俺のもんなんかじゃない。大体、
俺が二十歳んときあいつ中学生だったんだぞ?
「それがどうした。19と24じゃ別におかしくなかろう。……前者なら犯罪の匂いがするがな」

 だよなぁ。
 やっぱりそういうもんなんだ。


 社会に出てみれば、年齢差というものは案外気にはならないものだ。ただ、入社何年目というのは結構大きい。
それはまだ俺が2年目のペーペーだからかもしれないけど。
 学生時代は尚更。浪人なんざザラにいるから年齢そのものは大して気にはならなかったような気がするが、
学年が1つ違えば、先輩後輩の差はかなりでかい。ましてや、立場が違えば尚更。

 当時中学生と大学生なら確かに見た目犯罪的だわな。

 今はともかく。


「ねぇ、クリスマスどうすんの?」
「クリスマス?何それおいしいの?…………仕事ですが何か?」
「そっか、平日だもんね」
 今日は朝からやって来て、コタツでぬくぬくと丸まってやがる。これからバイトに行くらしい。
「ま、その前にせっかくの土曜に寝間着でゴロゴロしてる人にそれを聞くのは酷だったかしらん?」
 ほっとけ。てか、本当なら休みくらい朝寝したいんじゃ大人は。それを叩き起こして着替える間も与えず
上がり込んで来るのはどこの誰だ、誰のせいだ。

 とは言え、こうしてコーヒーを飲んで落ち着いてる間に溜まった洗濯物は片付き、無駄に過ごすだけの
休みにはハリが出来てきたのはこいつのお陰かもしれん。
 実際、これまでの生活は不健康極まりないしな。

「そういうお嬢ちゃんはどうなのかね?そんな事言うくらいなんだから、聖夜の誘いなんざ掃いて捨てる
 程あるんだろうねぇ」
「……無くもないけど」
「えっ!?」
 思わずコタツに乗っけてた顎を浮かせ背筋を伸ばした。
「何その反応……失礼だよ!」
「いや、あの、ふうん。そう。で……?」
「で?って、何」
「いや、どうすんのかなって。せっかくだし……」
 むっと睨まれてちょっと怯んだ。俺何か悪い事言ったか?
「……せんちゃんは?」
「ん?」
「せんちゃんはどう思う?」
 俯き加減に困ったような顔をしてるくせに、怒ったような拗ねたような目を向けて睨んでくる。

「えぇ?俺なら……そうだなあ、可愛い子だったら考えちゃうなぁ。ていうかイブに一人っきりって
 悲しーぜ!?」
「……そこなんだ」
 はぁ、とついた溜め息が重くのしかかる。なんか完全に呆れて憐れみをもを通り越したトーンだなこりゃ。
ってだから何で俺が気にせにゃならん。
「この時期になると必死で恋人作ろうとするヒトいるよね。せんちゃんもそういうクチか」
「……悪かったな」
 毎年この時期になると駆け込み合コンに励み、見事撃沈していた。ガチガチにあがってしまうヘタレな
根性か、彼女いない歴24年=年齢の焦りがまる見えなのか。
「恋人がいるって事にそんなに意味がある日なのかなぁ?」
「というと?」
「その日のための相手ってそんなに必要?」
 いい具合に冷めたであろう日本茶の入ったピンクのカップを手に呟く。いつも思うんだが、このカップに
茶は合わん。

「その日に限らずとも、『この人と過ごしたい』って相手がいる事に意味があると思う。クリスマスに
 一緒にいたいんじゃなく、一緒にいるための恋人なら、あたしはいらない」

 耳が痛い。毎年チビのような事を口にしつつも、本心ではいつも寂しい独り寝にぐちぐちと……要は単なる
負け惜しみだったわけだ。

「ま、今年もその様子じゃ予定は白紙だね。仕方無い。帰りに売れ残りで良ければケーキ貰って来てあげるから……」
「いらね」
 完全に見下された気がした。こんな言い種いつもの事だと思いながらそれにどことなくイラっときて、
ついきつめの物言いをしてしまった。
 ばつが悪くなって逸らした視界の端に、ハッと引いたチビの顔が入る。
 でももう遅い。
「生憎だけど俺にもその日合コンの誘いがあるんだわ。だからそれは自分で食ってくれ」
「えっ……仕事だってゆったじゃん」
「一日中働いてるわけじゃないからな。それに俺はそうでもしなきゃ恋愛なんて縁が無いもんでね。
 お前みたいに贅沢いってらんないんだよ、どーせ」

 しょうもない意地で売り言葉に買い言葉以上の返しをしてしまった。それに気付いた時には、チビは
俺に背を向けてバッグを手に部屋を出る所だった。
「バイト行くから」
「……うん」
 いつもみたいに『行ってこい』が口に出せない。だからやる気があんのかないのかよくわからん『行って
きまーす』も聞こえない。

「せんちゃん。あたしどうしたらいいの?」

 靴を履いて振り返る彼女を、コタツから出る気力も無く眺める。

「あたしも、カレシとか作ろうとした方がいいの?」

 それは誘ってきたという男の話か。
「……それは自分で決める事だろ」
 テレビに顔を向けた。今どんな顔してるのか見る事が出来ない。どんな顔していいのかわからない。

「……お菓子の靴」

「えっ?」
 小さく呟いたチビの言葉に反射的に首を捻った。

「何でもない」

 なんだっけ?クリスマスによくあるアレだよな。でもそれだけじゃ無くてなんかあったような気がする
んだけど、何だっけ?
 どうしても引っかかるのに思い出せない。
 そんな俺に痺れを切らしたのか、ふうと息吐き肩を落としてチビは出て行った。
「なんでこうなるかなぁ……」
 誰にともなく、ぽつり呟いて。


* * *

 合コンの予定なんか本当は無かった。
 同期にチビの話をしたせいで、誘われ損ねちまったわけだ。
 おまけに、この師走の忙しい時期に風邪引いて寝込んじまった。
 しかもイブだぜぇ!?こんな日に、病院帰りに寄ったコンビニで買ったレトルトのお粥って……ああ、泣きたひ。
 そういや、チビ、あいつケーキ屋で働いてたんだっけ。売れ残ったら持ってくるとか言ってたな。
 もし、あれっぽっちの憎まれ口に子供以下の見栄やら意地やら張り返さなけりゃ、今頃もしかしたら
あいつの帰りを待ちながら、少しはましな気分でいたのかもしれん。

 ああ、病人はやだね、気が弱くなっちゃって。

 だから慣れた筈の染みだらけの天井眺めながらの独り寝が、寂しいと思えてしまうのかもしれない、と
白紙の予定の手帳の欄と挟んだクローバーの栞を想って目を瞑った。




 コンコン、と控え目にドアを叩く音がして目が覚めた。
 結構寝ちゃったんだな。それまではまだ外は明るかった筈なのに、外は勿論部屋の中も真っ暗だ。
 ゆっくり体を起こしてみるが、薬が効いたのかぐっすり眠ったお陰でかなり楽に感じる。
 電気を点けると、コン、と1回小さく鳴って止まった。

 まさか、な。

 そう頭に言い聞かせてもどこかで解っていた。
 ドアを開けると、真っ赤なほっぺで俯き気味に箱を抱えたあいつが――チビが立っていた。

「具合、悪いの?」
 真っ先に顔を見て言ったのがそれか。
「だってここ、ほら」
 額を指さす。ああ、熱冷ましシート。貼ったの忘れてた。
「あのね……やっぱり、せんちゃんと食べよっかな、って思ったんだけど。……無理だよね、その様子だと」
 確かに空きっ腹にケーキはキツいかもしれん。特に今はな。
 でもそんな事どうでもいい気がした。
「とーにーかーく!いいから、寝て。熱どうなの。ご飯は?」
「熱は……多分朝よりはまし」
 飯と聞いた途端腹が鳴った。薬のために昼前にお粥食っただけだもんな。
「しょうがないヒトだなぁ。あたしがやるから病人は寝て」
 鈍い音にぷっと吹き出して、ずかずか遠慮なしに上がり込んできた。
 昨日の事を考えると、今日はそのまま回れ右してしまうんじゃないかと、少しだけ不安が過ぎった。何故かは
よく解らないんだけど、チビの普段通りの軽いふてぶてしさが何だかとても嬉しいと感じた。
 寝転がった枕元に座ると、額のシートを剥がされ手を乗せられた。冷たくて気持ちいいけど、外は
寒かったんだろうなぁ。
「熱そんなに高くないね。良かった良かった。お粥作るよ。食べられるよね?」
「う、うん」
 前屈みになった胸元がちとヤバい。こんな時にそんなピッタリしたニットなんか着やがって……あ、寝てるのに
一部が起立しそうで非常にヤバいっす。
「残り冷蔵庫入れとくね」
 新しいシートを貼って、開けかけの箱を手に立つ。それを横目にチラ見しつつ、良からぬ体の変化を
妨げるため必死に下らない事を考え続けた。



 ごくごく普通のお粥がこんなに有り難く思えるとは。弱った体に優しい柔らかさが染み渡る。
「残念だったね」
「何が?」
「だって合コン」
 ああ、そうか。会社休んでるんだもんな。
「いいんだ別に」
「ふーん。強がっちゃって……と言いたい所だけど、何か本当にどうでも良さげ」
「まあな」
 元々つまらない意地でかました嘘だ。それを心底残念がって見せる程の演技力は、俺には無い。
「お前は結局バイトだけか」
「わかってるくせにそういう事言う?」
 だよな。じゃなきゃわざわざお疲れの所こんなむさ苦しい場に来るわけが無い。しかもこんな日に。
「しっかり働いて来たよ。ミニスカサンタ、寒いんだよねアレ。可愛いんだけどさ」
 なんですと!?
「サンタ?」
「そう、サンタ。タイツ履いてても寒いしさー、何か変な奴とかジロジロ見るしさー」
 だろうな。俺だってガン見するかもしれん。が、断じて変な奴ではない。一緒にされては困る。何が
違うのか?と聞かれてもそれは考えるな。感じてくれ。

「せんちゃん……ちょっとは見たいと思う?」

 空になってて良かった。あやうく布団の上に茶碗を落とす所だった。何だか良からぬ考えを見抜かれて
しまったみたいで妙に焦る。んなわきゃーないんだが。
「おっ、お前のコスプレ見ても萌えん」
「ふうん……」
 嘘です。多分。何ゆえこいつ相手に想像巡らし焦るのか。解らん。何故だ。

「さて、帰るか。ちゃんと寝てね。明日は会社行けそうだね」
 手早く洗い物を済ませると玄関に立った。
「いいのに。寝てて」
「いや、もうかなりいいし」
 チビを追って布団から這い出た。本当にかなり気分はいい。
「今日はここで。じゃ、ね」
「あ、ああ……その、すまんな」
「ううん」
 もっと気の利いた事や優しい言葉を掛けてやりたいと思っているのに、そんな気持ちばかりが先走って
うまく声にならないでいる。何なんだろう、これ。

 ドアは今日はきっちりと閉められていた。病人に気を遣っての事か、それとも。

「あたしじゃダメ、か」
「え?」
「……何でもない」

 バイバイ、と出て行く。


 ことさらに明るい声を弾けさせて。

* * *

 翌日は普段通り会社に行き、普段通り仕事をして、普段通りアパートに帰る。
 朝飯代わりに食べたケーキの残り以外何も無い冷蔵庫を思い出して立ち寄ったコンビニで、レジ横の
ワゴンに積まれた物に目を留めた。


『ほら、約束は?今学期の成績が良かったらプレゼントくれるっていったじゃん!』
『え〜そうでしたっけ?……うそうそ、ほれっ!有り難く受け取るが良い』
『え〜これぇ!?』
『お子様にはこれが一番だ。不満なら持って帰』
『い、いらないとは言ってないじゃん!せっかくだから貰ってあげるよ』
『いるんじゃん。ヨシヨシ、くれてやろう』
『ちょっと〜!?頭ぐしゃぐしゃになるってば!!』


 記憶の底からゆっくりと、そしてはっきり浮かび上がった場面に自然と笑みがこぼれて、優しい気持ちになる。
 迷わず手に取りレジに向かった。


 翌朝はいつもの土曜日より早く目が覚めた。
 何となく気分が良くて、張り切って洗濯を済ませると布団を上げて掃除までしてしまった。
 着替えを済ませると片付いた部屋と合わせて爽やかな気持ちになる。なんと単純な男か。
 そろそろ賑やかな奴が姿を見せる頃か。朝飯を食べ待つ事にする。
 昨日のコンビニの食パンをトーストして、一緒に買ったそれをコタツに置いて眺めながらカップを手にした。

『ありがとね、せんちゃん』

 仏頂面で、でもちょっとだけ緩んだ口元がはっきりと思い出される。
 家庭教師の成果が出ればプレゼントをやると言った。だが、一人っ子の俺が妹みたいな女の子にやるもの
なんか思い付かなくて、近所のスーパーで急いで買ったものだった。

「遅いな、あいつ」

 今日は終わってから来るのかもしれない。そしたら、これを渡してやろう。
 それから、もっとちゃんと昨日の礼を言って、それから、お揃いのカップでコーヒー飲もう。
 それから、それから。

 これからの事を色々と考えながら、値引きシール跡付きのお菓子の靴を眺めて過ごした。


 でも、


 その日も、次の日も、




 知美がこれを受け取りに来る事は無かった。


(続)




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2010年02月27日(土) 08:26:52 Modified by ID:Bo5P9jtb2Q




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