幽霊屋敷にて

初出スレ:2代目323〜

属性:男子高校生と?歳女性



 夏休み最初の土曜日。半ドンで終わった部活の帰り道だったと思う。
 明日は完全に休みということで、早めに帰って新作のゲームでもしようかと思っていた僕は、真っ先に下駄箱へと向かった。
 そこで出会ったのが、二人のクラスメイト、確か安岡と吉行だった。
 「おっ、遠藤も帰りか?」
 剣道部に所属していている二人も、僕と同じように部活が半ドンで終わり、丁度帰宅するところだったらしい。
 思えば、この時から嫌な予感はしていた。
 文芸部員という非体育会系の僕と体育会系の二人とは、性質が違うというか、どこか波長が合わない。
 どちらかというと、向こうは僕を馬鹿にしていると言っていいだろう。二人は僕を見て、獲物を見つけたといわんばかりに笑みを浮かべた。
 「え〜んど〜っ。一緒に帰ろうぜぇ〜♪」
 がっしりと肩を掴まれた僕は、拒否する間もなく両脇を挟まれた。
 ・・・まるでロズウェルの宇宙人だ。
 内心で毒づいたものの、頭一つ分違う同級生二人が相手では逆らうこともできない。僕は妙にテンションの高い二人と共に、家路に就いた。
 
 三人での帰宅だったが、喋っているのは二人。しかも内容は僕の失敗談ばかりだった。
 一つ一つ振られる思い出したくない話を、苦笑して受け流す。
 最初からこれが目的だったのだろう。二人は僕が下駄箱で見かけた時よりも、遥かに活き活きとしていた。
 どんなに仲の良い友人同士でも、話のネタに尽きることがある。僕はそんな二人のための潤滑剤のような役割を強いられているようだった。
 苦行のような時間は、学校から僕達の住む新興住宅街との中間地点、文字浜の交差点まで続いた。
 信号を前にして止まった時、二人の話がぴたりと止んだ。絶え間なく聞こえていた声が急にしなくなった事で、僕は思わず二人の顔を見回す。
 すると、二人は今にも舌舐め摺りをしそうな顔で、こちらを見ていた。
 まるで(お楽しみはこれからだ)とでもいうような、嫌な笑顔だった。
 「なぁ、宰相坂に行こうぜ。」
 吉行が安岡に向けて、おもむろに言った。
 「おっ、いいねぇ〜♪」
 ツー、と言えばカーの格言のとおり、二人の息は絶妙だった。見ていて白々しくなるほどである。
 「遠藤は、どうする」
 安岡の反応を見た吉行が、今度は僕に尋ねる。
 が、これは質問では無く確認だった。その証拠に吉行の眼は鋭く僕を睨んでいる。
 視線での無言の圧力。答えは一つしか無いようだった。
 「うん…。行く」
 ややあって、僕が小さく回答する。
 その答えに満足したのか、吉行は嬉しそうに眼を細めると宰相坂の方向へ振り帰った。
 「よし、そしたら行くかぁーっ!」
 「おーぅ」
 「お、おぅ…」
 声高に、吉行と安岡が出発を告げる。
 僕は二人の企みが読めないままに、不安だけを抱きながらやる気のない掛け声を掛けた。
 
 
 

 文字浜交差点から進んだ先の古びた住宅街に、宰相坂と呼ばれる急な坂道がある。
 総理大臣の地位にまで上り詰め、日本を牛耳った政治家が屋敷を構えていたことから、その名で呼ばれるようになった場所だ。
 高校の大先輩でもあるその人が総理だった時期からしばらくの年月が経つが、未だにその名前は町内で使われ、いっそのこと正式な町名にしようかとの意見が、一部にも出ているらしい。
 その由来となった屋敷は、坂の頂上に築地で囲われているものの、それに不釣り合いな西洋風な建築が成されていた。
 赤茶けたレンガに、最初は金メッキが施されていた銅版の屋根。ロシアの聖堂みたく玉ねぎのついた塔に、イスラムの寺院にあるようなキューポラ…。
 清濁併せ持つ最後の大物政治家と呼ばれた主人の性格を表しているようなその建物は、僕のような学生が一目見ても、悪趣味と映るシロモノだった。
 主人であるこの政治家が十年前に亡くなって、その悪趣味さは不気味さに変わった。
 メッキは剥げ落ち、築地の周りの草は伸び放題。おまけに主人が自宅内で謎の死を遂げたという噂が流れれば、幽霊屋敷の出来上がり。
 主人のうめき声や女のすすり泣く声が響いてくる。誰もいないはずの部屋に明かりが付く、逆に真っ暗闇の中からピアノの音が聞こえてくる…。
 「公園トイレの怪人」と同じように、「宰相坂の幽霊屋敷」の怪談話は、町内でも知らない人がいないというほど有名だった。

 そのいわく付きの幽霊屋敷の前に、僕達は立っていた。
 寺の山門のように大きな門の前には、色褪せた「立ち入り禁止」の札が立てられており、侵入者を防ぐ有刺鉄線が潜り戸の周りに張り巡らされていた。
 築地は瓦の部分から雑草が伸び、手入れがされていないことを伺わせる。土壁の部分も、所々削れていた。
 「まさか、入るの?」
 答えは分かり切っていたが、恐る恐る吉行に聞いてみる。
 「当たり前だろ。何言ってんだ」
 当然という表情で吉行が答える。やはりここに入ることは予定調和らしい。
 「でも、あれじゃあ入れないと思うけど」
 門の前の有刺鉄線を指さして最後の抵抗を試みる。が、吉行はその答えも待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべた。
 「それがなぁ、他にあんだよ、入口が」
 言うが早いが、吉行はしばらく北に進むと僕と安岡を手招きした。門から少し離れたその場所には、築地が窪んでいる所がある。
 通用口だろうか、黒色の戸が設けられていた。
 「ほら、開けてみろよ」
 吉行に促されて、僕は戸の前に立った。鉄製なのだろうか、黒光した戸板には竜虎や想像上の動物が浮彫りにされており、立体感がある。
 左手に取っ手らしき出っ張りがあったため、握って右へと引いてみる。
 …びくともしない。
 さては引き戸かと思い、今度は押してみるが駄目だった。逆に弾いてみても、同じ結果に終わった。
 「ぎゃっはっはっ!お前も引っかかってやんの!」
 背後で吉行が腹を抱えて笑っていた。笑うほどのことなのかと、憮然とした目で吉行を見たが、何故か安岡も同じような視線を吉行に向けていた。
 「あ〜。やっぱみんな分からねぇんだろうなぁ。安岡ぁ」
 「ちっ、門の開け方なんて自慢にならねぇってんの」
 僕と同じ目に遭ったのだろうか、安岡はやれやれといった様子で戸に近づくと、僕をどけて戸の前に立った。
 そして取ってではなく、浮彫の方に手をかけると、おもむろにそれを左手に引っ張った。
 
 
 

ガララララ……。
 
 あっけなく戸が開く。取っ手はミスリードだったのだ。
 「ピンポ〜ンっ♪」
 吉行が満足気に正解を告げて、開かれた扉から中に入る。
 呆れたような表情の安岡がそれに続き、その後ろを僕が続く形になった。
 「へえ・・・。」
 屋敷の庭は、以外なほど整然としていた。
 通用口から母屋にかけて、芝が植えられており、放置されているはずなのに見苦しく伸びているものは無い。
 所々に石組みがされ、刈り込まれた植木が配置されている。名前は分からないが、木々も植えられており、夏の日差しを浴びて青々と茂っていた。
 「以外に、片付いてる・・・。誰か住んでいるのかな」
 「さあな。俺が入ってる時にゃあ、誰もいないようだったけど」
 何度も入ったかのような口振りで、吉行が答える。躊躇うことなく進むその姿から見て、かなり場慣れしているようだった。
 「こっちが入口だ。ここには、鍵が掛かってないんだ」
 入口と言って吉行が指差したのは、幾つかある縁側の内、最も通用口に近いところの掃き出し窓だった。
 どうみても入口とは呼べない場所とは思うが。
 吉行は土足のまま縁側にあがり、がらりと窓を開けて、中に入る。
 安岡も同じようにして続いたが、僕はどうしても他人の家へ土足で入ることに躊躇いがあったため、縁側で靴を脱ぎ、二人の後に続いた。

 僕達が最初に入った部屋は、物置のようで、段ボール箱や箪笥、桐箱のようなもので溢れていた。
 閉め切っているためか、室内は薄暗く、ほとんど手探りのようにして、やっと僕達が通れるような隙間を進むしかない。
 通り抜けると木製のドアがあり、それを開く。
 ドアの外は回廊のようになっていて、目の前にも、そして廊下の左右にも他の部屋に通じるドアがあった。
 幽霊屋敷の名に恥じず、回廊は妙に静まり返っている。いきなりドアが開いて、得体のしれないモンスターが出てきても一向に不思議ではなかった。
 「な、なぁ。帰らない・・・?」
 不気味さに耐えきれず、僕は吉行に引き返すそうかと提案した。
 しかし吉行はニヤニヤした笑いを浮かべて、僕の提案を一蹴した。
 「おいおい、まだ来たばかりだぜ。せっかく来たんだから、少しくらい探検していこうぜ」
 「あぁ?もしかして、ビビってんのか?」
 安岡も一緒になって、探検の続行を告げる。僕の反応が面白くて仕方がないという表情だった。
 「…だ、大丈夫だよ」
 虚勢を張り、答える。しかしそれも予想の範囲内だったのか、二人がニヤリと、不気味な笑みを浮かべた。
 「よーしっ、それじゃ手分けして探検と行くかっ!」
 吉行がポン、と手を打って宣言する。僕の返答を待っていたかのように、はっきりとした声だった。
 「俺がそっちの、安岡はあっちの部屋に入ってくれ。遠藤はここの部屋な。入って何もなかったらすぐに出ること。いいな」
 「ああ、何もなかったらすぐに出てくるよ…!」
 妙に手際良く、吉行が探索の割り振りを決める。反論する間もなく、二人は僕を残して割り当てられた部屋の前に駈け出した。
 「ちょ、ちょっと!」
 「大丈夫だって、俺らもすぐに戻るから。」
 二人はあっという間に扉を開けて、部屋の中へと消えていった。
 一人残された僕は、どちらかの後を追おうかと思い扉の間で左右に首を振っていたが、結局は決めることが出来なかった。
 残された道はただ一つ。
 僕は意を決して、扉のドアノブを回した。

 

 カチャリと音を立ててドアノブが回転し、木製の扉が内側に開く。錆びついているのか、蝶番が嫌な音を立てて動いた。
 最初に飛び込んできたのは、噎せ返るほどに籠った空気だった。長年開けられる事がなかったためか、埃が混じったかのように重い空気が僕を包んだ。
 床にはペイズリー柄の絨毯が敷かれており、床とは違う柔らかい感触が足元に流れる。
 正面には黒く塗られた木製のテーブルと、それを挟んで向かい合う薄茶色のソファーがあった。テーブルを黄色がかったレースのクロスが覆っており、ここが応接室であることを告げていた。
 テーブルの右手に目を向けると、グランドピアノが壁沿いに置かれており、その傍に木製の本棚と扉があった。
 逆の方向に目をやると、映画の中でしか見たことのない、煉瓦造りの暖炉が聳えている。本当に使われていたのだろう、暖炉には石炭らしきものが残っていた。
 その上部、マントルピースの上側に何かがあることに気づき、僕は視線を上げた。
 「あっ…!」
 女の子が居た。いや、正確には描かれていた。
 裸婦像というのだろうか。そこに描かれていたのは、僕と同じ位の年をした少女が生まれたままの姿で椅子に座っている絵だった。
 等身大なのだろうか、大きなカンバスに描かれたその姿は、まるで生きている人間がそこにいるのかと錯覚するほどだった。 
 両足を閉じて秘部を隠し、両手を頭の後ろに組んで顔を恥ずかしそうに顰めている。
 年にしては豊かな胸が、褐色の乳首を天に向け、圧倒的な存在感を示していた。
 綺麗だった。
 クラスメイトにだって、こんなに綺麗な女の子はいない。
 例えれば人形。人の形をしながら人には決して生み出すことの出来ぬ、儚さという美しさをもった人形を思わせる出来だった。
 しばらくの時間、僕はその絵に見とれていた。
 学校で見た絵画のカタログとは違う、ナマの美しさ。まるで魂を吸い寄せられたかのように、僕は絵の少女から目を離す事が出来なかった。
 
 だから、背後に近づく人影に全く気付かなかった。

 「あなたは、誰?」
 
 身体に、電撃が走ったかのように僕は硬直した。
 聞き慣れた二人の声ではない、静かな女性の声。
 誰かが居る!
 振り向くことが躊躇われた。同時に、この屋敷の噂が、頭の中に駆け巡った。
 幽霊屋敷、ゆうれいやしき、ユウレイヤシキ…………。
 嫌な想像だけが、頭の中を駆け巡る。憑り殺される。祟りに遭う。
 駄目だ駄目だ。バッドエンドしか思い浮かばない。
 そうこうしている内に、僕の右肩が強い力で掴まれた。ぐいっと時計回りに身体が回る。
 殺される!!
 僕は覚悟して目を閉じた。
 
 

 「………?」

 しばしの沈黙。
 想像を絶する痛みが襲ってくるのかと思ったが、幸い、僕の体に物理的な衝撃は生じていなかった。
 が、息使いは聞こえていた。軽い呼吸音が耳に届いている。
 恐る恐る、僕は閉じていた目を開いた。
 
 そこには、僕よりも大分年上の、美しい女性がいた。
 長く伸びた黒髪と、同じように黒色をしたサマードレスに身を包み、色が抜けたように白い肌をしていた。
 切れ長の瞳。やや高い鼻柱。血を啜ったばかりのように紅い唇。そのどれもが整っていて、まるで人形のようで―――。
 突如として現れた得体の知れない人に恐怖心を覚えるのと同時に、思わず僕は見とれてしまっていた。
 (あの、女の子…?)
 その顔に見覚えがあった。今まで見ていた絵に描かれていた裸の少女。
 目の前の女性は、あの少女が美しさを損なわずに成長した姿だった。
 
 無言のままその女性が僕を見つめている。
 何の感情も読み取ることの出来ない、深く濁ったような瞳が僕を捕らえて離さない。
 声が、出ない。
 緊張のためか、まるで金縛りに遭ってしまったかのように、喉が詰まって息苦しい。
 隣に吉行か安岡が居れば、この感覚も違っていたのかもしれない。だが、あの二人はここにはいない。
 最初から、臆病な僕を一人にして反応を楽しむつもりだったのだろうが、この時ばかりは勘弁してほしかった。
 ふと、僕の鼻をかすかな匂いがくすぐった。お線香のように儚げな香り、どうやら女性から発しているようだった。
 ここで初めて、僕の思考にこの女性が幽霊ではないのかという疑問が持ち上る。そうだ、ここは「宰相坂の幽霊屋敷」。 
 本物の幽霊が居たとしても、何の不思議もないじゃないかっ……!!
  
 「…可哀相な子ね」
 
 そんな僕の様子が、滑稽なのだろうか。哀れむかのように、彼女がぽつりと声を漏らす。
 僕の身体が、言葉へ過敏に反応する。背中がびくりと弾み、自分でもはっきりと分かるほど息が荒くなる。
 可哀相に?
 何が?僕のことが!?
 
 恐怖の二文字が頭を支配し、逃げろ、逃げろと警報を鳴らす。
 だが。
 「何怯えているの、見つかってしまって怖いの?」
 今度は女性にしては響く、低い声が聞こえた。
 艶とでも言うのだろうか。魂が蕩けてしまうほどに、心地よい声だった。
 僕はその声に、何か大切なものを奪われてしまった。もう、駄目だと確信する。
 
 『僕はこの女性に憑り付かれてしまった。』
 
 


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2008年04月13日(日) 22:36:34 Modified by toshinosa_moe




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