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【定義】

免丁(めんちん)とは、元々丁役を免除されることであり、当時の中国社会では、男子は丁年(20歳)になれば、兵役を課せられていた。しかし、僧侶は金銭を納めることで免ぜられていた。免丁抄(または免丁鈔)とは、免丁されていることの証明書のこと。

【内容】

僧侶は免丁される代わりに、国に金銭(免丁銭)を納め、そして兵役を免除されていた。その証明書を「免丁抄」という。なお、瑩山禅師学人起単の際にこれを維那寮に請求することを定めており、しかも安居証明書及び安居許可証の意味で用いていると思われる。
諸山に掛搭する時、免丁抄を帯びて掛搭するなり。宋朝には免丁抄を帯びざる人、掛搭を免(ゆる)さず。日本国、いまだこの儀を行ぜずと雖も、当山は須らくこれを行ずべし。請暇せずして去単するの人、再びの参暇を免すべからず。法を軽んずる人、必ず衆に入らしむべからず。 『瑩山清規(下)』「年中行事」

江戸時代に入ると、『瑩山清規』を開版した卍山道白禅師編『椙樹林清規』などで導入されるようになった。その場合は、首先安居証明書の位置付けである。

なお、瑩山禅師の見解は、他では見えない内容で、江戸時代の臨済宗妙心寺派の無著道忠禅師が批判を寄せた。
忠曰く、優免丁役は、是れ朝省の勾当なり。僧家?、何ぞ僣して之を行じ得んや。蓋し洞谷所出の起単の僧は、「坐夏由?」なるのみ(簿券門を見よ)。元と免丁の義を識らず、強ちに謬事を為す。又た抄は鈔と通ず。銭は鈔なり。免丁抄ならば、即ち免丁銭なり。又た免丁由の訛なり。益ます義無し。 『禅林象器箋』巻29・銭財門「免丁銭」項

つまり、無著は瑩山禅師の見解について、「免丁」の意味を分かっていないとし、それであれば「坐夏由?」であろうとしているのである。確かに、日中間の制度の違いを考えると、「免丁抄」では意味が通らないのは、その通りである。また、曹洞宗の学僧・面山瑞方禅師も、同様の批判を行っている(『洞上僧堂清規考訂別録』巻4「免丁鈔」項)。

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