無題2_498

初出スレ:2代目498〜

属性:小説家のおじさんと少女



小学6年の春、徹さんに会った。

 その日は日曜の朝で、私はすっかり目が覚めていたけれど
休日を理由にして、暖かい布団の中にいつまでも潜り込んでいた。
もう春とはいえ、朝はまだ肌寒い。まだ寝ていたい。
しかし、そんな私の願望は、外から聞こえるトラックのエンジン音に
かき消されることになる。

 「んー…、なに?」
ガヤガヤと人の声も聞こえ始め、起き上がり カーテンを開けて外を見た。
お隣の家の前に、引越しセンターのトラックが止めてあり、数人の作業着を着た人が
次々と荷物を運び出していく。
そういえば、と、何年も前からお隣には誰も住んでいないことを思い出した。
  
 「誰か引っ越してきたんだ。わぁ、どんな人だろ」
春眠を邪魔された不快感は一瞬で消えていった。
 着替えと簡単な朝食をすませてから、お隣へ行ってみた。
引越し作業はすでに終えたらしく、丁度トラックが去っていくところだった。
こっそりと草木で覆われた広い庭を覗くと、
開放された玄関に立っている着物姿の男性と目があった。

 「こ、こんにちはっ」
反射的にそう言った後で おはようございます、の方が良かったかも、と少し後悔した。
 「ああ、こんにちは。この辺の子?」
「はい、えっと、隣に住んでます。隣の、新実です。」
「そうか、今 挨拶に行こうかと思ってたんだよ」

 着物姿だったので、一瞬おじいさんだと思ったけど とても若い人だった。
当時の私には一体いくつなのかさっぱり見当がつかなかったけれど、
紺色の着物がとても似合っていて、縁側のある和風なこの家と合っている。
 「俺はオオクボテツ。大久保彦左衛門の大久保に 徹底の徹。一応物書き志望なんだ。よろしく」
「私は新しい実って書いてニイミで、名前はひらがなでゆき、です。」

 そんなことを言って、2人でちょっと笑った。
少しだけ片付けをしてから改めて伺うよ、と言って彼は家へ戻っていったけれど、
とりあえず、大久保彦左衛門って誰?ものかきってなに?なんで着物着てるの?という疑問を
投げかけに彼の後を追った。
その時 自分の顔の筋肉が緩んでいることに、私は気付いていなかった。


それから時間を見つけると徹さんに逢いに行くようになった。

彼は大学を卒業してから3年間小説家を目指してフリーターをしていたが、
付き合っていた彼女にフラれ、何十もの作品も全く賞にひっかからず悩んでいたところ、
環境を変えて落ち着いたらどうだと 親戚から使っていない古い家を貸してもらったそうだ。
 着物を着ているのは彼曰く、小説家といったら和服だろう、とのこと。
物識りでちょっと変わっていて、楽しい人だった。
私は学校での出来事を話し、徹さんはバイト先のこと、作品の構想など話してくれた。
勉強をみてもらったこともある。
彼の筆が進まない時は、私も一緒に頭を悩ませた。

 母が仕事で家にいない日は、一緒に食事をする約束をした。
徹さんはお米を研いだこともないそうで、コンビニ食がほとんどだった。それじゃあだめだよ、と
私が食事を作って持っていくのが習慣になり、おかげで私の料理の腕は格段に上がった。
でも初めの頃は、子供ゆえに拙い出来だったけれど、彼は褒めてくれた。
それは味に対するものではなく、小学生の子供が一生懸命作っくれたことに対するものだと
気付いていたので 私はそれが悔しく感じ、自分なりに料理の特訓をした。

 結果、中学1年の時にはオリジナルの創作料理を作るようになっていた。
そんな私をモデルに徹さんは短編小説を書き上げたんだけど、やっぱり賞から外れた。



それからずっと 一緒にご飯を食べて新しい物語を考えて
掃除をしたりテレビをみたり。 

そんな何気ない日常が続いて、とても幸せに感じられた。
父親が他界し、一人っ子で家族が母親しかいない私にとったら
徹さんは兄のような存在になっていて、きっと徹さんも妹のように私に接していたに違いない。

だって実際そんなこと言っていたから。
妹が出来たようで嬉しい―。あの時の笑顔が忘れられない。私も嬉しい。楽しい。


でも私が中学3年になってから 身体の成長と共に 少しずつ何かが変わり始めている。



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2008年04月13日(日) 23:56:24 Modified by toshinosa_moe




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