三つ葉のクローバー 7

初出スレ:4代目583〜

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 押し当てていた唇をゆっくり離すと、ふっと息を吐いた。ガチガチに緊張してたせいもあったんだろうが、
異常に心臓の音が早く感じるのは酸欠になったのもあるかもしれん。
「ドキドキしてるね?」
 胸元に抱えたチビに聴かれるのがかなり恥ずかしい事に今更気付いたが、胸に顔を押し付けたまま動かない。
「何だよ。顔あげろよ」
「ヤダ。だって」
 つむじしか見えてない頭の柔らかな黒い髪が、喉元とか顎にこすれてこそばゆいんだけど。
 思い切ってくいっとチビの肩を掴んで、惜しみながらも体を離した。
「あ……」
「だからヤだったのに……」
 覗きこんでみれば、真っ赤っかに染まったほっぺは、涙でぐじゅぐじゅに濡れている。
「もう、変な顔してんだから見ないでよ!」
「なーにを今更」
「な……っ」

 そういう憎まれ口ばっか叩いてる普段のお前よか何倍も可愛げがあるわい。

 またチビが俯こうとするのを顔を近づけて阻止した。鼻と鼻が軽くぶつかる。
 唇を突き出すと、ちょんと軽く触れた。そのまままた顔ごと押してみると、さっきよりスムーズにチビの
それと合わさる。
 触れては離し、また離し、何度も繰り返すうちに少しずつ柔らかい感触を楽しめる余裕が出てきた。なんつうか、
いわゆるレモンの味なんか全然しないんだけど、考えてみりゃ人生初めてのチューなわけでさ。
 やべえ、なんかやめたくないんだけど。バクバク騒いでた心臓がようやく落ち着いてきた頃、長く触れ合った
のを最後にしてやっと離す事が出来た。これがキスの魔力か。
「んぶっ!?」
 もっかいだけ……と近付けた顔を思いっ切り押し返された。
「だぁめ!」
「何で!?」
「だって一応外だし。見られたら」
「ああ、そっか、うん」
 恥ずかしかっただけか。嫌がられてるわけじゃなかったんだ。なら良かった。いや、マジで。
「せんちゃんてキス魔だったんだ」
「キスだけにチュー毒……なんつって」
「……さむっ!!」
 おいどこ行くんだ。外の方が暖かいとでも言うんか?おいこら待て、俺が悪うございました。

「いつまでここにいる気?」
「いつまでって……」
 とっとと帰れってか?おい。冷てえぇ!!
「とりあえずー場所変えない?」
「お、おう。そうだな、どこ行く?」
 ここじゃいつまでもイチャイ……ゲフンゲフン、ゆっくり話も出来んわな。
「聞くまでもなくない?一体何をしに来たわけ」
 何って。ああ、それは、そうか、そうだ。
「お嬢様お迎えにあがりました。つうわけでうちで一緒に年越しませんか?。そばもあるし、掃除もしたし」
 何より渡したい物もある。
「それだけ?」
 まだ足りんのか!?……ああ、わかって言ってやがるなこいつは。言えってか?ああ、言えばいいんだろ
ちくしょう。そんなにじっと見るんじゃない、待つな。
「……一緒にいたいんだよ、お前と」
「うん。わかった」
 あー恥ずかしかった。なんか変な汗出てくるんだけど、人の気も知らんとくすくす笑ってやがる。俺のトレーナー
の胸んとことか多分意味もなく弄り倒したり……か、可愛いじゃねえか、くそっ。


 気持ちが通じた安心感なのか、バッグ1つ抱えてニヤニヤと助手席に座るチビの横顔を信号待ちの度に
盗み見ると、こっちまで勝手にニヤケてきやがる。つい数十分前までの不安いっぱいの空気が嘘のようだ。
 この信号、ちょっと長いんだよな。そこから色々考えてるうちに欲が出て、もう少しだけ近づきたくなった。

 膝に抱えた荷物の上の手に自分の左手をそっと伸ばし、乗せた。
 一瞬だけぱっとこっちに向けた顔は、驚いたのが丸わかりな目をしたけれど、開いたそれはすぐ垂れた
細いへにゃへにゃに変化して、その下のほっぺも緩んだ口元も薔薇色っつうの?なんかもう、ああ、いいや何でも。
 やべえ、車じゃ、運転中じゃなかったら。そんな余裕なんか無いんだけど、でも触れた手の確かな感触は幸せで。
 ああ、いっぺんやってみたかったんだよなこういうの。
「信号、変わっちゃった……」
 チビの一言でその時間はあっさり終わってしまった。
 けど、小さく拗ねたチビの言い方につい笑みが浮かんで、離した手は無事にアパートに向かうために
しっかと運動に集中する事に決めた。

* * *

 コーヒーを淹れてコタツに座る。
「これ、遅くなっちゃったけど」
 すっかり時期の外れたお菓子の靴を渡すと、ちょっと驚き戸惑ってぎゅっと胸に抱きかかえた。
「お子様じゃないっつうの……」
 いらねえのかよ!とツッこみかけて、出した手をほっぺにあてた。
「……泣くなよ、バカ」
「だって」

 ――覚えてなんかないと思った、って。

「……これからは、ずっと買ってやるよ」
 いくらだって買ってやる。
 しょっぱく濡れた自分の指先を眺め、それから黙って靴を抱くチビを俺が抱き締める。
 こいつ案外よく泣くやつだなぁ。
「ごめんねせんちゃん」
「なにが」
「あたしって結構湿っぽい奴なんだよね。そんでね、諦め悪いんだ」
「……構わねえよ」
 そんなの全然構わない。むしろそれで良かった。その方が有り難い。

 だってさ。

「これ飲んだらおそば作るね」
「いいよ、たまには俺の腕を見せてやる」
「やりたいの」
 腕を解くと靴を台の上に置いてカップを手にする。

「もうこれ使えなくなると思ったから……」

 本来ならどうってことの無い単なる引き出物だったペアのカップは、いつの間にか特別な意味のある物
に変わった。二人でこれを使う事、一緒にいるという事が当たり前でいて大切な時間なんだ。
それがよくわかった。
 だからあのままあっさり見捨てられずに済んでマジ良かった、俺。いやほんとそんなの困る。これはもうお前のだし。
「俺お前が居なくなると困る。だからそんな事」
「困るって何が?」
「えーとだから、物好きな世話焼きが居なくなると色々となんつーかその」
「ふーん。へー」
 首を傾げてほっぺを膨らし唇を尖らす。あ、目つきが怪しい。つうかほっぺつつきてぇ……チューしてぇ……
いや、じゃなくてだな。

「寂しいよ、お前がいないと」

 俺も相当諦めが悪いから、きっとチビを手に入れられなかったら今までの片想い以上に引きずったに違いない。
「苦しかったよ、ずっと」
「……今は?」
「ちょっと楽」
「何でちょっとなの」
「恋とは苦しいものなのだよ」
「……クさっ」

 ……。

 可愛いけど可愛くない。それでもやっぱり俺にはこいつしかいない気がする。

 コーヒーを飲んだ後、流しに立つチビの後ろ姿を眺めながらコタツに入ってた。
「なんか不思議だなぁ」
「何が?」
「ここでこうやってそばなんか茹でてんのが。だってもう最後だと思ったんだ。この前あんな事……」
「この前?」
 ぼんやりと頭を巡らせると、最後にここに来た日のやり取りが浮かぶ。

 見上げてくる潤んだ瞳。
 酔っ払ってなのかそれとも――ピンクに色づいたほっぺ、濡れた唇。

『試してみる?』

 袖口を摘んできた、微かに震えた指。

 俺に合わす顔が無いと思ってたんだろうか。

「そーゆー事言うなよ」
 淋しいじゃんか。
「ん……」
 何度となく目にしてきた流しに立つ後ろ姿を見てるうちに、ただこうしてぼけっとしてるだけの時間が
非常に勿体無い気がしてきた。
 今までとは違う。もうこいつ、彼女なんだよな?俺の。
 こんなふうに飯作って貰ったりすんのに憧れた。
 だからいいよな?
「せん……ちゃん?」
 立ち上がり、チビを背中から思い切って抱き締める。鼻に届く髪の匂いが不思議に甘くて柔らかい。
 車の中で真正面から包み込んだ時とは違って、菜箸を持ったまま動く事の出来ないチビをまさに『捕まえて』
るって感じがする。
「……あ、危ないよ?」
「ちょっと位平気だろ。てか、嫌?」
 箸を持った方の手は忙しなく鍋を掻き回しながら、空いた手はチビの前に組まれた俺の手にそっと重ねられる。
 ふるふると首を振ったのを確認して、抱き締める腕にぎゅうと力を込めると、背を丸めて顔を寄せた。
 チビのほっぺに俺のほっぺが当たる。ぷにぷにして、髪とはまた違う良い匂いは化粧か?つか柔らけぇ。
 思わず首筋に鼻を埋めた。うぉぉ、何とも言えんこの感じ……何か変態ぽい気もするが。
「や……ちょっと」
 微かに震えて肩を竦めるチビの声が、何かちょっと色っぽい気がする。
「だめだよ」
 くんかくんか。
「だめだってば」
 もうちょっと。
「ああもう!ほんとにだめだってば!!邪魔っ!!」
「ふぉ!?」
 肘鉄喰らわされ、悶絶。
「あ……ごめん。だって危ないから。大人しく待ってて、わかった?」
「あぃ……」
 束の間の幸せをザルにあげたそばに奪われ、すごすごとコタツに戻った。

 二人で夕飯を食べ、片付けが終わった後コタツに並んでテレビを観る。
 狭いし、チビが笑う度にぱしぱし腕や肩を叩いて寄ってくるから痛いし重い。けどなんか、うん。
「あ、もうこんな時間かぁ」
 その声にふと時計を見る。普段ならそろそろ帰り支度をしなくちゃならない。けど今夜は。
「このままで良いんだよな?」
「……うん」
 返事をした途端俯いて黙り込んだチビを、肩をぐいと抱いて引き寄せた。
 今夜はこのまま帰さなくていいんだ。だからもう少しだけと言わず、こうして側にいる事ができる。
 一晩中、ずっと。
 俺の考えてる事がわかってしまったのか、チビの体がきゅっと固くなった気がして、抱いた手に思わず
力が入る。いや、だから固くなったのか。どっちが先かわからないけど、多分二人の考えてる事は同じだ。
 どうしよう、こんな時俺がもっと手慣れた男だったなら、何かとスムーズにコトを運べるのだろうに、
皆無と言っていい経験値の無さが恨めしい。
 肩から離した手でくしゃくしゃと頭を撫でると、
「もうっ」
と拗ねた声をあげてその手をぺちりと叩いた。
「てっ!なんだよ良い子良い子してやってんのに」
 何となくちょっかい掛けたくなる。怒らせるってわかってるのに余計な事してでも構いたい。ほっときたくない。
 これって、いわゆる愛玩動物に近い気もするんだけど(口にだしたらまた怒るだろうな)、あながち間違い
でも無いんじゃないか。
 独りきりは辛いけど、ずっと誰かと居続けるのも疲れるもんだと思う。特に俺みたいな緊張しいの格好付けには、
きっと女の子と運良く付き合えても長くはもたなかっただろう。
 だけどそんな俺に気負いなく付き合ってくれたチビは、自然と自分をさらけ出す事の出来る数少ない相手で
あり、一番失いたくない存在であると言い切れる。
 会わなかったこの数日の間に出たその答えは、きっと間違ってはいないと思う。
「ああもう、頭が爆発してる〜っ」
「風呂入れば同じじゃん」
「そういう問題じゃない!バカ」

 不満の残る声を聞きながら湯を張りに立った。

 チビを先に入るように促して、部屋から居なくなった所で慌てて家捜しを始めた。
「たしか……この辺に……あったぁ!」
 押し入れの奥に押し込んであったブツを取り出す。エロDVDのような目に遭ってはならぬ、とチビの目の
届かぬ所に押し込んでおいたもんだ。無事で良かったぜ、そして長らく待たせたなと思わず頬ずりした。
うん、我ながらキモイ。
 しかしこれまでに思い余って捨てちゃったりしなくて良かったぜ。なんせ腐るもんじゃ無いからな……。

 ……。

 ……腐っとるがな。

「あのさー、ちょっと買い忘れたもんあるからコンビニ行ってくるわ」
 脱衣場の仕切りカーテン越しに声を掛けながらダウンを羽織る。
「え?じゃあ待って、あたしも行くよ」
「いい!いいから、その、すぐ、すぐ帰るし。寒いから」
 ごそごそと脱ぎかけた服を着る気配に慌てて制止をかけ、靴を履いて部屋を飛び出した。
 ポケットの中に揺れ動く小さな箱のツメの甘さを嘆きながら。


 チビを振り切ってやって来たコンビニでとりあえず牛乳を手に取ると、意を決して目的の棚の前に立つ。
 いよいよだぜ……。ごくりと喉が鳴る。
 これまで何度も手にする事なく素通りして来たそれに手を伸ばした。

「あ、いたいた、何買うの?」
「うわぁ!?」

 危うく落としそうになった牛乳パックを抱えて振り返る。
「失礼だなぁ。そんなに驚かなくてもいいでしょ?あたしはお化けかっ」
 居るはずのない人間が突然現れたらびっくりするだろうが!つかお化けより質が悪……いや、後が恐いから言うまい。
「おおお、お前何で、風呂入って待っとけって」
「メイク落とし忘れた。ついでだから他も買っとこうっと」
 手にしたカゴには、カラフルな小瓶やチューブが放り込まれていく。
「目当てのエロ本は見つかった?」
「今わざわざ買うかんなもん!」
 つうかお前がいたら買えねえんだよぉ!!
「ふーん。先に済ませるね」
 おお、そうしてくれ。つか何だその菓子の量は。さっき食い尽くしたサンタの靴の中身の立場は?
 気にはなるが敢えて聞くまい。

 会計を済ませてまた俺のもとに戻って来る。
「何だ?」
「んー」
 ガサガサと大きな割には軽そうな袋を揺らしながら、もじもじと俯く。
「表で待ってるからさー」
「うん」
「さっさと要るものだけ買えば?」
 そう言うと俺の手から何となく持っていた洗顔チューブを引ったくり、棚に戻して走って行った。
 ……バレてーら。
 ガラス越しに見える丸まった背中、寒そうだな。
 いつまでも迷って待たせちゃ可哀想だもんな。思い切って目の前の箱に手を伸ばし、まあそれなりに
確認をしてレジに向かう。
 機械的に仕事をこなすバイトの兄ちゃんに、実際客のカゴの中身なんぞどうだっていいんだろうなと
思わなくも無いんだけどさ。
 けど、こんなもん彼女を横に並べて買ったりしたら生々しくてちょっとアレかなーとか。
 しょうもない心配だってわかってるんだけど、慣れないせいなのかやっぱり気にしてしまう。
 別に悪い事してるわけじゃないんだけどな。
 それはいわゆる下心というものを後ろめたく感じてるせいなのかもな。

 表に出るとチビの先を歩いた。こんな暗い夜道を1人で歩きやがって、バカが。
「電話しろよお前。何かあったらどうすんだよ。危ないだろうが」
「大丈夫。鍵なら掛けてきたから、ほら」
 コタツの上にあったよと目の前で揺らして見せる。いや、そういう意味でなく。
「だってせんちゃんじゃわかんないでしょ?」
「何で。つか、石鹸で洗えばいいじゃん」
「出来るか!やっぱりわかってないじゃん。これだから女っ気の無い男は」
「へーへーすんませんね」
 確かに違いなんかわからん。言いたい事言いやがってからに。

「ねーせんちゃん。寒いんだけど」
「そらそうだろ。今夜は冷え込むらしいぞ」
「だからぁ!……わかんないかなぁ、もう」
「あ?」
 くいくいと背中を引っ張られて振り向けば、いつもは小生意気な小娘が俺の上着の裾を摘んでは、寒さのせいか
また別の理由なのか真っ赤な顔して付いて来る。

 あ、そうか。
 チビの買い物袋を自分のと一緒に片手で持つと、空いたほうの手で彼女の手を握った。
「へへっ」
「何だよ」
 わかりやすっ!てか、これって俺がやりたかった事じゃん。へらへらと笑ってぶんぶんと繋いだ手を振る。
 この前酔っ払ってた時と同じじゃないか。素面だよな、おい?何このテンション。つうか知子ちゃん、
貴女の妹も相当単純ですよ?
 そのまま俺のポケットに突っ込んで、互いの指を絡めた。
「暖かいね」
「うん」
 本当だ。繋いだ瞬間もそう感じた気がするけど、しっかりと収まった温もりはまた格別に思える。
「……幸せ」
 うぐっ!
 こんなタイミングでそういう事言うなよ。ひ、卑怯だっ!
 菓子袋で軽さの割にかさばるチビの買い物袋と対照的に小さな俺の袋の中で、牛乳パックに寄り添った
小箱がカサカサと揺れている。
 それに託したエロ心が何となく後ろめたさに痛んでしまうじゃないか。
「ね、それさぁ。この前は無かったの?」
「へっ?な、何の事っすか」
「白々しー。まあいいけど……。だから、手、出さなかったの?それとも……」
 酔っ払って迫った、あの夜か。
「まともじゃないってわかってるのに手出せねえよ」
「……引いた?」
「いや。そりゃビビったけどさ」
 お兄さんはやせ我慢を通すのに精一杯だったのよ。
 だから、3年程放置していた『男のたしなみ』の事などすっかり忘れてたさ。
「お前こそ、その、幻滅ぅ〜とかこのエロ親父サイテーとか」
「AV見つけられといて何を今更」
 ……そうでした。
「それにさ。何だかんだ言っても大事にしてくれてるよね?あたしの事。この前も……今も」
 それは本当にそうなんだけど、それを壊してしまいそうな衝動に襲われかけてるのも事実で。
「そういうとこ、やっぱり大人なんだと思う」
 そうあるためにドアを開けたままで部屋に招いていた。
「だから、大丈夫……」
「……」

 いつか役に立つかもと買うだけ買ってみたものの、日の目を見ぬままコンビニの入口のゴミ箱に葬られた物と
入れ替わりに手に入れたそれは、どうやら使う事を許されたらしい。


 ――後で合鍵を渡そう。

 そう思い、風呂場へ消えるチビを見ながら後ろ手に鍵を掛けた。




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2010年02月27日(土) 19:02:28 Modified by ID:Bo5P9jtb2Q




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